BattleShipGirl/Original Novel

<この心に火はつけられないままで(Lost days)

 何も、なかった。
 彼に残されているものは、いつ果てるものかも知れぬ無限の時間、そして孤独の日々。
 誰も、いなかった。誰一人、彼のそばにはいなかった。
 どれだけの時が過ぎたのか、そしてどれだけの絶望を背負ったのか。痛みはいつまで経っても消えやしない。
 むしろ、その痛みは彼を蝕んでいった。何一つの希望もなく、あるのは自分の弱さと涙。
 誰も、彼の背中を押してあげることは出来ない。
 どこに行きたいわけでもない。何をしたいわけでもない。与えられたテキストを読む気にもならない。
 アキから本をもらったが、……いまだその封を開けてはいない。うっすらと埃すら積もり始めている。
 彼の生活は、ただ生き続けるのみ。呼吸をし、時を過ごし、そして泥のように眠る。
 笑い方すら、忘れかけてきた。この日々に絶望したともいえる。
 だが、それから抜け出たいとも思わない。そんなことすら、思えない。
 まさに蟻地獄みたいな世界だった。もがいてももがいても、ただ現れるのは無駄だと言う現実のみ。
 そしていつか、あがくことすらもあきらめていた。そう、手を伸ばしても届かない。
 それでも、彼は忘れることが出来ない。あの日々を、そしてナツミを。
 忘れてしまえば楽になれる。使い捨ての愛など、その気になればいくらでも掴める。
 忘れてしまえば、何もかもを初めからやり直せば、こんなことにはならなかった。
 彼は、忘れたくなかった。だから今でも絶望の果てに沈み、もう見つからない姿を探そうとする。

