長崎・キリシタンの足跡を辿る旅
その
旧外海町(黒崎、出津)
                 
〜長崎県長崎市


出津(しつ)文化村 旧出津救助院跡とド・ロ壁

 2日目の朝が来ました。今日は、少し遠出して外海地区(旧西彼杵郡外海町)を訪れます。外海町は、西彼杵半島の南部に位置する町。平成17年1月、市町村合併により長崎市の一部となりましたが、長崎の市街地からは車で1時間ばかりかかります。

 
穏やかな角力灘(すもうなだ)に面した外海は、夕陽の美しい場所として有名で、市の内外からその夕陽を見に、ドライブがてら訪れる人が多いそうです。一方、私が行きたかった外海町は、五島、生月と並ぶ隠れキリシタンの町・・・今は、カトリックの美しい教会を持つ町。そして、遠藤周作さんが「心の故郷」といい、「沈黙」の舞台トモギ村のモデルとした町でした。出発前はこの町について、ガイドブックなどに載っている簡単な知識しか持たなかった私ですが、実際にこの地を歩き回り、この土地に生きた人々の苦難の歴史、そしてこの地一生をささげたひとりの宣教師の人生を肌で感じて、私の中に一生消えないなにかを残す旅になりました。

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長崎新地ターミナル

 外海町へは、昨日空港からのバスを降りた長崎新地ターミナルから出かけます。8時20分発の「桜の里ターミナル」行きの長崎バスに乗るため、ホテルでささっと朝食を済ませ、歩いてターミナルへ。桜の里ターミナルは途中にある乗換駅で、外海町へはそこからさらにバスを乗り換えて行きます。

 

 バスは、市街地のあちこちを回ったあと、急な山道をどんどん分け入っていきます。イメージでは半島を海に沿って行くと思っていたので、なんだかびっくり。驚いている間にもバスはどんどん進んで、周りはどんどん山深くなっていきます。なんだか、小田原から箱根へ行くバスに乗っているときと似てる・・・。でもこんな険しい道を通らないと行けないからこそ、禁教の時代にも信仰を守りつづけることができたのでしょうね。

 やがてそんな山地を抜けると、公営の団地が建ち並ぶちょっと新しい町が現れ、さらにちょっと行くと急に目の前が開けて大きな水産加工場のある港に出ました。その近くが、「桜の里ターミナル」でした。ここまでで50分くらい(まっすぐ行かないので、自分で運転していくよりは時間がかかります)。

 
桜の里ターミナル

 そこからは、サイカイバスに乗って海沿いの道を行くのですが、複雑に入り組んだ海岸線とその海岸まで迫った険しい山のせいで、少し山側へ入ると海は見えなくなり、ひとつ岬を過ぎるとさっきまで走っていた海岸線はまったく見えなくなる、という風。そんなことを数回繰返して、また小高い山の上に出たとき、遠くに雨に霞んだ外海の町が現れました。


深く入り組んだ湾の向こうに外海の町が見える

 町に近づいて最初に目についたのは海岸沿いにある学校でした。なんだか賑やかな声がするなぁと思ったら、そこの学校の生徒さんが目の前の海で泳いでいるのでした。授業でしょうか。その少し先が、私の降りるバス停でした。

カトリック黒崎教会カトリック黒崎教会
 バスが黒崎海岸から少し陸地の方を向いて走り出すと、すこし小高い場所に赤煉瓦造りの教会が見えます。
 そこが、私が外海で最初に訪れた「カトリック黒崎教会」です。険しい山道を越えてやってきた先にこんなに洒落た教会を見つけ驚きますが、遠藤周作さんの作品を読んだ者にはこれぞ外海!という気がして胸が高鳴ります。



黒崎教会の外観(右の2枚は拡大します)

 この外海の地にキリスト教が伝来したのは西暦1571年。その当時には15もの教会が立てられたといいます。しかしその後の厳しい弾圧の中で、教会は破壊され、信者達は隠れキリシタンとなって潜伏しました。
 その後、信徒発見、キリスト教の解禁を経てこの教会の建設が計画されたのが1897(明治30)年。いくつかの候補地の中から海からも山からも望めるこの場所が選ばれ、ド・ロ神父の指導により造成に着手。土地の造成だけで3年、資金難のための中断をへて、計画から23年後1920(大正9)年に完成しました。子供を含めた信徒が一つひとつ煉瓦を積み上げるなど、信者の方の多くの犠牲と奉仕により作り上げられました。

