閾下の桜樹 ―吹奏楽のための


 ここでは、こちらで書いた解説とは異なり、アナリーゼ的なものを載せてみたいと思います。


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 この曲は、日本古謡「さくら」の旋律を基に創られています。ここでは、その変容手法を紹介してみます。
 画像はディスプレイの解像度によっては五線が欠けて見えるなどするかもしれませんので、その場合は画像をクリックすると、別ウインドゥで拡大されて開きます。
 なお、音源の演奏は全て井田康男/陸上自衛隊中部方面音楽隊です。



 まず、誰もが知っているであろう、原旋律はこちら。「G」で始まるように移調しています(ちなみに、主音はDということになります)

<さくら・原旋律>

さくら・原旋律

 この旋律、なぜ有名かというと、その歌詞や旋律の素晴らしさも勿論ではあるのですが、「筝の学習の初歩で習う曲だから」という理由もあります。
 筝という楽器は、曲によって調絃(チューニング)を変えます。基本的には、1曲の中ではその調絃で得られる音しか使いません(押手や引手で変化させたり、曲の途中で調絃そのものを変えることはありますが)。
 この「さくら」における基本的な調絃(G開始、D主音の場合)は次のようになっています。

さくら・調絃

 よく見てみると、「さくら」の旋律は、一カ所の例外を除いて「1つのフレーズの中で音が動くときは、常に隣の絃に移る(絃を飛び越えない)」という制限によって書かれていることに気づくでしょう。
 この「(ある意味では)順次進行しか用いない」という制限は、「さくら」らしさを生みます。曲の核となっているのは常に「さくらの変容体」(後述)ですが、その周囲に副次的に散りばめられる旋律的動きは、全てこの「旋法的順次進行」を基調としています。
 例えば、曲の冒頭で現れる「さくら」に対する第二主題とも言うべき旋律(新しく作られたオリジナル主題)がありますが、これもそのような制限内で作られています。(なお、この旋律はAが主音で始まる旋法によっています)

<第二主題>

第二主題



 さて、「さくら」の原旋律から変形を作ります。

 まずは単純に逆行形。原旋律を後ろから読んだものです。


<さくら・逆行形>

さくら・逆行形


 次は、反行形です。通常、反行形は「2度上行なら2度下行」などのように、度数を基に作りますが、この曲では「筝の調絃で、上の絃だったなら下の絃」というような反行形としています。つまり「旋法的反行形」。
 なぜこのようにするかと言うと、通常の「度数による反行形」にすると、旋法に含まれない音が使われることになってしまい、全体の音響(旋法色/モードクラスター)を崩してしまうから、という理由があります。

<さくら・反行形>

さくら・反行形


 最後は、反行形の逆行形。先ほどの「旋法的反行形」を後ろから読んだものです。ちなみに、逆行形を反行形にしても、オクターヴが違うだけで同じ音列が得られます。

<さくら・反行形の逆行形>

さくら・反行形の逆行形


 こうして作られた4つの「さくら」による旋律形を素材(主に2小節を1ブロックとして切り取る)として、この曲は構成されています。



<第一部 「序」 面的変奏>

 この部分では、「さくら」の旋律を小節毎に分断し、そこに含まれている音を同時に鳴らすことにより、面的な響きの固まりとして扱っています。この中から「さくら」の原旋律が浮き上がってきますが、これには「旋律の提示」の役割も果たしています。
 例えば、クラリネット群によって演奏される下記のような楽譜(in B♭で記譜)の箇所があります。

クラリネット

 これは、このように聴こえます。


 響きが「消えていく過程」で、上記主題群「原旋律」の「A-5」の部分が聴こえてくるのが分かるでしょうか。
 これは、芥川也寸志が提唱していた「マイナスの音楽論」(東洋的方法論)を試しに使ってみたものです。「音が鳴ったときではなく消えるときに知覚される」というのはなかなか認識しづらく、普通は使いづらいのですが、こうした「有名な旋律」で、なおかつ「高い音から順次消える」というこの部分では、効果的かと思います。

 こうした「比較的分かりやすい」変容が核となっていますが、背景としてはかなり細かいこともやっています。

 例えば、曲が始まってすぐ、6小節目から「第二主題」が提示されますが、その背景ではフルート群により下記の譜例が演奏されています。
フルート群
(音源)


