先日の映画『プレデター2』はごらんになりましたか?いやあよかったねえよかったねえ,首ちょんぎっちゃって皮はいじゃって,もう健全な青少年に「有害
な影響」及ぼしまくりだよねっ(`_´)
と,いうのはまあ冗談として,やっぱり日本語吹き替えもあの「懲役13年」のせりふには似てなかったですね。だから,あれはやはり英語の元のせりふを直訳しなきゃああいうふうに書けないって感じでしたね。
ところで,この「懲役13年」には『神曲 地獄篇』壽岳文章訳の冒頭部が使われてますね。これから取ってあの朝日の社会部は本の題名を「暗い森」なんていうふうにしましたけれど。
この『神曲 地獄篇』関連もちょっと再検討しとかなきゃいけないかなという感じです。何名かの方がこの『神曲 地獄篇』引用に言及してるんですが。長崎大学の戸田清氏が「究明する会」のパンフレット第5集(1998年12月刊)で書いておられますね。
神戸事件の真相を究明する会編パンフレットシリーズ第5集 私は思う (1998年12月6日発行)
「「懲役13年」などをA少年が書いたという説も疑問だらけである。冒頭にアメリカ映画「プレデター2」の引用があるが、日本語字幕の引き写しではなく、英語のせりふの直訳に近い。そんな英語力がA少年にあったのか。そしてレスラーからのニーチェ、ヘアからのマーチの孫引きがある。末尾のダンテ『神曲』地獄篇の引用は、書店で簡単に立ち読みできる岩波文庫版ではなく、壽岳文章訳の五千円近い豪華本(集英社、一九八七年)からである。大阪府立中之島図書館や神戸大学団書館あたりで立ち読みしたとでもいうのだろうか。「殺死」や「酒鬼」といった中国語の素養はどこで身につけたのか。A少年(精神鑑定)と被害者B少年(『淳』)がともに「直観像素質」である確率はどのくらいか。その他、筆跡問題、消印問題など多くの疑問点があるが、ここでは省略する。……」
(同書41ページ)
ここで「書店で簡単に立ち読みできる岩波文庫版ではなく」「壽岳文章訳の五千円近い豪華本」といっておられるのは《だからこんな壽岳訳のようなものは少年の近辺にあるとは思えない,だから読めたわけがない》という趣旨だと思うんですが,ただし,この壽岳訳の問題はもう少しつめて考えなければなりません。
確かに岩波文庫版は手に入るのはたやすいかもしれないけれど,手に入りやすいというのと読みやすいというのは違うんです。そう,実際に岩波文庫版をごらんになっていただければわかる,これは文語体ですね。これは山川丙三郎という人の大正時代の訳です。サンプルはこちらです。
そう,いかんせん今日四〇歳以下の人にはきついです。だからもしいま若い人で読む気のある人がいたら,図書館にでも行って口語訳を手にするでしょう。そして,今出ている口語訳の中でももっとも評価の高いのが,問題の壽岳文章訳の集英社版なわけです。だからもし口語訳を求めようとすると,まず手にされるのはこの訳。「豪華本」だから世の中にめったにお目にかかれないかっていうと,そうでもない。
この壽岳訳は口語体で鴎外風の「雅俗まぜこぜ体」を実現したものでして,格調の高い現代の名翻訳とされておりますね。
われをくぐりて 汝らは入る なげきの町に
われをくぐりて 汝らは入る 永劫の苦患に
われをくぐりて 汝らは入る ほろびの民に
正義 高きにいますれが創造主を動かす
われを造りしは 聖なる力
いと高き知恵 また第一の愛
永遠のほか われよりさきに
造られしもの無し われは永遠と共に立つ
一切の望みは捨てよ 汝ら われをくぐる者
黒ずんだ色で門の上にしるされているこれらの言葉を眼にとめ、私は言う。
「師よ、言葉の意味、私には解き難く、恐ろし。」
何もかも心得ている人として、師は私に。「ここに一切の恐怖は捨てられねば
ならぬ。ここに一切の卑怯は死なねぱならぬ。
われらはいよいよやってきたのだ、知力の験を失ってしまったみじめな人々
に、君は見参するだろうとわたしが君に告げたその場所へ。」
そして片手を私の片手に重ね、私になぐさめを与えた快活の面持を崩さず、師
は私を、隠れて見えぬ営みの世へと導いた。
(壽岳文章訳『地獄篇 第三歌』)