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 聖堂の中では信者の方がお掃除をされている最中でしたが、覗いてみると快く迎え入れてくださいました。


黒崎教会の内陣(クリックで拡大します・・・ピンボケですが)

 内部は、こうもり天井とステンドグラスが美しく、思わず息をのんでしまいました。



三廊式こうもり天井が美しい
(クリックで拡大します(こちらの方がボケていないです))

素朴だがとても清らかな光を湛える
ステンドグラス


 
きっとお邪魔だったでしょうに、お掃除をされていた方はわざわざ私のために明かりをつけてくださり、おかげで細かいところまでじっくり拝見することができました。それからずいぶん長い間、長椅子に座っていました。ふと気づくと同じ椅子に大きな蜘蛛が座っていて思わずぎゃっ!と逃げてしまいましたが、思えばあっちはもっと怖かったでしょうね。必死に逃げるのを見てごめん〜!と思いました^^;

 また燭台として、立派な貝殻が使われていたのに驚きました。この土地で獲れたものでしょうか。

 外に出ると、裏の幼稚園の子供たちが遊びに来ていて、神父さんもいらっしゃいました。教会の横には付属の鐘楼があり、隠れキリシタンの帰依を願って設置されたとのことです。この地には禁教が解かれたあとも先祖伝来の信仰を守り続ける隠れキリシタンの方々が今もいらっしゃるのです。


黒崎教会の前庭から。遠くに海が見えます

枯松神社への道
 黒崎教会を後にして、次は隠れキリシタンの聖地、サン・ジワン枯松神社へと向かいます。え?キリシタンの聖地なのに、神社?実は、この枯松神社は日本に3箇所しかない「キリシタン神社」なのです。


枯松神社への登り口

 神社へは、黒崎教会のすぐそばにある登り口から行きました(別ルートもあるみたい)。事前に調べたところによると、神社はかなり山深いところにあり、車で5分ばかりの距離のようです。山深いのはとにかく、車で5分なら歩いてでも行けないことはないだろう・・・と思っていたのですが、長崎市街から外海町までの道中、山又山の厳しい道のりを目の当たりにしてきたので、正直ちょっと心が揺らいでいました。
 でも上の写真に写っている青い字の看板に「臨時駐車場100メートル」とあったので、100メートル先からはみんな歩いていくのね、と思い、せっかくここまで来たんだからととりあえず行ってみることにしました。

 でもやっぱり考えが甘かった?
 何度もカーブするかなり急な山道(車道)をふうふう言いながら登って行くと、なるほど広い観光駐車場が現れました。きっとここからはすぐだな♪なんて思っていたのですが、とんでもない。しばらく民家の建ち並ぶ道をどんどん登るものの一向にそれらしきものは見えません。それでも海から吹く風が汗ばんだ肌に気持ちよく、一本道なので間違いということはないだろう、とさらに行きました。するとやがて民家も途絶えて、本格的な山道に・・・。さすがに少し心細いです。

 そうこうしている間にもう後にはひけなくなって、無言のままずんずんと。気がつけば、かなり上のほうまで登って来たようで、先ほどまでいた海沿いの町がはるか眼下に。ゴオオッという轟音がしてびくっとなったのですが、風が山の木々を揺らしているのでした。大げさではなく、戦闘機が訓練でうちの上空を通過した時と同じくらいの音。元々お天気はよくない日でしたが、厚い雲が太陽を覆い隠すと上の写真のように暗くなって・・・遠くに見える海もどんよりと暗く・・・どうしょう〜って思っちゃったf^^;

