錦生如雪創楽会寄書き欄



12.オルガンの旅(平成14年度)

(オルガン演奏を訪ねて)

目  次


<パイプオルガン奉献記念コンサート>
<奉献されたオルガン>
<(参考メモ)オルガンの旅(平成13年度)
<(参考メモ)<オルガンの自習メモ書き>

<パイプオルガン奉献記念コンサート>

 今回のオルガンコンサート会場であるJR芦屋駅西側にある芦屋教会付近は、さる平成7年
1月17日の「阪神淡路大震災」において、甚大な物的および人的被害を被ったところで、
現在でも未だに2,3割の地域は、破壊した建物が漸く撤去されたままの更地の所があちら
こちらに見受けられる住宅街です。
 当該教会も震災後数年してから再建された木造教会で、その木の香りも新鮮な建造物です。
 内部は、簡素ながらも、教会の雰囲気を有する区間になっており、今回のようなオルガン
演奏の会場には、もってこいの場所になっています。

 教会の再建に合わせて、オルガンを新規に設置することが検討され、今回新設されたオルガン
のお披露目式を迎えたというわけです。本来教会活動の一環として、宗教的儀式とすべき所、
今後のオルガンの活用も考えた末、今回のような一般的「パイプオルガン奉献記念コンサート」
を催したとのこと。

 日時:平成14年11月23日 14:00〜15:30
 会場:日本キリスト改革派 芦屋教会 (芦屋市前田町)
 演奏者 オルガン:大塚直哉氏
     合  唱:アンサンブル・ヴォックス・フマーナ
 曲目:A.ガブリエリ「第6旋法のイントナツィとカンツォーナ
    C.グディメル「詩篇42編・鹿の涸れ谷にあえぐが如く」
    G.ベーム「コラール・喜べ、我が魂よ・に基づく変奏曲」
    詩篇歌98番「新しき歌もて」およびその旋律による即興演奏
    J。S。バッハ「カンタータ第147番より・こころに主イエスを」
    J。S。バッハ「幻想曲・ト長調」
    F.メンデルスゾーン「ソナタ第2番ハ短調」
    賛美歌2番「いざやともに」
    J。S。バッハ「マタイ受難曲より・心より慕いまつる主イエスよ」
    J。ブラームス「オルガンコラール・心より慕いまつる主イエスよ」
    M。プレトリウス「エサイの根より」
    J。ブラームス「オルガンコラール・エサイの根より」
    G.F.ヘンデル「メサイアより・ハレルヤ」
 
 (注)演奏者のプロフィール

    オルガン奏者:大塚直哉氏
           東京芸術大学大学院チェンバロ専攻修了。バッハカンタータックラブで
           研鑽を積んだ後、1995年オランダの音楽院に留学。アムステルダム
           郊外の教会のオルガン奏者を勉め、チェンバロやクラヴィコード奏者と
           してヨーロッパ各地で演奏活動をしています。
           1999年帰国後、バッハ・コレギウム・ジャパンやアンサンブル・
           アリオンなどの公演を行っています。
    合唱団:ソプラノ・アルト・テノール・バス各1名よりなる
           神戸松蔭女子学院大学チャペルを拠点に活動しているが商談で、
           ルネッサンス、バロックの合唱作品をレパートリーとしています。           

  (注)作曲者のプロフィール
   
    A.ガブリエリ:1510/20年ヴェネツィア〜1586年ヴェネツィア
            イタリアの作曲家・オルガン奏者 

    C.グディメル:1514年ブザンソン〜1572年リヨン
            フランスの作曲家

    G。ベーム  :1661年ホーエンキルヘン〜1733年リューネブルク
            ドイツのオルガン奏者・作曲家

    M。プレトリウス:1571年アイゼナハ近傍〜1621年ヴォルフェンビュッテル
             ドイツの作曲家・著述家


 真新しい木造建築の教会の中で、しかも完成したばかりの新しいオルガンを聴く事は、
そう何度も経験できることではありません。今回幸いにして、この両方のチャンスに恵まれた
わけです。
 オルガンは、大教会の壮大な教会の壁を圧するような巨大な物ではありません。さしずめ、
巨大な「リードオルガン」といった方がいいでしょう。(オルガンの構成は次節参照)
 したがって、オルガンの発音も足元が揺らぐような大振動を呼び起こすような物ではなく、
これも巨大な「リードオルガン」を鳴らしているといった雰囲気の音楽を提供してくれます。

