錦生如雪創楽会寄書き欄
17.フルートとフルーティスト
目 次
<フルート音楽に想うこと>
<世界のフルーティスト情報>
<日本のフルーティスト情報>
<参考メモ・フルート楽器について>
<フルート音楽に思うこと>
<フルート音楽談義のきっかけ・モイーズのフルート演奏>
フルートとその音楽について、いろいろな音楽談義を重ねていますが、参考になる情報で
あるので、後学のためにため込んでおきたく、このホームページにメモ書きしておくことに
しました。
そもそも、フルートの話しの出所は、久しぶりにフルートの名曲といわれる
ドップラー、Albrt Franz Doppler(1821〜1883)
「ハンガリー田園幻想曲」作品26
をSPレコードで、しかもフルーティストとしては、近代フルート演奏の巨匠とされる
フランスのモイーズの演奏で聴いたことでした。
(引用ページ)関西SPレコード愛好会10月度例会記録
久しぶりに聴いたとは、今回聴いたSPレコードのその曲を丁度41年前の昭和37年
10月11日、22日、そして、翌年の4月8日、同じフルート演奏者は、マルセル・
モイーズで聴いていたのです。
当時初めて聴いたこの曲の印象としては、「尺八ではないか!」と思いこんでしまうような
日本人には馴染みやすい旋律であり、尺八的フルートの音色、音域、音楽世界であったのです。
それもそのはず、ドップラーは、ブタペストやウィーンでフルート奏者を勤め、晩年は
ウィーンの音楽院のフルート教授に任じられるほどのフルートの名手だったのです。
<日本人にとってのフルート音楽の歴史>
フルートは、邦楽の横笛などからも日本人には親しみやすい洋楽器であり、その音色も横笛の
音楽世界に繋がりやすいものであったのではないでしょうか。少なくとも、ヴァイオリンなどの
擦弦楽器やオルガンやピアノなどの鍵盤楽器などより、数段馴染みの洋楽器であったことは
確かです。現在木管楽器の部類に入れられている楽器への愛着は、かなり歴史的に長い物で
あることにも依っています。最も持ち運びしやすい楽器であることにも依りましょう。
「横笛は日本にもあったためだろうか、軍楽隊での需要が少なかったにもかかわらず、
(クラリネットやトランペットのように一団体に複数ではなく、せいぜい一人)
最も早く(明治初期に)演奏家が出たのは、フルートだった。
(音楽之友社「弦楽器・管楽器ソリスト2004」(2003年8月)p。201より)
奥好義(1858〜1933)が明治18年(1885)音楽取調掛卒業演奏会で
フルートの四重奏を演奏したのが管楽器公開演奏の最初とされているからです。
彼は、宮内省楽部龍笛名手で、「君が代」の作曲者でもある著名人です。
ちなみに、当該参考資料には、日本人のフルーティストの開拓者として、次のような人々が
挙げられています。
大村恕三郎(1869〜1952) 管楽仲間の第一位、ヴァイオリニスト、関西楽団の
パイオニア。
岡村雅雄 (1892〜1961) 大正10年(1922)米国より帰国。日本初の
ベーム式楽器演奏者。ラジオ放送にも初めて出演。リサイタルを開いた
ソロフルーティスト第一号。山田耕作の日本交響楽協会フルーティスト。
宮田精蔵 (1898〜? ) 三越少年音楽隊、客船や映画館のオーケストラを
経験。
山口正男 (1907〜1940) 慶応から東京音楽学校へ。フルート科第一期生。
卒業後フルート科専任教官。
河村秀一 (1909〜1979) 東京フィルハーモニーの名手。オーケストラで活躍。
吉田雅夫 (1915〜 ) 慶応から昭和17年(1942)日本交響楽団入団。
昭和38年(1963)まで首席奏者を勤める。1953〜1982東京
芸大で後進の指導、名誉教授。
奥好寛 (1915〜2000) 宮内省楽部出身。レコードでヴィブラート奏法を
会得した。奥好義の孫。
大畑保 (1917〜1953) 宝塚交響楽団首席奏者。東京管楽器協会で活躍。
森 正 (1921〜1987) フルートから指揮者に転向。
加藤恕彦 (1937〜1963) ミュンヘン国際音楽コンクール第二位。日本人として
初めて欧州のオーケストラ首席奏者。
(注)名前は、知人の所有するLPレコードジャケットに「ひろひこ」と
なっていましたが、「たけひこ」あるいは「はるひこ」と呼んでいる
資料もありました。下記の「参考メモ」参照。
林りり子 (1925〜1974) 70名近いプロ奏者を育て、カーネギーホールや
ザルグブルグ音楽祭でリサイタルを行う。12歳から吉田雅夫に師事し、
宝響や日本フィルハーモニー交響楽団の首席奏者を勤め、ジョリヴェ、
ブゾーニ、メシアンなどの作品の日本初演を果たしている。
作曲家林光の従姉。
