つれづれ日記               HOME


神(2007年12月30日)

 今年も終わりですね。
皆さんは今年一年どうだったですか?
私は会社復帰と転居でいろいろありました。
でも、色々あることが生きている上での楽しみでもあるような気がします。

話は変わりますが、年始に初詣に行かれる方は多いと思います。
日本人の多くの人は年に一度、神様に手を合わせる時でしょうね。
私は以前、海外の人たちと接する仕事をしていましたが、神に祈りを捧げるのは日常的なようでした。特にイスラムのかたがたは金曜の午後は長い時間を祈りに捧げます。

神様なんか信じないという日本人は世界でも本当に珍しい人種であります。

神というものを意識しない民族なんですね。
私は神を意識することは「運」を意識することだと思います。

私は人生で色々なことがあったせいか、人がうまくいっているのは実力や努力の賜物というのは間違いではないかと思っています。

大部分は運によるものだと思います。どんなに努力していても病気をしたらそれまでの努力は水の泡ということはよくあります。

どんなに優秀でも生まれた時期、生まれた場所によってそれが全く活かせないということもあります。

最近、企業が実力主義、能力主義ということを前面に出していますが、実力、能力も「運」しだいだと思っています。


世界の人たちは神を通して「運」というものを意識しているのではないかと思います。

神の存在、自分は運がよくて生かされているという謙虚な気持ちが自分の気持ちを素直にし、相手の存在を認め、心の向きが変わり、自分の幸せに気づいて、ありがたいという感謝の心が生まれるのではないでしょうか。

もしかしたら、神を信じることは心身ともに健康にする手法なのかもしれません。

今年の初詣には形だけではなく、感謝を再認識してみるといいかと思いますよ。


幸せのバランス(2007年12月15日)

昨日、12月14日は私の45回目の誕生日でした。

家に帰ると大学時代からの親友からバースデーカードが届いていました。

彼はサンリオでポップアップという飛び出す絵本のようなカードを作っているのですが、今年もらったのは開けてびっくりというようなすごいものでした。

日本にはカード文化はまだ根付いていませんが、質の高さは抜群だなあと彼の作品を見ながら思いました。

この日記を読んでいる方も一度、サンリオのカード売り場に行ってみると面白いかもしれませんよ。

それはともかく、カードをいつも誕生日にくれる友人がいるということがしみじみ嬉しく思いました。

昨日は家に帰ると妻がケーキを買ってきてくれていました。

同居を始めた母が赤飯を炊いていました。

もらったカードの前で3人で記念写真を撮ったりと45歳のおっさんが普通しないようなことをしていました。

ここ数年私には色々なことがあり、今もたくさん問題はあります。

健康、仕事と。。それはこのHPをご覧の方に多いと思いますが、人生は総合力だと思います。

富や名声だけではありません。健康は大事ですが、もっと大事なことは自分を思ってくれる人たちがいることです。

どんな人でもそういった自分を思ってくれる人がいるのではないでしょうか。

総合力と書きましたが、健康、富、生きがい、そして一番大事なのは人とのつながりではないかと思います。

ものすごいお金もちでも家族と不仲だと総合力は落ちます。

逆に言えば、日本にいる限り、衣食住はなんとかなります。

それなら富というのはそれほど重視することもないのではないかもしれません。

富が欠ける分を他の要素で取り返せば幸せなのではないでしょうか。

健康面が弱い人もそうです。

趣味に生きる人もそれはそれでよいのかもしれません。

それが生きがいになって、他の要素が弱くてもカバーできます。

人生は総合力です。

劣っている部分があっても他で補えば幸せのバランスはとれるのではないでしょうか。

それに、人生は総合力であるということをきちんと認識できる考え方が大事ですね。


出会い(2007年12月9日)

先月末に引越しました。

ダンバール箱は依然として部屋を占拠しています。まあ、仕方がないですね。

なんにしてもあせることはない。のんびりと片付けます。

前回書いたように、母と同居することになったのですが、思った以上に大変です。

価値観の違いや生活ペースの違いというのは大きいです。

私は今、妻と母と住むことになったのですが、人は70歳も過ぎると思った以上に昔と違うものだと痛感しました。

でも、それを乗り越えて母を最後まで見ていくつもりです。

日本の人口1億2000万、世界の65億人。

男女関係なく、世界的観点から見ると、母と親子でいる確率、妻と夫婦である確率は65億分の1なんです。

まさに奇跡のような出会いをしているわけですよね。

皆さんもそうだと思います。

今、横にいる配偶者と結婚したのは65億分の1の奇跡だと思って見てみるとなんと貴重な出会いなんだと思いませんか。

親子にしても同じです。その親から生まれる確率はとんでもなく低いものなんです。

話を広げていくと会社の同僚と机を並べることになることも、自分の上司がこの人になることも同じです。

一期一会という言葉があります。

その言葉の意味とちょっと違いますが、出会いはある意味奇跡なんです。

その奇跡を感じながら生きていくと世界が変わって見えませんか。


引越し(2007年11月23日)

あさって引越しすることになりました。

親と同居です。

私は父親を事故で亡くして、母も70歳を超えているのでもうそろそろと思っていました。

引越しするに当たって、色々なものを処分していくことにしたのですが、処分するのにお金がかなりかかります。

電気製品やバイクはもちろん、エアコンは取り外しだけでもかかります。

自動車も売るつもりで見積もりをしたのですが、2箇所でお願いして、なんと1万円。

夏に変えたバッテリー代のほうがよほど高い。

例えば、サイパンでは中古車がすごく高いんですよね。

島国のせいか、10年超えのセダンが150万円くらいします。

1万円と言われたら、それならどこかに寄付したいと思うのですが、寄付する場所もありません。

ものがなくて、ものを欲しがっている国の人たちもたくさんいる中、日本は物が余っているんだなあとつくづく思います。

日本でものを買う時は買った瞬間から価値はないと思ったほうが良いのでしょう。それより、ごみ処理代でかえってお金がかかります。

それなら、買わないほうがいいとも思います。

食べ物など消費するものに楽しんで使うほうがよほど良いという気がします。

それはもちろん人それぞれですが。。

買う時にそれは本当に必要かどうかを十分考えるべきだと思います。


将来(2007年11月17日)

最近、中国に転勤になった大学時代の友人から何度かメールをもらいました。

中国本土に転勤したのですが、今は香港で働いています。

彼の転勤が決まりそうな時、彼からメールをもらったなあと思い、検索してみると2005年の4月に「俺は中国(珠海)に転勤になっちゃうよ。何てこった。」としょげている内容のものがありました。

どういう立場で行くのか聞いてみたら、なんと社長らしい。でも、上に会長がいて、2人だけとのこと。

その時、私は「現地の社長として行くんだろ。会長と2人しかいないと言っても、サラリーマンをしていて社長の経験なんかなかなかできないよ。すごいじゃない。」と返事を送りました。

彼もなるほどという返事をくれた。

転勤することが決まった時は何もない中国の田舎で暮らすことに不安があったのでしょう。

でも、最近のメールでは「生活は快適だよ」と現地生活を楽しんでいるようでした。

結局、先のことはわかりません。

憂いでみても、心配してみても、逆の結果になることも人生多々あると皆さん思いませんか?