 しかし、なんと言っても教会の中では、パイプオルガンが本当に相応しい楽器であることが
教会音楽演奏の真っ直中に入って、実感されることです。

 今回の祝典演奏には、やはりバッハの曲が多く選ばれました。又、この式典の雰囲気にあった
選曲であると聞き取れました。
 因みにアンコール曲目もバッハのカンタータが演じられました。
 教会の中で、しかもオルガン演奏で聴くバッハの音楽の世界は、ほんとうに心の安らぐ一時が
えられます。18世紀の中頃の風情が分かるという物です。

 (注)今回のコンサートは、テレビ局が取材し、数日後に放映されるそうです。
    (11月27日 18:30 YTV 番組「ニューススクランブル」)

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<奉献されたパイプオルガン>


  パイプオルガンの仕様  手鍵盤 (Manual C−g’’’)
                  Gedackt 8’ Principal 4’
                  Rohr Flute 4’
                  Nasard 2’2/3 Octave 2’
             足鍵盤 (Pedal C−f’) 
                  Subbas 16’
             パイプ本数 310本
             平均律調律  a=440Hz(20℃)
      設計制作   本間氏
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<(参考メモ)オルガンの旅(平成13年度)>

  平成13年度では、次のようにオルガン音楽の旅をしました。

************* 壮大な音響のオルガン音楽世界  *************

                  <オルガン演奏会>
             ******************

 京都市の関係団体である財団法人音楽芸術文化振興財団は、地元企業の支援を得て、パイプオ
ルガンのコンサートシリーズを展開しています。
 去る4月29日国民の祝日(みどりの日)に京都コンサートホールで、「第28回オルガン新
人演奏会」が開催されました。

 音楽関係女子大学の学生12名の若い演奏を「京都から羽ばたく若き力の競演」と銘打って、
声援を送る催し物で、日本オルガニスト教会の主催になるものです。
 参考としてオルガンに関するこの種の音楽情報入手には、便利なホームページまで公開されて
います。

 会場となった京都コンサートホールには素晴らしい「パイプオルガン」が備え付けられて
います。ドイツ・ヨハネスクの4段手鍵盤、90の音栓、7155本のパイプからなる
西日本最大のオルガンです。
 音色は明るく柔らかいフランス風と重厚なドイツ風、さらには日本の古都に相応しく、笙、
篳篥、篠笛などの音も演奏できる機構になっているそうです。

  若人の演奏会で取り上げられた曲は、ヨハン・セバスチャン・バッハや品、あるいは日本人の
作、セザール・フランクの作曲による作品もありました。若い勢いをオルガン演奏に込めて、
両手両足を使っての大熱演でした。
             
             *******************

 引き続き「パイプオルガンコンサートシリーズ」は、本格的なオルガニスト久野将健氏の
「大オルガンで奏でる華麗な響き」として、5月26日に同ホールで開催され、グリニー、
バッハ、アキムの作品を奏者の解説付きで鑑賞しました。

 大オルガンの機構をフルに生かしたバロック音楽であり、現代音楽であり、いずれも抱いて
いたパイプオルガンの音の世界をかなり変えるに足る興味ある演奏であったと思います。

             ********************

               <日本に於けるオルガンの歴史>

 「オルガン」と称される楽器は、通常その分野では、「パイプオルガン」の事を意味します
が、日本人の場合は、どうしてもリードオルガン、特に「キャビネットオルガン」または「アメ
リカンオーガン」といわれる室内用小型楽器のことを連想します。
 従って以下の日本に於けるオルガンの歴史は全て、いわゆる「パイプオルガン」の本格的なも
のでなく、全て「アメリカンオーガン」のことです。

 日本へオルガンが持ち来たらされたのは、キリスト教伝来と同時で、天正7年(1570)7
月、巡察師ヴァリアーニが来日したとき、本格的にパイプオルガンが舶来し、有馬、臼杵、安土
などに備え付けられたと伝えられています。(文末追記参照)
 
