錦生如雪創楽会寄書き欄



19.ハープとハーピスト


目  次


<ハープの歴史> <ハープの構造> <ハープの名曲> <ハープの名手>

HARP(英)・HARFE(独)・ARPA(伊)・HARPE(仏)

 平成16年新年の松の内が明けて、正月特有の「日本のハープ・お琴」(箏曲)も漸くに
「爪弾き修め」されて、正月気分も抜けた頃、関西在の某交響楽団のハーピストから、
ハープ音楽の初歩知識をお披露目してもらいました。
 普段のコンサートに於いては、一般に交響楽団の向かって左側奥の所に位置して、大型で
目立つ楽器ながら、音楽の方は、目立たない演奏をするのがハープの一般的な印象です。
向かって右奥に陣取っている低音を受け持つ「コントラバス」と好対照の楽器です。普通は、
殆どスポットライトが当たることがないからこそ、こういう機会に「ハープ」なる楽器に
知識を得ておこうという魂胆です。
 お陰で、普段殆ど、気付かないハープの秘密が解明できました。以下に解説要点をメモして
おきましょう。        
<ハープの歴史>
 
 擦弦楽器として分類されている楽器には、「ハープ」「ギター」「ハワイアン・ギター」
「マンドリン」「マンドラ」などが挙げられますが、最も歴史的に古いものは、「ハープ」で、
それこそ、人類の歴史と共にありという永い歴史を有しているのです。
 古代エジプトやギリシャ(BC3000〜2000)の彫刻・絵画類にその起源を見ることが
出来ます。中世に到っては、吟遊詩人とハープの組み合わせは、歴史的にハープの伴奏楽器と
しての位置付けが物語られています。併せて当時の各国の説話や小説の類にも何らかの形で、
楽器としての「ハープ」が伝承されてきたようです。

 12世紀にヨーロッパで出現した12弦の三角形のハープであるキタラ・アングリカより
近代ハープが発展してきたとされています。
 近代までの「ハープ」は、現在見ることが出来る「グランド・ハープ」ではなく片手に
抱えることが出来る小型の物で、現代でその名残を見るに、「アイリッシュ・ハープ」
あるいは「ケルティッシュ・ハープ」のようなものであったのです。

 現在のようにペダル操作で大きな音響箱を抱えたようのものになったのは、1810年頃
フランス人エラール(Sebastian Erard 1752〜1831)によると
されています。ごく少人数の人が楽しむ楽器ではなくて、大きな会場のコンサート用に
作り上げられていったのです。

 コンサート用にハープが活用され出すのは、17世紀のモンテベルディの頃とされていて、
本格的な演奏楽器として取り上げられた例は、ヘンデルの「ハープ協奏曲」などですが、
オーケストラの重要な楽器として扱い始めたのは、モーツアルトやベートーベンのようです。
こういう点からも古典派の総仕上げ人「モーツアルト」と「ベートーベン」は、偉大なる
作曲家で、かつ近代楽器の恩人でもあるのです。優雅で華やかの雰囲気の「ハープ」の音の
世界を満喫出来るのも、「モーツアルト・ベートーベン」さまさまです。

 詳細な歴史の記述例を転記しておきます。

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<ハープの構造>
 ハープは優美な彫刻などを施した木製の音響箱に、47本のガット(羊の腸)、ナイロン弦、
絹、あるいは銅巻き金属弦張って、足の位置に7本のペダルが付いている構造になっています。
 ハ音は赤色、へ音は青色、金属弦は、黄銅色や白銅色がほどこされ、弦区分がなされて
います。
 楽器長は、180cmほどあり、木製の共鳴板・共鳴胴、金属製の空洞の支柱、金属製の
糸倉、台座には、7本のペダルがでています。左足で、「二」「ハ」「ロ」、右足で「ホ」
「へ」「ト」「イ」音を解放の状態でフラット(♭)、中段に一段文降ろしてナチュラル()、さらに最下段に踏み落としてシャープ(♯)の「ダブルアクション」動作で全音域に対応して
いるのです。

 演奏者は、音響盤を挟んで、両手(小指は使用しない)で弦を弾くわけですが、構造から
自ずから他の擦弦楽器とは違った演奏技法になるのです。

 音域は、下図のような幅広いもので、熟練した演奏が要求されることになります。

 グランド・ハープとその構造についての参考資料を引用しておきます。

 ハープ特有の奏法としては、「アルペジオ」「グリッサンド」「ハーモニックス」などが
挙げられています。分散和音や上下向する連続音などは、ハープならではの優美な旋律となって
聴く者を優雅な気持ちにしてくれます。 

