2002/08/05改訂版アップ

神戸事件初期報道検証ページ

〜死体遺棄の状況・検察調書と目撃証言のくい違い


それにしても、マスメディアは無責任である。膨大な数の取材陣を神戸に投入して、犯人は中年男であると断定して報道したのに、警察が逮捕した被疑者がローティーンの少年だったと知るや、少年を犯人と決め付けて警察のリークを垂れ流した。「黒いビニール袋を持った中年男」というプロファイリングは、いったいその後どうなったのか。相変わらずの無節操さである。
私は神戸事件の真相は未解明だと思っている。A少年と被害者の小学校六年生との交友関係、頭部の切断方法、凶器の種類、頭部を一時置いた穴、流れた血の処理、犯行声明文を書いた時間などでこれまで報道されなかったことや報道された事実と食い違う点が多い。

同志壮大学教授・浅野健一氏(安倍治夫・小林紀興編『真相』早稲田出版より)

1997年の神戸小学生殺害事件における初期報道の映像から,目撃証言と『文藝春秋』98年3月号に流出した「検事調書」とのくい違いをつきあわせてみました。
各マスコミはこのような事をいったん伝えておきながら,少年逮捕後は完全に忘れ去ったかのようです。
ここにいまいちど当時の報道を再録しておく必要性があります。


検証ページその2へ検証ページその3へ
文藝春秋1998年3月号掲載少年検察調書より抜粋


【注意】
映像は「ストリーミング」ではありません。ローカルディスクに全部ダウンロードしてから再生します。ダウンロードが終わった瞬間,一瞬音声が途切れることがありますが,プラグインのコントロールで再度再生を押すと繰り返し見られます。
enbedタグでムービーオブジェクトをインライン再生できるブラウザを御使用ください。
MPEG-1ムービーはリンクを開くと同時に再生がはじまります。
.mpgはいわゆるヴィデオCD規格ではありません。再生はQuickTime5.0以上およびQuickTimeプラグイン,またはWindowsMediaPlayer7.0以上が必要です。
このソースは山下の個人所蔵のビデオからのものです。(一部に他の方から提供頂いたソースがあります)
当ソースは「海賊版」でありまして,引用に当たっては「報道・研究・批評を主目的とする引用」ということで確信犯的に引用させていただいておりますが,ライターあるいは研究者の方で商業メディアにこれらの報道の問題を取り上げられる際には当ページのソースの二次的利用ではなく,各放送局から原ソースをもらってください。出典は全て明記してあります。また閲覧された方々におかれましては,ソースは「個人の研究に供するための使用」に限定されたし。

1.1997年5月29日TBS『ニュースの森』より(MPEG-1ムービー2496kb)

97.05.29『ニュースの森』その1プレビュー画像

被害少年の頭部が置かれた時刻が午前5時10分から30分までの短い間であることを複数の目撃者の証言から推定している。
少年Aの供述では「5月27日の午前1時から3時までの間に」置きにいったことになっており,これは「午前5時10分には首はなかった」という新聞配達員の証言と矛盾する。

拡大画像:その1 その2 その3 その4 その5

2.1997年5月29日TBS『ニュースの森』その2(MPEG-1ムービー988kb)

97.05.29『ニュースの森』その2プレビュー画像

1に続けて,頭部の位置が移動している事を二人の目撃証言から指摘。少年A逮捕前はこれが各マスコミの共通了解事項で,5/29〜6/2のあいだに各新聞社で報じられている。目撃した二人の方が互いに面識無く,かつ警察リークの間接情報ではなくマスコミに直接語っていることに注意。
98年に安倍治夫・小林紀興編『真相〜神戸小学生惨殺遺棄事件』(早稲田出版)がまとめられたときにもこの目撃者の方は安倍・小林両氏の調査に立ち会い,現場で場所を直接示した。
「5月27日の午前1時から3時までの間に」置きにいった少年Aの供述では,5時30分から6時30分のあいだにこのように首の位置を頻繁に動かすことは不可能。

拡大画像:その1 その2 その3 その4

3.1997年6月2日日本テレビ『ザ・ワイド』「正門前」(MPEG-1ムービーその1・1486kb その2・1032kb その3・1449kb)

97.06.02『ザ・ワイド』「正門前」その1プレビュー画像

97.06.02『ザ・ワイド』「正門前」その2プレビュー画像

97.06.02『ザ・ワイド』「正門前」その3プレビュー画像

これは興味深い映像なので,注意深くご覧になってください。
逮捕当時の少年Aの身長は160cm強であるといわれてるが,ほぼ同じぐらいの身長と思われる女性レポーターが正門の高さをメジャーで測るところで,手を伸ばしても届かないぐらい正門は高い。大きさを比較してみてください。