「今度、また新しい船の実習があるんだ。シミュレーターなんだけど、しばらくかかりそう。ひょっとしたら、三日間くらいここに来ることが出来ないくらい忙しいかも」
 アキは相変わらずだ。いつも朝には祐太郎の家に来て、暇なときは一日中いたりする。祐太郎にとって、唯一心を開ける人だ。
 誰も、祐太郎の苦しみなど理解してはくれないのだから。唯一、アキだけが理解してくれるのだから。
 その事実すら、誰も知らない。そして、その事実は、もう葬られている。
 ほとんどの乗組員の記憶からも、薄れていっているのかもしれない。
 体験した人すら記憶を失ってしまえば、その出来事の存在はないものと同じ。
 本当はあることなのかもしれないが、それを客観的に証明することが出来ない上に主観的にすら証明できないのであれば、ないものと同じだ。
 誰の心にも、ナツミは残らないままに葬られるのか。
 忘れてしまえば楽なのだが、祐太郎にはナツミの存在を葬ることなどできない。
 それはアキでも同じ。……葬る、存在すら否定することなどできない。
 アキは、背負ってきた。「進まなければいけない」という運命と、「忘れてはいけない」という約束を。
 その二つを折り合いつけて、ここまでやってきた。同時に、祐太郎のそばにいてあげることを決めた。
 まだ、祐太郎の傷は癒えてはいない。
 そもそも、癒えることを求めること自体あまりにも残酷なのだが。
 目の前で大切な人を失い、置き去りにしてまで生かされる、……生きる意味も何もないままに。
 時間は人の傷を癒してくれない。時間は、却って思いを募らせるのみ。
 別れで全てが終わるのならば、それでいい。
 しかし、別れることによって見えなかったものを再認識させられることも、またある。
 人は後悔する。「あの時こうしておけば……」と、もうできないことをしたがる。
 「あの時」には、もう戻れない。それは分かっていても、思いは募る。
 恋愛感情などというものは、完全に消滅しない限り必ず何処かでくすぶっている。
 そのくすぶっている炎は、生活を過ごすうちにいつのまにか大きくなっていく。
 自分すら燃やしてしまうほど、どこまでも燃え続ける。
 それは真っ直ぐな初恋の炎にもよく似ている。思いを上手く伝えられないけど、その思いだけはとても大きいのだ。
 たくさんの人と恋をした人でも、必ず初恋が存在している。その初恋は、きっと思いだけが先走っていただろう。
 そして、失望するのだ。
 ある人はその思いをずっと引きずる。いろんな理由で、逢えなくなっても。
 何かきっかけがなければその思いは何一つ変わらないまま。もしもその人と再び逢えたのなら、またその初恋は続くのだろう。
 またある人はその恋を断ち切る。何か違うことを考えて、いつのまにか忘れてしまう。
 そしてまた恋を始める。一度傷つくとまた破滅するのではないか、そう思うことはある。それでも、だ。
 離れることは、終わることじゃない。むしろまた蘇ろうとする心と闘い続ける日々が続くことなのだ。
 もしもその心が支配すれば、今度は幸せな愛の日々を過ごせるだろう。
 そこで何か新しい恋が生まれたのなら、離れた相手のことはもう思い出にしか残らない。
「祐太郎くん……?」
 何も、答えは返ってこない。ただ、前を見つめていた。
 どことなく歳をとったような気がした。確かに、二年が過ぎた。
 若い真っ直ぐな心は、変貌する。
 この世の上手な渡り方を学び、感情を何かが覆い隠すようになる。涙すら、見せることを嫌がる。
「なあ、……最近、オレは……ずっと考えてるんだ……ナツミのことを」
 ナツミ。二年前に、失った人。言葉にすれば、それだけでしかない。しかし彼には、言葉では表現できないほどの感情がある。
 愛というわけでもない。恋というわけでもないし、友情というのも微妙に違う。
 ……とにかく「何か」がナツミと祐太郎を結び付けていた。その輪の中には、アキもいた。
 三角関係とでもいおうか、微妙なバランスを保って三人は存在していた。
 いつのまにか、そのバランスは大きく崩れた。祐太郎は、もう耐え切れないのだろう。
 時間は、そのときの傷をさらけ出して傷を広げた。誰の救いも、彼は拒否し続けた。
 自分が楽になることなど、もうどうでもよかった。どうあっても、祐太郎に笑顔は戻ることはない。
 思い出も、記憶も、常に二年前のまま。もはやアキの存在すら、祐太郎には見えなくなりかけてきた。
 二年前の日々、そして今。積み重ねてきた思いは、崩れ始めている。
 祐太郎の中にあるのは、もう届かない声と、あの日からずっと変わらない思い。
 アキの中にあるのは、あの日のことと、それでも背負わなければいけないこと。
 お互い、二年が過ぎたとしても……同じものがある。
 祐太郎には、それを背負うことが出来ない。直視することが出来ない。
「きっと、ナツミは待っているんだよな。だから、……オレはナツミを忘れられないんだよな。……本当に、永遠に逢えないのか?」
 ナツミは死んでいるわけじゃない。たとえ船体にダメージがあったとしても、人格、即ちナツミは確かに存在している。
 だから、ワームホールから抜け出すことさえ出来れば逢える。
「一年経って、二年経って、五年経って、十年経って、二十年経って、三十年経って、
 ……それでも、ナツミはオレのことを、待っているんじゃないのか?」
 きっとそうだ。きっと、そうだろう。
 ナツミはいつまでも、祐太郎を待ち続けるだろう。たとえ祐太郎が死んだとしても、……それすら知らずに待ち続けるだろう。
 その思いが届かないと内心わかっていても、ナツミは信じるだろう。
 その呼びかけに、答えてあげることは出来ない。届かないのだから。
 いずれ祐太郎は老いる。最期には、死ぬ。……それでも、ナツミは待ち続ける。あまりにも、悲しすぎる話だ。
「……たぶん、ね。……ナツミが祐太郎くんに生きていて欲しかった理由って、分かる?」
 一人だけ取り残されることは、きっと死ぬことよりも遥かにつらい。
 肉体的な痛み、そして精神的な痛みを抱えたまま、闇の中をただ彷徨うのみなのだから。
 死ねば、確かに楽になれる。
 それでも、ナツミは祐太郎に生きていて欲しかった。
「それは、……ナツミが、祐太郎くんのことを思っているから。大切に思っているからなんだよ。だから、それを無駄にしちゃ……ナツミも嬉しくないよ」
 自分の命すら捨て去っても守りたいものがあるとすれば、その「守りたいもの」のためにその人は生きているのだ。
 それほどまでに、思われているのだ。
 しかし、それを伝える術は残されていない。いくら悲しんでも、それは誰にも届かないのだ。

<なんてくだらない世界にしてしまったんだろう(I'm alone)

 そして、少しの時が流れた。
 祐太郎には、ナツミの思いに答えてあげることはできないだろう。
 彼は、未だ見えないものを捕まえようとしている。それが、若さなのだが。
 思いは、誰にも打ち明けられないままで過ぎていった。純粋すぎる彼の思いは、未だくすぶり続けていた。
 現実を見ることなど、できない。
 ナツミの存在すら、もう現実にいない。現実を直視すると、ナツミが視界から外れてしまう。
 一度見失ったら、二度と捉えられないような気がして。
 傷は癒えない。癒えたときは、祐太郎の支えが影も形もなくなるとき。
 信じていたもの、愛していたものすら全て捨て去って、また新しい日々を過ごすとき。
 そのときは、……果たしてナツミが望んでいることなのだろうか。
 躊躇した。捨て去ることは自分の幸せ、同時に痛がることも自分の幸せなのだから。
 ナツミを見失わずにアルバムにしまうのも幸せであり、その存在すら記憶から消すことも同時に幸せなのだから。
 その違いは、ナツミにとっての幸せであるか、そうでないか、だ。
 ナツミは、祐太郎に生きていて欲しいと願った。
 そう考えるのであれば、きっと祐太郎に立ち直って欲しいのだろう。しかし、立ち直ればもうナツミは過去の存在となってしまう。
 それは、祐太郎にとってしたくないことだった。