<フルート音楽の名曲>
フルートの演奏曲には、いろいろの名曲が挙げられましょうが、さしずめ、良く聞かれる
のは、ここにあげたドップラー作品、あるいはビゼー「アルルの女」第二組曲・第三曲
メヌエット、さらには、モーツアルトのフルート協奏曲(第一番・ト長調・K313,第二番・
ニ長調・K314)などでしょう。こういう曲を聴いていますと、フランスの田園風景の中で
牧歌を聴いているような感じを受けます。
最近聴いたフルート音楽のCD例
(1)モーツアルト「4フルート・カルテット」KV285、KV285a,
KV285b、KV298
フルート:オーレル・ニコレー、
モーツアルト・ストリング・トリオ
(2)モーツアルト「4フルート・カルテット」KV285、KV285a
KV285b、KV298
フルート:ジャン・ピエール・ランパル
ヴァイオリン:アイザック・スターン
ヴィオラ:サルバトーレ・アッカルド
チェロ:ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ
最近聴いたフルートのSPレコード鑑賞会の例
(3)モーツアルト「フルート協奏曲 第2番」 ニ長調 K314
フルート:マルセル・モイーズ
コッポラ指揮 パリ音楽院管弦楽団
レコード:ビクター L−835−6
平成15年11月8日 19:00〜21:00
於京都芸術センター 明倫レコード倶楽部 第四回例会にて
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<世界のフルーティスト>
「関西SPレコード愛好会」の参加記録には、多くのフルーティストを引用しません
でしたが、改めて音楽之友社「演奏家事典」にある世界のフルーティストを紹介します。
アンドラーシュ・アドリアン(*) ロバート・エイトケン
セヴェリーノ・ガッツェローニ(*)
加藤恕彦 金昌国 ウイリアム・キンケイド バルトルド・クイケン(*)
ペーター・ルーカス・グラーフ(*) 小出信也 ロラーント・コヴァーチェ
ジェイムス・ゴールウェイ(*) グスタフ・シェック エレーヌ・シェファー
ルネ・シーバート ヴォルフガンク・シュルツ(*) アンドレ・ジョネ
ヴェルナー・タスト
カールハインツ・ツェラー(*) ミッシェル・ドゥボスト(*) ヴェルナー・トリップ
オーレル・ニコレ(*) 野口龍 ブーベルト・バルワーザー サミュエル・バロン
フランス・フェスター アンドレアス・ブラウ(*) フランス・ブリュッヘン
ロジェ・ブルタン スティーブン・プレストン ジュリアス・ベイカー(*)
パウル・マイゼン(*)
宮本明恭 ミラン・ムンツリゲル
マルセル・モイーズ(*)
クロード・モントウ マクサンス・ラリュウ(*) クリスチャン・ラルド(*)
ジャン=ピエール・ランパル(*) ハンス=マルティン・リンデ(*)
クルト・レーデル(*)
ポーラ・ロビソン(*) カロミ・ヴァナウゼワ ヨハネス・ヴァルター(*)
以上 計 42名 日本人演奏家 4名
これらの名フルーティストの中で、談話会の話題になっているのが、加藤恕彦(かとう
ひろひこ)とオーレル・ニコレの名手達です。
ちなみに、最近の参考資料(音楽之友社「弦楽器・管楽器ソリスト2004」)に挙げられて
いる世界のフルーティストとしては、上記の(*)印付の面々で、それ以外の奏者としては、
次の名前が挙げられています。
ピエール=イブ・アルトー パトリック・ガロワ ハンス・マリア・クナイス
イレナ・グラフェナウアー ジャック・ズーン エミリー・バイノン
ヴィルバルト・ハーゼルゼット エマヌエル・パユ マリーナ・ピッチニーニ
ディーター・フルーリー シャロン・ベサリー ウィリアム・ベネット アラン・マリオン
ディビット・マンロウ
以上 計14名 上記の人物も集計しますと、56名
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<日本のフルーティスト>
上記の参考資料(「音楽之友社「弦楽器・管楽器ソリスト2004」)によって、さらに
日本人の演奏家を取り上げますと、次のような面々になります。
朝倉未来良 有田正広(**) 一戸敦 圓城美花 大和田葉子 加藤元章 神崎愛
神田寛明 木ノ脇道元 金昌国(*) 工藤重典(**) 小泉浩 小出信也 河野俊子
佐久間由美子(*)瀬尾和紀 高木綾子 中川昌三 中村忠 中山早苗 西田直孝
野口龍 花岡和生 萩原貴子 林りり子 藤井香織 前田りり子 三上明子 峰岸壮一
宮本昭恭 山岡重治 山形由美 吉田雅夫
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日本のフルーティストの父・吉田雅夫さん逝く