 これだけだと何だかよく分からないと思いますが、このフルートの動きを統合すると、下記のような二声のラインとなります(譜例はオクターヴ下げて記譜)。

統合

 見て分かる通り、「A-1」と「C-1」を中心に作られています。
 上声のうち、「A-1」とされているのは「さくら原旋律」の当該部分を《音程的反行》させたもの、「C-1」とされているのは「さくら反行形」の当該部分そのもの(つまり、旋法的反行)です。
 下声のうち、「A-1」とされているのは「さくら原旋律」の当該部分で「長2度上行」だったものを「短2度上行」にしたものです。
 これらは全て、歌詞では「さくら」となっている箇所に当たります。

 また、ヴィブラフォーンのパートは、フルートの下声と密接な関係にあります。

下声とvibr

 始めは下声と完全に同期しているヴィヴラフォーンですが、それが段々と分離していきます。

 これらにより、この冒頭は「様々な方法、周期により《さくら》と語っている部分」と言うことができるでしょう。


 なお、上声には少しづつ「A-2」が増えてきます。この「A-2」は「さくら原旋律」の当該部分の音を並び替えたものです(ただし主音が譜例と異なり完全5度上となっている)。
 これにより、「さくら」の旋律が少しづつ先の方へ進んでいくことを予感させます。

 また、上声には時折「高い音に外れる」動きがありますが、これは この次の部分で「半音階的に落ちていく(桜の花が散りゆく描写)」ための準備です。


 ここでは一部しか紹介していませんが、このように様々な手法で曲全体に「さくら」が隠されています。



<第二部 「破」 線的変奏>

 第二部以降、この曲は民謡のような旋律を主題として進んでいきます。
 この旋律も先の「さくらの変容」です。
 聴いた感じ、とても「私らしくない」(ある意味で恥ずかしい)旋律なのですが、「古くから少しずつ形が歪みながらも受け継がれていく歌」という意味で、「民謡」というのは象徴的な素材かと思います。また、それが実はたった一つのものが母体となり、絶える事なく潜まれている、ということが大事なのです。

 この旋律の「どの部分が、さくらの旋律(逆行形などを含む)のどこに対応するのか」を、楽譜に示してみます。
 譜例中、「C-1」などの部分は、「さくら」の4つの旋律形の当該部分です。

主題
(音源)


 このように、旋律中のほぼ全ての音が、「さくら」の4つの旋律形のどこかに由来しています。
 掲載している部分は逆行形と反行形を中心にしていて、「反行形の逆行形」(D-n)がほとんど出てきていませんが、この先の部分ではよく使われます。
 なお、この「部分の切れ目」は必ずしもフレージングと一致しているわけではなく、実際の楽譜には詳細なスラーやアーティキュレーション、ディナミクスが記されています。

 一通りこの旋律の全体が演奏された後は、この旋律自体が「変奏主題」として変形(主に変拍子化)されていくことになります。



<第三部 「急」 律動的変奏>

 第三部では、テンポを速めて「第二部の旋律」を中心に進んでいきます。
 この部分では、旋律の変奏・展開は主眼ではなく、オスティナートとして存在する伴奏形に「さくら」を置くことで「恒久的存続」を表します。

 オスティナートは二種類しかありません。

 まず1つは、次のようなものです。

オスティナート1

 これは見てすぐ分かるように、「A-3」がそのまま使われています。


 もう1つは、Trpによって下の譜例(in B♭で記譜)のように奏されます。

オスティナート2a

 これは、次のものを分担して(余韻を強調しながら)演奏していることになります。

オスティナート2b

 これは、フレーズをまたいでいるので気づきにくいですが、「A-4」がそのまま使われています。
 このオスティナートの上(下?)では、第二主題が奏されますが、フレーズの区切り方がオスティナートと主題で食い違うため、一種の「ズレ」が生じます。

(音源)





 このように、元の「さくら」の旋律を色々な方法で変形させ、組み合わせて曲は作られています。
 これらのことが「聴いただけで分かるか」と言われてると、難しいところでしょう。
 しかし、個人的には必ずしも万人に「すぐに聞き取れる」必要はないと考えています。
 「聴いた感じはとても叙情的だが、分析してみると無駄な音が一つもない、巨大な構築物のような音楽」すなわち「知情の一致」が成されている、ブラームスのような曲が書ければいいな、と常々思っています。




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