彼のように海外赴任という大きなことでなくても、人はみな将来に関する不安はあると思いますし、日々の生活に飽きたという人もいると思います。

彼が中国赴任かあとしょげるより、社長経験できると同じ状況を変えてみると同じ将来がかなり違ってみえてきたのと同じことが私たちにも当てはまると思います。

とにかく、人の未来は自分が今日考えていることに大きく左右もされます。

だからこそ、希望と自信、愛と成功のことばかりを考えてみませんか。

こうやって一日をはじめれば、その日が、将来が違ってくるのではないでしょうか。


うつ(2007年11月3日)

 ついこの前の新聞で公務員のうつ病による休職がかなり増えているという記事を読みました。

その中でも社会保険庁職員の割合が相当多いとのこと。

そうなのかと思っていただけでしたが、昨日、会社が行う「飲酒運転と健康」というテーマの研修会に出ることになりました。

私はお酒が飲めないので、あまり関係ないかなと思っていたのでが、案の定、飲酒運転講習は私にとっては眠ってしまいそうな研修でした。

その後、健康に関する研修が続いたのですが、前半と全く違ってメンタルヘルスというものでした。

私の会社はメンタルヘルスに関する研修会や社内パソコンからのアンケートを頻繁に行っているようでした。

そのメンタルヘルス研修は私が長年お世話になっている産業医の先生がたまたまお話されました。

その話が実に生生しいというか、へ〜というものでした。

 私はメンタル区分ではない健康上の理由で休職していたのですが、その先生の仕事の大部分が医師が出すうつ病という診断書が正しいか嘘かを見破る仕事だとその研修では言っていました。

医師が出す診断書はほとんど産業医は受け入れているのかなと思ったら、そうではなく、その産業医いわく、「そこらへんの医師が書くうつの診断書ほど疑わしいものはない」とのこと。

それもあって、仕事の内容、残業状況、周りの意見、上司の意見などを十分判断して、うつかどうかを判断するそうです。

 今年、こんなニュースがありましたね。「奈良市環境清美部の男性職員が病気休暇・休職を繰り返し、5年間で8日しか出勤していなかった問題に絡み、ほかに4人の職員が同様に不自然な病気休暇を繰り返し取っていた。」

それを思い出しました。

生々しいと書いたのは、面談で「私は傘を今もっている」と言う社員がいて、それは場合によってはこれで刺すという意味だったそうです。殴りかけられたことも多々あるとおっしゃっていました。

うつとして診断書を持ってくる社員には

本当はうつではない人、本当のうつ、残業の多さ、ストレスなどからの結果うつと3種類あるそうです。

本当はうつではない人の診断書提出は精神上の病気は傷病手当の期間などで恵まれていることもあるのでしょう。

それを制度を悪用することで、先生はそれとの戦いだというようなことをおっしゃっていました。

これは悲しいことですね。

それが本当に病気の人をどれだけ悩ます結果になるかと思いました。

私は逆に復職まで会社の理解を得るのに苦労しました。病気による休職者にも休職・復帰にこういった実態が影響してきます。

うつでない人のうつ病診断書の話はともかく、先生が話していた「結果うつの分野」には病気で苦労している人が精神的にも病んでくるというものも多いのではないかと思います。派生としてのうつですね。

この結果うつの分野には朝青龍も入るとのことです。

とにかく今の自分を正確に把握することが大事だと思います。

問題点をきちんと洗い出して、それがどの程度であるか、また、その結果どうなるかです。

例えば、脳脊髄液減少症の人はそれで死ぬことはないという事実です。

生活面で言っても、食べることができる、寝る場所があるというだけである意味十分ではないかと思います。

最低限の文化的生活を保障しているこの国に生まれたことを感謝してもよいのかもしれません。

その他の問題に関しても事実をありのまま受け止め、その問題は最悪の場合どうなるかということを考えてみましょう。

最悪って言ってもそうたいしたことはない場合って多いんですよね。

正体がしっかり把握しないと不安が不安を生みます。

不安の正体をしっかり見極め、最悪を受け入れ、次に対処策を考えれば、今度は希望と感謝が生まれてくると思います。


テレビ(2007年10月27日)

 私の家のテレビはまだブラウン管なんですが、最近、画像の調子が悪いんです。もう12年使っていますからね。

薄型テレビもかなり値段が下がったなあと思っているのですが、地デジ切り替えまで今のテレビがもってくれないかと思ってもいます。

 休職が長かった時、私はテレビを見ることが多くありました。

それこそ、ドラマからお笑い、経済関連と幅広く見ていました。

復帰してフル勤務をしていると夜は疲れてしまって、寝るのが早くなりました。

当然、見る時間が減ります。

 ここでテレビに関して考えてみると、毎日2時間見ると、一年で720時間見ていることになり、30日はテレビを見ていることになります。1年で30日って改めて考えるとものすごく時間を使っていますよね。

一年の12分の1、寝ている時間を除けば、一年のもっと多くの時間をテレビに割いているのはどうもいけないなあと思っています。

経済では費用対効果(コストパフォーマンス)を重視します。

生活の中でもそうだと思います。

テレビならその番組を見ることによる効果は何かとかですね。

 まあ、野球が好きな人がテレビで野球を見るということは趣味を楽しむという面から良いかもしれませんし、ドラマも楽しみなものを選んで見るというのはそれはそれで気分転換になるでしょう。

最近はインターネットに関しても同じことが言えるかもしれませんね。ネットサーフィンはだらだらテレビと同じで時間の無駄使いかもしれません。

長くない人生、時間を大事に使うことは人生満足度のパフォーマンスを上げるために大事なことだと思います。

まず、目の前にあるテレビやインターネットの使い方を一度考え直すしてはいかがでしょうか。

常に時間を有意義に使うにはどうするかを考えるのことは必要だと思います。


数えていくと(2007年10月20日)

久しぶりに大学時代の友人2人と会いました。

前から会いたいと言ってくれていたのですが、私が休職中に会うのは友達といえども相手に気を使わせちゃうかななんて思っていました。

元気に活躍している友人を見ていると、こちらもうれしくなりました。

学生時代、時を共有した友人とは会わない期間が長くても、会った瞬間に昔の自分と彼らの空気が流れます。

いいものですね。

人生にはお金、土地をはじめとする有形な資産だけではなく、無形資産というものがあるということをつくづく思いました。

形はなくても人生を豊かにするもの。

友情であり、愛情であり、わくわくする趣味であり人生を有意義にする資産というくくりで考えたらこの無形資産は皆さんもたくさんあるのではないでしょうか。

無形資産をしっかり持っていることが有形資産を持っている以上に大事なのかもしれません。

資産というものを形あるものだけで考えるのではなくて、形ない、しかし、自分はこういうものを持っていると数えてみませんか。

配偶者、親、親しい友人の顔を思い浮かべるだけでもいいかもしれません。

数えていくと楽しい気持ちになりますよ。


やりかけの未来(2007年10月14日)