どのぐらい評価が高いかっていうと,粟津則雄が「ダンテ地獄篇解読」という本を筑摩書房から出したときにこの壽岳訳を使ってるんですね。「『神曲』の翻訳は,壽岳文章氏のもの(集英社世界文学全集版)を拝借した。これまで私が眼にした邦訳の中でもっともすぐれたものと思われたからだけではない。私のダンテ観やダンテ像に深く答えてくれるように思われたからである。記して御礼申し上げる」(同書あとがき)。なかなかすごいことです。というのは,筑摩からは平川祐介訳でちゃんと出てるわけですから。わざわざ競合する集英社の訳本を指定すると。そのぐらい評価されてる。
ですから現在大学で『神曲』が取り扱われるときにはほとんどがこの壽岳訳をつかってるんじゃないかと思います。
集英社の隠れたロングセラーになってるはずです。挿絵にブレイクの絵をぜいたくに使っておりますしね(壽岳氏はもともとはブレイクの研究者)。いい本です。蔵書家ならそろえておきたいアイテムの一つではあるんですけどね。わたし的には壽岳訳でドーレの挿絵っていうのだったら最高なんだけどね。
(ドーレとは誰かって?野暮なこと訊かんといてください(^_^; このへんに版画集があります(^_^; )
Gustave Dre Art Images
このドーレの『神曲』の絵にインスピレーションを受けて,永井豪はあの『デビルマン』を構想しておりました。
だからこの戸田氏の論述が導こうとするよりは,壽岳訳というのは世間で眼にしない訳ではない,むしろ大変ポピュラーな現代語訳だというのは踏まえとおいたほうがいいです。ま,さすがに中学高校ではないでしょうね……まあヘルマン・ヘッセとかで出てきますからね,気のきいた高校ならあるかもしれませんが,中学の図書館ではないでしょう。 ただし「14歳少年」で漫画ばかり読んでるヤツなら手を出さないかっていうと,そうでもないんですね(日本の漫画文化はそんなにレベル低くないです)。上にあげた永井豪が,漫画で『ダンテ神曲』というのを出してます。これは上のドーレの絵と永井豪の絵が混じって出てくるもので,原作のストーリーをほぼ忠実になぞってます。
だから,まあこういう漫画を読んでるやつで『神曲』に興味を持ったやつが,壽岳訳に手を出さないってわけじゃないと思います。
できれば神戸にお住まいの方,少年が住んでいた神戸市須磨区近辺の公共図書館に壽岳訳『神曲』があるか,ないか,この辺お確かめいただいて教えていただければありがたいです。
ところでこの『神曲地獄篇』ですが,内容的にも神戸の事件と相即するものがあるというのが,意外とあんまり指摘されてないんですね。
私は,他の怪文書とのからみもあって,三島由紀夫の『午後の曳航』と神戸事件との関連を指摘したことがあるんですが,(猫殺し,「少年法」論議等)
三島由紀夫の『午後の曳航』とHONDA Sigekuni怪文書
これも文学関係者で「14歳論」とかやってる人のだれも触れてない。私が見たかぎり『午後の曳航』と神戸事件について言及していたのは徳岡孝夫氏だけでし た(単行本『覚悟すること』所収)。
まあ徳岡さんは三島とつきあいがあって,『サンデー毎日』編集者時代,例の割腹事件の前夜に「明日,都内某所でインタビューしてもらいたいので時間をあけておいてくれ」と電話で言われた方ですから,ピンと来て当たり前ですけどね。ほかの文学者はどうしたんでしょう,(『午後の曳航』ってそんなに有名じゃない小説でしたっけ(^_^; )
柳美里などは,「懲役13年」を少年の創作だと見なして,「少年の文学的才能に引かれている」といっていたんですが,『地獄篇』と事件との対応関係といったことに触れてないのはどういうことか。読んでないんだねえ意外とみんな(^_^;少年が書いたなどといともあっさり言ってしまうのならばいっそ内容的にも照応していると,そこまで言及するべきだし,内容に言及しないんだったら,そもそもこれを少年が書けたなどという話自体を疑って欲しい。
『地獄篇』のなかで事件に似ているというのは,「首切り」と「氷づけ」です。なお「氷づけ」というのは,「遺体は凍結して切断された」という疑惑を「究明する会」が出していることです。
究明パンフレット第2集 浮かび上がった頭部切断の真相 1997年10月1日刊行