 
でも時々車も降りてくるし、ちゃんと舗装された道だし、きっと大丈夫。隠れキリシタンが守ってきた神社なんだもの、そんなに簡単にたどり着けるわけがないよね。

 そして・・・ついに。 

 「枯松神社」の看板が!この森の中に、神社があるようです。
 森の横には、運動広場がありました。写真に写っている階段をのぼって森の中へ入っていく道もあるようですが、あまりにも鬱蒼として見えたので、さらに舗装道をのぼって、こちらの集落の方々の墓地をぬけさせてもらい、横手から森に入りました。

サン・ジワン枯松神社


サン・ジワン枯松神社

 こちらが、やっとたどり着いた枯松神社の社です。見た目はふつうのお社ですが、最初にも述べたとおり祀られているのはキリシタン。17世紀半ば、この地にバスチャンという日本人伝道師が現れ、海岸の洞窟や山中に隠れながら布教に努め、外海の隠れキリシタンはその教えを二百数十年の間守り通したと言われています(バスチャンは、最後には拷問の末斬首されたそうです)。ここに祀られているジワン(またはジュワン=ヨハネ)という人物は、そのバスチャンの師で、日繰り(教会暦)の使用法を教え、海上を歩いて去った・・・といわれています。現在の社はサン・ジワンの墓の上に建てられたものだそうです。

 この旅から帰った後、「沈黙」を読み返して宣教師ロドリゴが隠れキリシタンたちに匿われる炭小屋のくだりを読んだとき、頭に浮かんだのはこの社でした。

 時々やってくるキリシタン狩りの目から逃れ、体中を虱に噛まれながら、はるばる異国の地からやってきた宣教師たちが隠れた小屋。夜毎やってくる信者達に洗礼を授け、キリストの教えを伝えながら、時に司祭としての誇りを感じ、時に二百有余年の間に「変質」した隠れキリシタンの信仰に不安を覚えた場所。彼が雑木林をたたく陰鬱な雨の音を聞きながら、板戸の隙間から外の様子を伺っていた粗末な炭小屋は、きっとこんなところにあったのではないだろうかと思いました。社の横には、十字架の刻まれた小さな墓がひとつ、建てられていました。

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 この社から少し下った木立の中に、大きな岩があります。

 近づいてみると、「祈りの岩」とあります。


祈りの岩

 こちらは、サン・ジワンの隠れ家だったといわれている岩で、隠れキリシタンは悲しみ節(キリスト復活前の46日間)にひそかにこの岩に集まり、ひたすら祈り(オラショ)を唱えて伝承しました。

 一人でこの場所に佇んでいると、雨の日などに人目を避けて少しずつ集まったキリシタンたちが、この岩陰に蹲るようにしてオラショを唱えている姿が目に浮かぶようでした。

想像力過多ですよね^^;

 ここから山道(ちゃんと階段があります)を降りていくと、先ほどの森の入り口のところに出ました。

 ところで、この神社は禁教の時代が終わって、もはや聖地ではなく、単なる遺構になったのでしょうか?答は否です。黒崎教会のところでも少し触れましたが、禁教が解かれたとき、この地の隠れキリシタンのすべてがカトリック信者となったわけではありませんでした。二百数十年の間、一人の司祭もなく信仰を守りつづけた結果、いつしか彼らの信仰は本来のカトリックのものとは違う独自の発達を遂げ、もはやまったく別の信仰と言っていいものになっていました。
 それゆえに、信仰の自由が認められたとき、約半数はフランス人宣教師の指導の元カトリック信者に、残りの半数のうちさらに半分は仏教徒になり(禁教の時代、隠れキリシタンはカモフラージュのため寺の檀家になっており、その信仰はキリスト教より仏教に近いところもあるそうです)、そして残りが先祖代々守られてきた教えを守る道を選んだそうです。その信仰は今も続いていて、信者は自らを旧(むかし)キリシタンと呼んでいるそうです。

 この元は同じ信仰を持っていた三派の融合はなかなか難しかったようですが、近年枯松神社の老朽化を機に合同で改修、大祭を行ったそうです。違う信仰をもつ者同士がお互いを理解しあうのは本当に難しいです(特に根っこが同じ宗教である場合には)。でもその教えの根本を思うとき、他の信仰をもつ人々を排斥することはできないはずだと思います。

