錦生如雪創楽会寄書き欄
関西SPレコード愛好会
参加記録
<目 次>
日時:平成15年6月8日 14:00〜18:00
会場:高槻市市民交流センター内「音の工房」
(当会場での開催は、今回が3回になります。)
メンバー:HOTTA代表以下 約9名
特集:今回は隔月のプログラムのうち「持ち寄りコンサート」になっていて、
会員各氏から自慢の名盤が提供されました。
持ち寄り名盤いろいろ
(Hoさん)マーラー「交響曲第4番」近衛秀麿指揮新交響楽団 録音昭和5年5月28日
ドイツ留学帰りの近衛氏(32歳)が、作曲されてまだ30年しか経っていない、
しかも、世界初のレコード録音の快挙を成し遂げた名盤です。
(関連メモ:後述の特記事項参照)
(Muさん)ポリドール軍楽隊の演奏集
「軍艦行進曲」(ゲオルク・シャープ指揮)
「森の鍛冶や」(瀬戸口藤吉編曲)
「かっぽれ」(ドイツ軍楽隊)
「ティペラリーへは遠い」(第一次大戦期の兵士の歌)(参考メモ参照)
「ドイツ国家」
(Siさん)ワルツと交響詩
シュトラウス二世「皇帝円舞曲」(シュレーダー指揮ベルリンフィル)
ボロディン「中央アジアの草原にて」(メンゲルベルク指揮コンセルトヘボウ)
シベリウス「フィンランディア」(エッケルベリ指揮イエテホリ交響楽団)
(Saさん)カントリー・エンド・ウェスタン
「キャトルコール」「ひびく山びこ」エディ・アーノルド
「半分ぐらいは」「ホンキィー・トンク・ブルース」ハンク・ウィリアムス
「キャンディ・キッス」ジョージ・モーガン
「空駆ける者」バール・アイビス
「ブルースを歌おう」マーティ・ロビンス
「雨に歩けば」ジョニー・レイ
(Moさん)思い出のジャズ(昭和15年9月日本ビクター発売の3枚ホルダー入り)
「思い出・アラビアの唄・ヴァレンシャ・テルミー・午前三時」
「私の青空・ リオ・リタ ・ヴァガボンドの唄」
「山の端の月の出る頃・山の人気者・ティティナ」
「モン・パリ ・巴里の屋根の下・只一度の贈り物・乾杯の唄」
「小さな喫茶店・暗い日曜日・ハッチャチャ」
「ラ・クカラチャ・ ハワイの唄・アレキサンダー・ラグタイム・バンド」
次のレコード歌手が出ています。
徳山l(とくやまたまき)、市原綾子、灰田勝彦、一色浩一郎、浪岡惣一郎
豊島珠江、楠木繁夫、歌上艶子、藤原亮子、由利あけみ、平井英子、など
(Naさん)各種ポピュラー音楽
「マイロマンス」「ロッキングチェアー」「ナポリ民謡」「マイビル」
「あの男が忘れられない」「カンタンド」
演奏者は、フランク・シナトラ、ダイナ・ショア、ルイ・アームストロング、
ニーノ・マルティーニ、ジェーン・フローマン、シモーネ、藤沢蘭子など
何れの演奏も、1930年代から1950年頃までの約半世紀以上前の往年の名曲というより
大変大衆に好かれた音楽であったのです。50年以上経った今日、改めて懐かしさが加わり
忘れがたい曲となり、演奏者の面々となりました。
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特記事項「マーラー・交響曲第4番」と「近衛秀麿」
「マーラー・交響曲第4番」について
交響曲第4番は、2番・3番とともに、3部作の一曲に見なされ、マーラーの交響曲の
中でも明快な且つ軽快な交響曲とされています。
この交響曲は、ちょうど1900年に作曲されていて、その初演は、翌年1901年
11月ミュンヘンでマーラー自身の手で行われましたから、近衛秀麿氏の世界初の
レコード録音は、ちょうどそれから30年目という事になります。
(出典:「名曲解説全集・2交響曲下」音楽之友社(昭和36年3月))
世界的に有名なレコード録音は、ブルーノ・ワルター指揮による1945年の時期とされて
いるようですから、近衛秀麿氏の録音盤は、世界に先駆けること15年、何と素晴らしい
日本のクラシック音楽界の大先達がいたことでしょうか。
素晴らしき哉!日本人コンダクター!
