錦生如雪創楽会寄書き欄
18.神戸に見る西洋の音と光
ー楽器絵画展とルミナリエー
目 次
<西洋楽器絵画展>
<神戸ルミナリエ>
<参考メモ・西欧化文明論と女流作曲家>
<西洋楽器絵画展>
平成15年も押し迫った師走の下旬に、明治維新期、横浜と共にいち早く西洋の息吹を
吸い込んだ神戸の町で、明治の楽器絵画展がありました。町の成り立ちと発展の歴史を
思い返すとき、展覧会の場所と内容がいかにも合っている神戸市の博物館に於ける催し物です。題して、
特別展「描かれた音楽ー西洋楽器と出逢った日本絵画」
平成15年11月1日から12月25日まで開催されました。
神戸市立博物館は、神戸市中央区京町にあり、当地は、明治維新開港時の外人租界地の
中心街であったのです。



(上)神戸市立博物館正面(下)絵画展の入場券
展示されている絵画の中で、特に印象深い画家を列挙しますと、次のようになります。
1.伊原宇三郎(1894〜1976)徳島出身
1925〜1929ヨーロッパ留学
妻しげ子は山田耕作にピアノと作曲を師事した音楽家であったため、
パリ在留中日本人として、初の「マルグリット・ロン弟子入り」した。
(添付の絵画参照)
この画家の周辺には、西洋音楽の世界満ち溢れていたようです。その環境が画家をして
音楽の素材を求めたのかもしれません。
2.神原泰(1898〜1997)仙台市生まれ
スクリャービンの「エクスタシーの詩」に寄せた絵画で、画題が相当進んだ西洋音楽の
世界に影響を受けているようです。
大正11年(1922)の作品です。
大変前進的な芸術の世界の組み合わせです。
(注)スクリャービンの主な作品群としては、下記のようになっています。
交響曲 第1番〜第5番で、それぞれに表題として「**詩」と命名されています。
第4番が、「ハ短調「法悦の詩」です。
ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 Op。20
ピアノ・ソナタ 約12曲 その他 小品が70曲近く。
3.岡本帰一(1888〜1930)淡路島出身
「あるヴァイオリニストの印象」として諏訪根自子像を作品としています。
1948(昭和23年)の作品
4.小出楢重(1887〜1931)大阪出身
「ラッパを持てる少年」
この作品は美術の教科書でも見かけます。
5.宮本三郎(*〜*)小松市出身
「演奏者」として巖本真理をモデルにした作品あり。
1956年の作品。大変彼女の特徴が出ています。
(添付の絵画参照)
6.和田三造(1883〜1967)兵庫県出身
「手風琴を持つ少女」(1925(大正14年))とともに
「昭和職業絵尽くし其一洋楽師」という名の作品で
スケッチ風ですが、なかなか感じが出ています。

(左)伊原宇三郎・ハープを弾く夫人(右)宮本三郎・演奏者
<神戸ルミナリエ>
神戸に於ける明治初期の西洋的息吹が「西洋楽器の絵画群」に感じられるように、
平成現代の西洋的息吹は、「神戸ルミナリエ」ではないでしょうか。
現代神戸の西洋的風景を体験するために、神戸市立博物館での「西洋楽器と出逢った
日本絵画」展を鑑賞後、12月25日夕刻から午後十時にかけて、博物館隣の大通りで
開催されている「神戸ルミナリエ」イベントの最終風景を堪能しました。

