錦生如雪創楽会寄書き欄



24.日本人の西洋音楽世界構築


目  次


<目新しい企画への挑戦>
<根付いた西洋音楽のジャンルとは>
<和魂洋才はなるのか>

<目新しい企画への挑戦>
 数年振りに風邪を引いて、寝込んだまま、ラジオやテレビの音楽番組に時間を潰しました。
 一日のうちで、かなりの時間が音楽提供に便宜を図っていることが分かりましたが、その
情報の分野も種種雑多で、全て聞き流すには、各種の音楽ジャンルに対する理解と、大変な
辛抱というべきか、忍耐が要求されます。そのなかで、興味を引いた二、三点を拾い上げて
みたいと思います。

(その1)ソプラノ歌手の「シューベルトの歌曲」
 ソプラノ歌手のクリスティーナ・シェーファーによるシューベルトの歌曲集「冬の旅」
リサイタルです。
 これまで、ドイツリードの代表とされる「冬の旅」歌曲集については、多くの有名なバリトン
歌手、たとえば、ハンス・ホッターやフィッシャー=ディスカウなど、の歌唱例を鑑賞して
きた経験があるため、どうしてもそれらの歌唱と比較してみることになります。
 もともとこの歌曲集の作詞者であるミューラーは現実と幻覚の世界を彷徨する「寂しい男」
のこころを歌った物であるために、本来は、男性バリトン歌手の歌であるべきでしょう。
聞き慣れた歌詞がバリトン歌手によって歌われるとき、一種の安心感が得られますが、すこし
組み合わせが違ってきますと、落ち着かなくなり、なんとなく、違和感を覚えるのは、筆者
だけでしょうか。
 シェーファーさんなりのこの選曲に対する考えはおありでしょうが、いまひとつ活き活きと
鑑賞できないことを体験しました。因みに、或る音楽ファンは、彼女のリサイタルに次のように
勢い込んでいましたが、その思惑は当たったのでしょうか、聞いてみたいところです。

 「・・・・シェーファーの忘れてはならない重要なレパートリーが、「リート・歌曲」です。
  勢いにまかせて、熱く歌い上げる... というではない、丁寧に、しっかりと役を読みこん
  で、ディテールに配慮し、1つの世界を創り上げていく、そんなシェーファーにとってリー
  トの世界は、・・・」興味の集中するところで、
 「・・・まずは、シューベルトから、ワーグナー、ウェーベルンに至る、ロマン主義と、
  その後を追う楽しみなプログラム。」というわけで、とりわけ、
 「・・・シューベルトの傑作にして、ドイツ・リートの代名詞的作品、歌曲集 『冬の旅』 
   も取り上げられ、男声歌手、特にバリトンのイメージがあるこの大作に、ソプラノという
  声域から、どのようなアプローチを見せてくれるのか実に興味深いところ。」


(その2)ピアニストの作曲したチェロ協奏曲
 ピアニストとして名を成しているリードリッヒ・グルダの作曲作品としてチェロ協奏曲を
鑑賞することが出来ました。
 「グルダ特集プログラム」としてグルダさんの関係者である弟子のマルタ・アルゲリッチや
ご子息などがグルダの作品を紹介する物で、ピアニストの優れた音楽才能を理解することが出来ました。

 <F。グルダさんの紹介>
 1930年ウィーン生まれ。7歳からピアノを習い初め、12歳でウィーン音楽アカデミー
 に入り、17歳で卒業。同年ジュネーブの国際音楽コンクールで一等賞を獲得しています。
 デビューした1950年代から、ウィーン生まれのピアニスト三羽からすとして、
 「パドゥラ・スコダ」「イエルク・デムス」とともに注目されてきました。
 クラウディオ・アバドやアルゲリッチにピアノを指導したことで、有名でしたが、
 2000年1月、69歳で逝去。

(その3)日本芸能と西洋音楽のコラボレーション
 21世紀に入って日本各地は大都会を問わず、地方のそれぞれの市や町でも音楽関係の
各種活動が盛んです。
 その一つの例をラジオのインタビュー番組で知りました。
 奈良県の南西部に位置する大和高田市では、来る2005年2月26日(土)市内の
さざんかホールで、講談と室内楽で綴る「義経の七ツ石」という音楽企画です。
 出演は、講談が旭堂南左衛門で、チェンバロ演奏は中野振一郎氏というわけです。

 なぜ、「義経か?」「講談か?」「チェンバロか?」などなど、疑問が湧くのですが、
理由は簡単です。
 「義経」の選択は、今年のNHK大河ドラマ「義経」に関わって、地元の関係する歴史的
人物を当たりますと、巴御前が大和高田市の出身というわけです。
 また、講談の脚本を書いた中野さんが古楽演奏者として名を成している中野さんのご兄弟と
いうことで、企画がどんどん進んだというわけです。

