錦生如雪創楽会寄書き欄



20.万葉集の「梅に鶯」


目  次


<「梅に鶯」の歌> <鶯の習性> <高橋虫麻呂の名曲> <筑紫歌壇の梅花の宴>


<「梅に鶯」の歌>
 
 鶯はその別名の如く、早春に山里のあちこちで綺麗な鳴き声を発するため、人々が一冬
待っていた春を予告する、まさに「春告げ鳥」であるわけです。
 萬葉の時代にも人々は鶯の声に春の訪れを喜んだものです。

 万葉集には、「鶯」の歌語を用いた歌が約50首あり、その中でも、「梅」と「鶯」を
詠んだものが11首ほど収録されています。

(その1)梅の樹の場所を詠い込んでいるもの

 (1)我が家の園
 「春の野に鳴くや鶯なつけむとわが家の園に梅が花咲く」(巻5−837 笄師志大道)
 「鶯の声聞くなへに梅の花我家の園に咲きて散る見ゆ」(巻5−841 対馬目高氏老)

 (2)丘辺
 「梅の花散り乱ひたる丘辺には鶯鳴くも春かたまけて」(巻5−838 大隅目榎氏鉢麻呂)
 「梅の花咲ける丘辺に家居ればともしくもあらず鶯の声」(巻10−1820 読人不知)

(その2)梅が枝、梅が下枝を詠い込んでいるもの
 「春されば木末がくれで鶯ぞ鳴きて去ぬなる梅が下枝に」(巻5ー827 小典山氏若麻呂)
 「わが宿の梅の下枝に遊びつつ鶯鳴くも散らまく惜しみ」(巻5ー842 薩摩目高氏海人)
 「梅が枝に鳴きて移ろふ鶯の羽白たへに沫雪ぞ降る」(巻10ー1840 読人不知)

(その3)鶯の木伝ひ散らす梅を詠む
 「鶯の木伝ふ梅のうつろへば桜の花の時かたまけぬ」(巻10−1854 読人不知)
 「何時しかもこの夜の明けむ鶯の木伝ひ散らす梅に花見む」(巻10−1873 読人不知)
 「袖垂れていざわが苑に鶯の木伝ひ散らす梅の花見に」(巻19ー4277 藤原永手朝臣)
 
(その4)鶯の待つ梅を詠む
 「鶯の待かてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子がため」(巻5ー845 筑前掾門氏石足)

 (その1)(その2)の歌は梅を見ること、また梅の香をかぐこと以上に鶯に興味の主体が
あるようです。一方で、(その3)(その4)では、鶯はあくまでも副次的な物で、梅の花見が
主体として扱っているように思います。鶯の声が聞きたいから梅の樹を見ている、梅の樹の
そばで鶯を待っている、梅の香りを使って鶯を誘いだすというのではない歌いぶりです。

 何れのグループの歌でも「鶯と梅の取り合わせ」が良いと言うことには変りありません。
 中国原産の梅の樹が渡来したときから、「梅に鶯」の取り合わせの慣習がもたらされた
のでしょうか。それとも日本人特有の季節感覚からの産物なのでしょうか。中国文芸の世界の
伝統を調べてみる価値がありそうです。
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文部省唱歌「ウグイス」(「ウタノホン」(上)昭和16年3月より)
(出典:堀内敬三・井上武士編集「日本唱歌集」岩波文庫(昭和40年12月))

<鶯の習性>
 鶯は、いろいろに漢字表記されます。
 「鶯」「黄鳥」などは、「高麗うぐいす」とのことで、別途の日本語名称としては、
春鳥子、報春鳥、春告鳥、花見鳥、人来鳥、黄粉鳥、金衣鳥、歌詠鳥、経読鳥、百千鳥と
ほととぎす同様に多くの和名を持っています。
 文芸作品条の名前としても、ももちどり、みみめとり、とどめとり、にほひどり、
はなみどり、ささえとり、みつきすごとりなどとも称されています。これだけ多くの「芸名」を
頂くと言うことは、「鶯」は、誠に人々の関心の高い鳥ということになるのでしょうか。

 鶯の習性については、別の随想文でも言及しましたが、
「梅に鶯」は偶然の情景であって、必然的な理由が「梅」にも「鶯」にも無いとのことです。
 因みに文芸作品中でも、「梅に鶯」と限定していない例が散見されます。

 万葉集では、「竹に鶯」という例があります。
  「梅の花散らまく惜しみ我が園の竹の林に鶯鳴くも」
                 (万葉集・巻5−824 小監阿氏奥島)   
 「御園生の竹の林にうぐいすはしば鳴きにしを雪は降りつつ」
                 (万葉集・巻19−4286 大伴家持)
 清少納言は枕草子に、
 「(うぐいすは)さるは竹近く紅梅もいとよく、通ひぬべき便りなりかし」

