《プロジェクト杉田玄白正式参加作品》

エレホン

− 山脈の向こう −

サミュエル・バトラー:著

永江良一:訳

この文書は
Samuel Butler :
Erewhon or Over the Range
を日本語訳したものです。
翻訳はeBooks@Adelaideのテキストに基づいています。

©2007 Ryoichi Nagae 永江良一
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この翻訳は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(帰属 - 同一条件許諾)の下でライセンスされています。
ご指摘、ご教示などありますれば永江良一まで


もくじ

  1. 荒地
  2. 羊毛作業場で
  3. 川上へ
  4. 鞍部
  5. 川と山脈
  6. エレホンに入る
  7. 第一印象
  8. 監獄にて
  9. 首都へ向かう
  10. 一般に受け入れられている考え方
  11. エレホンの裁判
  12. 不満分子
  13. エレホン人は死をどう見ているか
  14. マハイナ
  15. 音楽銀行
  16. アロヘナ

第1章 荒地

ぼくの素性だの、ぼくが祖国を離れざるをえなくなった状況だのは、話さなくてもよいだろう。だって、その話は読者には退屈だし、ぼく自身には苦痛なのだから。どこか新しい植民地に行って、牛や羊を飼うのに適した手つかずの官有地を見つけるか、購入してもよいから手に入れて、イギリスにいるよりもっと早く幸運を手にするつもりだったとだけ言っておけば十分だろう。

ぼくの計画は成功しなかったこと、それに多くの目新しく不思議なことに出くわしたとは言え、金儲けはできなかったことは、やがてわかるだろう。

確かに、ぼくはすごい発見をしたと思っている。それは、その発見を利用する最初の人間になれば、金銭では計り知れない報酬を受け、宇宙開闢以来、十五、六人ほどしか就いたことのないような地位を保証されるってほどの発見だ。でも、この目的を遂げようとすると、かなりの額のお金が必要なのだ。そのお金をどうやって手に入れるかだが、思い浮かぶのは、ぼくの物語で世論の興味をひきつけ、慈善家が名乗り出てぼくを援助してくれるようにするっていう方法だけだ。ぼくが自分の冒険を公表するのは、こういう希望を抱いてのことだ。でも、まるで気がすすまない。というのも、その物語を全部語らないと、疑われるかもしれないという恐れがある。けれど、あえてそうしようものなら、ぼくより手段を持つ他人が、ぼくを出し抜くかもしれないからだ。先を越されるより、疑われる危険のほうがまだましというものだ。だから、イギリスを出て、どこへ向かったか、またどの地点から容易ならざる困難な旅に出発したのか、そういうことは伏せておくことにしよう。

真実というものは、それが真実だという印を帯びているものだ。それに、ぼくの物語は、その正確さが内部に痕跡をのこしているので、説得力がある。それだけが、ぼくの最大の慰めだ。己れに誠実な者なら、ぼくが誠実だということを疑いはしないだろう。

ぼくは、一八六八年の終りのある月に目的地に着いた。でも、あえて季節は言わないことにする。ぼくがどちらの半球にいたのか、読者に悟られないようにするためだ。この植民地は、もっとも冒険的な入植者が入るようになってから八、九年しかたっておらず、時おり海岸に出没する数部族の未開人を除けば、以前は無人の地だった。ヨーロッパ人が知っている地域は、約八百マイルの長さの海岸線(それには三つか四つ良い港があった)と、かなり険しい山脈の支脈に達っするまで、二百から三百マイルのさまざまな広さで内陸に広がる田園地帯だった。この山脈は、はるかかなたの平原からも見えていたが、万年雪に覆われていた。ぼくが暗に示している地域の北も南も、海岸は完全に知りつくされていた。けれど、南北どちらの方向にも五百マイルにわたって一つも港がなく、山脈はほとんど海に落ち込んでいて、厚い森林に覆われていた。それで、だれも入植しようとは思わなかった。

しかし、この山間に入り込んだ平地では、状況が違っていた。港は十分にあったし、土地には樹木が茂っていたけれど、密生しすぎるほどではなくて、農業に向いていた。そこにはまた、何百万エーカもの世界中でも最も美しい草地があり、あらゆる種類の羊や牛に最適の土地だった。気候は温暖で、とても健康的だったし、野獣はおらず、現地人も危険ではなく、数も少なく、知性があって、おとなしい性質だった。

すぐさまわかるのは、ヨーロッパ人が一旦この地域に足を踏み入れるや、その生産性を利用するのに、のんびりなんかしてはいなかったということだ。羊や牛が移入され、ものすごい勢いで飼われはじめた。人々は次から次へと内陸に入り、五万から十万エーカの農地を占有し、数年後には、海とまだ入植されていない正面の山脈との間には、一エーカの土地も残っていなかった。全域に二十から三十マイルの間隔をあけて羊や牛の大牧場が点在していた。正面の山脈はしばらくの間、牧場主の波を食い止めていた。そこは、一年のうちあまりに長いあいだ積雪が多すぎるし、羊を失うかもしれず、地勢も牧羊向きではない。羊毛を船まで運ぶ費用が農場主の利益を食いつぶすし、草が硬くて不味く、羊が育たない。こんなふうに考えられていた。けれど、やってみてみようという連中が次々に現れ、ものの見事にうまい具合にいったのだ。人々は奥へ奥へと山中に入り、正面の山脈と、もう一つ最高峰というわけではないけれどかなり険しい、平原からも見える雪を被った大きな山脈との間に、かなりの面積の土地がみつかった。しかし、この第二の山脈が、牧畜用地のいちばん果ての境界だと考えられていた。この場所の小さな新設の牧場で、ぼくは見習いとして採用され、すぐに正規に雇われた。その時、ぼくはちょうど二十二歳だった。

ぼくはこの土地も暮らしぶりも気に入った。ぼくの日々の仕事は、高い山の頂に登り、稜線を平地まで下って、羊が一頭も境界の外に出ていないのを確かめることだった。羊を見るのに、間近にいる必要はなく、一群に集めておく必要もなかった。ただ、あちこちに羊が十分な数いて、なにもまずいことが起っていないという感じがしてれば、それでよかったのだ。羊は八百頭足らずだし、それにすべて子持ちで、とてもおとなしかったので、難しいことなんかなかった。

ぼくには見覚えのある羊がかなりいた。黒い雌羊が二、三頭、黒い子羊が一、二頭、それから目立った特徴を上げることのできるやつが数頭という具合にね。ぼくはこうした羊を捜してみる。こいつらが全部いて、群の大きさが十分なら、万事よしと安心というわけだ。驚いたことに、目はすぐに慣れて、二、三百頭のうち二十頭がいないとわかるようになった。ぼくには望遠鏡と犬が一頭いた。そしてパンと肉とタバコをもって出かけた。夜明け早くに出発して、一回り終えると、もう夜になっていた。というのも、ぼくが登らなくちゃならない山はとても高かったからだ。冬には山は雪で覆われたけど、羊を上から見張る必要はなかった。羊の糞だの足跡が山の反対の斜面(そこは流れが谷を刻み、ただ行き止まりになっていた)へと向かっているのを見たら、そのあとをたどって、羊を見つけ出さなくてはならなかった。でも、そんなことは一度もなかった。羊たちはきまってこっちの斜面を降りていくのだ。一つには習慣なのだろうが、もう一つには、おいしい牧草が多かったからだ。ぼくがやって来る直前の早春に、そこは野焼きして、今ではおいしそうな青々とした豊かな牧草が生えていた。一方、反対側は一度も野焼きしたことがなく、茂りすぎて硬そうな草地だった。

