★ GARO ★

〜 All because of you ! 〜

GARO は私の音楽的嗜好を決定付けたもの。
そして、
ワン・トリック・ポニー と私をつなぐキーワードです。


GAROの写真 ■ メンバー

(左から順に)
大野真澄 〜 1949年10月23日生まれ。愛称ボーカル。
堀内 護 〜 1949年2月2日生まれ。愛称マーク。
日高富明 〜 1950年2月22日生まれ。愛称トミー。


■ ヒストリー

私はリアルタイムのファンではないので、詳しいことはよくわかりません。当時の雑誌などを参考にしました。

1970.11

GARO結成。

「日比谷野音」を中心としたロック・コンサートで活躍。
C.S.N.&Y.のコピーが上手い実力派グループとしてロック・ファンから注目を浴びる。

「C.S.N.&Y.以上に上手かった。3人が織りなすあのハーモニーは抜群で、コピー・バンドだが、コピーを超えていたところが、なんともいえないほど魅力だった。」かまやつひろし氏談。

1971.10

シングル「たんぽぽ」で、レコード・デビュー。

翌月、メンバーのオリジナル作品でまとめられたファースト・アルバム「GARO」を発表。
当時では斬新であった変則チューニングを用いた高度なアコースティック・ギター奏法と抜群のコーラス・ワークは大きな反響を呼ぶ。

ミュージック・ライフ の’71年12月号の人気投票中間発表において国内グループ部門で第7位!

1973〜

プロの作家の作品によるセカンド・アルバム「GARO2」よりシングル・カットされた「学生街の喫茶店」が大ヒット、チャート1位を獲得。

以後、「君の誕生日」 「ロマンス」を連続ヒットさせ、’73年度レコード大賞大衆賞を受賞、NHK紅白歌合戦にも出場。

「学生街〜」以降、(なぜか)フォーク・グループと呼ばれるようになり、また、テレビへの出演とともにティーンの女の子を中心として大人気。(親衛隊も存在したらしい。)

1974〜

ハーモニー・ワークを重視した本来の音楽性を失い歌謡ポップス化して行くにともない、次第に人気も低下。

この時期のシングルA面の選曲には確かに疑問はあるが(私はB面の方が好き!)、アルバムにおいては良い作品を制作している。
特に、’74年5月に発表された「サーカス」は、サーカスをテーマにしたGARO初のコンセプト・アルバムで、 The Beatlesの「SGT.Peppers Lonely Hearts Club Band」の様だと評されている。

1975.12

グループとしての方向性を見失い、メンバー間の不仲もともなって、ついに解散。

1976.3

神田共立講堂で解散コンサートが行われる。


■ 解散後の活動

私が知っている範囲でまとめました。(他のアーティストに曲の提供もしていた様です。)

◆ マーク

デュオ・グループ”バースディ”を結成。その後、ソロへ。
ディスコメイトからソロ・アルバム「六夢」(’76年)、「MARK BRIGHT」(’77年)を発表。
その後しばらく音楽活動から離れていたが、’94年にはインディーズ・レーベルからアルバム「ウッド・ストックの夏」を発表。

◆ トミー

ハードロック・グループ”FIRE”を結成。その後、ソロへ。
ソロ・アルバム「Tommy」(’77年/東芝EMI)、「SECRET ZONE」(’79年/ワーナー・パイオニア)を発表。
’80年にはワーナー・パイオニアからロック・グループ”Ma・Ma.Doo!!”で再デビュー。
デビュー曲「Don’t Stop The Music」は文化放送「ポップティーン・ペストテン」のテーマ曲となる。
さらに、’81年発表「フルーツ・シャワー・レディー」は”81年夏のケンタッキー・フライドチキン”のCM曲としてオン・エアーされる。
’86年9月、他界。(涙)

◆ ボーカル

フォーライフからソロでデビュー。
シングル「悲しみを口ずさむ時」(’76年)「ラブソングはいらない」(’77年)「ダンディ」(’78年)を発表。
現在は、’00年にオーマガトキより「平凡なこと」という新譜を発表し、 ライブ活動も勢力的に展開しているようです。


