浦和の歴史の量に合わせて語られるようになったので、なんかずいぶん歴史が無いような地域になってしまったとさ。浦和宿と大宮宿の本はなぜか市立博物館ではな
く、市立うらわ博物館がだしていて、吉敷町と北袋町がなぜか浦和宿編に入っていますし(針ヶ谷から大宮にかけて江戸時代は大宮原と呼ばれていたのに)、主な歴史は
さほど大きくない宿場町から始まった旧浦和市の博物館は浦和だけを扱う市立浦和博物館として残り、武蔵国では一番古いとされる地名である大宮はと言うと、大宮博物
館はさいたま市立博物館として、宿場町としてはそれほど大きくは無いけれど、五街道の全宿場町でも大宮宿だけだと言われる一宿に9軒もの脇本陣があるということです
ら隠される、さいたまの一部として残るのみ。そして観光協会らしきところのサイトは、大宮の案内も今一、裏話は浦和のネタばかりで、さいたま商工会議所のキャラクター
も”うなぎ”やら”わらうー”だとか(2009年初頭現在)。市内に目を向けると、浦和のうなぎ祭りは市内の掲示板に大々的に張られますが、同じ時期に開かれる世界にとっ
て盆栽のメッカ大宮盆栽村で開かれる大盆栽祭りはまったく貼られません。ですから浦和に関係なく案内するには新しく作るしかないでしょう。そして市外から越してきた人
ばかりなので、住んでいるわりには知らない人が大勢いるのもこの市の特徴!だから、大宮を訪ねてくる人の為にも新しく作るしかないでしょう!
最後に一言、大宮は宿場町から始まったのではなく、門前町から始まりました。そうです、江戸からの歴史ではなく、2400年間お氷川様と一緒に、そして、事あるごとに
時の権力者と接点を持ってきた武士の街でもあるというのが真実です。2400年もあるのだから、色んな歴史があって当然で、大宮の地は氷川大社が鎮座することからも分
かるとおり、地理的に関東にとってとても特別の場所に位置してたり、色々ななぞと歴史があるのが本当の大宮です。公では語ることがないものなども、そのなぞと歴史を
少しずつ紹介していきます。
・皆さん日本が好きなら、日本を滅ぼしたくなかったら歴史を大事にしましょう!’自分の歴史を知らなければ道を誤る’byとある国のことわざ
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