  これらのハープ用語の辞典としての参考情報を引用しておきます。

グランド・ハープとハープの演奏可能な音域
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<ハープの名曲>
 近代音楽の歴史でハープが本格的に演奏されだしたのは古典派の「モーツアルト・
ベートーベン」からで、その例としては、モーツアルト「ハープとフルートのための協奏曲」
K299あるいは、ベートーベン「プロメテウスの創造物」などとされています。

 モーツアルトの作品は、曲名にハープを出しているめずらしい例でしょう。 
 此の曲は、1778年パリでド・ギーヌ公爵(De Guine)とその娘さんの依頼に
より作曲されたものです。1778年当時は、まだエラールの開発した近代的演奏向きの
ハープ(ダブルアクションハープ)ではなく、半音上げることが試みられていた程度の
半音階的奏法も十分に為し得ないものであったようです。したがってこの作品の演奏は、
もっぱらフルートが主役でハープは、あくまでもアルペジョ奏法で曲を彩る脇役的扱いで
あったのです。

 ベートーベンの作品は、バレエ音楽「プロメテウスの創造物」作品43で1791年3月
宮廷仮装舞踏会場で上演されたそうですから、ベートーベン21歳の時の彼として第二作目に
して且つ最後のバレエ音楽であったのです。モーツアルトの協奏曲からまだ、13年しか経って
いませんから、ハープもまだ未熟なものであったでしょう。ギリシャの神々の情景を描写する
のにハープが最も適していると見たベートーベンはさすがと言うべきでしょう。

 その後、ベルリオーズ(1803〜1869)は、「幻想交響曲」第二楽章「舞踏会
(Un bal)」の雰囲気をハープによって遺憾なく引き出して、印象深いものにして
います。
 ワーグナー(1813〜1883)に到っては、「ニュールンベルグのマイスタージンガー」
       で6〜8人のハープ奏者を要求しているのです。
 ヨハン・シュトラウス(1825〜1899)の「美しき青きドナウ」でも活用され、
 ブラームス(1833〜1897)は「ドイツ・レクイエム」で、
 ブルッフ(1833〜1920)は、曲名「ヴァイオリン、ハープ、管弦楽のための
        スコットランド幻想曲」作品46で、
 ビゼー(1838〜1875)は、「「アルルの女」(メヌエット)、
                 「カルメン」(間奏曲)などで、
 チャイコフスキー(1840〜1893)は「「白鳥の湖」(情景)、
                 「くるみ割り人形」(花のワルツ)で、
 リムスキー=コルサコフ(1844〜1908)の「スペイン奇想曲」第4楽章で、
 マーラー(1860〜1911)は、第5交響曲第4楽章(アダージェット)で、ハープの
良さが遺憾なく発揮されました。
 ドビュッシー(1862〜1918)は、「ハープ、フルート、ビオラ三重奏曲」を、
 ラヴェル(1875〜1937)は、「ハープ、フルート、クラリネット、弦楽四重奏の
7重奏曲」を書いています。
 これらフランスの作曲家は、ハープという楽器のそもそもの発達からフランスと関わりが
深いこともあって、いろいろなジャンルの作品に活用しているのです。
       (有坂愛彦著「音楽鑑賞法」音楽之友社(昭和35年4月版))

 20世紀に入ってもモーツアルトの再来とされたショスタコービッチ(1906〜1975)
も、「第五交響曲」第4楽章で、活用しています。

 ベートーベンの弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品74は副題が「ハープ」です。
 これは、実際にハープを合奏に入れているのでなく、第一及び第二ヴァイオリンにハープの
様な独特のピチカート奏法を要求している所から付けられた愛称です。ベートーベンともなると
ハープを演奏させないで、ハープの音楽世界を演出させるのです。
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<ハープの名手>
 ハープの演奏者ということになりますと、楽器の成り立ちや発達の過程から、自然とフランスの音楽環境に深く関係することになります。
 