改めて、現在のクラシック界の繁栄の元を支えている諸先達の大活躍を見直さざるを
えません。こういう音楽の伝統というのは、5年、10年で、成り上がるものではないことが、
この近衛秀麿氏のパイオニアーとしての姿を見ることによって認識できます。
併せてこの第4番交響曲には、第4楽章にソプラノ歌手の独唱が入ります。
それも、近衛秀麿氏の演奏録音では、日本人のソプラノ歌手北沢栄さんが、堂々たる詠唱を
録音しているのです。管弦楽団の演奏に負けない素晴らしいとおる声で「きわめてなごやかに」
ドイツ語を披露しています。
「近衛秀麿氏の略歴」(出典:音楽大事典・音楽之友社)
明治31年(1898) 東京出身。父:篤麿(公爵貴族院議長)、
兄:文麿(元首相)
弟:忠麿(春日大社宮司)
東京帝国大学文学部中退。
大正12年(1923) 渡欧、ベルリンでエーリッヒ・クライバーに指揮を、パリで
バンサン・ダンディらに作曲を学ぶ。
大正14年(1925) 帰国して、山田耕作等と日本交響楽団を創設。
大正15年(1926) 新交響楽団を組織。以後10年間主宰。
(昭和17年・日本交響楽団、昭和26年・NHK交響楽団)
昭和11年(1936) 再渡欧、欧米各地でオーケストラを指揮。国際的活躍。
昭和20年(1945) 帰国。新設した東宝交響楽団に迎えられる。
昭和27年(1952) 近衛管弦楽団を創設。後、ABC交響楽団と改組。
昭和48年(1973) 6月没。
後年は、若い指揮者、演奏家の育成に勤めた。作曲作品は、少ないが、作品の改訂や編曲に
多くの功績があり、雅楽を近代的な管弦楽曲に編曲した「越天楽」は親しまれている。
「我が音楽三十年」「オーケストラを聴く人々へ」などの著書は、大変読みやすく、
音楽への誘いになっている。
長男の近衛秀健氏は、作曲家で指揮者であり、近衛音楽研究所理事長を務めている。
<<近衛秀麿氏を紹介している戦前の音楽雑誌の抜粋>>
(引用資料:「レコード音楽・三月号」(昭和16年3月1日発行)

昭和16年頃の近衛秀麿氏(表紙はR。シュトラウス)
「レコード音楽」誌(昭和16年3月号記事より)
藁科雅美氏の近衛秀麿評を引用しますと、次のようになります。
1.近衛秀麿と山田耕筰の二人は、日本洋楽界の二つの巨星である。就中、交響楽団の
発達には、近衛氏の功績が大である。
2.新交響楽団を組織し、主宰者、指導者として定期公演を通じて、古典から現代に及ぶ
名曲を紹介した。
3.新響退団後、欧米に留まって各国交響楽団の客演指揮をして、日本人としての
音楽の宣伝に勤めている。最近(昭和15年頃)ミュンヘンでモーツアルト歌劇
「魔笛」の上演を行った。
4.指揮者としては、「技術的な明確さを欠くところがあり、オーケストラの掴み方が
生温く緊迫感に不足するが、反面そのディナミークな激昂のない緩やかなテンポは、
彼の温厚な貴族的な人格の現れとして、一部日本の好楽家に人気のある所以であって、
また、楽曲に対する正当な解釈と指揮者としての豊富な経験によって欧米でも
日本の指揮者 Viscount Hidemaro Konoe の名は
決して不評ではない。」
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「北沢栄女史」の略歴
声楽家(メゾソプラノ)、明治41年生まれ、東京出身。日本音楽学校卒。
昭和初期、演技力歌唱力共にスケールの大きいドラマティックソプラノとして注目された。
昭和21年藤原歌劇団公演「カルメン」で、タイトルロールで返り咲いた。
昭和30年メノッティ作曲「領事」日本初演に領事館秘書が最後の舞台となる。
昭和31年8月没。
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「Erna Sack」の略歴
1898.2.6ベルリン生まれ〜1972.3.2マインツ没。
ドイツのソプラノ歌手。(電話交換手出身とのこと)
プラハでエメリッヒに、ベルリンでデニエルに師事。
1928 ベルリン市立オペラでアルト歌手としてデビュー。
1930 ビーレフェルト市立劇場へ、コロラトゥーラ・ソプラノ歌手として転向。
1932 ヴィースバーデン国立劇場出演。
1933 ベルリン国立オペラに客演して、成功後、ロンドン、パリ、ハンブルグ、
ミュンヘン、ザルツブルグ音楽祭に出演。
1935 ドレズデン国立オペラ所属。リヒアルト・シュトラウス「無口な女」
世界初演参加。
1936 ザクセン州宮廷歌手称号を受ける。
北米演奏旅行。第二次大戦中は、スエーデン、スイス、トルコで活動。
1941 ブラジルより5年間の世界演奏旅行。
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(参考メモ)「Tipperary」と「世界大戦」
<<目下執筆中>>
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平成15年6月12日 *** 錦生如雪 ***
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