 慶長6年から18年、長崎修道院や有馬セミナリヨでは、イタリア人の指導を受けてオルガン
楽器が作られ始めたようですが、本格的に明治以降に於いて舶来したものは、明治13年音楽取
調掛の米人教師メーソン(1828〜1896)が持ってきたものが最初とされています。

  日本人の手になるものは、明治13年横浜邦楽器製造業者西川虎吉が試作したリードオルガン
が第一号で、後の「西川オルガン」の元祖です。明治17年(1884)より国内材料を使用し
販売を始めています。

 一方、明治14年(1881)東京西久保の才田光則の手になるリードオルガンが東京芸術大
学に現存しています。
  明治17年(1884)横浜小学校にあったオルガンの故障を三味線の巧者であった山葉虎楠
が修理してからオルガン製造に着手し、明治22年(1889)合資会社山葉風琴製造所
(日本楽器の前身)を設立したわけです。
 明治23年(1890)内国勧業博覧会に出品して一等賞を取り、明治30年(1897)
10月日本楽器製造会社を創設し、ヤマハオルガンの元祖となりました。

 その後この種のリードオルガンは、ピアノの普及や電子オルガンの急成長により、昭和44年
(1969年)年産56万台をピークに下火になってゆきました。

              *****************

                  <オルガンの魅力>
 
 オルガン演奏の基本は、「押し」(attack)、「保持」(suspend)、「戻し」
(release)ですが、ピアノと比較して、「保持」動作が独特のオルガン音楽を創り出
し、オルガンの魅力になっています。

 ピアノは音の強弱と音の減衰を伴うのに対して、オルガンでは一定の音量を「保持」する事が
演奏の基本です。オルガン、特にパイプオルガンではむしろ演奏会場の残響もその創造された音
楽の一部になっているのです。

 「オルガンの魅力」の依って来る所は、その演奏会場の雰囲気であると考えられます。 現在
のところ、地上に存在する最大の楽器である「パイプオルガン」は、その楽器の規模上容易に持
ち運ぶことが出来ませんから、ある一定の場所に即ち大半は教会に固定されています。

 パイプオルガンから送り出された壮大な音を受け止めるには、教会のような大きな空間を有す
る建物の中が相応しいわけで、数名が身近に聞く室内楽とは全く趣を異にしています。

  人々はこの音を耳からだけでなく、頭の上から足の裏から、それこそからだ全体で受け止め、
パイプオルガンの世界に自らを放り込むためにオルガン音楽を聴きに行くのが目的のようです。
 従って演奏される音楽も自ずとその曲風やテンポなどもパイプオルガンに相応しいものに限定
されてくることになります。

               *****************

                    <オルガニスト>

 18世紀においてオルガン音楽で忘れられない人物は「音楽の父」である「大バッハ」のヨハ
ン・セバスチャン・バッハ(1685〜1750)です。
 彼はまだ十代の1703年8月アルンシュタット教会のオルガニストに採用され、オルガン音
楽との関わりを持ち始めました。
 
 バッハは約250曲(BWV525〜770)にのぼるオルガン曲を作曲しましたが、それら
はコラール旋律群のコラール変奏曲(パルティータ)、コラール・フーガなど、あるいは前奏
曲、トッカータファンタジーとフーガ、ソナタ、パッサカリヤなどです。

 オルガン音楽は音楽の父「大バッハ」によって完全な形に整えられたと音楽理論上も解釈され
ています。
 大バッハに続く時代の作曲家の中にも有名なオルガニストが多くいます。むしろ当時はオルガ
ンによって各人の音楽の基礎が作られていたようです。

 かのルードビッヒ・ヴァン・ベートーベン(1770〜1827)も12才の時から宮廷礼拝
堂で代理オルガニストとして音楽活動を始め、「ドレスラーの主題による変奏曲」「選定侯ソナ
タ」など初期の作品にも手を付け始めています。

 19世紀に入って、オーストリアの大作曲家アントン・ブルックナー(1824〜1896)
は、リンツの聖堂のオルガニストとして、10歳頃から活躍しています。
 彼はザンクト・フローリアンのアウグスティノ修道院にあるオーストリア第一の大オルガンの
ある地下に永眠しているほどオルガンに生涯関与したのです。

