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今日、「朝鮮通信使の道」で、野洲から安土まで歩いたのですが、遠くは、名古屋や福山から歩きに来てくださいました。(総勢257名)
大阪へ来てからの、昼食は、約6割が本町界隈の食堂でしたが、傑作は、T紡績の食堂。
勿論、社員の為の食堂ですが、飯と味噌汁それに漬物は、テーブルに置いてあり、各
自自由に食べる事ができます。
社員の数が多いから、他人が食事をしていても誰も咎めない。
従って、誰でも味噌汁と漬物でよければ食べる事ができた。良く笑いながら、
「俺、失業したらここへ来て食べよう」って話していたものです。
(この厳しい世の中、今はそんな事もないでしょうが)
また、此方がご馳走したのではなく、してもらった中には、吉兆本店・本町支店ともにあります。
ご馳走した方では、そこまで高級な所はなく、精一杯で、法善寺横町入り口の、浅草(今もあります)ぐらいでした。 |
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新潟・長岡出張所時代、事務所には所長と私、それに女性事務員二人の四人、極めて家庭的だった。
私は、会社の二階に住んでいた。
夕食は仕出し、朝は何うしていたんだろう。記憶に残っていない。
昼は、私が女性二人分のご飯をいっしょに炊き、二人が、おかずを持ってきてくれた。
所長は新婚ホヤホヤだったので奥さんと一緒。(所長も事務所の上に住んでいた)
この長岡で、その後結婚した。
事務所に住んでいるから、家賃も水道光熱費もいらない。
従って生活は楽だった。
仕事が終わると、家内とよく外へ食事をしにいった。
若き日のよき思い出の場所である。 |
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歩友の中に、金剛山登山1,000回を越えているのがいます。
ご存知の方もあるかと思いますが、金剛山山頂に氏名と登山回数が掲示してあります。
50回、100回、200回、300回500回・・・
登る度に、スタンプを押してもらい、50回になると申請をして、掲示してもらいます。
1,000回を越えているのは、確か堺市の男です。
年に100回登っても10年掛かります。
一種の信仰みたいなものですね。
それを追うように、何人かが金剛山登りに、夢中になっているのがいます。
世の中、いろんな人がいますわ。
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けるちゃんに云ってたっけ。「お金があったら船で世界旅行した」いって。
できないからせめてPCの上で旅して見ます。
日本のクルーズ船は、「飛鳥」(約29千トン)、「ぱしふいっくびいなす」(約26.5千トン)、「にっぽん丸」(約22千トン)チャーター船として「ふじ丸」、「おりえんとびいなす」があります。
郵船が建造した国際級の大型客船では「クリスタルシンホニー」(51千トン)「クリスタルハーモニー」(49千トン)がありますが、これはアメリカのクリスタルクルーズが運行していて、サービスも世界最高とか、客二人にスタッフ一人が付くそうです。
これは日本の船の話で、世界では、誰でも知ってるエリザベスU世号を含め多くのクルーズ船が、航行しています。
世界一周といっても、東西南北総てを回るわけではなく、ほぼ100日位でのクルーズの様です。
例えば、今年の飛鳥は、1月7日〜4月8日、コースは横浜→ロス→パナマ運河→ブエノスアイレス→南極海→イースター島→オークランド→旧トラック島→横浜
これで、最も安いJステートが3.7百万円最高がロイヤルスイートで17百万円です。
二人での申し込みになりますからこの二倍です。
イチローなら、全く値段を気にせずクルーズを楽しめるんでしょうが、私には夢のまた夢です。
最も、イチローには「金があっても暇がない」ざま〜みろ。 |
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昨日あの寒い中、「新撰組ゆかりの地」本番で、京都へ歩きに行ってました。
NHK大河ドラマは、今日が第二回、いい機会なので一寸だけ昨日の事を書いてみます。
物好きが多いと云うか、歩き馬鹿が多いと云うか、寒波襲来というのに、110人ほど来ていました。
三度目の屯所、不動堂村屯所から伊藤甲子太郎殉難跡を通って、二度目の屯所、西本願寺太鼓楼を見学、西へ入って、島原遊郭の大門・揚屋の角屋・置屋の輪違屋そこから北へ上がって、沖田総司等が、早朝から素振りをした場所、そして芹沢鴨の墓がある壬生寺へ行く。
壬生寺は新撰組よりも、壬生狂言としての方が有名かもしれない。すぐ横に屯所の八木邸があり、芹沢鴨暗殺の時付いた、刀傷もそのまま残っています。
また八木家の方々は、今もお住まいになっていて(八木家は400年前からこの場所に住んでおられます)、見学に来た人には、お抹茶を振る舞い、当時の様子を事細かに話してくれます。(千円取られますが)
木屋町通りの土佐藩邸跡を見て、人ごみの中、三条の池田屋襲撃場を通り抜け、三条河原町にて解散。
新撰組ゆかりの場所には、のぼりが何本もあがり、ムードをあおっていました。 |
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今日は本えびす。