 職場の女性がレーシックという視力回復手術をこの前、行いました。

私もめがねを普段はかけていて、以前から興味はありましたし、前から妻の友人たちも行っていて問題を聞いたことはありませんでした。

職場のその女性に聞いたら、手術中は車に洗浄器をかけるような感じで面白かったと言っていました。

もちろん日帰り、翌日には職場で仕事をしていました。

メガネやコンタクトがないと生活できなかった彼女の視力は2日後の通院で1.5まで跳ね上がっていました。

そんな話をしていると職場の部長も3年前にやったとのこと。

 私はかつて仕事でパソコンやワープロを一日12時間くらい使う仕事をしていました。

そのおかげで目は急激に悪くなりました。

まあ、男性だし、44歳だし、めがねでもまあいいかと思いながら、めがねを使わない世界は別世界だと聞いて、レーシックに興味がわきました。

そんなことを思いながら、会社からの帰宅の電車でヘッドホンでミスターチルドレンの曲を聴いていると、「蘇生」という曲が流れました。

歌詞に「冴えない現実を夢見たいに変えていけばいいんだ。そう、何度でも何度でも僕は生まれ変わっていける。そしていつか捨ててきた夢の続きを。そうだ。まだやりかけの未来がある。」というフレーズが流れました。

視力だって簡単な治療で治ることができる。視力だって生まれ変わる。

慢性髄液圧減少症の治療をする前とした後ですぐに画期的に体調が変わりよくなったという人を知っています。

悩みが減り、体調が昔に戻ったと聞きました。

私はかつては将来への夢を見てそのための資格を色々と取り、仕事も頑張ったのですが、突然の体調不良とその3年後からの長い休職生活ですべてが変わりました。

今の会社の中で私の置かれている状況から、もう夢を見ることはできないのかなと思っていました。病気になったことで、子供も作るわけにいかず、自分の生きている意味は何だろうと思ったときもありました。

先月の職場復帰では体調とうまく付き合いながら、生計を立てることが私の生きていく手段だと思うようになりました。

でも、ミスチルの曲のように一度捨てた夢をもう一度挑戦してみないかと自分に話しかけました。

まだまだ生まれ変わっていける。

皆さんもそう。

やりかけの未来はあるはず。


居場所(2007年10月7日)

最近、非常に思うのですが、自分の居場所があることはありがたいです。

会社に復帰して3週間経ち、疲れとの戦いですが、それでも会社には自分の居場所がある。

家に帰れば、もちろん、妻がいてそこに居場所がある。

体調をコントロールしながら懸命に生きていますが、自分の居場所がきちんとあることはありがたいと思っています。

職場での仕事があり、自分で生きていける。家では家族ときちんとした関係を持っていれば、心の安らぎの場となる。

職場に復帰したことで余計にそれを感じました。

社会で役割を果たすことは大事であり、どうしょうもない状態で休職していた時と違って、仕事をこなしている喜びを最近は感じています。

きっと長年同じ毎日でやってきた人はそのことが大事であるということを忘れているのかもしれませんね。

毎日、マンネリだと思う人は一度、自分にはきちんと居場所があって、それは重要なことだということを考えてはどうでしょうか。

そして、自分の友人や親戚やさらに自分とつながっている人たちを大事にして居場所をさらに広げていくことが人生を楽しくしていくのではないかと思います。


next decade(2007年9月24日)

この数年間、体調の関係で仕事をできない状態も多かったのですが、先週から本格的に職場復帰しました。

職場復帰は今年の春から会社側と交渉していたのですが、休職をしていると復帰はかなり厳しく、途中、春ごろ、無給の試し勤務を入れて、なんとか復帰が実現できました。

話は変わりますが、私は中小企業診断士という資格を保有していて、毎年、講習を受けないといけません。

その研修を先週末に受けました。

いつも、役人の方が中小企業白書の内容を話すのですが、今年は76才の現役コンサルタントの方がなぜか1時間お話があり、いつもとは違う研修で今回は私が会社復帰するにあたって、非常に感じるものがあり、有意義でした。

その先生がおっしゃるには、中小企業診断士を保有している人が60歳で定年した人が先生のところに経営コンサルティングになりたいとよく相談されるのだが、困るという話でした。

そういう時、先生は「定年の後、違う道を進むのなら最低5年は準備をしないといけない。中小企業診断協会の勉強会に出たり、実務を休日に行うなどの活動を行うなどの準備をなぜしてこなかったのか、そうすれば、次の10年はその準備を踏まえて次のステップに入れる。いきなり資格を使っての仕事などは無理ですよ。」とおっしゃるらしいです。

先の準備をせず、なんとなく過ごせば次のステップに進めないということですね。

先生は next decade つまり次の10年のための準備をするのが大事だとおっしゃっていました。

私はかつてはそれなりに大志がありましたが、休職によりその大志はすっかりあきらめ、生活のためなんとか体調を保って低空飛行でも頑張って働いていこうと思っていました。

でも、それって夢がありませんよね。将来を夢見ないとつまらないです。

next decade(その次の10年)にこういうことをしょうとその準備をするということは今の私にも大事ではないかと思いました。

私は今、44歳です。これから5年準備をして、50歳前からのことを考えるようになりました。

私の人生はまだこれからだと思うようになりました。

このHPをご覧の方で病気、その他、不運でで夢破れた方々。

next decade 次の10年のために新たな夢を持ちませんか。

そのために何を準備すればいいかを常に考えませんか。

これから先、きちんと準備すれば、新しい夢を見ることができるのではないでしょうか。

夢を持つことは生きる活力ではないでしょうか。


コップの水(2007年8月25日)

格差社会という言葉が使われだしてもう随分経ちます。

今日の新聞でもジニ係数から格差の広がりを示しているそうです。

この日記をご覧の方は体調不良により仕事ができない状態にある方もいらっしゃると思います。

身体という器がおかしくなって気がつくと随分格差がついてしまった人も多いと思います。

私も時々思います。

喫煙せず、酒も飲まない、スポーツクラブで適度に運動して、食べるものにも睡眠にも気を使っていたのになぜなのか?

その反対にたばこをすい、酒を飲んで、運動もしない人が普通でいられる。

世の中、やはり普通に生きていれば、病気など病院に行ってちょっと休めば治るという発想の人も多く、そういった人から病気で熱がと言っても精神的なものじゃないの?もしくはさぼっているのではないの?ともとれる発言がでます。

そういうことを経験した人はこの日記を読んでいる人に多いのではないかと思われます。

このところワイドショーで取り上げられている朝青龍の問題にしても病気というもの、診断書というものの意義自体を健康な人に疑いを与えているようです。朝青龍はもともと腰の骨の骨折だったはず。。そもそもの診断書を書いた医師にきちんと経緯をどうして聞かないのか。そうでないと病気の診断書というものの公的文書の意味がなくなります。もし偽りの診断書なら医師の責任というものがあるはずです。何故かそこには触れないのが不思議です。

健康な人の目から診断書というもの自体がいい加減に写ってしまうのではないかと思います。

話は戻りますが、自分の人生でどこでどうしたからこうなったのかと不思議に思うこともよくあります。

たまらない時は思考の転換をします。

それはコップの水はどのくらいあるのかを考えます。

よく聞く話かもしれませんが、同じ量でもコップの中の水を少ないと見るか、まだこんなにあると見るかで考え方が変わるという話です。

生きている限り、食べることができる限り、家がある限りコップの水はたっぷりあるのです。

そう思います。

どんなに格差がついても自分の中でのコップの水があればいいのではないでしょうか。


記念日(2007年8月18日)

