2001/07/29アップ
革マル派は,機関紙『解放』誌上において,97年6月ごろより「神戸事件は権力の謀略である」との視点のもと,少年Aの冤罪説を展開,その謀略論はともかく,警察発表の矛盾を抉った数々の指摘が世論を震撼せしめたことは周知の通りです。
この少年の自筆原稿についても,『FOCUS』誌掲載直後の『解放』1510号及び1511号の「シリーズ『A少年供述調書のインチキ性を暴く』」第3回と第4回で「見よ,筆跡の違いは歴然!」として大々的にその相違点をえぐり出しています。他のマスコミ各紙がしり込みする中,まったく独走状態の独自性と言ってよいでしょう。ここでは両号より指摘のポイントを抽出させてもらいました。【革マルさんにはおことわりしていません…ま,いいっすよね,そのへんお互い様だから(笑)】
なお,ここでも革マルの指摘を参照するまでもなく,少年の審判を決定した神戸家裁決定の第四項目において,「当時、警察で集めた証拠の中で、筆跡鑑定は最も証拠価値が高い位置にあったところ、科学捜査研究所が上記声明文の筆跡と少年の筆跡とが同一人の筆跡か否か判断することは困難であると判定した」と指摘されていることについてはすでに御承知の通り。また,神戸大学の魚住和晃教授は,著書『現代筆跡学序論』(文春新書)において,
「事件は一応の解決を見たが、いまだに私に釈然としない問題が残っている。それはいわゆる少年Aの逮捕後、少年Aが小学五年生のときに書いたという文集の字を見せられたのだが、確かに共通点はあるものの、……この文集の文字からは、私の判断基準からすると、たやすくは同一筆跡とはしがたい。……少年Aの筆跡は、同一人物の筆跡が精神的なアクシデントによってかくまで変りうるものかと思われるまでに、傷ましく衝撃的に反映したものであった。これは既に私の即事の判断力を越える境域にあり、今後の筆跡学における重要な事例となることであろうし、学理的に精密に考究されなくてはならない」(同書220頁)
として,別人物という結論にまでは踏み込んでないものの,やはり「かくまで変りうるものかと」驚いて「たやすくは同一筆跡とはしがたい」ことを認めています。
なお,下に述べられているように,革マル派は「バモイドオキ神」のノートについては,逮捕後に警察の強要によって書かされたものと見ています(理由も詳述されています)



A少年の「ゆるやかな曲線」と「犯行声明」の「直線」
〃「三年生になって」というA少年の作文の筆跡は、漢字も平仮名も、ゆるやかな曲線で書かれている。それは、漢字も平仮名も直線で書かれている「第二犯行声明」の筆跡とは明らかに異なっている。もちろん権力は、「第二犯行声明」はA少年が筆跡を隠すために変えて書いたものだ、とすることによって辻棲を合わせてはいる。とはいえ、筆跡は、とりわけその文字にあらわされている絶対的個性は、その個性を意図的に隠そうと思ったとしても、簡単に隠せるわけではないのである〃
「ごんべん」、「さんずい」「つめかんむり」「つ」「自」について
〃このようにA少年の肉筆文字の漢字の各部首の筆跡は「犯行声明」文のそれとことごとく異なっているのである。このことはA少年の漢字の書き癖が、「犯行声明」を書いた者の漢字の書き癖とまったく違うということである。
「犯行声明」を書いた者は、ハネのない直線で漢字を書くことによって、筆の運び方の過程がはっきりしない字を、かつ日本の初等教育を受けた者がふだん、筆記する時に書く楷書体ではない字体の字を書いているのであるが、これにたいしてA少年は、はっきりと楷書体のくずれた字を、筆の運び方もよくわかるように書いている。実際、A少年の書いた「ごんべん」「さんずい」「つめかんむり」「つ」「左払い」は、すべてくずれた楷書体に特有の特徴をしめしている。
それにたいして、「犯行声明」文の漢字の「さんずい」や「ごんべん」「つめかんむり」などは、楷書体に特有の字の形状と著しく違っており、したがって奇妙な筆の運び方をしめしているともいえる。このように、「犯行声明」を書いた者の漢字の書き癖が、A少年にはまったくないのである〃
〃「犯行声明」では「子」と「何」という字が、普段書かない奇妙な形の字で書かれている。
この字についてもA少年の筆跡はくずれた横書体の特徴をしめしている。A少年のこの「子」という字の筆跡は日本で普通の初等教育を受けた者のそれである。