さぞ、今宮戎は賑やかなことだろう。
大きな賽銭箱に、なんぼかの小銭を放り込み(1万円札どころか千円札も入れたこと
は一度もない)、「商売繁盛で笹もってこい」と囃子の中、巫女から笹を買い、俵や
小判を付けてもらって、耳の遠い神様に願い事をしようと、宮の裏へ回り、太鼓を
ド〜ンと叩き、お願いする。
いかにも関西らしい祭りじゃないかと思う。
船場にいた頃、仕事帰りに、毎年かかさず行った。
その後、行きつけのバーへ寄ったものだ。
水商売では、客が笹を持って入ると縁起がいいと喜ばれた。(私は飲まないが、仕事
柄、いくつかの行き付けの店があった)
昭和35〜6年の事なので、うろ覚えだが、確か東京浅草(?場所の記憶がハッ
キリしない)にも、これとよく似た祭りがあったと思う。
「酉の市」じゃなかったかな、熊手を買って帰った記憶がある。
大きいのを買うと、シャンシャン手締めをやってくれる。(そんな大きいのは、買っ
た事がない) |
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最近の新聞には英語の頭文字を並べた言葉が多すぎる。
分かったようで、分かっていないものが殆ど。
SARS・BSE・SAS・DNA・NASA・FRB・IAEA・NPO・PKO・WHO・WTO・VDT・ICOCA・DVD・
FIFA・ATM・ODA・MLB・NGO・UFJ・ADSL・URLetc.etc.これらをフルスペルが分かり、
日本語に訳せる人はどれだけいるんでしょうか。
正直云って私には1/2も分りません。
SARSのように新型肺炎・BSE狂牛病と分かっても、何の頭文字か分からない。
すべて英語の頭文字かと思うとそうでもない。
KDD=国際電信電話、NHK=日本放送協会
チャンポンでは、ANA=All日本Air(全日空)
銀行のUFJはUnited Financial of Japanらしいが、これの頭文字をとったのでは、
固有名詞としては、何か解せない。
面白いのは、最近出てきたJR西日本の「ICOCA」=Integrated Circuit Operating
Card 「ICOCAで行こか」。JR東日本では「SUICA」スイカ(「すいすい行こう」とも
訳しているようです)=Super Urban Intelligent Card
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興味のない方は、またかと思われるでしょうが、ご勘弁を。
今日は一人で大阪城から生駒山・鳴川峠・千光寺・長屋王墓・白石畑・法隆寺の30
km。
冬はトイレ探しに苦労する。最小限1時間半には、一ヶ所ほしい。
今日は何とか6箇所コースに入れることができたのでホッとしている。
千光寺はご存知の方もあると思いますが、子宝の寺で、山門を入ると右手に男女の立
派な象徴を持った石仏が、前に布を掛けて並んでいる。勿論誰でも布をめくることは
できる。本殿の前、左には、鉄で作った大きな杖と足駄が置いてある。
杖を持ち上げられた女性は、願いがかない、足駄を履いて歩けた男性は、願いがかな
うといわれている。
また山門の下には、石仏群があって落ち着く場所の一つです。近鉄元山上口駅から3
kmぐらいだから、行った事のない方は、ハイキングがてら一度いかれることをおすす
めします。
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今日は歩き始め、「神戸七福神巡り」須磨寺から三宮・生田神社までの15k
m長田神社へは、震災後初めて。
最もひどくやられた長田区ですが、新しいビルが連立し、まったく震災の影は見当た
りません。
兵庫区に入り、奈良・鎌倉に次ぐ日本三大仏のある能福寺に立ち寄りましたが、この
寺には、全国で唯一、平清盛の墓があります。
四日だというのに、生田神社は多くの参拝客で賑わっていました。
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今年のベストセラーは「バカの壁」で、270万部だそうですが、私はまだ読んでい
ません。
「話せば分かるは大うそ」
[イタズラ小僧と父親・イスラム原理主義者とアメリカ・若者と老人これらの間で、
話が通じないのは、そこに「バカの壁」が立ちはだかっているから。
つまり自分が知りたくないことや、信条の違う事などについては、自主的に情報を遮
断して聞き入れない。これが「バカの壁」。
知りたくない事に耳を貸さない人間に、話が通じないことが多い。戦争、テロ、民族
間・宗教間の紛争は、この延長線上にある]
即ち、人間相互理解を拒む「壁」。
[情報は日々変わるが、自分は変わらないと云うのは誤りで、不変なのは情報であ
り、人間の意識は日々刻々変化している]
[個性は脳でなく初めから身体に宿しているもの]
と云ったことが書いてあるらしい。
すべて私に当てはまる。 |
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話は少しさかのぼるが、今月3日夕方6時半から、高校のクラス同窓会が、金沢・小立野・天徳院前・イタリアン料理店で行われた。
会費3千円、奈良からの交通費、最も安く上げても、1万2千円はかかる。
親戚はあるものの、何時になったら戻れるか分からない様子では、泊まるわけにもいかん。
