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Tomokatsu Onuki
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  出身:茨城県常陸大宮市

大学卒業後、約4年間のサラリーマン生活を経て、一大決心。青年海外協力隊に参加。
 
                    

青年海外協力隊参加に至る経緯

時期 状況と心境
中学時代  3年生の時、英語の教科書に協力隊の話があり、その存在を知る。特にこれといって将来の夢が明確でなかった僕は「自分のやることが人の為になるというのはうれしいかも」と単純に感動。卒業文集の”将来の私”の欄には「青年海外協力隊に参加して活躍しているだろう」って書いてた。
大学時代  受験や大学生活の楽しさから、しばらく協力隊のことは頭から離れていた。就職活動と同時にまた沸々とその思いがよみがえり、いろいろ調べてみる。しかし自分には何の経験も技術も無く、更に協力隊活動が終わった後にはまた就職活動をしなくてはならないこともあり、夢がしぼむ…この時点でまだ自分が社会に出てひとりでやっていけるのか全く自信が無かったのである。
社会人  地元企業に就職。しかし程なく東京支店に転勤。独り暮らしも東京も、仕事も慣れなくて辛かったなぁ・・・ただ、辛さから逃げ出すようなことは絶対したくないという意地みたいなものは強くて、とにかく必死に仕事に打ち込む。約4年が過ぎる頃、だんだん仕事もやりがいが出てきた。俺はちゃんとやっていける!という自信が自分でわかるようになってきた。と同時に、自信が無くて諦めていた協力隊のことを思い出したのである。気持ち的にも年齢的にも今しかないと、職場には迷惑をかけるのを承知で退社。応援して下さった皆さん、こんな場ではありますが御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
退職後  実は、協力隊に合格する前に退職。退職後すぐの協力隊試験は…不合格。正直、社会経験もあるしすぐ受かると思ってました。相変わらず甘い僕。退職しているし年齢も受験者の中では決して若い方ではない。受験職種も本当にコンピュータ技術で合格できるんだろうかと悩みもした。PC扱っていたといっても営業だったからプログラミングできるわけでもないし。とにかく、合格したい一心で半年先の試験に向けてシスアドの資格を取ったりTOEIC受けたり、体を鍛えたりと夢中だった。貯蓄も減ってきていろんなバイトもしました。単発・警備員・電話帳の配達etc…(^_^;)
協力隊合格  2度目のチャレンジ、15年春募集にて何とか合格。しかし、訓練が始まるのは3ヶ月先…その時点でジャマイカ派遣と要請内容は分かっていたので、英語とコンピュータの勉強を続けながら、パートに出ました。家屋のシャッターを作る工場で流れ作業。スーツが恋しいなーなんて思いながら油まみれで夜勤もしたけど、何やっても辛くなかった。夢があるってのはこういうことなんだと初めて感じました。それから、退職してから協力隊の訓練が始まるまでにも多くの人と出会い、話し、本当に勉強になった。サラリーマン時代、世の中のいろいろなことを知ったつもりでいたけれど、まだまだだなと実感した。この期間も僕にとってはプラスです。
技術補完研修 H14年12月 約3週間の専門技術の訓練が仙台にて行われる。15年度3次隊コンピュータ技術の職種で派遣予定の31名が参加。みんないろいろな経歴の持ち主ばかりで面白い。僕はといえば、技術の幅の無さに悪戦苦闘…
派遣前訓練 H15年1月〜3月までの79日間、長野県駒ヶ根市にあるJICA訓練所にて大洋州・中南米派遣予定の161名が合宿制の訓練に参加。年齢も23〜max39歳まで、全国からそれこそいろんな経験や技術を持った人たちが集まった。朝から晩まで、語学と異文化・国際協力に関するさまざまな講義を受ける。予防接種もたっぷり10本打たされました。独特の空間だ。人生でこんな経験もすることもないなと思わせる濃密な79日間でした。しつこいくらいに書きますが、勘弁して下さい。例えば、訓練の合間に長野の雪景色を見ながら缶コーヒーなんぞを飲んでいる時、がんばっている自分に、夢の真っ只中にいる自分に酔ってしまうんです。そして、これ本当に、なんて表現すればいいのかな〜ものすごい充実感というか感動に、頭のてっぺんからつま先まで占領されて、全身から力が湧き出てくる。言葉にするとオーバーだけど、生・き・て・い・るーって感じです。バカだなー俺。でも最高の贅沢ですよこれ。
ジャマイカ派遣 参加を決意してからこの日が来るまで1年半、本当に長かった…。やりたいことをやるというのは大変なものだ。協力隊員になれたことで僕の夢の半分は叶った。あと半分はここからの2年間。じっくり堪能してやろうじゃないの!!!


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