(読売新聞訃報より・平成15年11月17日付)
このメモ書きを書き終えて約一週間ほど経った平成15年11月17日、日本のフルート界を
世界レベルに引き上げた、いわば、「日本のフルート界の父」とも言うべき、吉田雅夫さんが
なくなられました。残念です。謹んで、哀悼の意を表します。
吉田さんの略歴を辿ってみます。
大正 4年(1915)1月北海道函館市出身。
昭和13年(1938)慶應義塾大学法学部卒業。
東京音楽学校中退、一時会社勤務したが性に合わず、一年ほどで、
退職し、独学でフルートを学ぶ。山口正雄らに師事。
コンセル・ポピュレール、日本ビクター管弦楽団を経て、
昭和17年(1942)新交響楽団入団、引き続き、NHK交響楽団にて活躍。
指揮者ローゼンストックに認められる。
1963年まで21年間、日本のトップ交響楽団の首席フルート
奏者を勤めたことになります。
昭和18年(1943)東京高等音楽学院(現代の国立音楽大学)教授。
昭和30年(1955)〜昭和31年(1956)
世界的な指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンやジャン・マルチノン
からも絶大な賛辞を送られた。
カラヤンの招きで、スイス、ウィーン、フランス、ドイツで腕を
磨く。師匠は、ハンス・レズニチェック、アンドレ・ジョネ。
マルセル・モイーズにも師事し、その精神と技術を吸収した。
昭和38年(1963)東京芸術大學教授に就任。1982年まで19年間後継者の指導に
当たる。現在日本のフルート界で活躍している奏者の多くが弟子で
あり、孫弟子に当たる。(例、前述の金昌国氏など)
昭和51年(1976)第27回放送文化賞。
昭和55年(1980)紫綬褒章受章。
昭和61年(1986)勲三等旭日中綬章。
さらに、日本芸術院賞も受けている。
平成 元年(1989)第19回モービル音楽賞受賞。
平成15年(2003)11月17日、肺炎で、88才の生涯を閉じる。
東京芸術大学名誉教授。昭和音楽大學教授。国立音楽大学、武蔵野音楽大学でも指導。
日本音楽コンクール運営委員を務める。日本フルート協会会長。
著書「フルート教則本」「フルート名曲集」「植村泰一との対談<フルートと私>」
今後は、吉田さんの弟子であり、世界的フルーティストである金さんを中心にした
吉田学校の皆さんが、師匠の残した日本のフルート界を、ますます世界的な発展に
つなげていってくれることでしょう。
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さて、上記の著名な日本のフルーティストの中で大きく取り上げられ、且つ注目されている
フルート奏者は、(**)印の二人で、その略歴を以下に挙げておきます。
有田正広氏 (1949.7.22〜 )(東京出身)
桐朋学園大学で林りり子に師事。在学中、毎日音楽コンクールで優勝。
独学でトラヴェルソを学び、1973年ベルギーブリュッセル音楽院に
留学。1974年よりコレギウム・アウレウムのメンバーとして演奏活動。
1975年ブルージュ国際音楽コンクールのソロ部門一位(二位は
ハーゼルゼット)。ブリュッヘン審査委員長に絶讃される。
1977年デン・ハーグ音楽院より最高栄誉賞付ソリスト・ディプロマ卒業。
ブリュッヘン18世紀オーケストラ首席奏者、ピノック・イングリッシュ・
コンサートのソリストとして招かれる。東京バッハ・モーツアルト・
オーケストラを結成し、指揮をしている。
昭和音楽大学教授、桐朋学園大学古楽器科講師。
楽器収集家としても知られ、フランス・ブリュッヘンからのトラヴェルソほか
名器のコレクションを有する。
工藤重典氏 (1954.9.26〜 )(札幌出身)
パリを中心に国際的演奏活動をしているフルート奏者。
10歳からフルートを始め、ジャン・ピエール・ランパルの演奏を聴いて
パリでフルートを学ぶことを決意。桐朋学園大学を経て1975年ニースで
ランパルの夏期講習会を受け、パリ音楽院に入学し、ランパルに師事。
1978年パリ国際フルートコンクール、1980年ジャン・ピエール・
ランパル国際フルートコンクールで、第一位を獲得。1979年ミュンヘン
国際コンクールでは、第三位。
現在、パリ・エコール・ノルマルのフルート科教授。1987年以来、
サイトウ・キネン・オーケストラに、1990年から水戸室内管弦楽団で
首席フルート奏者を勤める。小沢征爾指揮の演奏活動にも参加している。
2000年になくなった師ランパルを偲び、2001年ランパル・メモリアル
コンサートをガロワ、ラリュー、ピエルロ、アドリアン、アリマニー、