駅前の都ホテルに泊まることにした。PCで予約する時、安いのに驚いた。税別4千5百円朝食付けて税込み¥5,985.-それにしても、\3,000.-の為に、\18,000.-。
天徳院はご存知の方もあると思いますが、加賀3代藩主利常の嫁、家康の孫珠姫ゆかりの寺です。
ここから500m位離れた所に我が母校がある。
会場へ行って分かった事だが、同窓の一人の息子が、ごく最近オープンした店で「又来てやってください」という事から、基本料以外は、父である同窓が自腹を切るらしい。ようやく納得。
出席22名、わいわい騒いで、食っちゃぁ飲み、食っっちゃぁ飲み、してましたから、結構掛かったと思う。
お開きの後、明治時代からあるおでんや「菊一」へ5人で。久しぶりに、こおばこ蟹(せこ蟹)のおでんを口にする。
香林坊近辺もこの店以外古いのは、柿木畠の「蛇の目すし本店」ぐらいになってしまった。
話は変わるが、参考までに九州の宿泊した宿を記します。
屋久島:屋久島いわさきホテル
指 宿:指宿白水館
阿 蘇:阿蘇の司ビラパークホテル
湯布院:ゆふいん山水館
ハウステンボス:ハウステンボスJR全日空ホテル
門司港:門司港ホテル |
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そうそう、湯布院では鰆のたたきも付いてた。阿蘇では馬刺しがあった。メールは送信してしまうと訂正できないのが困る。
まして、殆ど読み返していないだけに「昨日何入れたっけ」と開いて「何書いてんのゃ、恥ずかしいやん」と、独り言云うてるのは、しょっちゅうゃ。
とにかく湯布院の夕食は量が多かった。それで次の日から、朝食はお粥になったわけ。
門司の夕食はフレンチのフルコース。サーモンのマリーネ、コンソメスープ、魚が何だったか思い出せない。ビーフステーキ、デザート、コーヒー。
前に話したことがあると思うが、ステーキは神戸、すき焼は松坂が一番だと思う。
門司のステーキがまずいといってるわけじゃない、ややレア気味だがおいしかった。
最終日の昼食は、何と、鯛のあら煮、味は抜群だった。
大和高田へ戻り、駅前オークタウン4Fの讃岐うどん「ひさ家」で待望の?うどんにありつき、家へ向かう。 |
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阿蘇の宿、けなしている訳ではない。宿の皆さんの応対は決して悪いほうではないが、無駄を省くことは、徹底していた「剃刀をご入用の方は、フロントへ申し出てください」といった調子。
4日目、高千穂峡を出て、黒川へ向かう途中、田楽専門の店で昼食、豆腐・蒟蒻・茄子・山女・里芋・etc,を、囲炉裏端で焼きながら、フーフー云って、食べた。
ここでも、だご汁が添えられていた。
田楽の量が多く、ご飯は手を付けなかった。
昼の田楽で胃もたれ気味の中、湯布院での夕食時間をむかえる。
これがまた量が多いときてる。食前酒、突き出し、刺身、天麩羅、煮物、茶碗蒸し、猪と根菜の汁、(云い忘れていたが、ここまで4軒の宿すべて豚の角煮が付いていた)鉄板焼きの牛・鶏。この鶏が、抜群の味で、数十年ぶりに口にしたと云える。
この鉄板焼き、ころあいを見て火を付けてくれたのだが、家内は、半分も食べないうちに火が消えてしまい、がっかりしていた。 |
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朝食はすべての宿がバイキング形式(湯布院だけは、和食の定食orバイキング)、似たりよったりですが、なかでよかたのは指宿と最後の門司だろうか。
もっとも私は、湯布院以後、野菜サラダとお粥、梅干、漬物、&コーヒー。
それまでは、野菜サラダ・パン・ソーセージ・ベーコン。スクランブルエッグ・ミルク・フルーツ&コーヒー。
屋久島での昼食は、何と、玄米おにぎり。ツアーでおにぎりを食べようとは、考えてもいなかった。
指宿の夕食では、思いのほか、心こもる料理にありついた。
刺身は、すべて天然物、本鮪のトロ、ハマチ、鯛、烏賊、それも最初から盛ってある
のではなく、席についてから、包丁を入れた刺身である。
天麩羅も、頃を見計らって、揚げたてを持ってきてくれた。、
鹿児島仙巌園の昼食は、和食で見栄えは良いが、これと云ったものなし。
鍋が2ツ付いていたが、何のことはない、味噌汁とだご汁。
そういえば、夕食には何処の宿も必ず、大根・レンコン・人参等根菜のだご汁が付いていた。
阿蘇の夕食は、指宿とはうってかわり、刺身もてんぷらも仕出屋からとったように、
いつ盛り付けしたのか首を傾げたくなる代物だった。 |
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ranntiにメールしてるのに、今まで食について全く触れていない。これじゃMLに出てくる意味がない。
殆ど覚えていないが、記憶をひっくり返してみれば、何か思い出すかも。
初日鹿児島・城山展望台での昼食は、ありきたりのバイキングだった。
ただデザートのケーキの種類は多かった。
バスガイドが、山のようにとっているのを見て「一人で食べきれるの?」と聞いたら「添乗員の分も入ってる」と云うていたが、ほんとのところは疑わしい。
このバスガイド、屋久島を除き全行程のガイドを務めてくれた。九州と山陽方面広島までは、バスの前方を、背にしてガイドができるそうだ。
運転手も最終日まで一度も急ブレーキをかける事なく、安全運転のベテランだった。