拡大画像:その1 その2 その3

4.1997年6月2日日本テレビ『ザ・ワイド』「犯人は背が高い」(MPEG-1ムービー2643kb)

97.06.02『ザ・ワイド』その2プレビュー画像

3に引き続いて「杏林大学医学部教授佐藤喜宣氏」が現場を訪れる。身長180cm台の佐藤氏でも正門の上に「首をのっけるのは大変」と語る。
以上の点よりもし少年Aがあらかじめ首を正門の上にのせることを考えていたのなら台のようなものを用意しなければ苦しいが,供述調書ではそういうことは触れられていない。

拡大画像:その1 その2
この「佐藤先生」と「杉本レポーター」の2ショット。身長差はこのぐらい(日本テレビ他番組より)

5.期日不明(6/15〜16日ごろと思われる)日本テレビ『ザ・ワイド』「黒いポリ袋」(MPEG-1ムービーその1・1690kb その2・2076kb)

期日不明『ザ・ワイド』「黒いポリ袋」その1プレビュー画像

期日不明『ザ・ワイド』「黒いポリ袋」その2プレビュー画像

【某A氏ソース提供,私の方で再圧縮・再編集】
神戸では「黒いポリ袋」は使われておらず,専用の青いポリ袋が使われているというレポート。ここで語られている「黒いポリ袋を買った怪しい男」の話は例によってあやふやなものだが,ここで語られている全てがあやふやというわけではない。(1)「青いポリ袋」が一般的である以上「黒いポリ袋」を使用する人物はこの地域では珍しい,ましてや早朝そういうものをもってうろついている人物はあやしい(2)少年Aの供述の中では被害少年の頭部を切断するとき下に引き,かつ頭部を持ち運ぶときに「黒いポリ袋」を使用したことになっている。そのポリ袋は「家の台所の食器等が入っている棚」の「引き出しの中」から出してきたと何気なく書かれているが,一般的ではない黒の袋がわざわざ台所に置いてあったのだろうか。検事の作為が感じられよう(なお『真相を究明する会』の「黒いビニール袋は現地では売られていない」も参照のこと。
こういう疑問があるにも関わらず事件後検証しようとしない「ワイドショー」つくづくひどいメディアです。

6.1997年6月16日日本テレビ『ザ・ワイド』「タンク山遺体の様子」(MPEG-1ムービー1990kb)

97.6.16『ザ・ワイド』「タンク山遺体の様子」プレビュー画像

【某B氏ソース提供,私の方で再圧縮・再編集】
通称「タンク山」に被害者遺体の胴体部が発見されたときの様子をレポーター「長田さん」が語る。遺体の「膝から先が建物から出ていた」との情報。この「遺体発見の様子」を伝えている情報は活字を含めてほとんどない(第一発見者は警察官,5月27日午後,頭部発見以後の周辺捜索で発見)が,ここでちらっと語られたことがもし真実ならば重大な問題である。というのは少年A供述による遺体切断・遺棄の25日から発見までの間に,何人かの人がこの施設の前までいって中をのぞき見ているからだ。(1)5月26日の少年行方不明の捜索で山に来ていた「友が丘八T目の主婦3人」は「フェンス越しに中をのぞき見たけど気になるものは何もなかった」と語っている(2)27日の遺体発見の直前,午後1時半ごろ,「神戸市開発管理事業団ケーブルテレビ課のI事業係長」が新人研修で基地まで来ていた。同氏は南京錠が開かないので鍵を間違って持ってきてしまったのかと思い,引き返したが,その際フェンス越しに中を見ている。「そのとき,何かいつもと変わったことは全然無かったですね」「匂いとかも気付かなかったですね……カナノコの切りくずとかも気付かなかったです」とのこと(以上は安倍治夫・小林紀興編『真相〜神戸小学生惨殺遺棄事件』P36〜38より)。足が建物から出ていたのならこれらの人々は気付かなかったのだろうか。

7.期日不明日本テレビ系ニュース(読売テレビ製作)「事件当日のタンク山施設」(音声なしMPEG-1ムービー436kb)