今日は私の記念日です。

誕生日でも結婚記念日でもありません。

実はインド占星術で悪い時期から良い時期に変わるのが今日からなんです。

な〜んだといい歳して占いかって思われるかもしれませんね。

私はわけのわからない体調の悪さと常時原因がわからない熱に苦しめられた頃、インド医学にも救いを求めました。

その医師の知り合いで、インド占星術を研究しているインド医師がそれをやってみるかと聞かれ、やってみました。

1万円もしましたが、なんだかわからない状態にある私は何でも試すことにしていました。

人生には星の動きで悪い時期、良い時期があって、私が体調を崩した頃から悪い時期に入っていました。

なるほど。その人は私が体調を崩した時期を言い当てたということは良くなる時期も当たるのではないかと期待していました。

悪くなる時期が1998年。その占星術をしたのが2002年。5年間も今日が来るのを密かに待ちました。

だから今日は私にとって良い時期到来の記念日なんです。20年続くと言われました。

いずれにしても、良い、幸運が来ると思ったらそれを信じることって大事だと思いませんか。

たとえば、テレビでやっている今日の占いなんかでもいいことは思いきり信じること。

良いと思えば世界も違って見えてくる。

単純かもしれませんが、単純だからこそ幸せになれるのではないかと思っています。


ケセラセラ(2007年8月14日)

このHPを作っているソフトが入ったパソコンが突然使えなくなりました。

パソコンは2台使っているのですが、ソフトがもともと入っていたパソコンが使えなくなったので、参ったなあと思っていたところ、パソコン本体ではなく、電源を取るアダプターがいかれているのではないかと結論。

市販のものを買ってきて、一件落着。それにしてもアダプターが壊れることなんて落雷以外は普通はないんですけどね。予想外。

話は変わりますが、3日前の夜、トイレに行こうとした時、なぜか気を失ってしまったらしく、後頭部から倒れてしまいました。

頭が痛かったですね〜。翌日も。

それにしばらく記憶がなくなったらしいんです。

記憶が一時的に消えることってあると翌日病院でCTを撮ってもらった後、医師に聞き知りました。

まあ、頭痛は仕方がないですが、脳内出血もなく大丈夫です。

パソコンと気を失って頭を打ったこと。

全然関係ないですが、予想範囲以外のことが起こるのは人生では当たり前だということなんです。

何が起こるかわからない。それこそ、自分はいくつまで生きているかわからない。

私の父は突然、交通事故で亡くしましたので余計そう思います。

ただ、大事なことはいつどうなっても後悔しないように明るい気持ちでその日を楽しむことです。

今を楽しむ。先のことはわからない。ケセラセラ。そんなものじゃないでしょうか。


何か一つでも(2007年7月27日)

ノーベル物理学賞を2002年にとった小柴昌俊氏が「人は何か一つだけ目的、目標を持って生きていけば良い」と 昨日テレビに出て言っていました。

なるほどなあと思いました。

あれもこれもと考えたり、人よりもとあせったりするのは非常に馬鹿馬鹿しいことだとも思います。

もちろん、仕事のこと、家庭のこと、お金のこと、健康のことといくつも考えることは多いと思います。

ただ、そんな時に何を自分は目的としているのかという基準を持っているといいのではないでしょうか。

例えば、私の場合は「生きて」、「妻を大事にする」ということを基準としています。

生きるということは何よりも基本です。

だから、生きるために無理をしない。生きていることを楽しむ。

妻は子供がいない私にとって大事な存在です。

妻につらい思いをさせず、できるだけ笑顔でいてもらう。何かのときはバラ一本でも買って妻に渡す。

生きること、妻を大事にすること。

この2点のためなら、たとえ社会的立場がたいしたことなくても、お金がたくさんなくても、何を優先順位の一番にするかで行動や考えが変わってくると思います。

自分の目的を行動基準として、頭で何かを考える時の基準としませんか。

この基準をクリアしていればとにかく合格と。

シンプルな目的でよいと思います。

それが幸せにつながり、何か世間のあれこれに翻弄されることなく、生きている証になると思います。


愉快に(2007年7月7日)

今日は七夕。もう半年以上2007年も過ぎたんですね。

なんだか時間が経つのが早いと思います。

前回も時間に関して書きましたが、宮沢喜一元首相が84歳で老衰で亡くなったということで余計感じました。

大体、亡くなる時は心不全や心筋梗塞などの理由が挙げられますが、老衰というのは珍しいと言えば珍しいのではないかと思いました。

しかし、84歳は老衰かと思うと平均寿命から考えても人生は実に短いのですね。

ほんの数十年この世にいるだけのことです。

それなのに些細な出来事に悩むことが多いです。

1年もしたら忘れ去られることで悩みながら多くの時間を無駄にするのは実に馬鹿馬鹿しいですね。

小事に悩まされないためには、努めて力点を変えてみること。

つまり心の中に新しく愉快な考え方を創造することだと思います。

これはやってみる価値があると思いますよ。

同じ物事でも見方によって変わってきます。

先日、私は車のエンジンがかからなくなりました。家の駐車場でです。

急なことで車の知識のない私はメーカーに電話したりしたのですが、どうにもならない。

そこで近くのガソリンスタンドに行き、事情を話したら来てくれました。

バッテリーが無くなったということで交換しました。

車は冬ごろ売ろうかと思っていたので、15500円のバッテリーはもったいないとは思いましたが、何はともあれ、現時点では車は必要ですし、外ではなく家で動かなくなった。近くのガソリンスタンドの店員さんがわざわざ来て交換してくれたということで総合的にラッキーだったと思っています。

とにかくラッキーだと結びつけることも大事じゃないでしょうか。

もっとプラスしてなんにしても愉快に生きたものが勝ちです。

癖にすればそれほど難しいものではないと思いますよ。


時間(2007年6月16日)

つい最近、長年芸能界で活躍してきたある人を見かけました。

第一印象はかなり御歳だなということでした。

どんな名声があってもお金があっても年は平等にとるものだなあと感じました。

世界で2番目にお金持ちのウオーレンバフェット氏も75歳。

以前と比べて、パワーダウンしている感じがします。そりゃそうでしょうね。

そういえば、大昔、秦の始皇帝は中国統一をした後、不老長寿にこだわって、薬を海外に探しにいかせたらしいです。

お金や名声はあの世に持っていけませんよね。

あの世自体があるかどうかは私は宗教者じゃありませんからわかりませんが、いずれにしても現世のものは置いていくのでしょう。

私たちは生きている間、おそらくお金や地位などに振り回されることが多いと思います。

でも、よく考えてみれば、お金はある程度あれば、もしくは働ければなんとかなります。

地位や名誉は優越感のためのものだと思いますが、別の点から見ると実に馬鹿馬鹿しいものだと思います。

たとえば、大会社で部長をしていた人が定年で辞めたとき、そこに地位や名誉というものはありません。

幻想のようなものでしょうね。

でも、地位がなくなってもあった時の気分が抜けない人が多いようにも感じます。

何人もそういう人を見ました。

お金、地位、名誉といったものより重要なことは何でしょう。

大して何もない44歳の私が75歳のお金、地位、名誉を持ったウオーレンバフェット氏よりあるものは「時間」です。

多くの成功者が若さを求めるのは時間を求めたいということでもあるのでしょう。

「時間」があるということは素晴らしいことです。

可能性があり、楽しむ時間があります。

日々のいやなことはあるかもしれませんが、そんなことは考え方次第でなんとかなります。

私は「時間」こそ「人生」の残り価値でもあるとも最近思います。

時間をいかに有意義に使うかということをもっと積極的に考えてみてもいいと思いますよ。


今日を生きたり(2007年6月10日)