添乗員は、大阪から同行してくれたが、嫌味がなく、それでいて、テキパキと次々段取りを決めていた。これも、ベテランの一人だろう。
バスは、29人乗り。ここに添乗員とツアー客8人、割合ゆったりとしていた。
宿での夕食は、創作料理と云えば良いのか、和洋混入と云った感じで、前菜(いや先付け、それとも突き出しかな)は10品ぐらいの中から好きなものを、3品選ぶ(確か大阪の一杯飲み屋のチェーン店にもそんなのがあった。それよりチョイましか)。
家内と別のものを取り、6品を分ける。期待していた刺身も、さほど気を引く程のものではなかった。
天麩羅、だご汁、煮付け、茶碗蒸し、ステーキ等諸々あったが、記憶に残るほどの物はない。
デザートも、何品かの中からセレクトするようになっていた。
私はマンゴのシャーベットを取った。 |
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レトロな門司港に着いたのは、夕闇の中、今夜はシティーホテル、ここでも結婚披露宴が幾組かあったようで、ロビーが賑わっていた。
残念ながら大浴場はなさそう、仕方なく熱めのシャワーで済ます。
最後の夜をむかえ、ツアーの全員で夕食をとる。
一週間共に居るので皆打ち解けて、話が弾む。
7日目、ボランティアの案内で、旧三井倶楽部、日本郵船、門司港駅、旧大阪商船、
跳ね橋、旧門司税関を見学し、三井倶楽部で、最後の食事をとる。
バスで小倉へ向かう。最後の観光は小倉城天守閣、
細川忠興や、小笠原忠真ETC藩主の解説と、宮本武蔵に関する展示品が多く並べられていた。
天守閣の一番上まで上ったのは、私だけだったようだ。
小倉駅で山口の二人と別れ、新幹線レールスターで大阪へ。
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ハウステンボスの中を、ノーナンバーで走るクラシックタクシーに乗って、先ず一回り。
途中光の塔の展望台から場内を一望、その後光の宮殿から、光の広場と化したアレキサンダー広場を見て、フリータイムをむかえる。
今夜は食事も各自となっており、さて何を食べようかと家内と相談、後に話すが、
毎日食べすぎで、かけうどんでも食べたいと思い探すがなかった。
仕方なく、ラーメンをそそる。
家内が小さい声で「周りの人みんな外国人?」
私「いや、日本人だぜ、日本語らしいところがあるょ」九州方言になじみのない者には、本当、外国語に聞こえる。
ホテルへ戻ろうとしたが、方角の見当つかない。戻るまでに出口を3回若者に聞いた。
情けない話だ。
部屋の窓から、花火をみて再度入浴、早めにベットに入る。
6日目朝食の後、船で街のゾーンへ、いくつかの店へ入ってみるが、あまり興味のあるものはない。
イベントもこれはと思うものなし。
日曜日ということもあり、チャペルで幾組かの結婚式を挙げていた。
岡山の方に家内を預け、一人でテンボス内を早足で一通り見て回った。
15時ハウステンボスを発ち、門司港へ。 |
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湯布院の湯は、確かにやわらかい。だがわが町の市営温泉の方がもっとやわらかいと思う。
ラウンジでヨーロッパ系男性歌手が透き通った美しい声でピアノを弾きながら歌っているのが、風呂上りの足を止めさせた。
5日目、湖底から、温泉と冷泉が沸いているといわれる金鱗湖周辺を散策し、湯布院民芸村に入る。
何処にでもありそうな、昭和中頃まで使われていた道具類を見た後、猿回し小屋に入り、見ざる云わざる聞かざるを演ずる猿と対面、最後に来年は申年と云うことで猿に握手をしてもらい小屋を出た。
その後、古陶院で、柿右衛門の作品展を鑑賞、これは見ごたえがあった。
狭霧台で昼食の後、日田豆田町を散策、廣瀬資料館へ入る。
明治維新後の学校制度創設に、大きな影響を与えたと云われる、廣瀬淡窓の偉功と、家業を継いで、天領日田の繁栄を築いた、その弟久兵衛の資料館で、良い勉強をさせてもらった。
豆田の町は、大変雛人形の多いところで、店店に立派なのが飾ってありました。
今日の収穫多し。
ハウステンボス全日空ホテルへ。ここには大浴場がないと思っていたのにありました。早速飛び込む。 |
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砂風呂へは家内が10分程先に行ったので、どんな美女の横になるかと、胸を躍らせて行ったら、なんと家内の横に寝かされました。がっかり・・・・
砂掛けの兄ちゃんにそのことを話したら、ニコニコ笑ってたっヶ。
3日目、宿を出て小雨降る中、薩摩半島最南端、長崎鼻へ。霞んで殆ど周りが見えなかった。生きた白蛇を祀った社がありましたよ。
鹿児島市内へ戻り、島津藩主の別邸仙巌園へ。諸々案内をされたが、中でも、桜島をバックにした庭が絶景でした。桜島は、煙を上げていました。久し振りだそうです。
仙巌園で食事をして、九州自動車道を北上、熊本市で右折豊後街道を通っていっきに阿蘇へ入る。阿蘇山が小雨の中に薄っすら霞んで見える。さすが阿蘇は高地、結構冷
える。宿に着くと、すぐ風呂へ飛び込んだ。
翌朝は快晴、阿蘇・草千里へと向かう。まだ、放牧の牛がチラホラと見える。草千里とはうまく付けたものだと思う。辺り一面草原だ。手袋を持ってきて良かった。
兎に角寒い。水溜りは薄っすらと氷がはっている。
薄く雪を被った(今年はじめてみる見る雪)1,592mの阿蘇山・高岳を巻くようにして、高千穂峡へ。