■ リリース

コロムビア・レコードから発売されていたアナログ盤は、中古レコード店で入手できるようですが、後期の作品はなかなか見当たりません。 また、再発CDとしては、’98〜’99年にかけて、東芝EMIからアルバム全タイトルとシングル・コレクション(2枚組)が発売されましたが、現在は全て廃盤になっています。 しかしその後、’02年、ソニー・ミュージック・ハウスより、「GAROアンソロジー1971〜1977」(2枚組)が発売され、 このアルバムには、(何と!)解散後のソロ曲が各3曲ずつ収録されています。

★「GAROアンソロジー1971〜1977」の詳細はこちらからどうぞ。★
(MENUの「TOPICS」をご覧ください。)

◆ シングル ◆

  • たんぽぽ/一人で行くさ (’71.10)
  • <
  • 地球はメリーゴーランド/水色の世界 (’72.2)
  • 美しすぎて/学生街の喫茶店 (’72.6)
  • 涙はいらない/明日になれば (’72.10)
  • 君の誕生日/散歩 (’73.5)
  • ロマンス/二人だけの昼下がり (’73.8)
  • 一枚の楽譜/憶えているかい (’73.12)
  • 姫鏡台/僕は死なないだろう (’74.4)
  • ピクニック/西行き列車 (’74.7)
  • ビートルズはもう聞かない/惑 (’74.12)
  • 一本の煙草/吟遊詩人 (’75.5)
  • さいごの手紙/青春の旅路 ( ’76.1)

◆ アルバム ◆

  • GARO (’71.11)
  • GARO2 (’72.6)
  • GARO3 (’72.12)
  • GARO LIVE (’73.6)
  • GARO4 (’73.10)
  • サーカス (’74.5)
  • 吟遊詩人 (’75.6)
  • 三叉路 (’75.12)

残念ながら、著作権上の問題でジャケット写真はご紹介できません。ごめんなさい。


■ お勧めの一枚

GAROのアルバムで私の一番のお気に入りは、やはりファースト・アルバムの「GARO」
発表当時、玄人筋に反響のあったアルバムだけあって、ある意味ではマニアック。
ですから、初めてGAROを聞くみなさんには、GAROらしさが充分に感じられ、聞き易いサード・アルバムの「GARO3」をお勧めします。
次はぜひファーストを聞いてみてください。

「GARO 3」収録曲
  1. 涙はいらない (作詞・作曲/マーク)
  2. 愛の言葉 (作詞・作曲/マーク)
  3. オールド・ファッションド・ラプソディー (作詞・作曲/トミー)
  4. 心の鍵 (作詞・作曲/トミー)
  5. 時の魔法 (作詞・作曲/マーク)
  6. 一人にしないよ (作詞・作曲/トミー)
  7. 木馬 (作詞・作曲/マーク)
  8. 遠い春 (作詞・作曲/マーク)
  9. ディスカバー・ピクニック (作詞・作曲/ボーカル)
  10. 僕のすべて (作詞・作曲/トミー)
  11. 幸福 (作詞・作曲/ボーカル)
  12. 明日になれば (作詞・作曲/トミー)

まず、ジャケット写真は篠山紀信氏の撮影です。
トミーとマークがアコースティック・ギターを抱えて立っていますが、フォークではなく、まさにロック・グループという感じでとてもかっこいい! (お見せできないのが、とても残念!)

さて、このアルバムはすべてオリジナル作品です。マークとトーミーが5曲づつ、ボーカルが2曲提供しています。

マークは本当にすばらしいメロディー・メーカーです。
「涙はいらない」はとても美しいメロディー・ラインで、広がりのあるストリングス・アレンジとコーラスがとても心地よいです。
マークの曲の中でも名曲で、大好きな曲です。(なぜ、この曲が「学生街〜」より売れなかったのか不思議です。)
そして、「時の魔法」「木馬」はC.S.N.&Y.に通じるギターとコーラスがかっこいいフォーク・ロック系のナンバーです。
「愛の言葉」「遠い春」はマークの弾き語り。(「遠い春」はアルフィーがコンサートで歌ったこともあるそうです。)
マークのこのビブラードをつけた甘いボーカルが大好きです。(女子中学生の私は、まずこの声にダウンしました。)