 さらにベルギー生まれのフランスの作曲家セザール・オーギュスト・フランク(1822〜
1890)は、生涯パリで教会のオルガニストを勤めながら作曲しました。彼も10代より
オルガンを奏し始め、1841年オルガニストとして公に認められ、1851年正式に各地の
オルガニストとして活躍しました。

 さて、20世紀に於ける偉大なオルガン奏者として忘れることが出来ない偉人は、アルバー
ト・シュバイツアー(1875〜1965)で、ノーベル平和賞(1952年)の受賞者で、
フランスのアルザス地方で生まれ、9歳で教会の代理オルガニストとして活躍しました。
 つづいてフリッツ・ハイトマン(1891〜1953)は、ドイツのハンブルグ生まれで、
1912年より教会のオルガニストとして名をなしました。

 驚嘆に値するのは、ドイツの盲目オルガン奏者ヘルムート・ヴァルハで、1907年生まれ
です。16歳で完全に視力を失い、以降25歳の時にバッハの全オルガン及びチェンバロ曲を
暗誦し、40歳の誕生日に完遂したという偉業を成し遂げたオルガニストです。 こういう
逸話を聞いておりますと、人間の持っている才能には限りがないという凄さを感じないでは
いられません。神の作りたもうた最大傑作と言っても過言ではありませんし、それよりも
何よりも、人間として神に感謝しなければなりません。

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<(参考メモ)オルガンの自習メモ書き>

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                  <オルガンの歴史>

 以下の歴史情報は、黒沢隆朝著「図解世界楽器大事典」(昭和59年・雄山閣出版)に
依っています。
 オルガンの起源は、紀元前4世紀ごろ葦の閉管を一列に並べただけの「パンパイプス
(シュリンクス)」に遡るとされています。
  その後紀元二世紀頃アレクサンドリアの理髪師テレビウスによって「風圧オルガン」が
発明され、バッグパイプのような風袋が取り付けられ。開巻の発音体が用いられて、送風調整弁
の様な機構が考案されたことによって、現在のオルガンの三要素が揃ったことになります。

 しかし人間はこの種の工夫にかけては全く素晴らしい才能を持っているものだと感嘆いたし
ます。その後ヨーロッパに置いては、次のような歴史を辿っております。

 7世紀 666年教皇ウィタリアヌスが会衆歌唱指導にオルガンを設置
  8世紀 757年フランク王ピピンはコンピエーニュ聖堂にオルガンを設置
  9世紀 824年カール大帝がドイツアーヘン聖堂にドイツ初のオルガンを設置
 10世紀 イギリスでは、大規模なオルガン製造が可能になる

 いずれも中世では教会活動の一環として、オルガンが活用されていったわけです。
 16世紀ルネッサンス期のバロック時代には、オルガンの機構や奏法を詳しく述べた書物も
出されるに到りました。(1511年出版・シュニック著「オルガン奏者と奏者の鑑」)

 パイプオルガンの伝来に関する歴史を追記します。
    (出典:団伊玖磨「私の日本音楽史」日本放送出版協会(1999))

  日本に本格的なパイプオルガンがもちきたらされたのは、天正年間のキリスト教伝教師の
活動に依ります。
  日本巡察使ヴァリアーノは、1579年(天正7年)2台のパイプオルガンを導入しました。
 設置場所は、
     豊後臼杵 大友宗麟(ノヴィシアダ) 1580年(天正8年)
     近江安土 セミナリオ        1581年(天正9年)

  それから20年ほど経った慶長5年頃(1600)には、既にオルガンが竹筒を使って天草
地方で模造されていたとのことですから、日本に導入された洋楽器の中では、もっとも早く
日本人に馴染みになったものであることが解ります。

     それから10数年後の禁教令が出なければ、日本は、キリスト教音楽では、世界でも
非常にレベルの高い国になっていたやも知れません。

 19世紀には弦の響きをもした管による管弦楽的な音質が追求され、演奏ペダル機構も
高度化して、微音から大音響まで幅広い音と多様な音色表現が可能になりました。
 送風機構や風箱も大改良が加えられ、「ロマンチックオルガン」と呼ばれるパイプオルガンの
最高のものが得られるようになりました。

  20世紀にはオルガンは教会だけにとどまらず、使用される場所も拡大していったのです。 
 ヨーロッパでは無声時代の映画館(シアターオルガンと称される)や商業劇場、レストランに
も設置されてゆきました。 

