錦生如雪創楽会寄書き欄
音の落書き日誌
平成16年1月17日号
私書箱「ハフナ音楽談話室長」さま
************ 音楽鑑賞の拍手、ショスタコービッチ **************
1.演奏終了時の拍手
ブラボーの掛け声と共に、演奏終了時の拍手も、音楽界では、
何かと気になるところです。最近のトラブル事例。
(その1)とある無料のクラシック・コンサートにて
これは、毎月一回、大阪市内の某企業本社ビル内音楽ホールで
ピアニストのKさんが主催で開いているメセナ音楽会です。
今月は、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスで、
ヘルマン・ゲッツ「ピアノ五重奏曲」、シューベルト「ピアノ五重奏曲鱒」を演奏しました。
例月は、同ビル内室内楽練習室で、約100名ほど入れて開くのですが、
今月は、新年と云うこともあり、同じビル内の本演奏ホール
(約200名以上はいるところ)で開きました。
一番前のかぶりつき席に、でんと陣取った70前後の「一見音楽紳士」、
知ったかぶりで、演奏前に聞こえよがしに、「鱒」が如何に名曲か、
自分は何回も聞いて気に入っているなど、
等々と話しているのが聞こえました。
いよいよ最終楽章になりました。ほぼ終わりの数分前の演奏途中で、
曲の流れがほとんどフィニッシュに近い盛り上がりを見せるところがあるのですが、
ふっと、5名の演奏者が、最後の小節にかかろうとするとき、
その「音楽紳士」ひとり、大きく三回ほど拍手し出しました。
ピアニストが、ぐっとにらんだのです。
彼は言わなくても良いのに、またわざわざ大きな声で、
「や!もうしわけない」と頭をかいて、ゼスチャーをやってしまったのです。
周りの人はいやな顔をいっせいに彼に向けました。
「先頭を切って拍手をしたい、これだけ自分は曲を知っているのだ」
とでも云いたい気持ちなのでしょう。
結局逆効果でした。みんなの不評を買ったのです。
こういう人はいるものですね。
拍手は、遅れても何ともないが、早すぎると「公害」です。
(その2)関西学院定期演奏会
公害のもう一つの事例
本日は「K学院交響楽団」第102回定期演奏会(於尼崎アルカイックホール)
最後の且つメインの演奏曲目は、ショスタコーヴィッチの第五番でした。
最後のトゥッティを終えるべく、指揮者が最後の一振りを構えた、
と同時に、会場の真ん中から、「ブラボー」とともに拍手が一人からでました。
まだ演奏中というべきでしょう。
指揮者は、半分無念の気持ちではなかったでしょうか。
終わっても10秒ほど振り返らず、真っ正面を見たまま振り返りませんでした。
小生には振り返った指揮者の顔がこころなしか「ひきつっている」ようにみえました。
聴衆の大半は指揮者が振りきって指揮の手を「解く」瞬間から、
1,2秒後の拍手の高鳴りを期待していたと思いますが、
残念でした。余韻もくそもないのです。
小生の周りの人も、「なーんだ、いやだねえ」など、
ブーイングに近いぼやきの声を聞きました。
これも一種の公害でした。拍手の主は「ばっちり声援を送ったつもり」だったのでしょうが。
出し抜きたい人はいるものですね。
2.ショスタコーヴィッチの交響曲の「不安」と「緊張」について
昨年も藤井さんからショスタコーヴィッチの交響曲全曲をお借りして聞いていた
その時も思っていたのですが、「ショスタ・シンホニー」には、
全曲に渡って聞く者を「不安な気持ち」と「緊張」を強いる楽想で
埋められているような気がしました。
本日生演奏を聴いていて、その感を深めました。
弦楽器が「不安な気持ち」の雰囲気を醸し出す旋律をあちこちで提示し、
打楽器が「緊張感」を煽る役目をしている様に受け取りました。
これは、第5番だけかもしれませんが、ロマン派の作曲家の中に
ちょくちょく聴かれるゆったりとした、安心感を感じる旋律部分が少ないように思います。
「不安」と「緊張」を交互に繰り返して、聴衆に問いかけていると。
何回も聞けばまた違った感じを受けるでしょうが。
いかがでしょうか。ちょっとした鑑賞メモです。
(平成16年1月17日)
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(錦生如雪楽徒より)
平成16年1月17日 ***錦生如雪***
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