トミーはキャラクター的に(笑)明るいポップな曲が多いです。
「オールド・ファッションド・ラプソディー」はThe Beatlesの「Maxwell’s Silver Hammer」に似た感じの親しみやすいナンバーです。
「明日になれば」もポップなナンバーで、コンサートでは盛り上がった曲だそうです。
「僕のすべて」はロック・バラード風。バックのエレキ・ギターの音が渋い!
そして、私がこのアルバムで大好きなのは、「心の鍵」「一人にしないよ」です。
私の勝手な想像ですが、トミーはこの頃、好きな人でもいたのでは?と思わせるほど、切々と歌っています。
特に「心の鍵」のトミーのハイトーン・ボイスは(しみじみと)良いですねぇ。後半のコーラスも美しいです。

ボーカルはこのアルバムから曲を提供しています。
「ディスカバー・ピクニック」「幸福」の2曲です。
ボーカルのリード・ボーカルは二人の声質とまったく異なり、低音で男っぽいです。
曲作りにおいては、まだ二人に追い付いていないと思いますが、GAROのあのインパクトのあるハーモニーは、ボーカルの低音がなかったら、絶対に作り出せなかったと思います。

全体的にファースト・アルバムに次ぐ名盤だと思います。
少し大袈裟かもしれませんが、GAROほど力強く、美しく、そして繊細に、生ギターの音色とハーモニーを作り出したグループを私は他に知りません。


■ GAROとの出会い

おねーさんが描いたGAROのイラスト

思い入れが強くて感傷的な(しかも長い!)文章になっていますが、許してくださいね。

GAROが人気絶頂だった昭和48年当時、私はまだ小学校3年生。
フィンガー5のアキラくんが大好きな、ごく普通の子供でした。(その後は「ベルばら」に走った私...。)
当然、GAROに感心があるはずもなく、テレビには結構出ていたはずなのに、全く記憶がありません。
ただ、「学生街の喫茶店」は大ヒットしただけあって、曲だけは何となく記憶に残っていました。

そんな私が、再びGAROと出会うのは、中学校2年生の時。
音楽好きな友達がいて、よくその友達がレコードを貸してくれたのですが(デビュー間もない長渕 剛なんかも貸してくれたっけ。)、 その中のひとつが「ガロのすべて」という2枚組のベスト盤だったのでした。
このレコードを聞いた時、「学生街〜」で抱いていたGAROのイメージが一瞬に吹き飛んでしまいました。

「たんぽぽ」の一遍の詩のような歌詞。
「美しすぎて」「涙はいらない」「地球はメリーゴーランド」のきれいなメロディー・ライン。
「暗い部屋」「時の魔法」の圧倒されるハーモニーとアコースティック・ギター。

それは、私が今までに聞いたことのない日本の音楽でした。(歌謡曲と宝塚しか知らなかったもので。)
私は、即、テープにダビングし、毎日のように聞いていました。(受験勉強をするときもGAROはかかせなかったなあ。)
でも、すでにGAROは解散。
街のレコード店では彼らのレコードを見かけることもなく、もう過去の人達となかばあきらめかけていた高校1年生の時、トミーの再デビューを知ったのでした。

それは、当時、「ポップティーン・ベストテン」という音楽番組がラジオでやっていて、その番組のテーマ曲が、 Ma・Ma・Doo!!「Don’t Stop The Music」だったのです。
気になる曲ではあったのですが、最初はトミーとは気付かず、この番組にゲスト出演した時に、あのトミーだと知り、私はもう狂喜乱舞。
即、ファン・クラブに入会し、トミーのライブ活動だけは把握できるようにしていました。
(でも、私は田舎の高校生だったので、夜の東京のライブ・ハウスに行くことは親の許可が出ず、結局一度もマ・マ・ドゥは見られなかった...。)

それから、「失速−ガロが燃えつきた日」(立風書房出版/富澤一誠著)という本が出版され、 彼らがC.S.N.&Y.のコピー・バンドだったことを知り、C.S.N.&Y.を聞き始めたのもこの頃でした。
(これが、私がフォーク・ロックをはじめとする60〜70年代の音楽を聞くようになったきっかけです。 でも、当時の私は、洋楽と言えば、Bay City Rollersが大好きだったので、最初はかなり難解でした。)