「首切り」というのは地獄篇の第二八歌に出てきます。ここでヘンリー若王を騙した男,ベルトラン・デ・ボルンというのが首をちょんぎられて提灯のように首をぶら下げて出てくる。有名なドーレの挿絵がここにあります。
http://www3.justnet.ne.jp/~h-nkns/dante/tushin/tushin28.html
このページの四番目の絵です。有名な絵なのでごらんになったことがある方も多いでしょう。最近では映画『ハンニバル』の文庫本の表紙にこの首チョウチン男の絵が使われておりました。(そういえば『マジンガーZ』でブロッケン伯爵というのがでてきますけど,あれはこの首チョウチン男がら着想されてるんでしょうか)
壽岳訳ではここで「吁嗟!(ああああ!)」なるオノマトペが出てきて,これは埴谷の「ぷふい!」とならんで近代日本文学二大擬声音と言われておりますね(ほんとか(^_^;)
たしかに私の眼には見えた、そして今もなお眼前に彷佛としてくる、あの陰惨 な
むれの仲間と行動を共にする、首の無い一つの胴体が。
その胴体は、切り離されたわが首の頭髪をつかみ、提灯のように手にさげて
ぶらつかせ、じっとわれらを見て言う。「吁嗟!(ああああ!)」
かれは自らの一部を、自らのための提灯とする。さればかれにあっては、一つ が
二つ、二つが一つ。どうしてこれが可能か、かく定める至高者のみ知りたも う。
(壽岳訳第二八歌より)
(なおこの「ダンテと詩」というサイトをやっておられます中西さんは,独自に神曲の翻訳をなさってウェブに載せてくださってますね。それから,この第二八歌というのはマホメットとアリーが罪人として出てきます,ですからイスラム圏ではこの第二八歌はご法度,サウジアラビアなどでは『神曲』は焚書になってたと思います)
それから,「氷づけ」というのは,第三二歌で「氷の湖」というのが出てきます。
http://www3.justnet.ne.jp/~h-nkns/dante/tushin/tushin32.html
第三二歌,二番目のドーレの絵
ですからこの「懲役13年」なる怪文書での『神曲』引用,冒頭が引用されているんで,これは内容が分かって引用してるのか,それとも適当に本を開いて最初のところを引用しただけかっていうのが問題になるんですが,私が見る限り,上の二つの照応で,これは内容をわかって引用してると見ていいんじゃないかと思いますね。 ということで,やはりこれはかなり問題含みの怪文書だと思います。特に「究明する会」を意識しまくりなんですねこの怪文書作者は(笑)。なにしろ「究明」パンフ第2集で「凍結切断」説が出たその直後に「氷攻め」の『神曲』の引用がある怪文書が出てくるんだから(笑)。なかなかすごいことですよこれは。この〈タイミング〉,少年Aがずっと前に書いたというものじゃなさそうだ。だからこの怪文書,いったい「いつ誰が書かれたか」もう少し問題としなければなりません。
ところで少年Aの両親が書いたことになってる本で『少年Aこの子を生んで』なる本が文春から出ていますね。
この本は,実際には森下香枝というゴーストライターが書いたんですが,いろいろと事実関係で作って書いていることがあって,そこを「究明」に徹底的に叩かれてますけどね。
パンフレット第8集 寃罪の証明 両親の「手記」を読む(1999年4月28日)
この本の中に両親は全く知らなかったが,少年は事件に関係のあるビデオや本を持っていたというのがあって,そのなかに「映画『プレデター』などだそうです」などと言わせているところがあります(実際には『プレデター2』のあやまり)。
森下というライターは,この本の中では革マルや「究明」の名前を一回も出してないんですが,実際には意識しまくりですよね,ここで『プレデター』の名前を出すところは(笑)。だいたい「懲役13年」に『プレデター2』の引用があるっていうのは,革マル/究明以外のどのメディアでも言及してないんだから。
ただし,「究明」も「当会だけが主張していることです」とはよくもしゃあしゃあと言えたものだ。だいたい最初に主張したのは「究明」パンフではなく革マルの機関誌「解放」です。おや,ぼろが出ちまったかな(笑)