ところが、「犯行声明」を書いた者は、日本の初等教育で習う「子」という字の書き方を知らないのではないかと思われるのだ。そうであるからこそ、パソコンの画面上のゴシック体の「子」のハネをとった字を写して「犯行声明」を書いたに違いないのだ。
同様に、「何」という字について、「犯行声明」を書いた者は、この「何」という日本語の文字が「にんべん」と「可」とで構成されていることを知らないのだ。そうであるからこそ、パソコン画面上のゴシック体の「何」という字を、その形を写しとるときに誤って、「何」の三画目の横棒の右端を出さずに書いてしまったにちがいない。およそ日本語を知らないとしかいいようのないこのような漢字の書き方やまちがいは、A少年にはまったくない。彼は「何」という字を「にんべん」と「可」をわけて、正しく楷書体で書いており、「犯行声明」の字のような間違いをしてはいないのである。
そもそも日本で初等国語教育を受けた者であれば、漢字の書き順、筆の運び方、漢字の形、漢字の構成について、筆記する場合の書き方は楷書体で身についており、漢字を書く場合の癖になっているのである。したがって、たとえ直線で漢字を書いたとしても、この楷書体の書き方の癖が出るものであり、「さんずい」を直線で書いても、二画目が長めの水平の棒になるようなことは絶対にないのである。A少年もその例外でないことは、A少年の「作文」や「日記」の筆跡を見れば明らかではないか。〃
「犯人は驚くほどていねいに字を書いており、筆跡を隠すつもりもないようだ、全体に真剣さと恐ろしいほどの気力が込められている」(神戸大魚住教授・九七年六月七日付「産経新聞」)
A少年の筆跡にはこのような「気力」がない。
「一定の大きさで、スタンプで押したように一千字以上の文字を崩さずにつづけることは、……十年以上、筆耕などで訓練を重ねた熟練者であっても難しい」(九七年六月二十四日付「産経新聞」)
〃筆耕の訓練をうけていないA少年が、自分の筆跡の癖を隠して「犯行声明」文の独特の字を書くのは不可能なのである。 このような、筆跡の違いや、筆耕技術の問題を、マスコミはまったく考察せず、許しがたいことにA少年を神戸事件の「犯人」にしたてあげるために警察権力がリークした情報を鵜呑みにし、たれ流し、A少年に「犯行声明」を書くことができ、また書いたかのように印象づけるための悪宣伝をこれまでおこなってきたのである。〃
〃そもそも、「検事調書」によるならば、四日間の日記風のメモからなるA少年の「ノート」は、「平成九年六月二八日付、司法警察官押収」のものとされている。つまりA少年が逮捕された昨年六月二十八日当日の家宅捜索で押収したものとされているのだ。だが、はたしてそうなのか。わが同盟がすでに暴きだしてきたように(本紙第一四九一号)、この「ノート」=「犯行メモ」は、実は、取調官が密閉空間の中でA少年を誘導して書かせたものにちがいない。そのことは、この「ノート」じたいが〃供述調書〃もどきのものであることに如実にしめされているのだ。〃
〃一例をあげれば、「あらかじめ用意していたハンマー」という叙述がそれである。事前に「ハンマー」をもっていたことをわざわざ説明させることを企図した取調官の誘導の痕跡がそこに見いだせるのである。このような文章が随所に出てくるのだ。
第二に、「ひどくつかれていたようなので、そのまま夜までねむりました」という文章にしめされているように、臨場感がまったくないのだ。殺傷事件をひきおこした当の本人ならば興奮して眠れなくなってもおかしくはないにもかかわらず、まるで他人事のような文章なのである。
第三に、「愛する〃バモイドオキ神〃様へ」の「神」に、わざわざルビ(「しん」)がふってあるのだ。これは「バモイドオキガミ」ではなく「バモイドオキシン」と読むべきことを他者に説明するためのものにちがいない。私的な「日記」にわざわざルビをつけるわけがないではないか。
第四に、A少年自身の「日記」であるならば決して間違えるはすのない誤りをおかしているのだ。すなわち、「供述調書」に添付された「H9・3・23」の「メモ」では、「朝、母が『かわいそうに、通り魔におそわれた子が亡くなったそうよ』と言いました。新聞を読んでみると、死因は頭部の強打による頭蓋骨の陥没だったそうです」と記されている。だが、彩花ちゃんが死亡したのは、三月二十三日の十九時五十七分であり、このことが新聞に報じられたのは翌三月二十四日の朝刊においてなのである。〃