単調な生活だった。けれど、とても健康的だった。それに人間は、うまくいってるときには、まるでなにも気にしたりしないものなのだ。そこは思いつくかぎりで最高の土地だった。何度となく山腹に腰を下ろしては、起伏のある草原を見下ろしたものだ。かなたには小屋が二つの白い点となり、その後ろには庭が小さな四角形となって見えていた。小屋のそばには鮮やかな緑のオート麦の畑のある小放牧場、そして眼下の平地には囲い地と毛刈り小屋があった。空気は澄みわたりくっきりと見えたので、すべてがまるで望遠鏡をさかさまに覗いているように見えた。あるいは広大な模型か眼下に広げた地図を見下ろしているかのようだった。草原の向こうに平野があり、今なお冬の雪が融けやらぬもう一つの高い山脈の遠い斜面から、大きな川へと下っていた。その川は、二マイルほどの幅の河床を、幾筋もの流れとなって蛇行していた。その上流に目をやると、第二の巨大な山脈があり、川が山中に分け入り見なくなっている山峡を見ることができた。ぼくはその奥にさらに山脈があるのを知っていた。でも、それはぼくの上る山の頂上付近からしか、その一部なりとも見えはしなかった。しかし、この地点からは、雲さえなければ、ただ一つ雪に覆われた峰が何マイルも遠くに見えた。この山は世界中でも、どこにもひけをとらない高さだろうと思う。人の手になるものといえばごく付近の農家だけ。広漠たる山や平野、川や空というこの眺めの断固たる寂寥感を、ぼくは一生忘れることはないだろう。見事な大気の効果で、あるときは白い空を背景に黒い山塊が、また寒い天候の後には暗い空を背景に白い山塊が見えた。ときには雲の裂け目と渦の向こうに見えることもあった。またあるときは、霧の中の山を登り、霧雨の中を進んで上へ上へと行くと、白色の海から島のように幾多の峰が突き出ていた。それを見下ろすのが、最高の眺めだった。

これを書いているとき、ぼくは今もかの地にいる。草原や小屋や平野、それにはるかな水の轟音とともに、侘しさが激流となってほとばしる河床。それらを見ることができるかのようだ。あゝ、なんたる素晴しさ。頭上には灰色の雲、迷った子羊の、心臓の鼓動のような息づかい以外には音もなく、なんたる孤独、なんたる荘厳。やがて痩せ衰えた親羊が、太い嗄れ声をあげて、可愛くもない顔をして、心残りの牧草地を後に駆け戻る。この谷を調べ、あの谷を調べ、立ち止まって頭を上げて聞き耳を立てる。遠くに鳴き声を聞きつけ、そっちへ向う。さては、見つけたんだ。お互いに駆け寄る。あゝ、どちらも間違っていた。子羊の親じゃなかった。お互い血のつながりはない。それで、冷淡に別れる。どちらももっと大声で鳴きながら、さらに遠くまで彷徨うしかない。日暮にはそれぞれ親なり子なりを見つけだせばよいのだが。しかし、これはただの夢想。先を続けよう。

ぼくは川の上流、第二の山脈のむこうに何があるのか、あれこれ思いめぐらさないではいられなかった。ぼくは無一文だが、利用できる土地さえ見つければ、借りた元手で放牧し、いっぱしの人間になれるのに、と思っていた。確かに、山脈はとても広大そうで、それに分け入ったり越えていくちゃんとした道などありそうになかった。けれど、まだだれもそこを探検したことはなく、それに不思議なことだが、人間は、離れたところからは接近できないように見えるところにも、入っていく道を(駄馬の通れる道さえも)つくるものなのだ。川はとても大きいから、内奥地の水はけはよいはずだ。少なくとも、ぼくはそう思った。さらに奥地へ羊を連れていくなんて、狂気の沙汰だと誰もが言ったが、今でこそ、ぼくの雇い主の羊の群が走りまわっているこの土地も、わずか三年前には同様の反対の声が上っていたことを、ぼくは知っている。山腹で休憩しているとき、ぼくはこうした考えを頭から締め出すことができなかった。日課の見回りに行くたびに、こうした考えが浮かんでくるんだ。そして、刻々と膨らんで、とうとう、毛刈りがすめば、躊躇するのをやめて、馬に鞍を置き、できるかぎりの食糧を持って、一人で行ってみようと決心した。

けれど、この考え以上に、大きな山脈そのものについて思いを巡らせた。その向こうに何があるのか。だれが答えられるのだろう。実際、山脈の向こう側に人がいるとして、その人間以外には、世界中のだれ一人として、わずかな知識も持ち合わせていない。山脈を越えていく見込みはあるのだろうか。これはぼくが望みうる最高の成功だろう。けれど、まだ考えるべきことが山ほどあった。近いほうの山脈をやってみれば、どれくらい遠くへ行けるかわかるだろう。土地が見つからないにしても、金だのダイアモンドだの銅だの銀だのが見つかればよいのだが。ぼくは腹這いになって小川から水を飲むことがあったが、砂のあいだに小さな黄色の粒を見た。これは金じゃないのか。だれもが金じゃないと言う。でも、大量に見つかるまでは、だれも金があるとは言わないものだ。そこには粘板岩や花崗岩がたくさんあったが、そういう岩には金はつきものだということを、ぼくは知っていた。たとえ、ここでは費用に引き合うほどの量がみつからなくても、主山脈では大量にあるかもしれない。ぼくは、こうした考えで頭が一杯になり、それを消し去ることができなかった。


第2章 羊毛作業場で

とうとう毛刈りの時期がやってきた。毛刈り人にまじって、チョウボクというあだ名の年老いた現地人がいた。ほんとの名はカハブカというのだと思う。彼は現地人のある種の頭で、少しばかり英語が話せたので、宣教師の大のお気に入りだった。彼は毛刈り人といっしょにやるような決まった仕事があるわけではないが、仕事場で手伝っているふりをしていた。でも、ほんとの目的は酒を手にいれることだった。毛刈りの時期はいつも、普段よりたくさん酒が出回っていた。彼はあまり酒を手に入れることはなかった。というのは、彼は酔うと危険なことになりがちで、また僅かの酒でも酔っぱらうからだ。それでも彼は時おり酒を手に入れた。彼から何か聞き出したければ、それが一番のえさだ。ぼくは、彼に問い質して、情報を得ようと決心して、酒をふるまった。近いほうの山脈について尋ねている間は、気楽にうまくやっていた。彼は一度もそこに行ったことはないが、彼の部族の間には、そこには羊の放牧地はおろか実際なにもなく、ただ育ちの悪い立木と僅かな河床の平坦地があるばかりだ、という内容の言い伝えがあるということだった。辿り着くのはとても困難だが、それでも道があり、その一つはこの川の上流にあるが、河床沿いにそのまま行くのではなく、峡谷を使うのは無理だ。それに、彼はそこに行ってきたという奴に会ったことはない。こっち側にいるだけで十分じゃないかと、言うのだ。しかし、ぼくが主山脈に触れると、すぐに彼の態度は変った。彼は落ち着かなくなり、言い逃れをしたり胡麻化したりし始めた。まもなく、ぼくは、これについても彼の部族には言い伝えがあるとわかったが、どう努力してもどう説得しても、それについて彼からなにも聞き出せなかった。とうとうぼくが酒のことをほのめかすと、すぐに彼は同意するふりをした。彼に酒をくれやったが、それを飲むとすぐ、酩酊したふりをして、寝てしまった。というか寝たふりをした。かなりひどく彼を蹴ってやったが、身動き一つしなかった。

ぼくは怒っていた。だって、酒なしでいなくてはならないし、彼からはなにも聞き出せなかったのだから。そこで翌日には、なにか彼にやる前に彼にしゃべらせよう、さもなきゃなんにもやるまいと心に決めた。