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 なかなか遠い道のりでしたが、隠れキリシタンの時代を肌で感じることができ、ここまで行ってよかったと思いました。もと来た道をトコトコと戻り(今度は下りだからラクチン)、黒崎教会前まで帰ってきました。このときはなんとも思ってなかったけど、家に帰ってグーグルアースでこの場所を探してみたらホンマに山奥で・・・(横にあった運動場で探しました)、ちょっとだけ怖くなりましたf^^;


帰り、最後の坂に差し掛かった時に見えた風景。
先ほどお邪魔した黒崎教会が見えます。(クリックで拡大します)

遠藤周作文学館
 教会の前から、再びバスに乗って次の目的地「遠藤周作文学館」へ向かいます。バス停たった二つ分先なのですが、枯松神社までの往復でさすがにしんどくて・・・それに文学館へ続く道はとっても急な坂道になっていたので、歩くのはやめにしました。


バスに乗って・・・

 とっても急な坂道をぐんぐん登って、バスはあっという間に目的地に着きました。事前に調べたところでは、文学館のある岬まで行くには「黒崎支所前」というバス停で降りて、国道沿いをしばらく歩かないといけません。左手にかつて小佐々水軍の砦があった城山という草深い山を見ながら、歩いていきます。雨交じりの冷たい風が容赦なく吹きつけて、吹き飛ばされそう・・・(え?そんなに華奢じゃないやろうって?)
 しばらくして城山を越えると、左手に暗い海が広がりました。

 
こちらをクリックしていただいたら拡大写真がご覧になれます

 真夜中、船はふたたびできるだけ静かに動き出しました。が幸い月がないために空は真暗で誰にも発見されません。半レグワほどの高さの陸地が少しずつ迫ってきます。両側が急な山の迫っている入り江に入り込んだことに気づきました。浜の向こうに押しつぶされたような家々の塊が見えたのもこのときです。(「沈黙」より)

 目の前に今越えてきた城山と文学館のある小城鼻と呼ばれる岬が迫り、その向こうにも険しい岬が連なっている暗い海・・・。風はあいかわらずごうごうと吹きつけてきます。上に引用した沈黙の一節が心に浮かびます。宣教師ロドリゴがはじめて日本への潜入に成功したトモギ村の入り江はここに違いない、と思ってしまうくらい緊迫感のある風景でした。


右端に見える白い建物が遠藤周作文学館

この坂道を下っていくと、遠藤周作文学館の白い建物に到着です。

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少し晴れた^^

 遠藤周作文学館は、氏の没後、平成12年に開館しました。遠藤周作さんは「沈黙」の取材をはじめとしてこの地を何度も訪れ、生前にも文学碑が建てられるなどの交流がありましたが、没後、長崎を心の故郷としていた周作さんの遺族の厚意により建てられたものだそうです。
 何年か前、偶然雑誌できらめく海を背後に従えた真っ白なこの文学館の写真を見て以来、いつか訪れたいと思っていたのがやっと叶いました。石垣の向こうに、味のある字体で「遠藤周作文学館」とあります。ご本人の書でしょうか?


文学館のポーチ

 文学館に入館するには、明るいポーチを抜け、その向こうの角力灘が見渡せる広々としたテラスを通っていきます。このテラスからの眺めが素晴らしい!


クリックで拡大します

 目の前に海の広がる素晴らしい眺望!小高い丘の中腹に位置しているので先ほどのように険しい断崖が目の前に迫ることもなく、角力灘は優しく広がっています。少し晴れたことも手伝って、先ほどと同じ海を見ているとは思えないほど穏やかな景色です。

 ここからは、晴れているときは五島列島が見えるそうです。今日は見えなくて残念!テラスにある地図(左・・・クリックで拡大します)には、近隣の土地や五島列島に加えて、外海の姉妹都市であるフランスのヴォスロール村(ド・ロ神父の故郷)や宣教師たちのふるさとポルトガルの方向まで書いてあって、思わず微笑*^^*