〃A少年が新聞を読んだという日は、二十三日ではなく、二十四日でないと辻つまがあわないことに、気づいた検察官は、これを訂正するための茶番的な問答をおこない、少年に「僕自身、三月二四日の新聞を読んで、その日に書いたのですが、僕はその日がてっきり三月二三日だと思い込んでいた」などという言い訳を「供述」させているのだ。
だが、検察官が右のように取り繕ったことが、実はより深刻な破綻を招いているのだ。なぜなら少年の一家が当時購読していたのは「朝日新聞」であり、この「朝日新聞」の三月二十四日の朝刊では、彩花ちゃんの死因を「頭部骨折による脳損傷」と報じていたのだ。
ところが、自宅の「新聞を読んで」彩花ちゃんの死因を知ったはずのA少年が、なぜ新聞に報道されている「頭部骨折による脳損傷」ではなく、「頭部の強打による頭蓋骨の陥没」と表現したのか。しかも新聞に書かれていない表現で・そして警察広報と見まがうばかりの警察用語で「日記」を記さなければならないのであろうか。
まさにこの「死因」の記述こそは、「実験ノート」が取調官の誘導に元ずくデッチ上げであり〃供述調書〃まがいのもの以外のなにものでもないことを立証しているではないか。〃
〃「供述調書」によるならば、検察官がA少年に「ノート」をしめし、その内容について取調べ供述をとったのは七月二十一日とされている。ところが、「朝日新聞」がA少年の「犯行メモ」なるものを.大々的に報じたのは、その二日前の七月十九日のことなのである。
思い起こしてみればわかるように、A少年を無理やり逮捕したものの物証もなく、「A少年=犯人」説にたいする疑問が社会的に広まりつつあった、まさにその時に、「朝日新聞」の〃スクープ報道〃がなされたのであった。そして、この「犯行メモ」は、「襲撃の手口やその際の心理を克明につづっている」と称して、あたかもA少年が三月十六日の通り慶事件の〃犯行〃をみずからメモした〃物証〃ででもあるかのように、かつまた、五月二十四日の淳君殺害の「犯行動機」の傍証ででもあるかのようにおしだされ宣伝されたのだ。このことに、「犯行メモ」をリークした国家権力の狙いと朝日新聞の反動的役割が明らかになっているではないか。すなわち、検事による〃裏付け〃をも無視したということは、より〃高いレベル〃で、つまりは神戸事件を演出したアメリカ権力者の諜報機関や日本の権力内謀略グルーブの直接的指示のもとにリーク報道が仕組まれたにちがいないのだ。そして彼らの指示を受けた朝日新聞は謀略的権力犯罪を隠蔽し「A少年=犯人」説をプロパガンダするために、権力があらかじめ作っていたシナリオの一部を、すなわち、三月十六日の女児殺傷を立件するために事後的にデッチあげた「犯行ノート」なるものを、先取り的に掲載したというわけなのだ。
このように、国家権力は神戸事件が謀略的権力犯罪であることを隠蔽し、なにがなんでもA少年を「犯人」に仕立てあげるための情報操作に狂奔したのだ。そして権力者の意をうけて「実験ノート」なるものをさもさもらしく報じたのが「朝日新聞」なのである。まさに、かつて「日本のプラウダ」などとやゆされた「朝日新聞」は、こんにちでは〃日本のVOA〃になりさがったのだ。〃
〃それだけではない。国家権力内の特定部分がリークし「朝日新聞」が報じた「犯行メモ」なるものには、実は、「A少年=犯人」説を流布するために姑息な細工=偽造が施されているではないか。
「朝日新聞」は昨年七月十九日の朝刊で、「心の闇垣間見える記述」などと称して、「犯行メモ」なるものを掲載した(「愛する『バモイドオキ神』様へ」という書き出しで始まる「H9・3・16」「H9・3・17」「H9・3・23」「H9・5・8」の四日分の日記風のメモ)。
他方、今回『FOCUS』では、少年の肉筆とされる「ノート」の写真(「H9・3・16」付の一頁分)が初めて掲載された。これは、『文藝春秋』に掲載された「平成九年七月二十一日付供述調書」の末尾に添付された「日記兼実験ノート」と文章内容は同一のものである。ところが、「朝日新聞」が昨年七月十九日に掲載した「犯行メモ」なるものは、明らかにこれら二つの「ノート」とはその文章表現においても、表記の仕方においても微妙に異なるのだ。〃(対照表参照)