昨日の日経新聞で2050年の高齢化状態に関する記事がありました。

サミットでは2050年の温暖化ガス半減目標なるものが話し合われました。

2050年というと43年先。

ほぼ私が生を受けてからと同じくらいになります。

確かに先のことを検討するのは大事でしょうが、先すぎる話をもっともらしくするのはどういうものでしょうか。

5年前、日本は不況の絶頂にあり、日経平均は7000円台でした。

いまや18000円前後となって、戦後最長の景気となっています。

企業の業績も拡大見通しです。就職氷河期から一気に売り手市場になりました。

たった5年でここまで経済事情も変わります。

あまり先すぎることを考えても意味がないのではないでしょうか。

1年先、2年先のことも生きているとわかりません。

今の仕事や状況を思い、先のことを思い煩っていらっしゃる方もたくさんいると思います。

私たちの人生は長いようで短いです。

そして、ちょっと先のことも不確実です。

毎日が同じように流れると思っている方も実際はそうではなく、いつどうなるかわかりません。

私自身がそうでしたから。

だから、私は思うんです。

明日のことを思い煩うのはやめましょう。
明日のことは明日の自分が思い煩うだけで十分じゃないですか。
一日の苦労はその日一日だけで十分。
もちろん、明日のことは配慮して、細心の注意を払って準備しべきだと思いますが、心配する必要はないんじゃないと思います。

 2000年以上前のホラティウスというローマの人が確かこのようなことを言っていましたね。
私の好きな言葉なんです。

「明日よ あらん限りの悪をなせ われ すでに今日を生きたり」

そう、寝る前は胸を張って、自分にこういいましょう! そして、心配はやめましょう。

「来るなら何でも来い! われ すでに今日を生きたり!!」 


いかなる場合にも(2007年6月2日)

今週は現職大臣の松岡氏の自殺がありました。また、同日、歌手ZARDの坂井泉水さんの自殺とも思える死がありました。有名人の自殺というと私は学生時代に亡くなった岡田有希子さんを思い出します。

思春期の岡田さんには何か大人には理解できないような理由があったのかもしれませんが、当時は友達ともったいないと言っていたものです。

岡田さんは18歳で投身自殺をしましたが、その後、どういうわけか後追い自殺が増えたのです。

その傾向は昔からあって、人は誰か有名人が死ぬと自分の死も許されると思うのでしょうか。

何かつらいことがあったら簡単に死んでいい正当性をもてるのでしょうか。

坂井さんは病苦だったかもしれませんが、「負けないで」の歌のように負けないで欲しかったですね。

松岡氏に関しては確かに色々と問題を挙げられていましたが、大臣にまでなって、62歳これから悠々自適な生活というのにもっと強い団塊の世代代表像を持って欲しかったと思います。

正岡子規は39歳で病気で亡くなりましたが、脊椎カリエスを患って、自殺することと生きることの谷間で晩年はもがいていたようです。

自殺をほのめかす本を出した後、次の本で「悟りはいかなる場合でも平気で死ぬことかと思っていたが、それは間違いで悟りということはいかなる場合にも平気で生きていることであった。」と記し、最後まで生き抜くことへの決心がつづってありました。

東海道線は朝、人身事故でよく止まります。朝のラッシュ時間の衝動的自殺が多いようです。

またかと人は思いながら、何か平気になっているように見えます。

人が自殺しなければいけないほどのつらさというのは何でしょう?

人の自殺は家族や周辺の人を不幸にします。

何よりもったいない。

病気でどうしょうもなくても、正岡子規の言ったように「いかなる場合にも平気で生きていること」が私たちに与えられた命題ではないでしょうか。

そうでなければ、生きたくても運命で死んでしまった人や私たちが思っている以上にたくさんアフリカなどにいる貧困で餓死してしまった人たち申し訳ないと思いませんか。

そして、いかなる場合にも平気で生きていることはいかなる事態もたいしたことではないとも考えられます。

どんな事態も生命の危機でなければ、つらいことがあっても平気な顔をして口笛を吹くよな気持ちでいれば。

そうしてつらい気持ちが通りすぎるのを待ちましょう。


先入観を捨てて(2007年5月26日)

想像していたことと実際が違うことってたくさんありますよね。

実は私の携帯電話はつい最近までメール機能がない基本料金が安いシティーホン(携帯電話普及が始まった10年ほど前からの都市部中心なら使える携帯電話)を使っていました。

それが今でも一番安いと思っていました。

また、この日記をご覧の方は意外と思われるかもしれませんが、携帯でメールなんて使わないと思っていました。

パソコンのメールだけで十分、親指で打つなんて大変だと勝手な先入観でいました。

携帯電話のポイントが貯まったのとさすがに10年近く使っていると電池も悪くなってきたので、妻とともに変更することにしました。

料金プランのことを調べたら、無料分を考えるとシティーホンより今の普通の携帯電話の料金の方がずっと安くなっていました。

もっと前から変更しておけばなんて思いました。

妻とのメールは家族内無料とのことから、最近はメールを毎日のように交換しています。

携帯のメールなんて打っていられないと思ったのはやはり単なる先入観で、打っている途中で次の文字の候補が挙がるのでなんと楽なことか。

それより、パソコンがなくてもどこでも余分な待ち時間等で打てるのでその便利さを今更ながら実感しました。

先入観はいけませんね。

話は変わりますが、妻はパソコンというとすぐに苦手だと近づこうとしませんでした。

この時代に。。こんなに便利なのに。。と私が言っても先入観があったようでした。

今年になって、妻も仕事の関係でパソコンを使うことになったのですが、使ってみるとワードやエクセルの基本的な使いかたは簡単だとわかったようで、パソコン苦手意識は減ったようです。パソコンに関する苦手先入観だったようですね。

こういった先入観というのは多々あると思います。

睡眠に関して、不眠症状の人が最近多いと聞いています。

不眠の治療としては色々ありますが、もっとも手っ取り早いのが睡眠導入剤を飲むことです。

でも、そういったものを飲むことに抵抗がある人は日々の睡眠不足と戦いながらなんとか自分でしょうとする。

仕事や生活に支障が出ても、睡眠導入剤はよくないという先入観が心療内科に足を向かわせないのでしょう。

しかし、そんな意地を張らなくてもとりあえず、医師に相談して睡眠導入剤を飲んでみて熟睡したほうが前向きといえるのではないでしょうか。

病気になった時も早く治らなければいけないと焦りますが、焦れば焦るほど病気いが治りにくいということを私自身が長い年月経験しました。

この際、ゆっくりと休養しょうとか、これまでの自分の生き方は無理をしていないかったかと再点検の時期にするのもいいかもしれません。つまり、こうでなければいけないという先入観にとらわれ過ぎない。理想の自分に固執しない。

そして最善と思われることをとりあえずやってみることが大事なのかなと思います。

あんまり肩肘張らないで、先入観を捨てて、心配もせず、今できることをやり、しなやかに生きてみることって大事だなと思います。


自分の人生に対する責任(2007年5月12日)

世の中に病気というものはそれこそ星の数ほどあり、治療どころか原因さえわかっていないものが沢山あります。

病気は病院に行けば原因がわかり、薬や治療で治るものと思っている人は確かに多いですが、そう思える人は少数の治る病気しか経験していない、もしくは風邪などの病気以外はしていない方たちでラッキーな方です。

