「プロファイリング」専門家,ロバート・K・レスラー氏については事件直後に『ザ・ワイド』で放送されたインタビューがあまりにも有名で,それがまだ30代男性説が主流だった時期に少年説を示唆していたため,革マル派の陰謀論的疑惑の標的になったりもしたのですが(笑),実は同氏はもう一つプロファイリングを発表していました。いまは休刊した雑誌『BART』の97年No.13号で「神戸小学生殺人事件、「混合型」殺人鬼の正体。」と題したものです。神戸新聞に第2挑戦状が送られた後,少年逮捕の少し前,6月20日ごろ発売のようです。(インタビューは6月10日ごろか)
ご覧いただきますように,死体に特徴的な意味を刻印しようとしたのではないかという点に着目した,非常に興味深い分析になっています。先の『ザ・ワイド』のものとは少しトーンが違いますね。私はむしろこちらの分析の方が面白いと思いました。
またここで興味深いのは,犯人が身体部分に性的加虐行為をしていない点に着目して,「性衝動説」「快楽殺人説」をとってないことですね。これはかの「小田晋」はじめとする日本の数多くの亜流と違い,さすがによく観察してる,説得力あるなという感じがしました。ただしこの「説得力」が,逆に「予断」の温床にもなるのですが。
さらにもうひとつ注目しておくべきは,映画『セブン』への言及があることですね。確か『セブン』の日本公開は96年だったと思うので(確認中),神戸事件の犯人が見て参照することは可能です。『セブン』ではキリスト教の「七つの大罪」にそれぞれなぞらえた連続殺人事件が起こりますが(レスラーは「SCOOL.KILL」をこのメッセージだと取っていますね),『神曲』煉獄編の「煉獄山七つの大罪」が犯行解明のヒントになってました。
ここで思い出されるのは怪文書「懲役13年」の『神曲』言及です(おや,『朝日』がこんなこと書いてるぞ)。
あの怪文書については,さまざまな状況証拠からどうも少年逮捕後にだれか別人が創作したらしいというのは以前に示唆しましたが,もし書いた人物が「マスコミジャンキー」で,事件についていろんなマスコミ報道を参照しながら書いてるとするならば,たぶん『神曲』の引用はこの『BART』の記事に影響されたんじゃないでしょうか。怪文書作者はたいへんなレスラーファンですね(笑)。
『BART』1997年No.13号
神戸小学生殺人事件、「混合型」殺人鬼の正体。
元FBI心理分析官ロバート・K・レスラーが緊急分析!!
現時点での種々錯綜した情報の中、完壁なプロファイリングをすることは難しいが、いくつかの判断はできる。
通り魔との関連性
まず淳君殺害に至るまでの犯人の行動であるが、3月16日に発生した少女殺傷事件並びに猫殺しと本件との関連性は非常に高いと言える。通常、このタイプの殺人者はいきなり人間を襲うということはまずない。最初は小さな行為から始め、それが徐々にエスカレートし、ついには人間をターゲットにするのが我々の長年の調査から得た結論なのだ。
(中略)
非快楽殺人事件
次に犯人が作りだした現場状況を分析すると、彼は中学校の校門に頭部、タンク山に身体を残している。特に頭部には多くの役割を担わせており、正面を道側に向けたのは社会に対し強烈なショックを与えることで自己の存在を刻み込ませようという強い意志の顕れであり、遺体のロに声明文を挟み込んだのは、自分のメッセージを犠牲者に語らせているのだという歪んだ妄想表現と言える。
ここで忘れてならない重要なことは警察が情報を隠しているのでないとすれぱ、この犯人が身体部分に性的加虐行為をしていないという点にある。一般に快楽殺人者は性的快楽のために人を殺すので殺害行為の前後最中を通じ、犠牲者には性的加直行為が加えられるのが常だ。それゆえに肛門や性器が傷つけられていないか、咬傷痕はあるのか、さらに犯人の精子が遺体並び周辺に存在していないかなどが犯人像を分析するうえでの重要なポイントとなる。快楽殺人者はこのような行為をすませた時点で原動力となった性的欲求から解放されるため、死体を隠すことはあっても、あえて遺体の首だけを切断し、別の場所に持ち運んで晒すなどという行為には及ばないものだ。この部分を見てもこの犯人が抱くファンタジー(妄想)は殺人行為の中には存在しないようだ。彼にとっての一連の行為は世間の注目を集めるための手段にすぎない。ゆえに純粋な意味での快楽殺人者という分類には組み込みにくい。