だから、夜が来て、毛刈り人たちが仕事をやめ、夕食をとるころ、ぼくはブリキの小鍋でラム酒の分け前にあずかると、羊毛作業場についてくるようチョウボクに合図した。彼はよろこんで、こっそり抜け出してぼくの後についてきた。だれもぼくらには気がつかなかった。羊毛作業場に入り込むと、獣脂ろうそくに火を灯し、古い壜に挿して、羊毛の梱包に座りこむと、ぼくらはタバコを吸い出した。羊毛作業場というのは広々とした場所で、なにか聖堂と同じような設計になっていて、両側には羊の囲いに十分な広さの側廊があり、大きな身廊にあたる部分は、奥の端で毛刈り人が作業し、さらに羊毛選別機と梱包機を置く空間がある。古風な外観(これは新しい土地では貴重なものだ)を見るといつもぼくは元気になるが、この植民地で最も古い羊毛作業場でも建ってから七年にもならず、ここのは出来てわずか二年にすぎないことを、ぼくは承知していた。チョボクはすぐにも酒を欲しがったが、ぼくらは二人とも、相手がなにを求めているのか、他方からなにを手に入れようと競っているのか、よくわかっていた。一方は酒を、もう一方は情報をだ。

ぼくらは激しく闘った。二時間ばかり、彼は嘘でやりすごそうとしたが、ぼくを説得するには至らなかった。その間中、ぼくらは実際にお互い格闘したも同然だった。見た目はどちらも得点を上げられずにいたが、やっとのことで、ぼくは、彼が最終的に降参し、ちょっと我慢していれば彼から伝説を聞き出せるという確信を抱いた。冬の寒い日にバター造りで攪乳器をかき回してると(ぼくもよくやらされたものだが)、ただむなしくかき回しているだけで、バターができる兆もない。そうするうちに、やっとクリームが固まってきて、突然バターができはじめたとわかる。それと同じように、ぼくは、チョウボクが、いうなれば固まる段階まで来たとわかるまで、彼をかき回し、間断なく圧力をかけ続けて、勝利を掴んだのだ。突然、予告もなしに、彼は羊毛の梱包を二つ床の中央に転がし(彼は力が強かった)、その上に別の梱包を交差してのせた。それから空の羊毛袋をつかむと、それをマントのように自分の肩にかけ、梱包の一番上に跳び乗ると、その上に座った。しばらくすると、彼の全体の形が変った。そびやかした肩を落し、手と腕を体のそばにくっつけ、掌を太股にあてがった。頭は高く、真っ直ぐに保ち、眼は顔の正面を見据えたが、恐しげに眉根を寄せて、顔の表情は断固として険悪なものに見えた。チョウボクは一番良く見えるときでもかなり醜かったが、今やその醜悪さは想像の域を越えていた。彼の口はほとんど耳から耳まで広がり、歯をむき出しにして、すべての歯が見えていた。その眼は見据えたままだったが、ぎらつかせ、顔をしかめて、もっとも凶悪そうなしかめっ面をした。

ぼくが心配なのは、彼の容貌の滑稽なところだけを、伝えているのではないかということだ。しかし、滑稽さと崇高さは紙一重なのだ。チョウボクのグロテスクな悪魔のような形相は、崇高さには至らないまでも、それに近かった。ぼくは面白がろうとしてはみた。でも、彼が一生懸命表そうとしているものを見て、不思議に思っていると、ぼくは、ある種ぞっとするような感じがした。それは髪の毛のつけ根から、やがては全身に広がった。彼はしばらくこんな具合で、石のように硬直してまっすぐ座り、この恐しい顔をしつづけた。それから彼の唇から、風のような低いうなり声がして、ごく少しづつ高くなったり低くなったりしながら、とうとう金切り声のようになり、それから低くなって消えた。それから彼は梱包から跳び降りて、両の手の開いた指を上にあげ、「十」と言ったが、そのときはぼくは彼の言うことが理解できなかった。

ぼくはというと、驚いて口をぽかんと開けていた。チョウボクは梱包を急いでもとあったところに転がし、とても恐しい目にあったというように、震えながら、ぼくの前に立っていた。彼の顔には恐怖が浮かんでいたが、こんどのはまったく思わず知らず浮かんだものだ。それはまるで、知りえない超人的な力にたいして恐しい罪を犯した人間が、当然感じる狼狽のようなものだ。彼はうなずいては、わけのわからないことを早口でしゃべり、何度も山のほうを指さした。彼は酒に手をつけようともせず、数秒後には羊毛作業場の戸口を抜けて、月光の下を走り去った。そして翌日の夕食時まで現われなかった。彼は姿を見せると、顔をそむけ、ぼくにたいする態度は、とてもおどおどして卑屈な様子だった。

彼が何を言おうとしたのか、まるでわからなかった。どうやってわかると言うんだ。確かだと思えるのは、彼が言おうとしたことが、彼にとっては真実であり、しかも恐しいことだということだけだ。彼が知っている最上のこと、またそのすべてを教えてくれたことが分かっただけで、ぼくには十分だった。このことは、何時間もかけてわかりやすい物語を語ってもらうよりもずっと、ぼくの想像力をかき立てた。大きな雪に覆われた山脈に何が隠されているのか、ぼくは知りはしなかった。しかし、発見するに値するものがあることは、もはや疑いようがなかった。

その後数日間、ぼくはチョウボクから離れ、それ以上彼に問い質そうという素振りを見せなかった。次にぼくが彼に話しかけたとき、カハブカと呼んでやると、彼はとて喜んだ。彼はぼくを恐れているようだったし、ぼくの配下にいるようにふるまった。それで、毛刈りが終わったらすぐ、探検を始めようと決心していたけれど、チョウボクを連れていくというのは、よい考えだと思った。それで彼に、数日、近いほうの山脈に探査に行こうと思うが、一緒に来ないかと言った。ぼくは彼に寝酒を約束し、金を見つける僥倖をつかむつもりだと言った。主山脈のことはなにも言わなかった。なぜなら、そんなことをすれば、彼はこわがってしまうからだ。ぼくは彼に、ここの川をできるかぎりさかのぼり、できるものならその水源にまでたどりたいということを納得させようとした。ぼくはその後、それ以上やってみる度胸があれば、一人で進み、そうでなければチョウボクといっしょに戻ろうと思っていた。それで、毛刈りが終わり、羊毛が出荷されるとすぐ、ぼくは辞職を願いでて、許諾された。また、ぼくは一頭の駄馬と荷鞍を買い、大量の食糧と毛布と小さなテントを手に入れた。ぼくは馬に乗って川を渡る浅瀬を見つけ、チョウボクは駄馬を曳いてその後に従うことにした。浅瀬を渡るときには彼も馬に乗ってもよいことにした。ぼくの雇い主は、紅茶と砂糖、航海用のビスケット、タバコ、塩漬けの羊肉、それに上物のブランデーを二、三本持たせてくれた。というのは、羊毛はもう送り出されており、空になった荷車に食糧が満載され戻ってくることになっていたからだ。

用意は万端整って、牧場中の雇い人たちが、ぼくらを見送りに集まってくれた。ぼくらが旅に出たのは、一八七十年の夏至からまもなくのころだった。


第3章 川上へ

第一日目は、川沿いの大きな平坦地をたどって行ったので、楽だった。そこはもう二度も野焼きされていて、ぼくらの邪魔をする密生した下生えはなかった。とはいえ、地面がでこぼこしているところもしょっちゅうで、河床を行かなくてはならないところも多かった。日暮れには二十五マイルほど進み、川が峡谷に入るあたりで、野営した。