脳脊髄液減少症にしても治療は正式に認可されていません。そのため、保険は使えない状態ですね。

保険を使えないというのは経済的に困っている人たちには厳しく、今回、本として世に出すのは少しでも病名が認知され、保険外という治療もなんとか保険治療として認める状況になってほしいという気持ちが強いからです。

ところで話は変わりますが、自分の人生に対する責任を最近よく痛感します。

先に書いた病気は治療で簡単に治るものと思っている方たちが多い世の中で、困ったことは治りにくい病気である人に対して根性論を唱える人が多いことです。

これは困ったことですね。病気を根性があるないと結びつける人が多いということを経験された方はこのHPをご覧の方に多いのではないでしょうか。

特に仕事関係になると弱者には厳しいものです。

病気で弱者になり、健康で勝者になるのは実に紙一重で、まさしく運以外何者でもないと私は思っています。

しかし、運がたまたま悪く、頑張ってきたのに病気で転落してしまった人はだからと言って誰にも責任をとってはもらえないということです。

自分の人生に責任をとるのはまさしく自分以外いません。

たとえどんな状況になっても、自分の不運を嘆いていても仕方がありません。

また、たまたまラッキーな人たちにわかってもらえないことをその人たちのせいにしてもいけませんよね。

そういうものだと割り切ることも「自分の人生に対する責任」を覚悟する上で重要だと思います。

たとえば、医者にしても、会社の上司にしても日ごろ接する人に自分に何かあった時に責任を取ってもらうなんてことは当然考えられませんよね。

自分の人生に責任を持つということは人に無理にあわせないということもあります。

ノーと言えることでもあると思えます。

不用意に人と張り合うこともなくなると思います。

この人に勝って何か意味があるのかと思えば、張り合う意識もなくなりますよ。

どうすれば今、幸福な気持ちになれるか、いや、不安な気持ちにならないですむかということが、現時点で一番重要な自分の人生に対する責任だと思っています。

一つ一つ自分の責任なのだから、自分でなんとかする、自分を守るということを考えていきましょうね。


出版について(2007年4月29日)

前回の日記からもう一ヶ月以上も経ってしまったんですね。

更新するペースは決めていないのですが、ちょっと間が開くと本当に時間が過ぎるのが早く感じます。

今日からGWですね。黄金週間ですから、本当の意味で自分にとって黄金の日々を過ごしましょうね。

話は変わりますが、前々から、そう、もう3年以上かけて脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)に関する本の出版準備をしてきました。そして、やっと出版社から初稿の原稿が届きました。

初稿というのは、私が書いた原稿に文章の全てに出版社側の意見等が反映された原稿のことで、それに同意、訂正したものを送り返しかえして最終原稿にする作業です。

この本は私の書いた文に篠永先生の全面的な監修で作られた本です。

このHPは篠永先生に質問してきたことから作っていますが、世の中にはインターネットを使わない方も多くいらっしゃいますし、本という体系的なものにしないとやはりわかりづらいということもあって、出版を決めました。

篠永先生も快く監修を引き受けてくださいました。

しかし、私が原稿を書いた後も、内容訂正やお忙しい篠永先生からの原稿のチェック待ち、出版社の方からのお返事など時間がかかり一時は無理かなとも思いました。

でも、篠永先生には全面的に協力していただき、写真もわざわざ送っていただき、本を出す趣旨に賛同していただいたのに出版が断ち切れになることは先生にも申し訳ないと思っていたところでした。

脳脊髄液減少症を診ていただける病院もひとつひとつメールして、承諾をいただいた病院を載せています。

承諾をいただけなかった病院もあり、色々と難しさを感じていました。

最終章には篠永先生の楽天的な発想が病気をよくするということから、この日記で書いてきたことの一部を載せています。

まだ出版まで時間はかかりますが、出版が実現した時はすぐにこのHPをご覧の方々にご報告いたします。

たとえ遅れても前向きに向かっていれば、事はなせるものなのかなと思います。


初心(2007年3月21日)

4月も近くなりましたね。

4月というと日本では新しいことが始まる月です。

学校に入るのも、会社に入社するのも。

しかし、会社に入り何年も経つと当初、思っていた大志がいつの間にかなくなり、いつもと同じ毎日をこなすだけのマンネリとなってしまうことが多いです。

マンネリ感でため息ばかりになるとあまりいいことはないですよね。

私は最近特に思うのですが、初心に帰ることは大事ではないかと思われます。

世阿弥が「時々の初心をわすれべからず」と書いていたのは「そのことに最初に取り組んだわくわく感を忘れてはいけないということだ」思われます。芸の世界でも大事なんですね。

初心というか夢を持つことにキーポイントがあるように思います。

自分の人生を幸運に持っていくのは心のあり方、いわゆる考え方や思想が大事ではないでしょうか。

「夢を持つ」「希望を持つ」ということ、将来に向かって計画をするをこの春やってみませんか。

私は44歳にして本格的に将来の夢を実現すべく行動を起こしていこうと思っています。

体が、体調がといつまでも言っていても仕方がありません。

その体調でやれることはいくらでもありますし、自分の体と付き合いながら夢を追いかけることができると思います。

初心に帰る。夢を追う。それこそが大事であり、運を引き寄せるものではないかとも思います。


笑顔で(2007年3月17日)

大小にかかわらず、誰でも悲観的になることはあります。

悲観的にならないということは生きていくうえで大事だと思うことが多々あります。

つらい時は誰でもあります。

私なんかもどこで方向が変わってしまったのかと呆然とすることがよくあります。

でも、悲観的にならないことを常に自分の軸にするように心がけています。

人生はいつまでも続くわけではありません。

どれだけその時間を気分よくすごせるかが大事だと思います。

つらい出来事があった時、「どうしょう」と頭を抱える人と「こんなことはたいしたことではない」と切り替える人。

同じ場面でも対処の仕方が変われば、人生も気持ちも変わってきます。

それと表情は大事ですよね。

辛い顔をしていると良いことが逃げるよと聞いたことがあります。

みなさんも、どうぞ、苦しい時こそ、明るい笑顔を心がけませんか。

暗い表情は他人も不安にさせます。

余計なかんぐりを抱かせることになります。

そして不運を招きよせることにもなります。

とにかく、どんなときも「たいしたことはない」と笑顔でいれば、幸運はよってくるように思われます。

気持ちと笑顔で人事を尽くす。

天命はきっと微笑みをくれるはず。


認める(2007年3月10日)

私が体調を悪くしたきっかけは10年前にタイに長期出張した際に相手側の配慮で象の横で食事をしたことです。

帰国後、何度も高熱を出しました。それがQ熱だとわかったのはいくつも病院に行った後、2年後でした。

Q熱は長かったこともありしばらくはなおりにくく、CFSを併発し、低髄もあり、この10年は病気との闘いとも言えます。

それ以前は病気なんて病院に行けばすぐ治るものだと考えていましたが、治らない病気のほうが多いと知りました。

「こんなことにならなかったら」「積み上げてきた自分の人生が狂ってしまった」とか正直思うことがあります。

でも、「こんなことにならなかったら」どうなっていたろうと思うと、別になにか大きなことをしたかとかや大出世をしたかというとそうでもないような気もします。

よくない境遇から「もし」と考えることはよくあると思いますが、そんなことを思っても仕方がありません。

今の状況をとりあえず「受け入れて」これが本当の自分なんだと思うようになりました。

皆さんも悲しい時、つらい時、その自分をいったん認めて、受け入れるということは大事だと思いますよ。

たとえは変ですが、犯罪を起こした人が警察で問い詰められた時、「絶対やっていない」と言い張るかもしれませんが、「バレルかもしれない」と落ち着かない。

本当に落ち着くのは「私がやりました」と認めた時ではないでしょうか。

私たちも見栄や今の自分を拒否したりするのではなくて、素直に自分を認めた時、落ち着き、そして新たに訪れた感動を受けるのではないでしょうか。

まず、今の自分を認めること、これが大事だと思います。


ゲーム(2007年3月3日)