摂津峡を歩いているのとあまり変わらない。聞いていたほどの感激はなかった。続いて、黒川温泉湯めぐり、長風呂の私は、一ヶ所入ったら、出発の時間が来てしまっ
た。一寸悔やまれる。
やまなみハイウエーで今日の宿湯布院温泉へ |
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家内と九州ツアーでアッチコッチと行ってきました。
初日、さんたけさんに知らせてもらった、上六からのリムジン発車時刻のお陰で、慌てる事もなく、AM6:50で伊丹へ、そして先ず鹿児島へ。
鹿児島空港で、今回のツアー参加者、富山のご夫婦一組、大阪のご婦人一人、岡山のご婦人一人、山口のご夫婦一組、そして私と家内の合計8人が揃う。
西郷隆盛ゆかりの、城山展望台にて昼食後屋久島へ。環境文化村センターの大パノラマのスクリーンで、屋久島の雄大な自然を見せてもらう。
屋久島の最高峰は宮之浦岳1936mだそうだが、関西の最高峰大峰山系の八経ヶ岳1914.9より高いことになる。恥ずかしながら、私は知らなかった。
尾之間温泉にて一泊する。
翌日,千尋の滝(尋とは人が手を広げた巾、即ち人が千人手を広げて並んだ位広いの意)を見て、白谷雲水峡を散策。屋久杉としては2番目の弥生杉を見る。
私は縄文杉をみに行きたかったが、団体行動ではそうもいかない。残念でならなかった。観光センターへ寄って、船で指宿温泉へ、その夜砂蒸し風呂を楽しむ。 |
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今日、私にとっては、嬉しい話が飛び込んできた。
国から歩くための道造りに、予算が組まれるようだ。
ある高級官僚の提案で、「そもそも道は人間が歩くためのものであって、車優先のみは、おかしい」との発言から、各都道府県で15km前後のコースを、15〜20程度予選を組んでくれるそうだ。
以前から私は思っていたことで、車道は、実に立派だが、歩道は、余りにも貧弱、場所によっては広い歩道もあるが、すぐ車の駐車場と化してしまう。
車に乗っている皆さんには、「何を云うか」と云いたいでしょうが、心地よく歩ける道が増えれば、車も減ると思う。
大和高田駅前は、横断歩道がなくなり、陸橋になってしまった。
その結果、最近車が増えてきたように思えるのは、私だけだろうか。
車の通らない、神経を磨り減らすことなく、歩ける道の増えるのを、待ち望んでいる。
反対意見があれば、お聞かせ願いたい。 |
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私は1/25000の国土地図を良く使います。
最近はPCに国土地図が入っていますので、取りあえず見る事はできますが、コピーは撮れません。
マイドキュメントにでも移して撮ればOKですが、違反です。
従ってよく地図を買うのですが、次から次へと、新しい道路が出来るので、同じい場所の地図を、2ー3年毎に買い替えなければなりません。
ところが、根が貧乏な私は、古い地図を捨てることが出来ません。
同一場所の地図が4−5枚になり、どれが新しいのか探すのが大変です。
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北国脇往還は、柴田勝家が整備した北陸と東国を結ぶ道で、羽柴秀吉が、賎ヶ岳の急
変を聞き、大軍を率いて走り抜けた道でもある。
北国街道に沿って、日本で一番大きい地蔵のある浄信寺を抜け、街道と脇往還の分岐
道標を東にはいる。
江戸中期の儒学者雨森芳洲(私はこの人を知らなかった=表に朝鮮語で説明書きが
あった=)の庵辺りから、豊かな堰水が流れ、水車が懐かしい昔を思い出させる。
伊部宿に入ると、浅井長政の匂いが、ぷんぷんしてくる。
本陣跡・常夜灯・両側の家並が往時を伝えてくれる。
お市と三姉妹も、おそらくこの道を通って救い出されたのだろう。
木の本から小谷城まで約10km、木の芽峠越え28km合せて37kmを、来年の、
一泊ウォークのコースにしたい。
来春、再度下見をする予定である。 |
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峠を越え、10分も歩いたろうか、茅葺屋根のしっかりしたお堂がある。
{言奈(いうな)地蔵}である。
昔、馬子が旅人を殺し金を奪ったのが、地蔵の前だった。
「地蔵云うな」と独り言、すると地蔵が「己云うな」と云い返した。
のちに、馬子がそれを、話したのが、殺した旅人の子で、仇をとられ、馬子は命を落とした。との云い伝えがある。
ここから、広い道沿いに、北国街道、板取へと下る。
板取手前に、広々としたスキー場があり、そこのロッジで一泊。
ロッジとは云え、温泉付きで、サウナ・露天風呂付きの本格的なものだった。
翌朝、8時スタート、板取宿の入り口には、番所を模した門があり、石畳の両脇には茅葺の民家が並び、タイムスリップした錯覚に襲われる。
大門、合波を通り、今庄宿へと急ぐ。
今庄入口、北国街道と北陸道の分岐に立派な道標があった。
今庄宿にも古い建物が多く、ゆっくり尋ねれば、一日がかりだろう。
今庄と云えば、蕎麦、町役場によって、見所と、蕎麦やの紹介を受け、蕎麦の梯子3軒、100人は賄える一軒で本番の時、お願いする事として、北国脇往還へと急ぐ。