ぼくらが野営した谷間は、少くとも海抜二千フィートはあったにちがいない。そのことを考えると、気候は心地良い暖かさだった。河床はこのあたりでは幅が一マイル半で、全体に小石で覆われ、川は幾筋ものくねった水路となって流れていた。上から見下ろしたら、もつれあったリボンの束のように見え、日の光にきらめいていたことだろう。遠くから運ばれたにちがいない倒木とか、河床の低い側に堆積した植物性や鉱物性の屑は、突然の激しい増水のせいだということを、ぼくらは知っていた。それを知らなくても、河床全体がときどき、深さ何フィートもの、抑えがたい激情のような、轟音を立てる激流に覆われたことがわかるはずだ。現在、川の水位は低く、五、六本の流れがあったが、屈強な男でも徒歩で渡るには、深すぎるし、流れが速すぎた。だけど、馬の乗れば安全に渡ることができそうだった。どちらの岸にも、数エーカの平坦地があって、川を下るにしたがってだんだん広くなり、雇い主の小屋からぼくらが眺めた平野となっていた。ぼくらの背後には第二の山脈の一番低い山脚が隆起し、急峻に山脈そのものにつながっていた。半マイル先から峡谷が始まり、川幅は狭まり、荒々しく激しいものとなっていた。この光景の美しさは言葉にできない。谷の一方の側は夜のとばりに青く染まり、ぼんやりと森や崖、山腹、山頂が見えていたが、もう一方の側は日没の金色にまだ輝いていた。絶えず水がほとばしる幅広く荒涼とした川、中洲にたくさんいて、近づくことできるほどおとなしい水鳥たち、言葉にできないほど澄んだ大気、人跡未踏の地の荘厳な平穏、これ以上に心地好く爽快な組合せが、どこにあるだろう。

ぼくらは、山腹から平坦地までおりてきている大きな薮のそばに、野営地を設営しはじめた。馬がロープを巻きつけたあげく、馬自身を縛りあげてしまうようなものがないのを確かめて、馬を地面に繋いでおいた。馬がさまよって川下へと逃げ帰らないよう、解き放って走りまわらせることはあえてしなかった。それから薪をあつめて、火を点けた。ぼくらはブリキの小鍋に水を入れ、熱い灰の上に置いて、沸騰させた。湯が沸くと、紅茶を二、三つかみほうり込んで、茶をいれた。

ぼくらは、その日のうちに半ダースの鴨の雛をつかまえていた。これは簡単だった。というのも、親鳥は囮になってぼくらを雛から引き離そうと大騒ぎするからだ。チドリがそうすると聞いているが、親鳥はひどく傷ついたふりをするのだ。雛の声が聞こえるまで、親鳥と反対の方向に行ってみると必ず雛鳥が見つかる。そうしたら、雛鳥をしとめるのだ。というのは、もうほとんど成鳥になっているけれど、そいつらは飛ぶことができないのだ。チョウボクは雛鴨から少し羽をむしり、十分に毛焼きした。それから切り分け、別の小鍋で煮た。これで調理は完了だ。

夕食を済ませたのは、すっかり暗くなってからだ。夜の静寂とさわやかさ、時おり聞こえるコバネクイナの鋭い鳴き声、火の赤い輝き、川の低いせせらぎ、ほの暗い森、一番前景には鞍の積荷と毛布、こうしたものがサルヴァトール・ローサやニコラス・プーサンの名画となっていた。ぼくは、今ではその光景を思い起こしては楽しむ。けれど当時は、それに気づきはしなかった。ぼくらは、うまくいっているときには、ほとんどそのことにがわかっていない。だが、これは諸刃の剣だ。というのは、もしわかっているのだとしたら、たぶん逆境のときには、もっとその状況がよくわかろうってものだから。それにときどき思うのだが、一方がわかってなきゃ、それだけ他方もわからないのではなだろうか。「おゝ、幸運なる農夫よ、その恩恵を知れ」と書いたやつは、ほんとに正しくは、「おゝ、不運なる者、その呪詛を知れ」と書くべきだったのだ。ぼくらの多くが、自分がしでかしたことが何なのか、どんな目にあっているのか、実のところ自分たちが何なのか、理解する能力が欠けている。でも、そのことで、激痛から守られているのだ。鏡があらわにするのは、ぼくらの外見だけだということに感謝しよう。

ぼくらは、地面のできるだけ柔らかいところをさがし出した。というのは、そこら中、石だらけだったからだ。それから草を集め、ぼくらの腰骨のちょっとくぼんだところにあて、体に毛布を巻きつけて寝た。夜中に目覚めると、頭上には星々、山上には輝く月光が見えた。川はずっとせせらいでいた。馬の一頭が仲間にいななきかけ、馬がまだ手近にいることに安心した。確かに克服しなくてはならなない困難が数多くある。それ以外は、心身ともに問題なかった。平穏な心地良い感覚が訪れたが、この充実した満足感は、一日中、馬の背に揺られたり、あるいは、ともかく戸外の空気にあたってすごした人しか味わえないだろう。

翌朝、秋の始まりが近いわけでもないのに、小鍋の底には、昨夜の茶の葉が凍りついていた。夕食と同じ朝食をとると、六時には出発した。半時間で峡谷に入り、曲り角を曲って、雇い主の牧羊地の最後の光景に別れを告げた。

峡谷は狭く険しかった。川は今や数ヤードの幅しかなく、重さ何トンもあるような岩に轟音を立てていた。水量が多かったので、その音は耳を聾さんばかりだった。二時間で一マイルも進めなかったし、時には川、時には岩に危険が待ちかまえていた。大きな滝の近くでは、水煙がたえず吹き上がり、岩の湿った黒い外見は、ねばねばした植物で覆われていた。空気は湿り気を帯びて寒かった。ぼくらの馬がどうやって足並をとっていたのか、わかりようもなかった。特に荷物を積んだほうのは、よくぞ足を踏み外さなかったものだ。ぼくは進むのも引き返すのも恐かった。この状態が三マイルは続いたと思う。なんとか真昼には、峡谷は少し広くなり、支谷から小川が流れ込んでいた。崖が壁のように落ち込んでいて、本流をこれ以上遡ることができなくなった。そこで支流を遡ることにしたが、チョウボクは、これが彼の部族に伝わる通り道にちがいないと思っている様子だった。ぼくらは今や実際の危険は少なくなったものの、疲労の方が大きくなった。岩だのもつれた草木だののせいで、際限ない困難を味わった。その直後、ぼくらと馬は小川が流れ落ちている鞍部にさしかかった。その時、雲が垂れ込んできて、激しい雨が降り出した。その上、六時になり、ぼくらは疲れ果てていた。十二時間かけておよそ六マイル進んだところだった。

鞍部には、硬い草が生えていたが、種をいっぱいつけており、馬には滋養に富んだものだった。またアニスやノゲシが繁茂していたが、これは馬の大好物だ。そこでぼくらは馬を放ち、野営の準備をした。すべてがずぶ濡れで、ぼくらは半分凍え死にそうだった。実際、ぼくらはすごく不愉快だった。まわりには下ばえがあったが、何本かの枯れ枝の湿った外側を剥いで、内側の乾いた切れ端をポケット一杯集めるまで、火を起せなかった。こうやって、かろうじて火を起した。一旦、火を起こすと、消えないようにしなくてはならなかった。テントを張り、九時になるころにはだいぶ暖く、乾いてきた。翌朝は晴だった。ぼくらは野営をたたんだ。少し進んでみると、昨日よりは楽な地表を下るって、再び河床に行けることがわかった。河床は峡谷上に広がっていた。一見すると平坦だったが、牧羊地に適したところはまるでなかった。川の両岸には薮で覆われたわずかな平坦地と全く役に立たない山地しかないのだ。しかし、主山脈を見ることができた。これについては間違いない。氷河が瀑布のように山腹を下っていて、実際に河床まで下っているかのように見えた。川は広く開いていて、川を遡ればそこまで行くのにさしたる困難はないかのようだった。しかし、それはやる意味のないことに思えた。というのは、主山脈はどうにも役に立たないように見えたし、峡谷の上の土地にたいするぼく好奇心はすっかり満たされてしまってたからだ。なんであれ金目のものはなかった。あったとしても鉱物なのだろうが、そういうものがありそうな印がないのは、下流のほうと同じだった。