3月になりましたね。

実はこのところ、何かと自信をなくすことが多く、自分の人生が予想していた人生とあまりにかけ離れてしまったことに危機感をもっていました。

そういうことって誰でもあると思います。

若い頃は希望に燃え、今日より明日、そして10年後はきっとよくなる。

そう思う人は多かったと思います。

しかし、現実はどうにもうまくいかず、こんなはずではなかったと思うことがたくさんあるのではないでしょうか。

そういう時、どうしても悪いほう、悪いほうへ意識がいってしまいがちです。

最近はうつ症状の人が急激に増えています。

CFSの人の増加も多いですね。

現実とのギャップが人の精神や健康を害している場合も多いのではないでしょうか。

そんな時、やはり、客観的に自分のことを見ることが大事なように思えます。

3食食べられる、体が動く、家があるなどなどそれさえできない人たちがいることを考えたら、自分がそれほどひどい状況ではないことが再認識できると私自身、思いました。

人は時間という有限なものを与えらえたゲームの主人公なんです。

時間は日々減って生きます。

有限なんです。

ゲームをしている主人公はその有限なポイントである時間をいかに楽しむかがゲームの勝者か敗者になるのを決めるのではないかと思います。

どんな状況でもその時間を楽しめば、それで勝者です。

与えられたポイントである時間を「楽観的に」楽しむ習慣をつけることが大事です。

いつかはどうあがいても墓にいきます。

それならいつも楽しい気持ちでいるようにしませんか。

それがゲームで勝つ手段だと思います。


ほどほど(2007年2月24日)

もっとお金があればとか、もっと健康ならとか、人っていつももっともっとと考えますね。

たとえば、車を持てば、それが普通となり、より高級車がほしくなる。

テレビの芸能人で大きなお金を持った人がより多くのお金を得るために投資したところ、失敗して結局負債を負うという話がありますし、昔、あの1億円を拾った人のその後の人生は幸せなものではなかったようです。

人生において幸福になれる条件というのはいかに「ほどほど」で生きられるかだと思います。

会社で平社員は早く係長に、課長、部長へと出世を望み、今より更に地位やお金を望みます。

上を上を、もっと、もっとときりがありません。

それより、家族を大事にして、私たち自身が自分にとっての気持ちのいい生き方をしていればそれでよいのではないかとも思います。

より多くのお金、より高い地位を無理して得ることが自分や家族の幸せに比例しているかというとまったくそうではないと思います。

お金に関してはマッチマネー(より多くのお金)よりサムマネー(いくばくかのお金)でいいとあの喜劇王チャップリンも言っていたそうです。

無理をしない、執着しない、ほどほどを幸福とする生き方が大事ではないかと思います。


都合(2007年2月17日)

先日、実家に母が外出時に泥棒が入ったことを書きましたが、昨日、盗まれた分全部ではありませんが、多くが保険会社から支払いがあったとのことです。

こういう時、やっぱり、入っていて良かったということになるのでしょうか。

でも、母は怖くなってすぐにセコムに入ったので、出費は大きく、窓の修理代も含めたら結構いきました。

母は言いました。「3日前に鎌倉で初詣に行って、今年はいいことがありますようにとお祈りしたのにね。それからすぐに泥棒なんて。」と、そんな時、妻が言いました。「お祈りしたから、盗まれただけですんだんじゃないですか」と。

母はそういえば、「年金と息子にもらったお金をたまたま置いてあったので、それを持って行った。すごく大事な思い出の指輪などは偶然、その外出時にして行ったのは不思議だ。」

警察も「お金などがないと待ち伏せ強盗などもあり、もし、鉢合わせしたら、命も危なかったかもしれない。」と言ったそうです。

この事件で私は真剣に実家で母と住むことを検討して、今は引越しの時期を方位学で見てもらっています。

一応、そういうのはきちんとしたほうがいいですから。

盗まれて、泥棒が入って運が悪いと思うか、お金だけで済んでよかったと思うか。

これは生きていく上で大事な考え方の違いだと思います。

運がよかったと思えば、いろいろなことが違って見えますよね。

見方を自分の都合の良いようにしてみましょう。

生きていくのが楽になりますよ。


大志を抱け(2007年2月10日)

少年よ大志を抱け。
お金のためでなく、自己顕示のためでなく、
名誉という空しいもののためでなく、
本来、人間があるべき姿のために大志を抱け

この言葉は、北海道大学(前札幌農学校)初代教頭のウィリアム・S・クラーク博士(1826〜1886)が、明治10年(1877年)にアメリカに帰国する時に、見送りに来た10人ほどの学生に残した宝石のように輝きのある言葉です。

私はこの「少年よ大志を抱け」の後に言葉の続きがあることを知りませんでした。

昨年のドラマ、「Dr.コトー診療所2006」の第1話を見て、その後に続くことばを知り、新鮮な驚きと感動で心が打たれました。

ここに書かれている少年とはいくつのことなのでしょう。

私はたとえ40代でも50代でも大志を抱いけばすがすがしい生き方をすることは可能ではないかと思います。

大志を持てば、誰でもいくつでも前向きになれます。

自分の人生、こんなものかとか、これがずっと続くのだろうなと冷めている方は多いと思います。

もう一度、大志を持ってみませんか。

お金や名誉や自己顕示ではなく、自分が生きた証となるような大志をいだいてみませんか。

私たちは生かしてもらっています。

命尽きるまで大志をいだけば、充実した人生を過ごせるのではないでしょうか。

大志を抱け


奇跡(2007年2月3日)

昼間、散歩をしているといい香りがしてきました。

なんだろうと周りを見ると、梅の花が咲いています。

今年は暖冬のせいもあるのから梅の開花も早いのかもしれませんね。

季節の花っていいですね。

あと2ヶ月もしたら桜ですしね。

時々思いますが、自然の美しさは誰でも感じることができます。

それを見て、美しいと思い、それを幸せと感じることができるか、それとも美しさを幸せと結びつけることができないかでその人の生きているその時間の意味が変わってくると思います。

たとえば、梅の花を100億円出すから人工的に作ってくれとプロジェクトを組んでも、今の科学では植物にせよ、動物にせよ作り出すのは不可能です。

梅の花ひとつでもそれだけ偉大なんです。

もっと偉大なことが自分です。

自分が生きていることもすごいことなんです。

何万というウイルスがあり、日々事故があり、病気がある。

しかし、生きている。

生き抜いている。

生きていることはそれだけで奇跡なのかもしれません。

これは偉業なのです。

さあ、奇跡を祝いましょう!