  日本でも類似の機種が1930年(昭和5年)東京三越本店に設置されています。こうなり
ますと、オルガンの目的が一般大衆や経済性を狙ったものになり、オルガン本来の教会楽器と
いう枠をはみ出していることになります。

              *******************

                 <オルガンの種類と構造>

 以下の内容は、下中浩著「音楽大事典」第1巻(平凡社)(1981)に依ります。
  オルガンの基本構造は「鍵盤」「パイプ」「送風装置」からなるもので、いずれが欠けても
オルガン(狭義にはパイプオルガン)と定義されないのです。

 オルガンの種類は大きく3つに大別されています。

    パイプオルガン バロック式、ロマンチック式、シアター式
    電気オルガン  電気的、電子的
    リードオルガン ハルモニウム、フランスオルガン、アメリカンオーガン

 最も一般的なパイプオルガンの発音構造は、音が気圧タンクから一定の風圧の空気を風波を介
して管(パイプ)の振動部分に送り込まれ、音を発生させます。
 手用鍵盤は最高5段、足用鍵盤は2段まであります。演奏者が楽器の演奏に両手両足を使うの
はパイプオルガンだけではないでしょうか。
 したがって発生域は最高11オクターブという広範囲になっています。
 
 発音部は木管楽器のフルート(リコーダー)やクラリネットと同じですが、木管楽器では一本
の管で広い音域を発音できるのに対して、パイプオルガンでは一音一本で対応しているため、多
数本の発音管が必要になり、大規模な構造の楽器、というより発音構造物にならざるを得ないのです。

 発音管にはフルー管とリード管の2種類があって、オルガンメタル(錫と鉛の合金)で造られ
ており、錫の含有量(25〜95%)に依って明るい音色になったり、低い静かな柔らかい音色
になったりします。

 フルー管によるパイプオルガンの本当の特徴は、この発音管列をいくつも持っていることでし
ょう。同一材料の管を低音から高音まで何本か揃えられれば、それで既に演奏可能なパイプオル
ガンになるのですが、高度なパイプオルガンになりますと、異なった音色の管列を何列か揃えて
いると言うことですから、作り出される音色も多様なら、演奏者もどの音色のパイプ列を選んで演奏するかも大変です。

 一方リード管の場合は、真鍮製のリードとその上についている共鳴管によって音色が決まり、
そのリードを調律するのにチューニングワイヤを用いています。
  一般に耳慣れているのはリードによるオルガンの音色ですが、幼い日の音楽教室を思い出すこ
とでしょう。
            *********************

                 <アメリカン・オーガン>

 パイプオルガンを思わせる音色を持ちながら、機構的には遥に単純で、廉価にして、初心者に
も取り扱いやすいのが、アメリカンオーガンです。
 この機種はオルガンの代用、オルガン奏者の練習用、初等教育用、教会の小礼拝堂用、家庭用
とその用途は大変広いのです。
 風圧の安定がよいことが初心者にも演奏しやすくしています。かつオルガン的雰囲気を類似の
リードオルガンであるハルモニウム以上に感じさせるのです。
 ただし、音の幅や潤い、表現力の面では、ハルモニウムには及びません。

 1835年パリのアレクサンドル工場で発明されたのですが、その職人達がアメリカでコッテ
ージ・オーガン、メロディオン、メローディアムの名前で製造を始め、後にアメリカン・オーガ
ンと称されました。

 1860年頃、現在の楽器に近いものがボストンのメーソン・ハムソン社で売り出されまし
た。ヨーロッパでは1874年、同じアレクサンドル産のアレクサンドル・オーガンが紹介さ
れ、フルーパイプに近い音を出す楽器に改良されました。

             **********************

                  <オルガンと小学唱歌>

 楽器の歴史的研究家として長年活動してこられた黒沢隆朝氏は、その著書「図解世界音楽大事
典」(雄山閣出版(昭和59年5月))の中で、次のような「オルガン随想」を記しておられま
す。

 「・・・・私が音楽の世界に身を入れるようになった最初の動機は、小学校で初めて聞いたオ
ルガンの誘惑であったような気がする。あの妙音と、そしてあの若い女の教員の、産毛の巻いて
いるふくよかな指と、舶来オルガンの塗料の匂いとの渾然一体とした印象は、半世紀以上も経つ
のに今でもまざまざと蘇ってくる。・・・」