しかし、ぼくは、川を遡っていこう、是が非でもそれをやりとげるまでは戻るまいと決心した。できるかぎり、すべての支流を遡り、金がないか調べつくそうと思ったのだ。チョウボクはぼくにそうしてほしいようだった。しかし、何もありはしなかった。色のついたものを見つけることさえなかった。彼の主山脈にたいする嫌悪感は薄らいできたようで、それに近づくことになんの反対もしなかった。彼はぼくが山脈を横断するのになんの危険もないと考え、こちらの斜面には恐れるものなにもなかったのだと思う。そのうえ金を見つけるかもしれないのだ。しかし、実のところは、ぼくがそこに近づきすぎたとなれば、どうするか、彼は心に決めていたんだ。

探検して三週間が過ぎた。ぼくはこんなに早く時間がたつとは思ってもいなかった。天気はよかったが、夜はかなり冷えこんだ。ぼくらは一つを残してすべての流れをたどってみたが、きまって氷河に行き着いてしまうのだ。氷河は、もっと大きな探険隊とロープがなければ、まったく横断できなかった。流れが一つ残っていた。それは、チョウボクが、ある朝早く、ぼくがまだ寝ているあいだに登ってみたが、三、四マイル登るとそれ以上進めなかったと言っていた。そうでなければ、もうとうに、たどっていたはずのものだった。ずっと前に、彼は大嘘つきだとわかっていたから、自分で登ってみることにしたのだ。簡単に言おう。登ってみると、不可能どころじゃない、簡単に行けるではないか。五、六マイル行くと、その末端には鞍部があった。深い雪で覆われていたが、氷河ではなかった。そして、そこは確かに主山脈の一部をなしているように思われた。ぼくの血は希望にたぎり、意気軒昂としてきた。だが、見回してチョウボクを捜すと、彼はぼくの背後にいた。驚き、頭にきたことには、彼は引き返し、必死に谷を降りて行ったのだ。彼はぼくを置き去りにしたのだ。


第4章 鞍部

彼を呼んでみたが、聞こえないらしい。ぼくは追いかけたが、彼はあまりにも出足がよかった。それで、ぼくは石の上に座り込み、事態をじっくり考えてみた。チョウボクが意図的にぼくにこの谷を登らせないようにしていたのは明らかだが、ほかの場所ならどこでもぼくについて来るのをいやがらなかった。これが意味しているのは、大山脈の謎をあばく唯一の道筋に、ぼく今いるってことではないのか。その時、ぼくはどうすべきだったのだろう。ぼくが正しい手掛かりをつかんだのが明らかなその瞬間に、もとのところへ戻るべきなのだろうか。一人でことを運ぶのは困難でも危険でもあるが、戻ったほうがよいということは、まずない。雇い主の牧場に戻ろうとして、困難に陥っても誰からの援助もあてにできないまま、岩だらけの峡谷を通るのは状況が悪すぎる。仲間がいなくて、かなりの距離を進むのは、ほとんど狂気の沙汰だ。他人がそばにいればたいしたことのない事故(たとえば足首を捻挫するとか、伸ばしてもらった手だのちょっとしたロープがなきゃ脱出できない場所に落ちるとか)が単独行では致命的なのだ。考えれば考えるほど、そんなことはしたくなくなる。なおその上、谷奥の鞍部を見て、雪の滑らかな広がりを越えるのは容易だと気づいたので、帰ろうと決心する気はほとんど起こらなかった。現在いる場所から頂上そのものへ向かう道は、ほとんど分かったと思えたのだ。あれこれ考えた末に、ぼくは、本当に危険だという場所に出くわすまでは進もう、そういう場所に来たら引き返そうと決心した。こうして、ぼくは願わくば鞍部の頂上になんとかたどりつき、反対の斜面に何があるのか、自分で納得しておこうとした。

無駄にする時間はなかった。というのは、もう午前十時と十一時の間だったのだ。幸いなことに、装備は十分だった。谷の入り口で野営地と馬から離れるとき、(ぼくの習慣で)四、五日の間に必要となりそうなものは全部持ってきた。チョウボクが半分を運んでいたけれど、彼は包みをすべて落としていった。落としたのは彼が逃げ出した瞬間ではないかと思う。というのは、追いかけたときに、荷物を見つけたからだ。それで、運べると思えるだけのビスケット、それにタバコと紅茶、マッチを少々もって行った。こうした物全部(それと一緒にチョウボクが見つけるのを恐れてポケットに入れていた、ブランデーでほぼ一杯の瓶も)毛布の中にくるんで、きっちり縛って、全体を長さ七フィート、直径六インチほどの長い円筒状にした。それから二つの端を結び、首にかけて片方の肩に担いだ。これが重い包みを運ぶ一番簡単なやり方なのだ。というのは、一方の肩からもう一方の肩へ荷物を移動することで、休めることができるからだ。小鍋と小さな斧を腰につるし、こうした装備で谷を登りはじめ、チョウボクに欺かれたことを怒りながらも、やり遂げるまでは戻るまいと決心していた。

具合のよい浅瀬がたくさんあったから、流れを何度か苦もなくあちらこちらと渡った。一時には鞍部のふもとにいた。四時間かけて登ったが、最後の二時間は雪の上だった。五時までには頂上から十分以内のところにきたが、思うに、ぼくはこれまで経験したことがないほど興奮状態だった。あと十分。そして反対斜面から寒風がぼくに吹きつけてきた。

ちらりと見ると、ぼくは主山脈にはいない。

もういちどちらりと見る。恐ろしげな川がある。濁り怒りくるって、果てしない河床に轟音をたて、ぼくの何千フィートも下に。

川は西のほうに曲がっていた。谷の上を眺めても、川の水源あたりに広がり、そこから川が流れ出ていると思われる広大な氷河があるということしかわからなかった。

もういちどちらりと見て、動きが止まった。

ぼくの真反対の山中に簡単そうな通り道があった。そこを通して、広大に広がる青くはるかな平原がちょっと見えたのだ。

楽な道なのだろうか。そうだとも。まったく楽だ。頂上付近まで草に覆われ、いわば、二つの氷河の間の開けた道だ。そこから、たいしたことのない流れが、荒々しくけれど可能な限り山腹に沿って流れ落ち、大河の面まで下って草や矮小な立ち木の小さな茂みの生えた平坦地を形成していた。

我が目を疑っているうちに、反対の斜面の谷から雲が湧き上がり、平原は隠れてしまった。ぼくはなんてついているんだ。到着が五分遅ければ、雲が通り道にかかり、その存在を知ることはなかっただろう。今はそこに雲がかかり、ぼくは自分の記憶を疑い始めた。裂け目に立ちこめる遥かな霞の青い線にすぎなかったのかどうか、定かじゃなくなってきた。ぼくに確かなのは、ただ次のことだけ、つまり、下の谷を流れる川は、雇い主の牧場を通過して流れる川のすぐ北を流れる川にちがいないということだ。そのことは間違いない。しかし、想像できるだろうか。運によって通り道を探す上では間違った川へと導かれたのに、しかも、もっと北方の低地の防備の弱い場が見つかる地点へと連れてこられたなんてことが。これはありそうにもないことだった。しかし、疑ってはいても、むこうの雲に裂け目があらわれ、二度目にぼくが見たのは、青い線が傾き、しだいに淡くなり、平原の遠い場所へと消え入っているところだった。それは実在するものだった。どうあっても誤りなんかじゃなかった。ぼくはこれが絶対確実だとまでは思えなかったが、やがて雲の裂け目は再びつながり、それ以上なにも見ることができなかった。

次にぼくはなにをすべきなのか。まもなく夜が訪れようとしていた。苦労して登攀した後、じっと立っていたので、もうぼくは冷えきっていた。今いるところに留まるのは、不可能だろう。進むか退くかしなくてはならなかった。夜風をしのぐ岩を見つけて、ブランデーの瓶をぐいっと一飲みすると、たちまち暖まり、元気がでてきた。