 今日は、アキが来なかった。昨日も、来ていない。
 そんなことにも、もはや興味はない。
 冷血と言ってしまえばそれまでなのだが、……感情は全てナツミに、自分の内面に注がれていた。
 ナツミと、再び昔のまま日々を過ごしたい。笑顔を、もう一度取り戻したい。
 彼の中には、それしかなかった。何をしてでも、それを達成したかった。
 自覚していたから。もはや一人では生きられぬ、と。

 今日もまた、倒れるようにしてベッドに入った。
 また、一日が終わる。

「祐太郎、祐太郎!」
 聞き覚えのある声。……まるで、ここが帰る場所であると言うことを教えているような、懐かしい声。
「……ナツミ!」
 そうだ。
 そこにいたのは、ナツミだった。
「どうしたの?落ち込んじゃって」
 ナツミは、……何も知らないのだろうか。祐太郎の今の絶望的な日々を、何も知らないのだろうか。
 ……しかし、祐太郎もナツミの孤独な日々を知らない。お互い、何も知らないのだ。
「ナツミがいないと、……オレ、もうダメかもしれない」
 実際にそうなのだ。二年間、同じことを考えて同じような絶望感を感じている。
「あのね、あたしは……ずっと、祐太郎のこと考えてた。今も、考えてるよ」
 ずっと、祐太郎のことを考えていた。
 まるで静かな水の中に投げ込まれた石の波紋のように、何かが動いた。
 不思議と、涙が出てくる。
「ずっと、……オレのことを……?」
「うん。当たり前でしょ?だって、祐太郎のこと、大好きだから」
 そうなんだ。今さらだけど、それに気がついた。
「ごめんな、ナツミ……そばに、いてあげられなくて」
 そばにいられなかったから、ナツミはきっと寂しい思いをしているのだろう。
 最後の最後まで、ろくに話も聞いてあげられなかった。
 もう少しだけ、平和な時があったのなら。
「祐太郎のこと考えてれば、……寂しくなんかなかったよ。きっと祐太郎は笑顔でいるはず、なんていつも考えてたから」
 笑顔。……ずっと、忘れていたものだ。
 祐太郎にとって、ナツミがいないことが笑顔を失うきっかけだった。
 しかしナツミにとっては違った。
 祐太郎はきっと笑っているだろう。
 その希望だけで、笑顔になれた。
 そうだ。何処かに、必ず希望はあるのだろう。
「本当に、ごめん……」
 ナツミを取り戻したい。いつも、ナツミとそばにいたい。実体がなくてもいい。あの日々をもう一度、取り戻してみたい。
 そんなかすかな願いが、胸に蘇ってきた。
 無理かもしれない。それでも、……それでもだ。
「絶対に、ナツミを取り戻してみせる。……今度逢うとき、オレも……笑顔でいるよ。必ず、……ナツミのためにも」

 そしてナツミは消えた。
 きっと夢だったのだろう。
 しかし、祐太郎の涙は真実だった。自分の中にある思い、そしてナツミへの思いも。

<誰の言葉も届かない(With a my wish to tell you)

 たとえ何か大きいものを失ったとしても、それでも祐太郎には思いがあった。
 ナツミを救い出す。わずかな希望でもいい、それにすがるだけだ。
 一人でも、……救い出してみせる。

 祐太郎は、こう解釈した。
「きっと、ナツミはオレを待っているんだ。……本当は、とても寂しいんだ。
 なら、……オレが迎えに行くんだ。たとえ、この世でなかったとしても」
 もう、ここに未練はない。ただ老いるだけの日々よりは、思いに満ち溢れて散ったほうが報われる。
 そうだ、……この世に、もう残すものはない。
「生きて、ナツミを迎えに行こう。……もう一度、ナツミに逢いに行こう。
 もしもダメなら、この命と引き換えにでも……それでも、オレはもう怖くはないさ。
 オレは……一人ぼっちの未来ならいらない。……誰もいない未来なら、ないほうがマシなんだ……」

 死は、……果てでのナツミとの出会いは、向こうからやってきた。肉体の消滅の果てに、……魂の終着駅はあったのだろうか。

なんてくだらない世界にしてしまったんだろう 君をだいなしにしてまで
死にかけている僕のたった一つの魂は
違う景色を見たいと もがいてる
まっ赤に溶けて 注がれる場所 求め
出発したいと願ってる きっと…
どこか さい果ての場所へ

誰も救えない どんな神様にも救えない
僕の魂は僕の 君の魂は君の言うことしか聞かない
誰の言葉も届かない
誰の言葉も届かない
誰の言葉も届かない
誰の言葉も届かない……