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敦賀駅に降り、先ず来年9月25日100人は泊まれる、適当な宿探しから。
Kホテルで、12千円を9千円に値切るのに四苦八苦、何とか了解を取り付ける。
スタート地点、(春日大社・厳島神社と並ぶ三大鳥居の)気比神宮へ行く途中、京都一条戻り橋と比べるには、ちと可愛過ぎる晴明神社を見つけた。
来年は安倍晴明没後千年に当たるので、本番では是非寄りたい。
晴明は、この地で、地文の研究を重ねた時期があるそうだ。
気比神社で昼食をとり、歩き始める。
舗装された北陸街道(平安時代からの官道)を淡々と歩く。
古くは、紫式部が通った道であり、今から行く木の芽峠は、新田義貞と足利尊氏が、織田信長と一向宗門徒が戦ったところであもる。
7ー8km来たがトイレが見当たらない。
道沿いの小学校に立寄り、本番時のトイレをお願いして先を急ぐ。
新保の集落辺りから街道らしい雰囲気がみえてくる。
いきなり、武田耕雲斎(天狗党)本陣跡のしっかりした門構えにぶつかった。
彼らが、加賀藩に投降した場所でもある。
新保を過ぎると、石畳の道は徐々に狭くなり、坂も急になってくる。
一人がやっと通れる細道を上り詰め、峠に着く。
峠には、400年前から殆ど変らぬ茶屋がある。
茶屋といっても大名に茶を供し、あわせて関所的役目を持っていたようだ。
当主前川さんは、平家の末裔で、先祖代々茶店を守ってきたと話していた。
本人の話によれば、織田家は分家だとか。
事実、先祖は信長と朝倉攻めを共にしており、秀吉が帰陣の折、立ち寄って陣小屋の茶釜を置いていっている。(現在もある)
貰った名刺には、桓武天皇の子孫とまで書いてあった。(先祖が平家なら、そうかも)
茶店の前に道元の大きな碑がある。 |
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淡路島は、北国街道から戻ってからにして、今日下見の伏見について、簡単に、書いてみます。
@墨染駅近くの、欣浄寺の本堂に所狭しと坐っている大仏、勿論東大寺の大仏と比べようもありませんが、見ごたえのある仏像です。
A桓武天皇陵、から乃木神社への道筋は、両側から大木が枝葉で空を隠した薄暗さが、精霊を感じさせます。
B藤森神社・御香宮神社を始めとする湧き水、さすが酒処伏見です。
C月桂冠、河童で有名な黄桜等、利き酒の出来る所も多く、平日ですが、結構人が多く見うけられました。
D来年のTVドラマ「新撰組」には必ず出てくるであろう「寺田屋」、此処も、多くの人が入っていました。宇治川端流には、垂れ柳の間から10石舟が、客を乗せ、静かにはしっているのが、見えました。
神社の銀杏は一杯実を付け、道端に彼岸花、秋を感ずる一日でした。 |
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大和高田に、常光寺と云う寺があります。
ここに、「八百屋お七の墓」というのがあります。
高さ30cm巾20cm厚さ10cm程の小さな石に、「しち」と彫ってあります。
「八百屋お七」は、井原西鶴の作なのに、なぜお七の墓があるのか、不思議に思われ
るでしょうが、事実あるんです。
西鶴が大和高田を訪れたとき、お七の話を聞き、江戸に帰って、事実に基づき、本人
の名前を使って「八百屋お七」が作られたのだそうです。 |
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昨日、下ッ道(中街道)に触れたので、少々奈良の古道について、話して見たいと思います。
少し歩く方なら、天理の石上神社から桜井に伸びる、日本最古の国道、「山の辺の道」はご存知だと思います。
余り知られていませんが、石上神社から奈良の間は、「北山の辺の道」と言います。
その西、数百メートルのところを、奈良町から南へはしっているのが太子道「上ッ道」、そのすぐ西を、処によっては、「上ッ道」と重なりながら南北にはしる「上街道」、川西町の東を藤原京に向かってはしっていた太子道「中ッ道」は、僅か数百メートル面影が残るだけで、姿を消しています。
その西に、「下ッ道」その西、黒田から大和高田へと伸びてくる「下街道」
東西では藤原京の北にある太子道「横大路」後の、「初瀬街道」・「伊勢街道」となっていく。
そして、尺度で竹ノ内街道と繋がる。
斑鳩では、龍田神社・法隆寺の前に「奈良道」(奈良から見て大阪道とも云う)があります。 |
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私の知っている田原本
について、少し記してみます。
黄金のある24号線の西に、米川を飲み込んで、寺川が流れ、その西岸に沿って、太子道の一つである「下ッ道」中世以降の「中街道」がはしっています。
24号線が出来るまでの、幹線です。
田原本は、江戸時代に入り、賎ヶ岳の七本槍の一人、5千石取りの旗本平野権平長泰が治めていた陣屋町です。
町の東北に、弥生文化を代表する唐古・鍵遺跡があり、町のほぼ中央に、鏡作神社
(私の記憶に間違いなければ、三種の神器の一つ、鏡の試作品が御神体)があります。
それを、少し南に下がると、伏見城の城門を移築した、浄照寺があります。
また、桃太郎のモデルになった吉備津彦の誕生地でもあります。
蛇巻き祭りも有名です。
その他にも、いろいろあって、一日観光に、不自由しまないところです。
何でそんなに知っているかって?