 その他の例としては、順徳院の歌論ともいうべき歌語解説には、
 「鶯の巣はなべて竹なり」

 さらに「鶯」に番させる事物として、「霞」「夕べ」「柳」「山吹」「卯の花」など多岐に
渡っています。 
 信天翁倶楽部・文芸談話室<梅に鶯>で言及しましたように、古くは大伴旅人主催の
万葉集・筑紫歌壇・梅花の宴での多くの「梅に鶯」歌が、渡来元の中国文明の追従していると
思われます。
その後、いろいろな文芸世界の局面で「梅に鶯」が言及され、日本文芸の一部のように定着して
いったところから見ますと、「梅に鶯」概念は、どうも鎌倉期以降の文化人が定着化に寄与した
であろうと推測されます。考えられるのは、現在の大半の大衆日本文芸の基礎になっている事項
が多い前例より見て、江戸期に誰となく文人世界で言い古されてきたことかもしれません。

 ウグイスが早春に平地で活躍する時期と梅の花の開花時期が一致することから、梅の樹に
ウグイスが止まることもあり、それを見た人の印象が非常に深かったために、後世に「梅と鶯」
と発展していったのでしょう。

 地球上にウグイス類は、約300種以上あり、日本では、そのうち、14種が繁殖していると
観察されています。草原、葦原、森林に棲み、昆虫や蜘蛛を主食として、柔らかい木の実も
食するようです。
 鳴き声は「地鳴き」の舌打ちするような「チャッチャッ」を「笹鳴き」といわれます。
 さえずりは「ホーホケキョ」。「ホーキーベカコン」は、ウグイスの高音(こうね)と
いわれます。繁殖期の警戒声として「ケケケケ、ケッキョ、ケッキョ、ケキョ、ケキョ」は
「谷渡りの声」といわれます。
 以上は、雄の美声であってメスは鳴かないとのこと。早春になると林の茂みに移り、盛んに
囀るようになります。

 4月から8月にかけて繁殖期で、山地、森林あるいは笹藪の草の間、地上に、また枝の上に
お椀型あるいは球形の巣をつくるそうです。
  また、興味ある習性として、ほととぎすが鶯の巣に卵を産むことは奈良時代から知られていた
ことで、万葉集にも歌われていたのです。次の高橋虫麻呂の歌に注目しましょう。
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<高橋虫麻呂の名曲>
 「時鳥を詠む一首」
 鶯の かひ卵のなかに 時鳥 ひとりうまれて 名が父に 似ては鳴かず 
 なが母に 似ては鳴かず 卯の花の 咲きたる野辺ゆ 飛びかけり
 来鳴きとよもし 橘の 花をい散らし ひねもすに 鳴けど聞き良し
 幣はせむ 遠くな行きそ わが宿の はな橘に 住みわたれ鳥

 (ウグイスの卵のなかに ほととぎすは一羽だけ生まれて、自分の父に似ては
  自分の母に似ては鳴かない。卯の花の咲いている野辺を飛びかけり、
  来てはしきりに鳴き響かせ、橘の花に止まっては、一日中鳴いているが
  たちばなに止まっては、その花を散らし、一日中鳴いているのが聞こえていて
  いい気持ちだ。贈り物をしよう。どうか遠くへいかないでおくれ。
  私の家の庭先の花橘住みつけよ。

 これだけほととぎすの習性を知っている観点からの和歌は素晴らしいものがあります。
 この歌を作曲することに依ってウグイスの習性を改めて知らされたところです。
  次の高橋虫麻呂「時鳥」の歌を参照願います。


 上記の曲想(スケッチ楽譜)をもとに井上楽師によって、本格的な歌曲に編曲された
「高橋虫麻呂の時鳥」歌曲をお聞き下さい。
高橋虫麻呂のほととぎす
原曲:奈華仁志楽徒 編曲並びに演奏:井上楽師
クリックして下さい!
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<筑紫歌壇の梅花の宴>
  万葉集巻5ー815から852番まで収録されている太宰帥大伴旅人主宰の「梅花の歌
三十二首」は、天平二年正月十三日旅人邸で催された「筑紫歌壇梅花の宴」の歌々です。

 主な歌は、信天翁倶楽部の文芸談話室<梅に鶯>に抜粋しております。
 ここでは、宴会の序詞と出席者の役職と名前を引用しておきます。
 宴会の序詞は、漢籍の知識をふんだんに盛り込んだ格調の高いものであり、当時の文化人の
漢文が句知識の深さと広さを感じさせる序文です。