トミーの再デビューで(残念ながら、マ・マ・ドゥの解散は早かった...。)、私にとってGAROが過去のものではなくなり、廃盤になっているレコードを捜し歩き、 そして、いつかトミーのライブに行くぞ!とライブ・ハウスのチェックをずっとしていた専門学校1年生の時、再び、狂喜乱舞することが!
それが、江古田「マーキー」でのGARO再結成ライブでした。

再結成のライブは’83年7月7日と9日の2回行なわれました。(私は9日に行きました。)
残念ながら、トミーとマークの二人だけのライブでしたが、初めて、レコードの中ではないGAROを見て、言葉では言い表せないほど感無量。長い間の夢がかなった瞬間でした。
(この時に演奏してくれたBadfinger「Maybe Tomorrow」がとても印象深いです。 GAROがまだデビューする前、二人の時によく歌っていたそうで、メロディーがとても美しい曲です。)

この復活ライブの後、GAROとして4〜5回のステージをふみ、それぞれソロでもライブ活動をしていましたが、 忘れもしない’86年9月19日、トミーが事故で亡くなり、GAROの復活は永遠にかなわない夢となったのでした。
(巷では自殺となっていますが、トミーはお酒が大好きだったので、酔った上での事故だと私は思っています。)

トミーが亡くなった時は、悲しくて、悲しくて。
でも、音楽は残っていく。GAROのレコードを聞けば、いつでもトミーを思い出すことができます。
私は今でもGAROが一番大好きだし、音楽っていいものだと教えてくれたGAROにとても感謝しています。

★ イラスト: ケーコさん ★
■ 思い出の記事

● マ・マ・ドゥのデビュー記事。(クリックしてください。)

当時、偶然に新聞の芸能欄で発見しました。
とても意欲満々な様子がうかがえるインタビューです。
でも、結局、アルバムは発表されずに、シングル2枚を残して解散してしまいました。(涙)
(レコーディングはしたらしいです。メーカーさん、CD化してください!!)

マ・マ・ドゥのファンクラブ会員証
(← マ・マ・ドゥのファンクラブ会員証。私の番号は1032番でしたが、1000人会員がいたのかは謎。)


■ ワントリとの出会い

彩文さんが描いたGAROのイラスト

ワントリのメンバーと出会うきっかけとなったのは、そう、GARO再結成です。

’83年7月、再結成ライブの前売りを「マーキー」に買いにでかけた時、お店で偶然出会ったのが、MEWさんでした。
そこで少し言葉を交わし、MEWさんもGAROが好きだと知った時、私はもう、うれしくて。
それまで、GAROが好きだという人に出会ったことがなく、一番最初に出会ったGAROファンだったので、ある意味で、MEWさんは、私にとって特別な存在でした。

そして、この再結成がきっかけでファンの会ができ、彩文さん、MEWさんそして私も入会。
彩文さんはスタッフとして会報作りに携わり、一方、私は購読するだけの幽霊会員で、彩文さんの存在だけは知っていました。

彩文さんと初めて会ったのは、’85年12月、東銀座の「パレス・ビート」というお店にトミーのライブを見に行った時、ファンの会のUさんに彩文さんを紹介されたのでした。
でも、その時はあまり言葉を交わさず、何となく近寄りがたいイメージだったので、しばらくは避けていました。(彩文さん、ごめんね。)

そして、 ’86年9月、マークのソロライブの後、ファンの会の面々で集まる機会があり、 その時に、皆に誘われて、彩文さんがその当時活動していた「Free Freaks」というバンドのライブに行くことになりました。
初めてそのライブを見た時、アコースティック・ギター&ハーモニーのかっこいい曲ばかりで、GAROが好きな私には、とても感動的でした。
この時から、私は彩文さんの作る音楽が大好きになり、今に至っています。

出会いって、不思議なものです。
GAROとの出会いがなければ、素晴らしい音楽達にふれることもなく、彩文さんとMEWさんをはじめとする音楽の仲間達と出会うこともなく、私の生活はまったく違ったものになっていたと思います。

★ イラスト: 彩文 透 ★
←GAROを「もっと知りたい!語りたい!」という方、マーク、ボーカルの現在の活動を知りたい方は、こちらのサイトへどうぞ!

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