組踊る天海の狭間に ―吹奏楽のための


 ここでは、こちらで書いた解説とは異なり、曲中で使われた『沖縄的なもの』を紹介してみたいと思います。
なお、画像はクリックすると別ウインドゥで拡大されて開きますので、五線が欠けて見えるなどしているときはクリックしてみて下さい。
 使われている音源のうち、吹奏楽演奏のものは、全て「陸上自衛隊第一混成団音楽隊」(指揮:柴田昌宜)によるものです。



 この曲は、こちらに書いたように、「空と海との出会い、その狭間に生まれた島(人)の息吹」をテーマにしています。
 沖縄のよく晴れた日には、空と海の境目が曖昧となり、雲が海に映り込むなどすることもあって、お互いが《浸食》し溶け合います。その中で、島はまさに《浮き島》として天海の狭間を漂っているかのようです。
 初演の前日、沖縄に向かった飛行機から見えた光景は、まさにそんな情景でした。思わず写真を撮ってしまったのですが、その画像を載せておきます。

沖縄の上空



 さて、沖縄の音楽で最も特徴的なのは、なんと言っても独特の音程構造を持つ琉球音階でしょう。
 いまさら紹介するまでもないかもしれませんが、その音階は次の通りです(主音がDの場合)。

琉球音階

 この音階は、下の譜例のように「長3度+短2度」という音程関係となっている3音のユニット(下図のa)を、長2度で2つ繋ぎ合わせたものとなっています。

琉球音階・分解

 この「ユニットaを長2度で繋いでいく」ことを繰り返すと、次のような 吹奏楽のほぼ全音域に渡る長大なモードを作ることが出来ます。(クリックで拡大)

モード
(MIDI)


 このモード、どの部分でも「隣り合う2つのユニット」を合わせると、琉球音階の移調形となります(当たり前ですが)。
 「高い音域のもの」と「低い音域のもの」では、それぞれ全く違う構成音による琉球音階となるため、色彩も異なります。しかし、下から順番に上っていくと(もしくは、上から順番に下っていくと)、徐々に色彩が変わっていくため、その「境界」は極めて曖昧です。
 これは、写真のような「空と海の溶け合っている様子」を反映させたものです。空も海も、それぞれ固有の色を持っていますが、それぞれの「歩み寄り」の過程で徐々に色彩を変え、境界が曖昧となっていました。

 この曲の冒頭部では、低音を海、高音を空として、それぞれが歩み寄ります。
 低音の海では、下から上を指向します。それと同時に異なった周期のcresc/decrescが存在し、打ち寄せるさざ波を描写します。
 高音の空では、上から下を指向します。大気は層となっているため、水平方向の<帯>(あるいは雲)が見えることがありますが、それを描写するように「直線的な(張りつめたような緊張感の要求される)保続」が使われています。
 この部分の音源を、ちょっとだけご紹介。


 この《歩み寄り》は、やがて「D」(一点ニ)の音に集約されます。
 「日本人の基音はDである」という説があります。確かに日本人はd-moll(もうちょっと言うならドリア旋法)が好きな人が多いような気がしますし、「君が代」もDが主音です。クラシック全体を見ても日本で一般に好かれている曲にはd-mollが多いように感じます(ちなみにフランス人の主音はEらしく、メシアンに「ミのための詩」という曲もあるし、スペクトル楽派の曲は大体がEの倍音を使っている)。
 ともかく、日本文化圏に住む我々が「最も根幹に感じる音」であろうDの音を「人間の住む島々」、ひいては「人々の息吹」の象徴として、特別な存在として扱っています。


 さて、この「空と海が出会った結果生まれた」Dの音から、一本の旋律が始まります。この「唄を歌う」という行為は、人々の息吹・生活そのものを象徴していると考えています(別にこの曲に限らずに)。
 これ以降、曲は「空の動機」と「海(波)の動機」を展開要素として続いていきます。

 空の動機
空の動機


 海(波)の動機
海の動機


 そして、「人」を象徴する旋律線自体は、これら2つの「空の動機」「海の動機」により導かれます。

 唄の発生


 はじめは断片的だった唄は、やがて完全な形となり歌われます。

 人々の唄
唄




 曲はこの「唄」を歌い継いでいきますが、それは常に「空」と「海」に《包まれながら》進んでいきます。
 時として、この2つの動機はどちらか片方だけとなったり、空と海が逆転したりもします。