 典型的な近世日本芸能の一つである講談に如何にバロック音楽がからんでいくのか、なかなか
興味津々のところですが、演奏会の成果や如何にというところです。
 
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<根付いた西洋音楽のジャンルとは>
 明治維新の西欧文明受け入れ開始から、今年で明治140年です。いろいろな西欧文明を
取り入れていった中に「西洋音楽」もその対象のひとつとなりました。

 国としての必要上から「国歌」を制定し、軍楽隊を編成することなどに始まり、一般民衆
への普及に最も手っ取り早い手段は、子ども対象の「童謡」であり、「唱歌」であったのです
が、文部省が音頭をとって「文部省唱歌」を編集すると共に、楽器の普及にも力を入れました。
 明治時代に生きた人なら、いざ知らず、少なくとも大正・昭和の時代に文部省の決めた
音楽教育を受けた人々にとって実感できる「日本に根付いている唯一の西洋音楽」として
「唱歌」をあげることができるのではないでしょうか。

 嘗て日本に於ける「音楽世界」というのは、殆どの場合「器楽演奏」ではなく、「謡い」の
ための伴奏としての位置付けであったようです。古くは雅楽、中世の能や狂言、近世の人形
浄瑠璃など何れを取ってみても「演技」、「舞踊」や「謡い」の人が主役であるのです。

 最近でこそ、若い世代がどんどん海外の「音楽演奏コンクール」に出かけて、優秀な成績を
挙げるようになっていますが、西洋音楽受け入れの明治時代当時では、考えられない音楽に
対する考え方の変化であり、音楽環境の変化であるわけです。

 現在では、パリ・ウイーン・ロンドン・ニューヨークなどで行われている各種の音楽活動と
殆ど変わりない音楽環境が少なくとも東京を始めとする日本の大都会で構築されています。
もちろん、音楽ジャンルは、クラシックからジャズ、ロック、ポピュラーなど、殆どすべて
カバーしていると考えていいでしょう。

 ところが残念ながら、国民共通の「西洋音楽」世界とは、詰まるところ「唱歌」の世界に
落ち着くのです。ベートーベンの第九だ、などと力んでみたところで、片田舎のお年寄りと
心をひとつにして共有できる音楽世界は、「唱歌」だけということになります。
 ラジオやレコードが普及し始めた昭和に入って「流行歌」や「演歌」が国民歌謡として
定着しつつあるのですが、子どもから、お年寄りまで、というわけにはいきません。

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<和魂洋才はなるのか>
 日本に於いて、実質的に西洋音楽が浸透していったのは、前述のように昭和の時代に入って
からではないでしょうか。
 また、特定の趣味の人だけが享受できるという状態ではなくて、だれでもどこでも容易に
西洋音楽環境に生活しているという時代になったのは、テレビジョンが普及してからと見る
べきではないでしょうか。

 では、音楽環境は整ったとして、その中身の音楽そのものは、日本人の一部分になっている
か、といいますと、やはりある種の「西洋音楽」世界に入り込めない限界があるように思いま
す。如何にある楽器に堪能で、使いこなして、西欧人並みの演奏が出来たとしても、なにかが
違うような気がするのは、単なる鑑賞力のたりなさなのでしょうか。
 もっとも出来るだけ、西洋人に近い演奏を音楽と心得てそれに向かって突き進んでいる
音楽家は、何の疑問も抱かないでしょう。

 西洋音楽世界では、「或る創出した音を、限られた空間的、時間的な<間>に如何に
効果的に詰め込んで行くか」が、その音楽の評価を決定いる要素になっているような
気がしてなりません。
 一方、日本人の中で大凡100年かかって植え付けられてきた西洋音楽世界の構成とは、
「ある創出した音のなかに限られた空間的、時間的な<間>を如何に設定していくか」と
いうことに重点が置かれているのではないかと感じております。

 単純な例として、よく言われる「日本の寺院の梵鐘」の使い方に対する西欧の「教会の鐘」
の鳴らしかたです。
 もうすこし、音楽芸術的な例をあげますと、次のようなベートーベンの第五交響曲の
出だしの部分です。
 「ダダダ、ダー」からつぎの「ダダダ。ダー」に掛かる場合、最初の「・・・ダー」の
終わったあと、次の「ダダダ・・・」が来る前に、心の中での<間>取りが有ると無いの
違いです。
 最初に「運命」が「ダダダ。ダー」とドアをノックしたのに反応して部屋の中からの何ら
かの反応を心の内に描きながら、ノック音を探るというものです。

 ベートーベンの作曲意図に反して変に解釈して演奏すると、「よくわかっていない」と
西洋人からいわれそうですが、日本人には、そういった音に対する捉え方の基本的な違いが
何かありそうに思うのは筆者一人だけでしょうか。これから色々の音楽環境に於て西洋音楽
世界に関わっていく中で、確認していきたい点です。
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平成17年2月25日 *** 錦生如雪 ***


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