錦生如雪創楽会寄書き欄



1.古典「万葉集」における古典音楽世界(その1)


1.万葉集の謡いの世界
 四千五百首を越える万葉集の和歌の世界において、最も古いものが仁徳朝(313〜399)の
「磐姫皇后天皇を思ほして作りませる歌」(巻二・85〜89)で、4世紀の世界に当たります。
 最も新しいものが淳仁朝(758〜764)の「大伴家持、因幡国庁にして、饗を国郡の司等に賜ふ
宴の歌」(巻二十・4517)です。これは8世紀になりますから、この和歌集はざっと400年以上
にわたる古代大和民族世界の歌謡記録と言えましょう。

(出典:奈良県企画部「万葉ミュージアム」計画書より)
 当時はまだ日本独特の「仮名」は生まれていませんから、「真名」即ち「漢字」を日本人の発音に
合わせて流用していました。万葉仮名がその典型的な漢字の有効活用事例でしょう。
 確かに1200〜1600年前の人々が自らの思いを万葉仮名に託したことが「万葉集」という
図書として現に残っており、現在の我々でも彼らの心の一端と形態は伺い知ることが出来ます。
しかしながら、誠に残念なことに、どのような「音声」で「詠っていた」かということは全く分かり
ません。子供に言って聞かせる「・・・むかしむかしの・・・」寝物語のように世代から世代へ、
確実に口伝されてきていたらよかったのでしょうが、長年の間にそれは途切れてしまいました。

 万葉集の文学的探求は、古くはかの菅原道真公により寛平五年(893)成った「新撰万葉集
(上巻)」(一名菅原万葉集)に始まり、古今和歌集に始まる勅撰和歌集の編纂とともに諸本が
伝承されてきました。
 特に本格的な国学としての「梨壺の五人」による万葉訓点<古点>に始まり、多くの関係者の
<次点>を経て、十二世紀後半から「万葉集抄」等の訓釈書も出始め、十三世紀仙覚の<新点>
訓点に至ります。

 江戸時代には契沖「万葉代匠記」、荷田春満「万葉集訓釈」、賀茂真淵「万葉考」、本居宣長
「万葉集玉の小琴」など、著名な国学者の学問となって伝承されてきました。
 
 しかし、言語学の範囲を出ることが出来ず、音楽の世界にまで踏み込んでおりません。
 明治以降の諸学者や歌人もいろいろに研究を展開しましたが、20世紀も後半になってから、
ようやく音楽面からの万葉集追求が始まったようです。

(出典:奈良県企画部「万葉ミュージアム」計画書より)
 「万葉の風土」と「歩く万葉の世界」で有名であった大阪大学文学部名誉教授犬養孝氏は、独特の
「犬養節」を考案して、万葉集を朗詠することによって、より親しみと、より深く古代人への思いを
求めました。
 現代邦楽あるいは洋楽の歌謡世界に万葉歌を移植して、歌うことも愛好者の間では行われはじめ
ましたが、あくまでも現時点での音楽的工夫であって、学術的に何らかの実証によって再現している
わけではないのです。(参考メモ・その4「万葉集を題材とした音楽作品」)
 最も確かな手段は、当時使用されていたと思われる楽器(こと、ふえ、つづみ、すずあるいは銅鐸
など)を再現し演奏することによって、当時の音の世界にはいることでしょう。しかし、旋律を如何に
想定するかが結局は最大の難題になります。
 
 その歌の調子の取り方について、万葉の謡いの世界に最も近づける可能性のある接点は、神社の
諸行事(神事)ではないでしょうか。神主の祝詞よりもさらに具体的には、宮中の歌会の様式あるいは
京都の藤原定家係累の冷泉家歌行事などが参考になると思われますが、それとても本当の万葉歌人達の
謡いを伝承した物ではないと思われます。
 一つ云えることは、当時は現代ほど世の中万端忙しくなかったでしょうから、歌いも悠長な物で
あったことは間違いないでしょう。

 さて、それでは「どうすれば万葉人の謡いを確認できるか」という点は、次のような正攻法を取って
純文献学的に万葉時代の日本民族音楽環境を推測するしかないわけです。
 一つの試みとして万葉文化館の常設展示コーナーには、「万葉集の歌われ方」に関する解説があり
ます。
2.万葉集の中の音楽世界の抽出
 平成13年12月16日、去る9月15日一般公開された「奈良県立万葉文化館」(参考メモ・
その1を参照願います)において万葉古代学研究所オープン記念公開講演会「音楽から見た万葉集」
(講師:京都市立芸術大学教授久保田敏子氏)が開催されました。