犯行ゲーム
また彼が残した2通の声明文からも自己主張への過剰で激しい悶えが窺える。まず声明文自体が警察への椰楡や挑戦に満ちている点だが、これは彼が犯行をゲームのような感覚で捉えている証拠としてよいだろう。彼は社会において最も力強い警察へ挑戦し、キリキリ舞いさせてみせる、それだけの力を持っているのだぞと宣言しているのだ。まったくバカげた妄想だが、このような妄想に興奮し耽溺するタイプは往々にして実生活では逆の状況に置かれている場合が多い。「積年の大怨に流血の裁きを」という部分は彼が長年、社会から不当に扱われてきたと感じ、これからその復讐を始めるという意味であり、「汚い野菜どもには死の制裁を」というのは自分が行う行為は社会にとって重要な意味を持っているのだというアピールである。
「SCOOL.KILL」がスクールキルだとすれば、私はこれを彼が自身の犯罪に付けたネームタグのようなものだと感じている。彼はこれをタイトルにしようとしているのではないか、たとえば次に図書館前に首を置けば「LIBRARY.KILL」、神社を選へば「SHRINE.KILL」といった具合だ。
『セブン』という映画では7つの殺人のすべてに意味があり、「大食」での犠牲者は証拠の一部を飲み込まされていた。私は彼が『コピーキャット』やこれら連続殺人の映画や本から殺人のファンタジーを抱いたのではないかと疑っている。口にメッセージを残したのはこれらの影響ではないのか。となると彼はすでにいくつかの連続殺人計画を練り上げているということになり、またその行為は自身が見聞きした実録犯罪譚をなぞるという、まさに現実のコピーキャットを地で行く可能性がある。
声明文にゾディアック事件との類似性が見られるのもこの根拠となるであろうし、彼がゾディアック事件を知っていたことは疑いがない。
(中略)
透明な存在
(中略)
「なぜボクは殺しが好きなのかわからない」などの文言があるが、これをそのまま鵜呑みにしてはならない。前述のとおり、この男の目的は社会にショックを与えることであって殺人にはない。この文章も単に世間の注目を浴ぴたいだけの芝居で彼は言うほど殺人を楽しんではいない。また小児性愛者でもないだろう。彼が子供を狙ったのは自分より弱い者しか相手にできなかっただけで、子供しか殺せない幼稚な犯罪者ではないなどという文句は逆に自身の非力を十分に理解しているがゆえの見栄なのだ。
(中略)
混合型殺人
彼はまだ神戸近郊にいるはずだ。犯行後、何食わぬ顔で日常生活を送りながら実際はマスコミ・ジャンキーとなって新聞のスクラップやTVの録画をしているだろう。注目されることに酔っているのだ。そしてこれをキープするため次の犯行に及ぶ。少女殺傷事件と同一犯ならば今後45〜60日の間にそれは起きる可能性が強い。警察は過去3年以内にあの地域で発生した器物破損や住居侵入事例を洗い直し、また犯人が義務教育・中学校に強い興味をもっていることなどから地元の周辺学校の全職員・卒業生にインタビューして情報を収集することだ。おそらく犯人は10代から20代後半までのひとり暮らしか、年老いた母親と同居しているのだろう。父親はいないか、まったくその役割を果たしていない人間のはずだ。
タイプとしてこの男は権威殺人犯と言ってよいだろう。権威に対抗するために殺人を犯す者は大量殺人に走るものだが彼は連続殺人を画策している可能性がある。しかし、一般の権威殺人者に見られる性的要素がないという珍しいタイプ。淳君殺害の手口も無秩序型とも秩序型とも言えないその中間の混合型殺人なのだ。私もあまり見たことのない殺人だ。
(後略)
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