ぼくは自問した。下の河床に降りることができるのだろうか。それを阻害するような危険をあげることはできなかった。河床に降りたとして、思い切って川を渡ることができるだろうか。ぼくは泳ぎが達者だが、一旦、その激しい奔流に入れば、まったく無力で、どこに打ち上げられるか、川しだいだろう。その上、ぼくには荷包みがある。それがなくては、寒さと飢えに苛まれるだろう。しかし、それを持って川を渡ろうとするなら、溺れるのは確実だ。これらをよくよく思案したが、牧羊場に適した広大な土地を見つけるという希望(できるかぎりそれを独占でやっていくと決意していた)はそれらより十分まさっていた。数分後には、心が決まった。山脈のこちら側の土地と同じような価値のある土地への通り道を発見することはとても重要なことだ。失敗したら命そのものを失うにしても、それをやりとげて、その価値を確証しようと決めた。考えれば考えるほど、この未知の世界に入って、名声とおそらくは富とを勝ち取るか、さもなければ、その企てで命を落とすかだという決心は、ますます固くなった。獲物がいかに大きいかを見ながら、それから得られるはずの利益を手にするのを拒否するなら、命はもはや無価値なものとなってしまうと感じたのだ。

ぼくが野営に適した場所へ降りはじめるのに、それでも日中一時間を要したが、一瞬たりとも無駄にはしなかった。最初は急速に進んだ。というのは、できるだけ早く山腹をまっすぐ降りていったけれど、雪の上だったし、落下しないほどに雪の中にめり込ませながら進んだからだ。しかしその斜面は別の斜面より雪が少なかった。それでたちまち雪の斜面は終わって、危険な非常に石の多い土質の険しい谷に入った。そこでは、滑ると破滅的な転落につながることになる。しかし速度には十分気をつけたので、無事に底に到着した。そこには硬い草の群があって、そこかしこで低木の茂みを侵食していた。その下になにがあるのか、見えなかった。さらに数百フィート進むと、恐ろしい断崖の縁となっていた。分別のある人間なら、だれもそこを降りようとはしないだろう。しかし、ぼくは、険しい谷の水を捌いている小流を試してみて、もっとうまく行ける道とならないかどうか見てみよう決めた。数分後、ぼくは岩の裂け目の上端にいた。この裂け目はトゥル・ドゥ(悪魔の台所という意味のウェールズにある岩裂)のようなもので、トゥル・ドゥの方が規模がはるかに大きいというだけだ。小流はその中に流れ込んでいて、他の斜面の物質よりも柔らかくみえる物質の中に深い水路を穿っていた。ぼくはその物質が異なる地層にちがいないと思うが、残念なことに、それがなにか知らなかった。

ぼくは、かなり迷いながらこの割れ目を見ていた。それから、その一方の側をちょっと進んでみると、恐しい断崖の縁ごしに川が見えた。川はぼくの四、五千フィート下で轟音をたてていた。割れ目に身を委ねる以外、降りようなどとはまるで思いもしなかった。この割れ目は、岩が軟質で、水が水路を全体にわたってまあまあ平滑に侵食しているらしいことを思い返すと、有望に思えたのだ。一分ごとに暗くなってきたが、あと半時間ほどは薄明があるだろう。そこで、ぼくは(まるで恐怖がなかったわけではないが)裂け目に入った。そして、なにか重大な危険に遭遇したら、引き返して野営し、翌日、他の道を試してみようと決断した。五分ほどぼくは完全に取り乱していた。割れ目の側面は高さ何百フィートにもなり、張り出しているので空が見えなかった。岩だらけで、ぼくはなんども転倒して打ち身をつくった。水の中に転げ落ちて、ぼくはずぶ濡れになった。水の量は多くはなかったが、抗いがたい力があった。一度は、かなりの滝を下の深い滝つぼへ飛び降りなくてはならなかった。荷包みはかなり重かったので、もう少しで溺れるところだった。実際、間一髪でまぬがれた。しかし、うまくいったのは、神のご意志がぼくに味方したからだ。すこしたつと、割れ目がだんだん広がり、潅木がふえてきたような気がしてきた。今では、ぼくは開けた草のはえた坂にいたが、手探りで流れに沿って少し進むと、木の生えた平坦地に出た。そこでぼくは快適に野営した。今やすっかり暗くなっていたので、野営するのが適切なことだった。

最初に気になったのはマッチのことだ。乾いているだろうか。荷包みの外側は完全にぬれていたが、毛布をほどくと、中のものは暖かく乾いていた。なんとありがたいことか。火をつけると、そのぬくもりと仲間がいるような感じがありがたかった。ぼくは茶をいれビスケットを二枚食べた。ブランデーには手をつけなかった。残り少なかったし、勇気が萎えたときに必要となるだろうから。状況が実感できなかったので、こうしたことはすべて、ほとんど機械的にやってのけた。わかっているのは、ぼくが孤独だということと、今しがた降りてきた裂け目を通って引き返すのは不可能だろうということだけだ。仲間から切離されたという感じは、おぞましいものだ。ぼくはまだ希望に満ち、食べ物と火で暖まるとすぐ、自分の金のお城を夢見ていた。しかし、どんな人間も、動物の連れでもいなくては、こんな孤独の中で長い間、理性を保つことはできないと思う。自分が誰であるか疑いはじめるだろう。

ぼくは、毛布の形だの時計のチクタクいう音からさえ慰めを得たことを思い出す。こうしたものが、ぼくと他の人たちをつないでいるように思えたのだ。しかし、コバネクイナの叫び声にはぎょっとした。また鳥のさえずりも今まで聞いたこともないようなもので、ぼくをあざ笑っているような気がした。でも、すぐに慣れて、やがて最初に聞いてから何年もたつような気がしてきた。

ぼくは衣服を脱いで、身の回りのものが乾くまで、内側の毛布を身に巻きつけた。夜は非常に静かだった。ぼくは火を燃え上がらせた。それですぐに暖まり、やっとまた衣服をまとえるようになった。それから、毛布を体に縛りつけ、できるだけ火の側によって寝た。

ぼくは雇い主の羊毛作業場にオルガンがある夢を見た。羊毛作業場はしだいに消え失せ、明るい光の輝きの真ん中でだんだん大きくなり、フィンガルの洞窟のような神秘的な洞窟の中で、断崖絶壁にパイプの列が並び立ち、重なり合って、山腹の黄金の都市のようになった。その洞窟の奥底には磨き上げた柱がきらめくのが見えた。正面にはそびえ立つテラスへの階段があり、テラスのてっぺんには、鍵盤のほうへ深々と頭を下げた男がいた。彼は、頭上や周囲に響き渡るアルペッジオの大きな和音の嵐の真ん中で端から端へと体を揺らしていた。その時、誰かがぼくの肩に触れて言った。「分からないのか。あれはヘンデルだよ。」だが、ぼくはほとんど理解できず、テラスを登り続けようとして、彼に近寄った。目が覚めたとき、夢の鮮明さと明瞭さに眩惑されていた。

木切れが燃え尽きて、その端が灰に落ち、炎を上げた。思うに、これがぼくに夢を見せた、と同時に夢を奪ったのだ。ぼくは苦い失望感を味わいながら、肘をついて座り、どうにこうにか現実と見慣れぬ周囲の状況に立ち返った。

ぼくは完全に目覚めた。そのうえ、今のところはまだ特にどの感覚が訴えかけているというわけではないのだが、まるでぼくの注意が夢以外のなにかに引きつけられるような予感がした。ぼくは、かたずを飲んで待った。すると聞こえてきたんだ。空想ではないのか。いや、ぼくはなん度も聞き耳をたてた。すると、風鳴琴のような、かすかな、はるか遠くからの音楽の音が、反対側の山脈から強く冷たく吹き渡る風にのって、聞こえてきた。

髪のつけ根までぞっとした。聞き耳をたてたが、風は止んだ。あれは風そのものだったにちがいないと思った。と突然、チョウボクが羊毛作業場で立てたうなり声を思い出した。そうだ。あの音なのだ。