奈良県立万葉文化館の外観
 講演のレジメから「万葉集中の音楽場面」(参考メモ・その2参照方)を分類しますと
次のようになります。

  (1)日常環境での自然あるいは生活音
  (2)舞踊あるいは合唱
  (3)楽器、主として倭琴(やまとこと)

 これらの歌の中で特に注目されるのは、巻6・1011番歌および巻16・3886番歌に言及
されている「歌舞所」であり、巻8・1594に言及されている「仏前の唱歌」でしょう。
3.万葉時代の日本人の音楽世界
 前節の万葉集に引用された「歌舞所」から、少し、当時の音楽世界を垣間見ることが出来ましたが、
もう少し時系列的に久保田教授の解説を引用してみましょう。

 まず、日本の音楽史に於ける古代音楽を次のように展開していると見ます。
8世紀9世紀10世紀11世紀12世紀
ー発生・流入期→ー展開期→ー熟成期熟成期→ー衰退期→
 さらに万葉時代の中において、外来音楽の流入前では、遺跡の出土品や資料に見られるような
五弦・六弦の琴、石笛・土笛などの笛、鼓あるいは土製や金属製の鈴、その他割れ竹・銅鐸などの
楽器を使用した歌舞・奏楽で、奏する目的は、戦勝祈願、神事の祈り、葬祭、宴の余興あるいは生活の
中の歌垣等であったのです。

 そこへ大陸から次のような各国の音楽が入ってきたことになります。

  朝鮮(三韓楽:百済、新羅、高句麗)
  中国(伎楽、唐楽)
  その他(散楽、踏歌、度羅楽(タイ)、林邑楽(ベトナム)、渤海楽、声明

 大陸の音楽が導入されて、一度に日本民族にとって音の世界は幅広いまた奥深い物に転換できた
のではないでしょうか。明治初期に於ける西洋音楽の導入もこれに匹敵するぐらいの文化ショックで
あったわけですが。 
 
 これらの古楽時代に於ける諸楽器には音楽の専門家もいろいろ興味のある考察をされています。
 一例として、次の著名な二人の著書の関係事項を抽出してみます。

 (その1)柴田南雄「日本の音を聴く」(青土社)1987年11月
      (関連する楽器の事項)
      「縄文の笛」「天の磐笛」「石笛と能管」「弥生の土笛」「桶胴と割り竹」「銅鑼の音」
      「古事記の琴」「日本書紀の琴」「遺跡の琴」「縄文・弥生の楽器」「琵琶に寄せる思い」
      「笙と篳篥」「弥生の笛」「歌垣」など

 (その2)団伊玖磨「私の日本音楽史」ー異文化との出会いー(NHKライブラリー・
       日本放送出版協会)(1999年7月15日)
      (第1章 最初の音楽伝来)
       音楽伝来の三つの時期:6〜8世紀アジア大陸の音楽・三韓楽・伎楽・唐楽など
       音楽伝来以前の音  :弥生琴、銅鐸
       雅楽はオーケストラ :大仏開眼(754年4月9日)および東大寺昭和大修理
                  (1980年10月)

 万葉時代から現代に至るまでの日本人の音楽世界を理解する上で、団伊玖磨氏の次のような「日本人の
音楽性評論」は参考になります。(同書 p。41〜42)

  「・・・七世紀以来、日本人はこの音楽(外来音楽)の理解と実践(演奏)に努めました。それも
   徹底して行い、熟達しました。そして、早くも平安時代初期(九世紀初め)には、雅楽の方法論に
   則って新しい雅楽曲の「創作」を始めています。
   ・・・この外来の物に対する感性の良さ、鋭い理解力と咀嚼の高さは音楽もその一つに過ぎないと
   しても日本人の外来文化に対する特性と考えてもよいと思うのです。」


 千二百年以上前の万葉歌の朗詠も、ひょっとしますと、我々も万葉人と同じ和歌文化を共有している
日本人ですから、同じ思いで素直に彼らの歌心を「歌え」ば、それが即当時の万葉集の「歌い」で
あったのかも知れません。
参考メモ集
必要な参考メモの欄をクリック願います。
メモ番号メモ題目
その1奈良県立万葉文化館
その2万葉集の中の音楽場面
仏前の唱歌
その3雅楽寮とその関連機関
その4万葉集を題材とした音楽作品例

平成13年12月25日  ***錦生如雪***


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