第95回 月例会 |
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日時:平成19年1月14日 14:00〜18:00 会場:高槻市市民交流センター内 「音の工房」 (当会場での開催は、 今回が45回、三年十ヶ月になります。) メンバー:HOTTA代表以下 20名 | ![]() | ![]() |
2007年新年初のSPレコード例会を迎えました。今年は、北欧の音楽が何かと話題に なりそうです。昨年末から言われていましたように、グリーグ没後100年、シベリウス没後 50年です。因みに、今年はグリーグ生誕164年、シベリウス生誕142年となります。 新年の出だしは二人の北欧の大作曲家の作品鑑賞となり、時節的にも何か相応しい一月の 楽興のときとなりました。
予定された次のプログラムに移る前に、平成19年新年初例会日1月14日に因んで、 堀田代表より、新年ご挨拶と記念レコードの紹介がありました。 すなわち今から丁度75年前、1932年1月14日に、かのラヴェルのピアノ協奏曲が 初演されたのです。そのことに因んで、堀田代表にとっても記念となる次のレコードが 紹介されました。 ラヴェル「ピアノ協奏曲」ト長調 ピアノ:(初演楽譜が献呈された)マルグリット・ロン夫人 指揮舎:(作曲者自身)モーリス・ジョセフ・ラヴェル 楽団 :コンセール・ラムルー交響楽団 演奏会場:パリ・プレイエル・ホール レコード:日本コロンビア J8035〜7a この記念すべきピアノ協奏曲が演奏された後、次の所定のプログラムに入りました。 I。グリーグ作品
1.ペールギュント組曲については、当初予定のオスカー・フリートの演奏のものと 「朝」「オーゼの死」の聞き比べと言うことで、次のレコードによる演奏のものを 鑑賞しました。 (1)ジョセフ・パスターナック指揮 ヴィクター交響楽団 (2)ユージン・グーセンス指揮 ロンドン交響楽団 レコード:日本ヴィクターJL11604 (戦前の長時間レコード・33回転) 米国ヴィクター社発売し、昭和9年頃日本ヴィクターから発売されたもの。 2.ワルターギーゼキングのピアノによる3.抒情小曲集の演奏の後、これまたピアノ 演奏の聞き比べとして、歴史的な作曲者グリーグ自身の演奏の鑑賞です。 抒情小曲集・第三集・第6曲「春に寄す」 ピアノ:(作曲者自身)エドワルド・グリーグ レコード:日本ヴィクター D803a 1900年前後、蝋管に吹き込んだものを平面盤にうつしとったもの。 ****** <かんそう曲>グリーグの作品について ********* グリーグの作品から代表的なものをプログラムとしていただきました。 「ペールギュント組曲」、それに「ソルヴェイグの歌」は、だれしも子供のときから 聞き親しんでいる名曲です。改めて、LPレコードやCDでなく、このようなSPレコードで 鑑賞することもまた音楽の楽しみと言えましょう。 ピアノ協奏曲は、数ある名曲の中でも、出だしの特徴的な旋律で人々に知られています。 今回の演奏はかのピアノの巨匠バックハウスの演奏を準備していただきました。 残念ながら、予定のプログラム全部をこなすことは時間的に不可能でした。 特に、番組の中でも大変美しい旋律で、ときどきテレビの番組のBGMとしても流れてくる 小品である「二つの悲しき旋律」が、時間の関係で聴けなかったことです。 この作品を含めて、その他の名曲もまたの機会にぜひとも鑑賞したいものです。 ****************************************** II.シベリウス作品
*********** <かんそう曲>シベリウス作品について ********** シベリウスのプログラムも、先ずこれだけ聴いておけば、シベリウスの作品は鑑賞したと 言えそうなものばかりでした。こちらも時間の関係で、大作のヴァイオリン協奏曲と交響曲 第一番にしぼって鑑賞しました。 ヴァイオリン協奏曲は、かの名匠ヤッシャ・ハイフェッツですから、聴き応えがあります。 シベリウス38歳の時の作品を35歳のハイフェッツが演奏しているのです。 シベリウスの交響曲はいずれもが、「もし作曲家の才能があれば、自分もかくなる作品を だしたい」と思うような作品ばかりです。美しい旋律の部分、劇的な音のうねりの感じられる 部分など、いずれもが非常に魅力的です。シベリウスの豊かな音楽世界を感じます。 ここでも残念ながら、「フィンランド第二の国歌」的扱いをされている「フィンランディア」 が聴けなかったことです。またの機会に。 ******************************************目次に戻る
今月登場した指揮者も、11月例会の時のように、多彩な巨匠連でした。列挙しますと 次のようになります。(堀田鑑賞シートより) (1)ロベルト・カヤヌス (1856〜1933)フィンランドの名指揮者 (2)ウィレム・メンゲルベルク (1871〜1951)オランダの名指揮者 (3)オスカー・フリート (1871〜1941)ドイツの指揮者 (4)ランドン・ロナルド (1873〜1938)ロンドン生れの指揮者 (5)レオポルド・ストコフスキー(1882〜1977)ロンドン生れのアメリカの指揮者 (6)ジョン・バルビローリ (1899〜1970)イギリスの指揮者 など。 これらの指揮者のなかで、北欧・フィンランドのカヤヌスに注目してみたいと思います。 1月14日NHKー教育テレビ番組「N響アワー」でも、作曲家池辺晋一郎さんが 「最近ぞくぞく登場した北欧出身の優れた若手の指揮者」を話題にしていました。 ********** ロベルト・カヤヌス *********** フィンランドの指揮者・作曲家(Robert Kajanus)(1833〜1903) 1856年 12月2日ヘルシンキ生れ ヘルシンキ音楽院でR.ファルティン、A.レアンダー、G.ニーマンに学ぶ。 1877年 ドイツ・ライプティッヒに留学、作曲をK.ライネッケに、指揮法をH.リヒター S.ヤーダスゾーンに師事する。 1879年 パリに遊学。J.スヴェンセンに作曲師事。ドレスデンでも修行する。 1882年 ヘルシンキに戻り、ヘルシンキ管弦楽協会を設立し、音楽監督に以後50年間 亡くなる前年の1932年まで、就任。フィンランド初のオーケストラ(注) (ヘルシンキ市立管弦楽団、フィンランド国立管弦楽団)を創設し、芸術監督、 常任指揮者になる。 1886年 自ら創設した管弦楽学校の校長兼理論教師を1914年まで、約28年間務める。 1888年 ベートーベン第九交響曲フィンランド初の演奏のために組織した合唱団の 指揮者も勤める。 1897年 ヘルシンキ大學で、1926年まで、約30年間、教鞭を執る。 1898年 シベリウスが大学教授に任命されたとき、もうひとりの志願者だったカヤヌスが、 大学当局に訴え出て、決定を覆させたという逸話がありますが、基本的に両者は フィンランドの音楽界のために活動するのです。 1900年 シベリウスと和解して、パリを振り出しに、北欧、ドイツ、オランダ、パリ万博で 客演活動を行い、成功を収める。 レジオン・ドヌール勲章ほかの数々の栄誉を受けた。 1933年 7月6日没。78歳。 代表作品 「クレルヴォの死」、この曲はシベリウス「カレワラ」に影響を与えたという。 狂詩曲二曲「フィンランド狂詩曲」第一番(1882)第二番(1889) 交響詩「アイノ」(1885)、この曲は、彼の後輩に当たるシベリウスに 感銘を与え、《クレルヴォ交響曲》の着想を促したとされている。 「シンフォニエッタ」(1916)、その他管弦楽曲、ピアノ曲、歌曲など。 指揮者としてのレコード録音 伝説の大指揮者ニキシュと同世代の指揮者として、電気録音レコードを残す。 シベリウス「交響曲第一番、二番」をロンドン交響楽団で、 1930年録音がある。(LP復刻盤がある) 「交響曲第三番、五番」「タピオラ」「ポヒョラの娘」 「ベルシャザルの饗宴」など、シベリウスの作品に注目し、次々と国内外に 紹介した功績は大きい。 (注)ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 ( kaupunginorkesteri ; Helsinki Philharmonic Orchestra) フィンランドのヘルシンキを本拠地とするオーケストラ。1882年、2人の裕福な実業家の 後援を受けたロベルト・カヤヌスにより、ヘルシンキ・オーケストラ協会として創立。 現在も存続する北欧諸国のオーケストラとしては最も長い歴史を持つ。 1914年、競争相手のヘルシンキ交響楽団と合併し、現在の名称となった。 1962年まで、フィンランド国立オペラのオーケストラとしても活動を続けた。 歴代の首席指揮者: ロベルト・カヤヌス (1882 - 1932) を初代として、以降、シュネーヴォイクト、 ヤルネフェルト、シミラ、ハンニカイネン、ヨルマ・パヌラ (1965 - 1972) 、と 続き、ベルグルンド、セーデルブルム、カム、コミッシオーナ、を経て、第十代の セーゲルスタム (1996 - )に継承されている。 カヤヌスはフィンランドの音楽世界のパイオニア的存在ですが、彼のあとにどのような 指揮者が続いているのか、また現代音楽世界でのカヤヌスの存在はどのように位置付けられて いるのか、参考情報から抜粋してみます。 (注)引用資料:音楽之友社「レコード芸術」2004年11月号 特輯「北欧の指揮者と交響曲」 ヘルシンキフィルハーモニーの第六代指揮者のヨルマ・パヌラ(Jorma Panula)氏は 1930年フィンランド生まれで、1973〜1994年までシベリウスアカデミーで 教鞭を執り、サカリ・オラモ、オスモ・ヴァンスカほかの優れた現在活躍する若手指揮者群を 育てたことで、フィンランド音楽界の重鎮になっている人物です。 2005年東京国際音楽祭スーパーワールドオーケストラでシベリウスやグリークの作品を 指揮しています。 現在フィンランド音楽界で指揮者は、次のような若手がぞくぞくと育っています。 (1)オスモ・ヴァンスカ(1953年生まれ)アメリカ・ミネソタ管弦楽団音楽監督 (2)ユッカ=ペッカ・サラステ(1956年生まれ)フィンランド放送響首席指揮者歴任 (3)ペトリ・サカリ(1958年生まれ)スエーデン・イェーヴェレ交響楽団指揮者 (4)エサ=ペッカ・サロネン(1958年生まれ) (5)アリ・ラシライネン (1959年生まれ)ノルウェー放送管弦楽団指揮者 (6)トーマス・オリッラ(19**年生まれ) (7)サカリ・オラモ(1965年生まれ)フィンランド放送響首席指揮者 (8)ミッコ・フランク(1979年生まれ)ベルギー国立管弦楽団主席指揮者 突然彼らの出現が見られたのではなくて、フィンランド音楽界でも、指揮者には長い歴史が あるのです。パヌラ氏の言を借りますと、カヤヌスの先駆者として、彼より16年若い ゲオルク・シュネーヴォイクト(1872〜1947)やシモン・パルメット(1897〜 1969)を挙げています。
