黒い猫の話
大学時代に猫を飼っていました。
「飼っていた」という表現が適切であるか否かについては少し疑問が残ります。もしかしたら「ノラ猫に定期的にエサをやっていたら居着いてしまった」と言ったほうが正しいのかもしれません。
まあ、そんな些細なことはどうでもいいです。とにかく俺は猫を飼っていました。
真っ黒な猫でした。本当に、本当に真っ黒な猫でした。
猫ははじめ、俺が残したパンの耳などを食べていました。ノラ猫であったのが原因なのかもしれませんが、猫は基本的に食べ物の好き嫌いがありませんでした。俺が与えるものなら何でも喜んで食べていました。
ある日、スーパーマーケットへ買い出しに行った俺は、そこでたまたまペットフードのコーナーに目がいきました。「たまには猫にも良いものを食べさせてやろう」気まぐれでそんなことを思った俺は、猫のためにキャットフードの缶詰を買ってやりました。
そしてその日を境に、猫はパンの耳なんかには見向きもしなくなりました。
俺はその猫に名前をつけました。ノラ猫のくせにその猫は、名前を呼ぶとゴロゴロ言いながら俺の側にすり寄ってきました。たまに身体を洗ってやろうとすると猫は全力で嫌がりましたが、名前を呼ぶと少しだけ大人しくなりました。俺がベッドに入って名前を呼ぶと、猫はもぞもぞと布団の中に入ってきました。俺と猫はいつも一緒でした。
猫は俺が酒のツマミにしようと買ってきたアタリメを、俺が寝ている間にひとつ残らず食い散らかしてくれました。猫は俺が燃えるゴミの日に合わせてまとめていた生ゴミ袋を、一瞬のうちにビリビリと破って部屋中に異臭を撒き散らしてくれました。猫は俺が少し目を離した隙に、ほとんど完成品に近かった卒業論文の原稿にウンチをして、納得いかなかったけれどそのまま提出してしまおうと考えていた論文を再構築させる機会を与えてくれました。
それでも、俺と猫はいつも一緒でした。
ある日の朝、いつものように目覚めると、そこに猫はいませんでした。
またどこかに出かけたのだろう。そのときはそう思い気にも留めませんでしたが、それから何日が過ぎても猫は現れませんでした。いくら猫の名前を呼んでも、好物のキャットフードを廊下に置いても、それからずっと、猫が俺の前に姿を現すことはありませんでした。
今日の夜。
買い出しのためにスーパーマーケットに入った俺は、たまたまペットフードのコーナーに目がいきました。
そしてたまたま、いつも猫のために買っていたキャットフードを見つけました。
少しだけ。
ほんの少しだけ、泣きそうな気分になって。
そこにあったキャットフードを、誰が食べる訳でもないキャットフードを、ひとつだけ買いました。
黒い猫を飼っていました。
黒い猫は、いつも俺と一緒でした。