実家に泥棒(2007年1月28日)

実家に泥棒が入ってしまいました。

今、実家は母親一人暮らしなんですが、窓も強化ガラスにしていたんです。

プロは特殊な工具を使って、母が出かけた2時間ほどを狙って、風呂場の小さな窓を打ち破って入ってきたらしいです。

運悪く、私が正月に渡したお金を仏壇の上に置いておいたものやたまたま現金が必要で置いてあった分、貴金属をまあ短時間でよく探し当てたと思うほど。

指紋も何もなく、1月早々参ったものです。

どうしてそんなことができるんでしょうね。

皆さんも気をつけてくださいね。

絶対大丈夫なんてことはないですから。

しかし、こちらもそれほど運は悪くはなく、たまたま火災保険に盗難保険がついていて、母は火災保険を見直すつもりで、解約していたのですが、2月1日までたまたま有効だったんです。

そのおかげで奪われた現金分はすべて帰ってくることになり、窓も直してくれるそうです。

以前、母はがん保険期限直前に乳がんになって、治療費が保険から出た経緯もあり、不幸中の幸いがよくあります。

ただ、精神的に泥棒の件は不安になっていて、すぐにセコムに入りました。

今まで私は社宅に妻と暮らしていましたが、今回のことは母のところで一緒に暮らせと言われているような気がして、今はいつ実家に引越しするかを考えています。

生きているといろいろありますが、不幸の中でも幸いな点はあり、それが自分の動きを変えることもよくあると思います。

人生はあざなえる縄のごとし。良いこともあれば悪いこともある。縄のようだ。

悪いことがあった場合、どのように対処していくかを冷静に考えることが大事ですし、今後良くしていく上で必要だと思います。


頚椎ヘルニア?(2007年1月20日)

頚椎ヘルニア? なんだそれは?

実は1ヶ月前から指がしびれ、腕が痛いので、近くの整形外科に行ったら、頚椎ヘルニアの可能性が高いと言われました。

別に何か事故でもあったとかではないのですが。。

右親指がしびれたのは、12月20日の朝起きて突然だったんです。

何でもないと思って、様子見をしていたのですが、1月中旬になっても治らないので、病院に行ってレントゲンを撮ってもらったら、頚椎の間が狭くなっていて、神経を圧迫しているのではないかと思うとのこと。

このHPをごらんの方は交通事故に会った方も多いと思います。

交通事故で鞭打ちになった場合、頚椎ヘルニアになる場合も多いのでしょうね。

色々調べていると、実はパソコンで仕事をしている人にも多いらしいです。

現在はパソコンを使って長時間仕事をするという人が大半を占めると思うのですが、本当にある日突然来ますから、今日の自分の体調が明日も同じとは限らないことを自覚してくださいね。

仕事へ本格復帰をできるだけ早くと思っているのですが、私はパソコンによる仕事中心なんで、この指と腕の痛みは正直、困っていました。

でも、これはこれとして受け入れて、次はどうすればよいかを考えるようにします。

より大きな病院で適切な治療を受けるとかですね。

今ままでCFSで何十もの病院で「原因不明」というだけで薬だけやたら飲まされたことがあって、病院通いはこれ以上増やしたくない気持ちが強いのですが、それはそれとして、トラウマという感情をなくしていくのが大事ではないかとも思っています。

何かに悩んでいるときもそうですね。感情を入れるとうまくいかなくなったり、悩みばかり増えたりすることが多いと思います。

そういった場合、冷静に物事を処理するロボットのようになることも解決策だと思います。

悩まないで、最善策は何か、考えたらそれを実行する。

感情をはさまないで、冷静に最善策だけを行使していく。

そういった行動が必要ですね。


しるし(2007年1月13日)

年末のMステーションという番組を見ていて、 Mr.Children の「しるし」という曲を歌詞つきの画面で見ました。

ミスチルは前から好きなんですが、画面に歌詞が出ないとよく聞き取れない歌い方をすることが多いです。

桜井氏の歌詞はいつも微妙な気持ちを表現するすばらしい才能だなあと思っていたんですが、このMステーションで歌詞を見ながら歌を聴いていると不覚ながら涙が出てきました。

この曲は言葉にできない愛おしさをもどかしく思いながらもつづっているような詩ですが、彼の歌の表現力とあいまって、思わず涙がでてしまったのです。

男女のことを書いていますが、それは親子などにも通じる大事な人への愛情とも思えます。

時々、パソコンに録画したこの曲を見ていますが、何度聞いてもいいなあと思います。

不思議なのは、こういう曲を聴いて感動すると気持ちがやさしくなったり、人生が綺麗なものに見えてくることです。

この曲を聞いて、私は妻を想いますが、皆さんも大事な人のことを思い出すのではないでしょうか。

しるし - Mr.Children -
       作詞作曲:桜井和寿

 最初から こうなることが 決まっていたみたいに
 違うテンポで刻む 鼓動を互いが聞いている
 どんな言葉を選んでも どこか嘘っぽいんだ
 左脳に書いた手紙 ぐちゃぐちゃに丸めて捨てる

 心の声は 君に届くのかな?
 沈黙の歌に 乗って…

 ダーリン ダーリン いろんな角度から 君を見てきた
 そのどれもが素晴らしくて 僕は愛を思い知るんだ
 「半信半疑=傷つかない為の予防線」を
 今、微妙なニュアンスで 君は示そうとしている

 「おんなじ顔をしている」と 誰かが冷やかした写真
 僕らは似ているのかなぁ? それとも似てきたのかなぁ?
 面倒臭いって思うくらいに 真面目に向き合っていた
 軽はずみだった自分を うらやましくなるほどに

 心の声は 誰が聞くこともない
 それもいい その方がいい

 ダーリン ダーリン いろんな顔を持つ 君を知っているよ
 何をして過ごしていたって 思い出して苦しくなるんだ
 カレンダーに記入した いくつもの記念日より
 小刻みに 鮮明に 僕の記憶を埋めつくす

 泣いたり 笑ったり 不安定な想いだけど
 それが 君と僕の しるし

 ダーリン ダーリン いろんな角度から 君を見てきた
 共に生きられない日が 来たって
 どうせ 愛してしまうと 思うんだ
 ダーリン ダーリン Oh My darling
 狂おしく 鮮明に 僕の記憶を埋めつくす

 ダーリン ダーリン


謹賀新年(2007年1月8日)

あけましておめでとうございます。

Y2Kという言葉が99年頃はやりましたが、今は思い出しもしないかもしれません。

早いものです。

実は去年の暮れあたりから右指がしびれ、腕の筋力が急に落ちました。

また医者に聞いても多分、原因がよくわからないといわれそうだなあと思っているうちに風邪も引いてしまいました。

右腕の問題は一時的なものかもしれませんし、この後、ややこしいことになるかもしれませんが、今日と同じ自分が明日もいるとは限らないと思いました。

なんでも突然きます。特に私のように40歳を過ぎるとあれこれ出てきて、50,60となるともっとあちこちが今とは違う体になっていくのでしょうね。

でも、そんなことを心配していても仕方がないです。

今年の私のテーマはENJOY!だと元旦に決めました。

私たちは時間というコインをもらってゲームセンターで遊ぶ子供のようだと思うのです。

時間は限られていますが、どれだけその時間内に楽しむことができるかを勝負したいと思っています。別に対戦相手はいませんが。。

どんな時でも「エンジョイ!」と心の中でつぶやいて、そのために自分の時間を使う。

たとえ仕事だって、人間関係だって、それを楽しもうと思えば楽しめます。

何はなくてもENJOY!