以前、平城宮跡〜藤原宮跡へ通ずる「下ッ道」のコースをつくる時、町役場で教えてもらったものなんです。 |
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金沢のベットタウン、河北郡内灘町に、一軒の中華料理屋があります。
客が、30人も入れるだろうか、そんなに大きくない店ですが、ラーメンから、北京ダックまで、何でもこなす主が、奥さんとウエイトレス一人の三人で、営んでいます。
味は、総て一流で、値段は決して高くありません。
大和高田へ来る前、よく行きました。
「一流ホテルの、コックとして十分通る腕の持ち主だ」と云うと、主は、はにかみながら、いつもより丁寧に、料理を、仕上げてくれたものです。
チャンスがあれば、もう一度行って見たい店の一つです。
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今日、歩友の一人が、奥さんと一泊で、富山八尾(やつお)へ、越中小原節で踊り明
かす一夜を楽しみに行きました。
「越中で立山、加賀では白山、駿河の富士山三国一だよ」の囃子が入る、越中小原、
帰阪後、暫くは、耳から離れないでしょう。
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火星接近6万年振りとか、前はどんな人が見たのでしょう。
今、地球で起こっている諸々の事も、宇宙の中のほんの小さなことに思えてきます。
法句経から
「若きとき 身をつつしむ行いを積まず
財を貯えざれば 彼は亡びゆくなり
餌のなき池をまもり 老いゆく白鷺のごとくに」
「益なき 千の言葉より
心の安らぎを得る 一言こそ いのちの言葉なれ」
「他(ひと)の過ちを 見るなかれ
他(ひと)の作(な)さざるを 責むるなかれ
おのが 何を いかになせしかを
自らに問うべし」 |
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歩く話ばかりで申し訳ありません。
昨日、大阪のNHK裏から、堺まで、熊野街道を下見に行ってきました。
本番は、御堂筋パレードのある前日です。
余り、昔のままで残っている所はありませんが、それでも、阿倍野辺りから、住吉大
社までは、結構街道らしい面影が残っています。
旧街道を歩いていると、昔の人たちと会話をしている気持ちになれます。
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今日歩いたコースに、二箇所、湧き水がありました。
神峰(かふ)山寺とポンポン山の間に本山寺と云うのがあり、ここの湧き水、冷たくて美味しいんです。口に含むと、甘〜いほのかな味が、口いっぱいに広がります。
阪急水無瀬駅の東約1kmにある、水無瀬神社の湧き水は、柔らかい感じがします。ここは、町の中だけに、大勢、ポリバッグを持って水を貰いにきていました。
水無瀬渓谷に、50mの乙女という滝が落ちているんですが、実に可憐な滝で、乙女滝とは、旨く名付けたものだと思いました。
今日は爽やかな日で、快適なウォークを楽しんできました。(きっと何方かが、普段の時間にMLを入れてくれたおかげでしょう)
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東京支社時代、本社が大阪だっただけに、社内は、関西弁が、飛び交っていました。
「東京のうどん、出汁が濃くって不味いな。」
「大阪のケツネうどん食べたいな〜ぁ」
私は、数少ない地方からの転勤組み、腹の中で[何云ってんや、金沢のうどんが一番うまいゎ]と呟いていたもんです。
それが、関西へきて、長い年月が経ち、何時の間にか、大阪うどんが、最も美味いと思うようになりました。
金沢のうどんは、少し腰が弱い、そして出汁は、鰹が強すぎる。
住めば都とはうまくいったもので、何でもそこのものがよくなる。
でも、魚はやはり、北陸がいい。
普通のうどんとは少し違いますが、名古屋の味噌煮込みうどん(特に山本のうどん)大好きです。
大阪では、堂島と北の2軒知っていますが、南の方にあったら教えて下さい。
勿論、奈良にあればもっと有り難いけど。
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私は麺類が好きな方です。
なかでも、蕎麦が大好きです。
今までに行った店の、ベスト3をあげれば、
No.1は、昔の大和町、今の道頓堀1丁目にあった「出雲そば」。
どちらが客か分からん、職人気質の親父でした。
客の顔を見てから、無口で蕎麦を打つ。
簡単に1時間は待たされる。