期日不明読売テレビニュース「事件当日のタンク山施設」プレビュー画像

ただし6の画像を見て「丸見えじゃないか」と思ってしまうのはすこし早計で,基地の下は犯行当時は草が茂っていたのが現場検証後刈られてしまったので丸見えに見えているとのこと。この7の映像は珍しい遺体発見直後の現場検証をしているところを空中撮影でとらえたものだが,画面右下にちらりと映る建物の下はたしかに草が茂っている。しかしこれを考慮に入れても「膝から先が建物から出て」いて見えなかったかどうか?微妙なところだ。敷地はかなり狭そう。作業している鑑識と比較されたい。
なお,この建物の下部は現在はブロックで覆われてしまっているそうで,この映像は当時の現場の様子を伝える貴重なものといえそう。よって少し大きめなサイズでどうぞ。


文藝春秋1998年3月号『少年A犯罪の全貌』:供述調書P121〜138より
(この「調書」の資料性格については当然ながら問題があり,かつそもそもこのようなものを公開するのがよろしいかどうかについて疑問があるわけですが,現状ではこれ以外に適当な資料がありませんのであえて引用します)

糸ノコギリがあるということを思い出した僕は、自然にフッと僕の頭の中にその糸ノコギリで人間の首を切ってみたいという衝動に駆られました。

自宅を出た時間は、時計を見ていないのではっきりしたことは分かりませんが、午後一時から午後三時までの間だったと思います。
首を切るのに準備したのはビニール袋二枚でした。僕は、人間の首を切ると滅茶苦茶血が出ると思いました。そして、血を現場に残していると、何となく足が付き易くなるのではないかと思ったので、血を入れるナイロン袋が二枚位いると思ったからでした。
それで、家の台所の食器等がたくさん入っている棚に、引き出しが付いているのですが、その引き出しの中から黒色のビニールのゴミ袋を取り出して持ちました。
【中略】

…………

僕は、B君の首をT中学校の正門に置きに行くためには、家の者が寝静まった夜中がいいと思いましたので、夜中になるのを起きて待ちました。
そして、正確な時間は覚えていませんが、平成九年五月二七日の午前一時頃から午前三時頃までの間に、B君の首を置きに行ったのです。
僕は、B君の首を置きに行くために、まず、僕の部屋の天井裏に置いているB君の首を入れた黒色のビニール袋を取り出しました。
そして、僕は、B君の首にくわえさせる手紙をジーパンのポケットに入れました.天井裏から取り出したB君の首を入れた黒色のビニール袋は、そのまま補助カバンの中に入れました。
【中略】

T中学校の正門前まで来た僕は、自転車を正門前に停めました。
【中略】
T中学校の正門は、図面に書いたように、右側に塀があり、その左側に横に押す鉄の扉がありますが、その扉は閉まっていました。
僕は、まず正門の右側の塀が目に入ったので、その塀の上にB君の首を置くことにしました。僕は、B君の頭部の首付近を両手で持って、背伸びをしながら、その塀の上にB君の首を置きました。
そして、塀の上に置いた首が、どの様な感じに見えるのかと思い、二、三歩後ろに下がって、B君の首を見たのです。
ところが、その時、B君の首の据わりが悪かったのか、B君の首が手前に落ちて、地面に落ちました。
僕は、まさかB君の首が落ちるとは思っていなかったので、一瞬B君の首が塀の上から消えたと思い、下を見るとB君の首がありました。
地面に落ちた時に、音はしたと思います。
B君の首が転がったかどうかまでは覚えていません。
B君の首を塀の上に置いた場所は、図面で
(1)
と記載しました。そこで、僕は、B君の首をどこに置こうかと考えましたが、正門の前だと、一番目に付くところだと思いましたし、地面の上ならば据わりもいいだろうと思い、B君の首を持って、正門の鉄の扉の中央付近に、顔を道路側に向けてB君の首を置きました。
図面で言うと
(2)
付近でした。B君の首を置いた後、僕は、ジーパンのポケットに入れていた手紙を取り出し、B君の口にくわえさせました。
【中略】

B君の首を五、六分眺めた後、僕は、再ぴママチャリに乗って家へと帰りました。
家に帰った後は、やはり家の側にある鉄の棚を利用して、窓から2階の僕の部屋へと戻りました。
部屋に戻った後は、眠たくなかったので、朝まで起きていました。

問:五月二七日午前五時頃に、T中学校の正門に来た人が、B君の首はなかったと話しているようだが、その点はどうか。
答:単なる思い違いです。
何故なら、僕の親は、午前五時頃には、台所にいるので、とてもその様な時間帯にB君の首を持って家を出ること等不可能なのです。
少なくとも午前三時頃まででなければ、親に知られずに行動することは出来ないのです。 従って、B君の首を正門前に置いたのは、遅くとも午前三時頃までだと思います。


[神戸事件トップページに戻る][トップページに戻る]