 空と海の交歓、空と海の逆転


 上の音源の最後の方から、スライドホイッスルが出てきますが、これはエイサーの指笛の模倣です。
 エイサーというと、どうしても快速テンポで賑やかなものが有名ですが、これはある意味で「観光地化されたエイサー」だと思います。エイサーは元来は先祖の霊を送迎するため(本土で言うお盆)のものであり、ゆっくりとしたものも少なくありません。実際に現地のエイサーを聴いてみて、ゆっくりとしたものの方に魅力を感じました。

 現地のゆっくりとしたエイサー


 本土でも、霊を召喚するものとして石笛などが知られていますが、それと同系統の信仰だと感じています。この曲では、先祖の霊、ひいては「島を創造した神」を招来するものとして、指笛を模倣しています。

 この指笛(召喚された神霊)は、やがて段々と消えていきます。


 これは、人々が神霊の存在を意識しなくなっていくことを描写しています。これは別に否定的な意味なのではなく、「人は神の存在を忘れていられる時が幸せなのである」という、どこかで聞いた話に基づいています。

 この後、曲はリズミックな部分に入ります。
 民族的な音階を使ったからと言って、それが必ずしもその土地の音楽として聴こえるとは限りません。例えば、この琉球の音階は、バリのガムランの音階(ペロッグ)と構成音が同一です(厳密には開始音は違う)。そのため、下手をすると「沖縄の音楽のはずなのにバリの音楽にしか聴こえない」ということもあり得ます(その逆も然り)。
 その土地の音楽を、そうさせている大きな要因は、リズム構造にあると思います。沖縄の特徴的なリズムの1つは、よくリズムのように記譜されるけれど、3連符にも近いような微妙な割合による弾むようなリズムでしょう。
 このリズムによるパルス的な持続を背景に、《唄》はシンコペーション的に変奏されます。同時に、沖縄の音楽の一つである「カチャーシー」の太鼓を模した打楽器が半即興的(楽譜に一応の記譜はされているもののアドリブが許されている)に鳴らされます。
 カチャーシーは「掻き回す」という意味だと言われており、宴が佳境に入ったときに皆で行なわれる手踊りです。この曲では「天と海が人によって掻き回され、一つとなる」意味でも、この要素を使っています。
 カチャーシーの代表的な曲としては「唐船ドーイ」などがありますが、参考までに「泊高橋(とまいたかはし)」を載せてみます。


 このカチャーシー、中心となるのは歌と三線(さんしん)の速弾きですが、私はそれを支える琉球太鼓のリズムのほうに関心を持ちました。
 ちょっと聴いただけだと不規則に聞こえる強拍の在り方、そのリズム構造はどうなっているのか。このリズムは伝統的なカチャーシーだけではなく、最近のポップスを沖縄風にして歌と三線と琉球太鼓で演奏した場合(現地の呑み屋などでよく耳にする)にも使われているようです。ということは、沖縄の人々が生来にして身に付けている、根幹にあるリズム構造なのでしょう。
 一説には「せっかちなので、1拍目を待ちきれないから移勢が発生する」のだそうです。真偽の程は定かではありませんが、即興的に行なわれていることは間違いないでしょう。
 色々なカチャーシーを聴いてみた結果、これは「幾つかの短いリズム・パターン(2〜3拍単位のユニット)の複合形である」と類推しました。この曲では、このリズム・パターンを私なりに組み合わせて使っています。それが聴こえる部分(速い部分でも最後の方なので、色々な要素が同時に出てきていてちょっとゴチャゴチャしていますが)を載せてみます。即興的に聴こえますが、この演奏では楽譜に書かれた通りに演奏して下さっています。


 これが当地の人たちに、どれだけ本質に近く捉えてもらえるかは不安だったのですが、初演時には「この部分のとき、客席で手を振って踊っている人がいた」と、演奏していた方から伺い、ちょっと安心しました。



 どこか別の地域の音楽要素(古い日本の音階も然り)を使う、というのはよくあることかと思いますが、「単に音階だけ拝借した」というものは多いと思います。
 一要素として旋法を使い、語り口は自らのものを使う、というのは、一つの作曲法として否定はしません。が、それは得てして「上辺(うわべ)だけを借りた」ものになりがちです。今回の私の試みも、そうなってしまっていると見る向きもあるでしょう。
 ある音楽形態を別の音楽形態で模倣する、というのは難しい問題です。どちらかの音楽形態が、もう一方の音楽形態に従属するようなものでは、「融合」とは言えないでしょう。
 「沖縄の伝統音楽の要素を、吹奏楽で模倣する」という2つの世界の歩み寄り方は、そのまま琉球と大和の関係ともなっているようで、深く考えさせられる作曲でした。


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