 
地図を拡大していただくと、文学館の右上あたりに「母子島」「大角力」「小角力」とあるのが見えると思います。


大角力・小角力と母子島

 上の写真にぼんやりと見えるのがそれで、この日は霞んでいたのが残念でしたが、この岩の向こうに夕日が沈む景色はそれは美しいそうです。例えば、こちら

 伸びやかな景色を久しぶりに?堪能したら、いよいよ文学館に入ります。

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エントランスホール

 エントランスホールは、天井が高くてステンドグラスの窓がとってもきれい。正面に、スーツでびしっと決めた遠藤周作さんのお写真が迎えてくれます。ちょっと格好をつけたその姿は、遠藤さんというより「孤狸庵さん」と呼びかけたくなる感じ。ちょうど見学に来ていたおばさまたちに囲まれての撮影会の最中でした。

 展示室は撮影できなかったのですが、遠藤周作さん愛用のデスクが置かれた書斎コーナーや、生原稿などが展示されていました。館内には静かな聖歌がかかっていて、それを聞きながら鉛筆書きの沈黙の草稿を読んでいると、自然といろいろなことを考えてしまいます。生涯をたどるパネル展示もあり、本ですでに知っていることでしたが、この外海で見ることにとても意味があるように思えました。一つ目の展示室にあった直筆の

「踏絵を踏む足も痛い」

という色紙の言葉がとても心に響きました。左はその展示室から見た外海の海です。

 二つ目の展示室は一転して、悪友さんたちとのお手紙や演劇活動など、孤狸庵ワールド全開。お手紙に書かれたユーモア溢れる悪態の応酬に思わず声をあげて笑いそうになりました。ほかに、蔵書やビデオなどを見ることのできる図書室もあり、時間があったらいつまででも居たいようなところでした。

そうそう、館内の休憩コーナーに来館者が感想を各ノートがあったのでパラパラとめくっていたら、修学旅行生の書いたのがあり、「周作(呼び捨てか)という作家は知らなかったけど、海がきれいだった」とか書いてあって笑ってしまいました。せっかく来るんやったら勉強してきたら良いのに(笑)。

長崎のゴハン(3)

 文学館を出たら、ちょうどお昼時でした。
今日のお昼は、外海では絶対これを食べる!と心に決めていた
「ドロさまそうめん」


ドロさまそうめん
(文学館の喫茶室「アンシャンテ」にて)


 ドロさまとは、今までにも何度か名前が出ているド・ロ神父のこと。
この素麺は、そのド・ロ神父が考案したものです。

フランス・ヴォスロール村の裕福な貴族の子として生を受けたド・ロ神父は、
宣教師となり1868年日本にやってきました。
父の教育方針により建築、医療、農業などあらゆる技術を学び、
また宣教の旅に出るに当たって莫大な財産を譲られたド・ロ神父は、
教会を建て、印刷技術を駆使して布教に努めるのはもちろん、
外海に赴任したあと、この地の貧しい農民達のために
道路を作り、原野を開拓して西洋野菜の栽培を広め、パンやマカロニの
製法を教え、子供の教育、村人の治療にあたり・・・、
さらには広い土地を買って開墾し、農民達を入植させるなど、
教会の建設現場での事故で亡くなるまでの人生と私財のすべてを投じて、
この地の人々のために尽くした方。
今も、外海の人々とともにこの地に眠り、土地の人々の尊敬を集めています。

この素麺も、普通のものと違いピーナツ油を使った独特の風味があります。
夏は冷たく、冬は暖かくして供されるそうです。


おみやげに買うこともできます

私がいただいたのは、文学館に喫茶室でしたが、
これから行く出津文化村の前にある
「日浦亭」という食堂でもいただけるそうです。

また、文学館のすぐそばにある道の駅でおみやげ用に買うこともできます。
素麺だけではなく、パスタもあるんですよ!



道の駅でドロさまそうめんを買うついでに、
カシスシャーベットでクールダウン♪とってもおいしかったです。
道の駅にはド・ロ神父の故郷ヴォスロール村の郷土料理がいただける
レストランもあって、大人気なんだとか。ド・ロ神父は今も愛されているんですね。

◆遠藤周作文学館休憩室「アンシャンテ」 長崎市東出津町77番地
◆道の駅夕陽が丘そとめ 長崎市東出津町149番地2

食事を終えて外に出たら、この日で一番海がきれいに見えました。



次は、出津文化村に行きます

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