     梅花の歌三十二首 序を併せたり
 天平二年正月十三日に、帥の老(おきな)の宅(いえ)に萃(あつ)まりて、
 宴会を申(ひら)きき。
 時に、初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前の粉を
 披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす。加以(しかのみにあらず)、
 曙の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きぬがさ)を傾け、夕の
 岫(くき)に霧結び、鳥はう穀(うすもの)に封(こ)められて林に迷ふ。
 庭には新蝶舞ひ、空には故雁帰る。
 ここに、天を蓋(きぬがさ)とし、地を座(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け
 觴(さかづき)を飛ばす。言を一室の裏(うち)に忘れ、衿(ころものくび)を
 煙霞の外に開く。淡然に自ら放(ほしきまま)にし、快然に自ら足る。
 若し、翰苑(かんえん)にあらずは、何を以てか情(こころ)をのべむ。
 詩に落梅の篇を紀(しる)す。古(いにしへ)と今とそれ何ぞ異ならむ。
 宜しく園の梅を賦して聊(いささ)かに短詠を成すべし。

 現代人の漢文知識では内容まで十分に咀嚼できないので、以下に現代語訳を付記します。

 730年1月13日、太宰帥大伴旅人卿邸宅に集まって宴会を開いた。
 折しも、初春の良き正月で、天気は良く、風は穏やかで、梅は鏡の前の白粉のように
 白く咲き、蘭は匂い袋のように香っている。そればかりではない、明け方の嶺には
 雲が移りゆき、松はその雲の薄絹をかけて、蓋をさしかけたように見え、夕方の
 そそり立つ嶺には霧がかかって、鳥はその霧の薄絹に封じ込められて林の中に迷っている。
 庭には今年の蝶が舞い、空には去年の雁が帰ってゆく。
 そこで天を屋根とし地を座席として、互いに膝を近づけて酒杯を取り交わす。
 一堂の内は楽しく言う言葉も忘れ、外の大気に向かっては、心を開く。拘ることなくして
 各自自由に振る舞い、愉快になって自ら満足した思いでいる。
 もし文筆によらなければ、どうしてこの心の中を述べることが出来ようか。
 漢詩に落梅の詩篇が見られる。昔も今もどうして違いがあろうか。我々もここに
 庭の梅を詠んで、すこしく短歌を作るがよい。

 815番 大弐紀卿      816番 小弐小野大夫   817番 小弐粟田大夫
 818番 筑前守山上大夫   819番 豊後守大伴大夫  820番 筑後守葛井大夫
 821番 笠沙彌       822番 大伴旅人卿    823番 大監伴氏百代
 824番 小監阿氏奥島    825番 小監土氏百村   826番 大典史氏大原
 827番 小典山氏若麻呂   828番 大判事丹氏麻呂  829番 薬師張氏福子
 830番 筑前介佐氏子首   831番 壱岐守板氏安麻呂 832番 神司荒氏稲布
 833番 大令史野氏宿奈麻呂 834番 小令史田氏肥人  835番 薬師高氏義通
 836番 陰陽師礒氏法麻呂  837番 笄氏志氏大道   838番 大隅目榎氏鉢麻呂
 839番 筑前目田氏真上   840番 壱岐目村氏彼方  841番 対馬目高氏老
 842番 薩摩目高氏海人   843番 土師氏御道    844番 小野氏国堅
 845番 筑前掾門氏石足   846番 小野氏淡理   

 847、848番 員外、故郷を思ふ歌二首
 849、850、851、852番 後に梅の歌に追和する四首

 こうして、天平期の太宰府管轄下にある錚々たる上級官僚名簿を見ますと、それぞれに
当時の文化人の先頭に立つ日本人群像を感じます。


 本日は、未だ新暦とはいいながら、如月の晦日で、春はもう少し。
 「はーるよこい。!はーやくこい。!」
 うぐいすと早春、そうです。「早春賦」で、締めくくりましょう。

新作唱歌「早春賦」(「新作唱歌」(三)大正2年2月より)
(出典:堀内敬三・井上武士編集「日本唱歌集」岩波文庫(昭和40年12月))
@春は名のみの風の寒さや  A氷解け去り葦は角ぐむ   B春と聞ねば知らでありしを
 谷のうぐいす歌は思へど   さては時ぞと思ふあやにく  聞けば急かるる胸の思ひを
 時にあらずと声も立てず   今日も昨日も雪の空     いかにせよとのこの頃か
 時にあらずと声も立てず   今日も昨日も雪の空     いかにせよとのこの頃か         
              
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平成16年2月29日 *** 錦生如雪 ***


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