ありがたいことに、それがなんであろうと、もう終ってしまった。ぼくは自分を納得させて、落着きを取り戻した。ぼくは、自分がいつもより鮮明な夢を見ていただけだと確信するようになった。すぐに笑いはじめた。なんでもないものを恐がるとは自分はなんて馬鹿だと思った。考えてみれば、たとえ自分に悪い結末が訪れようと、結局はそんなにひどい事態ではないだろう。ぼくは祈った。祈りはぼくがしょちゅう怠った義務だった。そしてしばらくの間、ほんとうに元気を回復させてくれる眠りに落ちた。日の光がいっぱい降りそそぐころまで眠り、ぼくはすっかり回復した。ぼくは起き上がり、焚火の燃えさしを探して、まだ火のついている炭を少し見つけて、また燃えあがらせた。朝食をとると、数羽の小鳥が仲間となったが、これは楽しかった。ぼくのまわりを跳ねまわり、ぼくの長靴や手に止るのだ。ぼくはいくぶん幸せな感じになった。しかし、ぼくは読者に断言するが、ぼくは話していることよりはるかに酷い目にあってきた。できることならヨーロッパに留まることを強くお薦めする。少なくとも、誰も足を踏み入れたことのない土地に行くより、探検され入植されてしまった国に行くほうがましだ。探検するのは、期待して待ち望んでるうちや、後からふり返ったりするのは楽しいことだ。でも、探検の名に値しないほど容易なものならべつだが、探検なんて、やってる最中は快適なものではないのだ。


第5章 川と山脈

ぼくの次にやることは、川へ降りることだった。鞍部から見た道は忘れてしまったけど、必ず見つけだせるような目印は憶えていた。三週間もでこぼこの地面の上を歩いていたので、打撲はあるし、足はこるし、長靴もだめになりはじめていた。しかし、たいした危険にもあわずに降りてこれたので、時間が過ぎるにつれ、ぼく気楽になってきた。二時間でほとんど下生えのない松林を抜けて、別の絶壁の縁に至るところまで、急いで降りた。この絶壁ではかなり困難な目にあったのだが、ついにはなんとか避けることができた。およそ三時か四時までには河床についた。

ぼくが越えてきた鞍部のもう一方側の谷の高さについて計算した結果から、ぼくは鞍部そのものの九千フィートを下ることはないと結論した。そして、今ぼくが降りてきた河床は海抜三千フィートだと思われる。一マイルにつき四十から五十フィートを下らない勾配で、水はものすごい流れとなっていた。これは確かに、雇い主の牧場を流れていた川のすぐ北隣りの川で、既知の地域に流れ入る前に、(この国の川は一般にそうなのだが)渡河できないような峡谷を通っていくのだろう。峡谷から平原に抜け出るのは、およそ海抜二千フィートあたりだと思われた。

川岸につくとすぐ思ったのだが、考えていた以上にそこが気に入らなかった。その源の氷河に近いので、泥で濁っていた。流れは広く、速く、荒々しく、海岸ではよくあることだが、水流の激しさに小さな石がおたがいにぶつかる音が聞こえた。歩いて渡河するのは問題外だった。荷包みを持ったまま泳ぐことはできないが、背中の荷包みを置いていく気にはならなかった。唯一、見込みがありそうなのは、小さな筏を造ることだ。けれど、造るのは難しいし、造ってもまるで安全ではない。こんな激流を一人でなんて安全なわけはないのだ。

その日の午後は多くのことをやるには遅すぎたので、残りの時間は、川岸に行ったり来たりして、もっと渡河に都合によい場所は見つからないかさがして過ごした。それで、早めに野営した。あの音楽は聞こえなくて、まったく快適な夜を過ごした。あの音楽は、チョウボクから以前聞いたことを思い出したことや、前夜に興奮し過ぎたことによって引き起こされた、ぼくの幻覚だということは、ちゃんとわかってはいる。けれど、その音楽は一日中ぼくにつきまとっていたので、音楽が聞こえないのは、ありがたかった。

次に日、ぼくはショウブやアヤメのような植物の乾いた花柄を集めはじめた。こうした植物はたくさんあり、その葉は、細長く裂くと、非常に強い糸になる。これを水辺に運び、一種の粗末な台を作った。ぼくと荷包みをくくりつけるだけなら十分な量だった。花柄は十から十二フィートの長さがあり、非常に強靭だが、軽くて中空なのだ。その束を、同じ植物の葉から作った糸で、うまい具合に強く、互いに直角になるように縛り、べつの束に交差して結わえて、それで筏を作り上げた。筏の完成にまる一日、ほとんど四時近くまでかかったが、まだ渡河するには十分明るかったので、すぐそうしようと決断した。

ぼくは、猛烈な急流より七十から八十ヤードほど上流にある、川の幅が広くて比較的静かな地点を選んだ。この地点で筏を組立てた。さて、筏を浮かべると、荷包みを中央にしっかり固定し、それに乗り込み、もっとも長い花柄の一本を手に持ち、棹させるほど水深が浅い間は、棹で突いて川を渡った。岸から二十から三十ヤードほどは、かなりうまくいったが、この短い範囲でも、一方の岸から対岸へあまり急速に移動すると、ほとんど転覆しそうになった。それから水深がかなり深くなり、花柄の棹を底に届かせるために、かなり身を乗り出して、数秒間棹にもたれかかった。それから、棹を底から引き上げたとき、ぼくにはどうにもできないほど流れが速くなり、急流を流された。すべてはたちまち流れていき、もはや筏を操ることはできなかった。覚えているのは、大慌てになり、騒音がして、最後に流水で転覆したことだけだ。しかし万事うまくいった。ぼくはひざの深さしかない岸の近くにいた。それで、筏を陸に引き上げたが、そこは幸運にも、ぼくが行こうとしていた川の左岸だった。上陸してみると、ぼくがいるのは出発地点より一マイルか、おそらくはそれ以下、下流のところだった。荷包みは外側が濡れていたし、ぼくもずぶ濡れだったが、やりたかったことはやり遂げたんだ。ぼくの苦労は当分の間は終わった。それから火を起こして自分を乾かした。それがすむと、鴨やカモメの若鳥をなん羽か捕まえた。この鳥たちは河床のあたりにたくさんいた。それでおいしい食事をとった。チョウボクが去って以来、ろくな食事をしていなくて、そうした食事がとても必要だった。それだけでなく、翌日の分も十分調達できた。

ぼくはチョウボクのことを考え、彼がどれほどぼくの役に立っていたのか、彼がいなくなったことでどんなに多くのことを失い、それまで彼がやってくれたこと、しかもぼくがやるよりもはるかにうまくやってくれたことを、いまでは万事自分でやらなくてはならなくなったか、感じていた。そのうえ、ぼくは彼を本当にキリスト教に改宗させようと心に決めていたのだ。彼は既に表面上はキリスト教を受け入れてはいたが、彼の頑なにも愚かな本性には、深く根づいているとは思えなかった。ぼくはよく野営の焚き火のそばで彼に信仰を試問し、三位一体の秘蹟や原罪について説明したものだ。ぼくの父が英国国教会の聖職者であったことは言うまでもなく、母方の血筋では教会大執事の孫であったから、こうしたことはよく知っていた。だから、ぼくはそういう仕事に十分な資格があるし、罪びと(チョウボクは確かに罪びとだった)を改宗させる者はだれであれ、多くの罪を免れん、という聖ジェームズの約束を思い出すことで、実際に永劫の業苦からあわれな者を救いたいと思っていたが、実際には自分で思っている以上に、そうしがちな傾向があった。だから、チョウボクの改宗が、ある程度はぼく自身の以前の生活の逸脱と欠陥を償うものであったろうかと反省し、そうしたことを思い出しては最近の経験の間、一度ならず不愉快になっていたのだ。