デボストらと東京で開催した。
(参考メモ)加藤恕彦関係資料
「加藤恕彦留学日記」(販売元:聖母の騎士社・聖母文庫) 出版年月: 1998/10
ISBN: 4882161729 423頁
愛妻マーガレットとのモンブラン遭難死から35年。
モンテカルロオペラ首席フルート奏者の心洗われる遺稿。・・・・・
「日記というものは他人に読ませるために書くものではない。そして、
単に日記といっても、ほんのメモ程度のものもあれば自己反省的な
人生記録のようなものなど各種各様であろう。どんなものにしろ
潔癖に考えればそれを公にすることは本人がこの世にいないだけに、
なんとなくひっかかる点もある。しかし、世の中には全集とか、
故人の追悼のためのものにいくらも発表されているのだから、
あとに残った者のせめての追悼のためだ、ということを察してくれれば、
むすこも発表をゆるしてくれるのではないか・・・・」
(「まえがき」より)
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<参考メモ・フルート楽器について>
日本のフルーティストを代表するような重要演奏家とされている有田正広さんのフルート
楽器に関する解説を参考メモとして抜粋しました。
1.ルネッサンス時代 16世紀から17世紀終わり頃まで
梨、楓、黄楊、紫檀系堅木の木管楽器。サイズは、ソプラノ、アル
ト、テナー、バス。歌口と6穴で、円筒形で、フラット系の構造。
「ドイツ・フルート」とは、縦笛と区別するための横笛
(トラヴェルサ)と同様、初めて横笛を吹いたドイツ民族としての
笛ということ。
2.バロック時代 1652年イギリスからオランダに帰化した管楽器メーカーの
リチャード・ハーカがアムステルダム工房でスリー・ピース
(頭部、中部、足部管)から成るバロックフルートを考案した。
円錐形の内径で一本キーがつき、シャープ系に変わり、半音階が
出来、音域幅が広くなり、高音域演奏も容易になります。
フランスの木管楽器製作で名を成しているオットテール一族から
1707年音楽史上初のフルート教則本を出版しました。
フランスの工房でスリー・ピース・フルートから中部管を二分割
して4ピース管が工夫され、全ヨーロッパに広まります。
テレマン、ヘンデル、バッハも挙って、フルートの作品を書きます。
演奏家では、天才的フルーティスト、ミシェル・ブラヴェがパリで
クヴァンツがドレスデンで出ます。
3.クラシック時代 モーツアルト、ハイドンなどがフルートの作品を出します。
音楽は、王侯貴族から市民階層の音楽になり、独創的ヴィルトゥーゾ
演奏が高く評価されます。1キー付フルートが基本的に使用されます
が、歌口が広くなり、広い会場での演奏に適した構造になります。
4キー、6キー付フルートも考案されてきます。併せてそれらの楽器
を前提にしたフルート協奏曲などが作曲されます。
1795年パリ・コンセルヴァトワールが設立され、フルート科が
出来、プロやアマチュアのフルーティストが育って行きます。
4.ロマン派時代 音楽学校出の優れたフルーティストのために楽器の方も3,5,9、
13キー付フルートも製作されます。この時代は、ヴァイオリンで
は、パガニーニに代表されるように、プロフェショナル・フルーティ
スト達は、超人的な演奏方法を極めます。ハンガリー出身でオースト リアで活躍したドップラー兄弟は13キーを使用して、妙技を披露
しました。
5.ベーム・システム ミュンヘン・バイエルン宮廷オーケストラの首席フルート奏者である
テオバルト・ベームが9キーフルートで1831年ロンドンでリサイ
タルを開き、翌日ロンドンのフルーティストであるチャールズ・
ニコルソンの演奏を聴き、大陸系フルートとの違いを知ります。
1832年簡便化したキー・システムを考案します。さらに1847
年、それまでの木管で、円錐形状を金属銀の円筒管に変えます。
パリ・コンセールヴァトワールでもベーム・システム認知まで13年
かかりました。以後、1940頃まで、木管楽器支持派と金属管支持
派が、論議を争いました。
6.19世紀後半以降 フランスを中心にポール・タファネル、フィリップ・ゴーネール、
アドルフ・エヌヴァン、マルセル・モイーズの名手達がベーム・
システムを中心に活躍します。フルート音楽も多く創り出されまし
た。
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平成15年11月8日(追加) *** 錦生如雪 ***
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