昼間のイルミネーションゲート

神戸ルミナリエの情景
「神戸ルミナリエ」は、阪神淡路大震災のメモリアルイベントとして、神戸旧居留地の
大通りで開催される催し物で、無数の電飾に彩られた光のゲートを構築するイベントです。
平成15年度は、12月12日〜12月25日まで、元町駅南から神戸市役所南の公園まで、
18:00〜22:00まで一方通行で見学の人の波で埋まりました。
<参考メモ・西欧化文明論と女流作曲家>
(その1)西欧化
日本の西欧化は、明治維新前後から進行して行き、見方に依りますが、ざっと40年近く
かかったのではないでしょうか。それは、国家規模のあらゆる事物について詳細に評価し
なければならないところですが、国力と民族意識という点では、明治27,8年の日清戦争の
時期ですでに、西欧並みに近づいていたと見ることが出来ますが。
こと文明度合いの評価ということになりますと、ハード面では、社会のあらゆる事物の
高度な文明度を評価すると同時に、ソフト面での人々の文化活動レベルを教育をはじめとして
あらゆる芸術活動まで見る必要がありましょう。
それらの中で重要な基本事項を挙げる場合、社会に於ける個人の基本的人権尊重思想が
確立しているか、という点から男女平等世界の実現度とその社会活動の成果の出現度などです。
20世紀も終わり頃になって漸くに女性の国家元首も実現しました。職業によっては、性別の
適不適はあるかもしれませんが、最近では、子供の養育は女性のみの仕事ではなく、夫婦平等に
負担すべきものとの考えが、男性にも女性にも出てきています。考えてみるに及ばず、子供は
一方の力では出現しないわけですから、夫婦共有の課題であることは当然です。
職業選択の自由からいいますと、小説家は既に日本では1000年頃、世界的な、という
以上に、人類が生み出した偉大な女流作家「紫式部」が出ていますから、日本はすでに
そのころより女性の力は十分に発揮されていたわけです。
さて、「西欧化」という課題を音楽の世界からみますと、女流演奏家と作曲家という点で
どうであったかということが考えられます。
演奏家の方は明治時代初期から国を挙げて取り組んだところで、一例が明治時代の小説家
幸田露伴の兄妹として幸田延・幸のような活躍が始まっていますし、上述の画家伊原宇三郎氏
夫人しげ子氏のように世界的な高度な音楽教育環境を享受出来た女性も大正末期に出ている
のです。
一方、作曲家ということになりますと、ほとんど一般知られるような活動が伝えられて
おりませんし、音楽世界での確たる評価もないように思います。
しかし、活躍した女流作曲家は存在したのです。明治維新以後、横浜や神戸から吹いてくる
西欧の息吹に刺激された文化活動が見られました。
(その2)日本人女流作曲家
(1)松島つね(彝)(1890〜1985)
名前の漢字は、たいへんむずかしく、「けいがしら」部に属する漢字です。
漢字の冠と袴の間に「米」「糸」をならべるという、たいそうな字数のものです。
水戸藩士の末裔で裁判官を父として山形県で生まれ、福島県立高女を出て、
東京音楽学校ピアノ科卒業後イタリアへ留学準備中、学習院の乃木大将に
請われて教官になりました。
その後35年間、学習院で教鞭を執り、戦前の文部省音楽科教科書編纂委員を
たった一人の女性として勤めました。
門下生に小松耕輔、本居長世、梁田貞、中山晋平、弘田龍太郎などがいて、
「たぬき会」と言う新しい日本人のための新曲創作活動を続けたようです。
たった一曲世間に知られている唱歌「おうま」の作曲家で、童謡、唱歌、歌曲、
ピアノ曲、ヴァイオリン曲、チェロ曲、管弦楽曲、仏教音楽など、幅広く
あわせて1000曲以上作曲していながら、自ら積極的に世間に発表しなかった
ため、忘れ去られてしまったようです。
ご本人は、「作曲は、みずからの人生としてやっているので、わざわざ
むりをして、ひとさんにおしつけるものではない」という信念です。
典型的な明治の女性を見る感じがします。
お弟子さん方は、世の中に出て、名を成した人ばかりです。
(2)外山道子(1913〜)大阪中之島の大富豪の令嬢
父親は、常磐津の専門家、母は、東京音楽学校ピアノ科卒。
昭和5年(1930)パリ・エコールノルマール留学(17歳)
昭和12年(1937)第15回パリ国際現代音楽祭へ、「やまとの声」応募、
入賞を果たす。日本人として初の国際コンクール入賞者。
その後20年近く、ヨーロッパに滞在。
日本音楽界では、完全に無視。なぜでしょうか。上記の国際音楽祭の第14回と
第15回の二回とも日本代表作曲参加作品の応募手順に不備があり、登録され
なかったことに対するうらみを、彼女の入賞を無視することで癒しているという、
誠に悲しくなる度量のせまさ、典型的な島国根性の悪い面。
彼女は、なんともおもっていないのでしょう。
その証拠に、洋楽の本場では、ひょっとすると山田耕作以上に評価が高いのです。
日本人こそ、井の中の蛙かな。コーエン「国際女性作曲家辞典」では、相当な
紙面を割いて彼女に言及しているとのこと。
参考として、彼女らの関連ホームページを引用しておきます。
戦前絵画の世界まで西洋音楽の理解への高い関心を持っていながら、いま一歩及ばず、
また、戦後でも文化レベルは戦前より少しは上がったとされながら、依然として、
まだ、彼女を認めようとしないことに「文化国家三流」といわれてもしょうがない
過去の悪弊が残っているようです。
その点、武満さんは周囲の日本人社会とも何の不協和音を発することなく、うまく馴染んで、
かつ海外でも成果を上げているのはよろこばしいかぎりです。
これから、コンサートのアンケートに「日本人の作品」も取り上げてくださいよと、
書き続けるつもりです。せめてもの上記の「文化国家三流」への抵抗運動として。
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平成15年12月25日(追加) *** 錦生如雪 ***
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