だがここの椀子蕎麦、一度食べたら、病み付きになる。
No.2は、金沢の「四季」、1週間のうち3日だけ営業、信州の店を3日間。
金沢と信州を行ったりきたりの職人。
始めは客として、全国の蕎麦を食べ歩いていたのが、飽き足らず、ついに蕎麦屋になた男。
ここの蕎麦も言いようのない味がある。
No.3は船場センタービル4号館北にある御堂ビル地下にあった「為朝」。
ビル地下にあるそば屋としては並ではなかった。
開店の11時にあわせて、蕎麦を打つ。
ここの天ざる、揚げたての天婦羅とそばつゆもよく合っていた。
この地に来てから、まだ唸るような蕎麦に、お目にかかっていない。
何方か、美味しい蕎麦屋をご存知でしたら、教えてください。
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東京時代、ある日、課長「西村君、3〜4日出張して欲しいが、仕事に差し障りはないヵ?」
「何とかなると思いますが、何時、どちらへ?」
「ん、秋の慰安旅行、伊豆方面で探して来い。まぁ、この間の仕事の報奨ゃ」
「ハイ、行かせて貰います」と云う事で、次の、日曜日から、修善寺、湯ヶ島、湯ヶ
野と、伊豆の踊り子の舞台を巡り、最後は、熱海に宿泊して戻りました。
当時は、湯ヶ島から湯ヶ野の道は険しく、ガタガタ道で、こんなところを、まぁよく
バスが通れるな〜ぁ、と思いました。
慰安旅行の下見となると、旅館のサービスも良く、愉快なたのしい旅でした。
湯ヶ野の仲居さんは、本当に素朴で、風呂に入っていると、背中を洗いにきてくれま
した。もうそんな素朴なところは、日本にはなくなったように思います。
その後、慰安旅行は修善寺に、きめました。
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奈良へ来る直前、これからは、簡単に行けないだろうから、中宮温泉(ちゅうぐう)へ行ってこようと思い、4〜5日の予定で家を出ました。
中宮温泉は、白山の北に位置し、白山スーパー林道の入り口に当たります。
金沢から電車とバスを乗り継いで、3時間半かかりますが、お湯は、絶品で、トロ〜っとした実に柔らかいお湯です。
宿に着き、一風呂浴びて、夕食。
岩魚の刺身、ますの塩焼き、山菜料理「いいなぁ」と、満足して、もう一風呂浴び、床に。
翌朝の食事は、温泉湯で作った粥、誠に満足そのもの。
散歩に出てみると、周りは、山菜の山(とること禁止)、自然そのものを満喫。
ここまでは結構尽くめ、ところが、その晩の夕食、昨日と全く一緒、その次の日も、これには、参りました。
4晩いて食事を変えてくれたのは、一回だけでした。
でも、家内と時々ですが、「もう一度行きたいねぇ」と、話すことがあります。
お湯は、それ程いい湯なんです。じゃ〜また |
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私が、行って来た中で、「いい所だなぁ」と思った所、幾つか、紹介しましょう。
(行かれた事があるかもしれませんが)
琵琶湖より広いと云われる、十津川町になると私も良く分かりません。
もう一寸、近いところで、先ず、橿原の、今井町。奈良の、奈良町とは似ているようで全く違います。「何処が違うって?」それは、行って見れば、分かります。
食事は、2〜3000円かかりますが、まぁまぁです。
手作りの豆腐屋さんも人気があるようです。
桜井市多武峰の談山神社。紅葉の時期には人も多いが格別です。食事は、普段3000円が、4000円にはねあがります。
大宇陀の又兵衛桜。女性的な上品な桜で見ごたえがあります。吉野の桜も良いですが、ただ一本の又兵衛もいいですよ。
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早速の連絡有難う。
申し訳ありませんが、今まで、埼玉と云えば、東京の、ベットタウン、それと、ウ
オーカーである、私にとっては、日本スリーデーマーチの東松山がある所、ぐらいに
しか思っていませんでした。
川越には、立派な歴史があったんですね。まだ全部は見ていませんが、奈良とも結構
関係が有りそうですよ。
三芳野を訪れたと云う在原業平、オーナーママの住む町には、業平つれずれの道があ
り、姿見の井戸と云うのがあります。
また、川越城主、柳沢吉保は、大和郡山城主でもありました。
一度川越を、歩いてみたくなりました。
奈良の歴史は、、ふる過ぎて、親しみにくいところが有りますが、其方の歴史は、江
戸時代以降になるだけに、身近に感じます。
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