 こういった子供の頃の思い出は誰でも持ち合わせている類似体験です。
 一昔前の日本映画においては、学校の場面には必ずと言っていいほど、「教室にオルガン」と
いう組み合わせが映し出されたものです。

 中年以上の日本人には小学校の思い出の中に必ず何らかの形でオルガンという楽器が結びつい
ているはずです。
 音楽の授業に限らず、学内でのありとあらゆる行事の中でオルガンが活用されているはずで
す。運動会、学芸会、始業式、卒業式、・・・それこそ朝学校に行ってから下校するまでの学校
生活がオルガンで色づけられて、その時々の思い出に花を添えているはずです。

 京都・四条河原町の元開智小学校の中にある「京都市学校博物館」には、明治時代の
オルガンとその演奏風景が展示されています。

 ここに展示されているオルガンは、今でもきれいな音で弾くことが出来るように調律されて
いるもので、明治43年製という時代物です。
 何とこのオルガンは、かっての開智小学校区内の一市民の寄付なのです。如何に当時の京都
一般庶民が教育に熱を入れていたか分かります。

 館内の学芸員さんのお話では、当時京都は「日本の都が江戸に持っていかれた」というより、
「天皇さんが京都をでてしまいはった」事の方が重要で、なんとか京の町がさびれないように、
近代日本の中でも文化面で先頭を切って繁栄して行きたいと願う気持ちが教育に力を入れること
になったというのです。何となくそういった市民の意気込みがこのオルガンという形で伝わって
きます。

 しかしなんと言っても「オルガンには小学唱歌」でしょう。
 小学唱歌ではありませんが、「国民歌謡」と銘打って発表された歌で、学校で習う唱歌にオル
ガンと関係の深い歌を一つ採り上げてみます。

         「椰子の実」  作詞 島崎藤村  作曲 大中寅二

          名も知らぬ遠き島より   流れ寄る椰子の実一つ
          ふる里の岸を離れて    なれはそも波に幾月

 「唱歌・童謡ものがたり」(読売新聞文化部・岩波書店・1999年8月)による紹介では、
この歌は昭和11年(1936年)7月、NHK大阪放送局が国民歌謡として東海林太郎を歌手
として放送したのがこの歌のデビューとされています。

 作曲した人は、東京霊南坂教会の「オルガン奏者」大中寅二(1896〜1982)氏で、同
志社を卒業後、山田耕作に師事し、ドイツ留学を経て、東洋英和女学校で教鞭を執りつつ、カン
タータ20数曲、オルガン曲は1000曲以上も作曲したとのことです。

 オルガン奏者として練達の人の持つ音の世界と島崎藤村の詩の世界が合体した名曲です。日本
人なら誰でも一度は口ずさんだ歌です。
 この歌がオルガンの世界に通じていたとは、偶然でもなく、当然かも知れません。
 因みに大中寅二氏のご子息が、同じ小学唱歌の作曲家として名をなして童謡「サッちゃん」な
どを作曲している大中恩(おおなかめぐみ)氏です。

             ******************
 
                  <オルガン歌い納め>

 明治時代以降、西洋音楽を受け入れて各種の洋楽器を演奏しつつ育ってきた日本人にとってオ
ルガンは誰しもお世話になった楽器です。
 昭和40年代からオルガンに代替する各種の楽器が出てきたために、オルガンの生産が効果気
味になりました。それは、ハモンドオルガンであり、電気オルガンであり、電子オルガンであ
り、はてはエレクトーンなるオルガンに類似の各種楽器で、且つこれらには、オルガンにない高
度な機能を有しているのです。

 その一方で、「リードオルガン」、特に「アメリカン・オーガン」の音楽は、何ともいえない
素朴な音色で、忘れがたい幼い日の遠い調べです。
 この楽器は何とか後世に残しておきたいものですが、もはやこの「オルガンー昔の調べ」の演
奏には、「保持(サスペンド)」がなく、奏者の指が「戻し(レリーズ)」の動作を完了してし
まったのでしょうか。残響を認めることが出来ないままに・・・。

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平成14年11月25日 *** 錦生如雪 ***


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