 ハープ界の女王といわれる女流ハーピストは、リリー・ラスキーヌということになりま
しょう。先に引用した有坂愛彦氏も唯一のハーピストとして彼女を歴史的なハープの名手として
挙げていますし、他の単行本(一例野村・堀内・村田編集「名演奏家アルバム」音楽之友社
(昭和35年11月出版))でも、ハーピストの代表演奏者としています。
 彼女の略歴を挙げておきます。(音楽之友社「名演奏家事典」より)

 リリー・ラスキーヌ(Lily Laskine)
  1893 8月31日生まれ。
  1905 パリ音楽院卒、ハッセルマンにハープ師事。ソリストとして活動。
       (ラムルー管弦楽団、室内楽アンサンブル)
  1948 ハープ科教授・教育者として、才能発揮。50年に渡る功労として
       レジョン・ド・ヌール勲章を受章した「ハープの女王」。

   演奏  煌めく宝石のような輝きー美しい音色、流麗、華麗な技術、佳き時代を偲ばせる
       エレガンス、自然なアーティキュレーションー心を奪われる魅力に満ちている。
  門下生  マリー・クレール・ジャメ、マリエール・ノーマン、アニー・シャラン
       フランシス・ピエール、ベルナール・ガレなど
       ピエール・ジャメ教授と共に世界のハープ界のフランス派を構成している。
  レコード SP時代から80歳(1970年代)を越えても録音が残されている。
       マルセル・モイーズやピエール・ランパルとの共演での
       モーツアルト「フルートとハープのための協奏曲」「日本旋律集」など。
       ヘンデル「ハープ協奏曲」、ヴィラ=ロボス「神秘的六重奏曲」など。
       他に、ソロアルバムとして「ハープ・リサイタル」あり。


 スペインの世界的ハープ奏者として名高いのは、サバレタ氏でしょう。

  ニカノール・サバレタ(Nicanor Zabaleta)
  1907 スペイン・サンセバスチャン生まれ。
  1913 6歳でビセンテ・トルモ氏に師事。  
  1916 9歳で公開演奏。マルセル・トゥルニエにハープ、ユージン・クールスや
       マルセル・サミュエル・ニルソー氏に対位法を師事。
  1925 パリで、デビューリサイタル。モーリス・ラベルより「ハーピスト以上の
       芸術家」という高評価を得る。
       ヨーロッパ各地の古楽譜の再現演奏を試みる。
       現代作曲家より献呈曲多数を有している。


 一方、日本のハープ演奏界にとって忘れることが出来ない恩人は、モルナールでしょう。
 略歴は、次の通りです。

 ヨーゼフ・モルナール(Josef Molnar)
  1929 9月7日ウィーン生まれ。
       ウィーン少年合唱団を経て、ウィーン国立大学でハープ、声楽を学ぶ。
  1952 NHK交響楽団の招聘で来日。東京芸術大学の招聘で再来日。 
       日本に定住して、ハープ界の中心的存在になる。
  1958 ドビュッシーのオペラ「ペレアスとメリザンド」日本初演に出演。
  1962 軽井沢サマースクール開講。
  1964 上野学園大學教授。国立音楽大学、桐朋学園で指導。
       日本のハーピストを育てる。
  1965 イスラエル国際ハープコンクール審査員。フランスの国際コンクール審査員。
  1966 オーストリア科学芸術名誉十字賞受賞。

       日本ハープ協会会長、国際ハープ協会日本支部長を務める。


 日本人のハープ演奏家を挙げますと、モルナールに師事した演奏家として
  
  井上久美子 世界ハープ会議副議長、日本ハープ協会副会長。マストリヒト音楽院卒。
  井上栄利加 パリ・コンセルバトワール卒。
  山崎祐子  桐朋学園大卒。
  川崎祐介  東京芸大卒。
 
 リリー・ラスキーヌ女史に直接指示した演奏家としては、

  篠崎史子  桐朋学園大卒。
  山畑るに絵 東京芸大、パリ国立音楽院卒。

 ニカノール・サバレタ氏に師事した演奏家として、
 
  桑島すみれ 東京芸大、ウィーン音楽大卒。

など優れた演奏家が、戦後目立ってきました。井上久美子女史、桑島すみれ女史以外は、全て
戦後生まれです。特に、未だ30代の新進気鋭の演奏家としては、

  吉野直子  1967年生まれ。国際基督教大卒。
  安楽真理子 1970年生まれ。ジュリアード音楽院・大学院卒。

など、優れたハーピストが現れています。今後益々の活躍に期待したいものです。
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平成16年2月8日 *** 錦生如雪 ***


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