実際、あるとき、ぼくは彼に洗礼を施すことが可能だというだけでなく、本当に施すところまでいった。彼が確かに洗礼名を授かっているが洗礼を施されたことがないのを確かめてみて、(彼が宣教師からウィリアムという名を授かったと語ったことから)彼が受けたのが洗礼名を授ける儀礼であったと推測したのだった。幼児の場合でも大人の改宗者の場合でも、洗礼名を授けることよりも優先することだとぼくが常々理解していた第二の、確かに重要性の大きな儀式を省略するのは、宣教師の役割上ひどく軽率なことだと思う。それで、ぼくらは両者とも危険な目にあおうとしていることを考えると、これ以上遅らせるべきではないと決心した。幸運なことに、まだ十二時になっていなかったので、すぐに小鍋(ぼくがもっていた容器はこれしかなかった)の一つで彼にうやうやしく洗礼を施した。そして、うまくやれたものと確信していた。それから彼にぼくらの信仰のより深い秘蹟を教え込み、彼を名前だけでなく、心からのキリスト教徒にすることに、かかりきりとなった。

確かに、ぼくはうまくやれなかった。チョウボクは教えるのがとても難しかったのだ。実際、洗礼を施したのと同じ日の晩には、それで二十回目になるけれど、またもブランデーを盗もうとした。そのことで、ぼくは彼にまっとうに洗礼を施せたのかどうか、かなり惨めな思いをした。彼は祈祷書を持っていた。二十年以上も前のもので、宣教師が彼に与えたものなのだが、その中で、彼がちゃんと理解しているものといえば、ただアデレート皇太后という称号だけだった。彼は感動し、心を動かされたときはいつも、この称号を繰り返していた。これは、彼にとってなにか深い霊的な意義をもっていたのだ。とはいっても、彼は彼女をマグダラのマリアと別の個人として完全に区別することができなかった。マグダラのマリアもまた、それほどではないが、彼を魅了した名だった。

彼はまるで石だらけの不毛の大地だ。しかし、彼のまわりを掘り返してみれば、彼の部族の宗教を信仰することから、どれほどか引き離すことができただろう。それで、彼を敬虔なキリスト教徒にすることの半ばまではやれただろう。そして今では、このすべてがぼくから消え失せてしまった。もはや、ぼくは彼の霊的な助力とはなりえなかったし、彼の方もぼくの肉体的利益にはなりえなくなった。それに、どんな仲間でもまったくの孤独よりましというものだ。

こんな反省がよぎって、ぼくはかなり憂鬱になった。けれど、鴨を煮て、それを食べたら、ずいぶん元気がでてきた。茶を少しとタバコを一ポンド残していたが、タバコは度を越して喫煙しなければあと二週間はもつだろう。また航海用ビスケットを八枚、それにとびっきり素敵なことだが、ブランデーを六オンス持っていた。ブランデーは夜が寒かったので、今では四オンスに減っていた。

ぼくは夜明け早々に起き、一時間で出発したが、孤独の重荷から、弱っているとは言わないまでも、気分がすぐれなかった。だが、どれだけ多くの危険を乗り越えてきたかを、また、この日には分水嶺をながめることになるだろうということを考えると、希望が満ちてきた。

たいした障害にもあわず、三、四時間ゆっくりだが着実に登攀すると、高原の上、峠の最高地点とみなしてきた氷河の近くに出た。その上には、岩だらけの絶壁と雪で覆われた山腹がそびえていた。孤独感は耐え難いほどになった。ぼくの雇い主の牧羊場の山は、この沈鬱で陰気な場所に比べれば、にぎわう大通りみたいなものだ。その上、その雰囲気は暗く、重く、孤独をいっそう耐え難いものにしていた。氷雪に覆われていないものは、すべてに墨のような薄暗さがたちこめていた。草はまるで生えていなかった。

各瞬間ごとに、ぼく自身の同一性について、つまり、ぼくの過去の存在と現在の存在の継続性について、恐ろしい疑いが増大していった。これは未開地で自己を喪失した人に訪れる錯乱の最初の兆候だ。ぼくはこれまでこの感覚に抗い、打ち勝ってきた。しかし、この岩だらけの荒野の極度の沈黙と陰鬱は、ぼくには大きすぎた。そして、ぼくは自我を集めまとめる力が弱まりはじめていることを感じた。

ぼくはしばらく休息をとった後、かなりでこぼこした地面を進み、氷河の低い方の端に到達した。すると、別の氷河が東辺から小さな湖に落ち込んでいるのが見えた。ぼくは湖の西岸を進んだが、そこの地表は楽だった。中ほどまで進んだとき、前に反対側の山地から見ていた平原が見えるのではないかと期待したが、そうはならなかった。というのは、雲が、峠の頂点に押し寄せてきたのだ。といっても、ぼくがやってきた岸をかすめることはなかったけれど。それで、ぼくはすぐ冷たく薄い霧に包まれ、前方わずか数ヤード先さえ見えなくなった。それから、ぼくは古い雪のたまった大きな区域にやってきたが、そこでは半分融けた山羊の足跡をはっきりとたどることができた。それに同じ場所には、山羊を追っていった犬の跡もあった。ぼくにはそう見えたのだ。ぼくは羊飼いの土地を見つけたのか。地表は雪に覆われてはいなかったが、やせて石だらけだ。わずかな牧草はあったが、小道や規則だった羊の足跡の痕跡は見当たらなかった。けれど、ぼくは、突然土地の住人に出くわしたらどんな待遇を受けるのだろうかとあやぶんで、かなり不安な気分にならざるをえなかった。こういうことを考えながら、霧の中を用心して進んでいくと、ぼくの正面に不気味に迫る雲よりも黒い、なにか物体が見えたような気がしてきた。数歩近づいた。そして、前方の雲のベールを通して、ぼくの背丈の何倍もある巨人のような形をしたものの一群が、気味悪く、灰色で直立しているのが見えたとき、言葉にならない恐怖の身震いがぼくを駆け抜けた。

ぼくは気絶したかと思った。だって、その後しばらくは、地面に座りこみ、気分が悪くて死ぬほど寒かったのだ。まるで動かず押し黙ったままの姿が、濃い闇を通してぼんやり見えていたが、明かに人の形をしていた。

突然が考えがひらめいた。それは、ぼくが不吉な予感から先入観を抱いたりせず、また雲が隠したりしていなければ、疑いもなくすぐに浮んだはずのものだ。つまり、ぼくの言ってるのは、それが生きているものではなく、彫像だということだ。ぼくは、ゆっくり五十数えてみようと決心した。そして、数えている間に動いた気配がなければ、その物体は生きてはいないということが確かめられる。

なんともありがたいことに、五十まで数え終わったが、動きはみられなかった。

二回目を数えたが、またなにも動かなかった。

それから、こわごわと進んでみた。そして、次の瞬間、ぼくの推測が正しいことがわかった。ぼくは粗野で野蛮な像でできた一種のストーンヘンジにやって来たのだ。その像は、ぼくが羊毛作業場で問い詰めたときチョウボクが座っていたように、座り込み、顔には同じ超人的な悪意のある表情を浮かべていた。すべてが座像だが、二体は倒れていた。それらは野蛮で、エジプト人でもアッシリア人でも日本人でもなく、そのどれとも異っていたが、それでも、そのすべてと似通ってもいた。それは生きた人間より六、七倍も大きく、非常に古く、摩耗し、苔むしていた。全部で十体あった。頭やその他雪が積もりそうなところにはどこも、雪が積もっていた。それぞれの像は四、五個の石塊からできていたが、どうやって石塊を持ち上げて積んだのかは、持ち上げた連中だけにしかわからない。それぞれが、異った風に恐ろしげだった。一体は苦痛とひどい絶望に苛まれているかのように、激怒していた。別の一体は飢餓で痩せ細り死体のようだった。もう一体は残忍で白痴っぽいが、知るかぎりもっとも間の抜けたにたにた笑いを浮べていた。この一体は倒れていたが、その倒れた姿は絶妙に滑稽な様子だった。どれも多かれ少かれ、口を開けていた。そして背後から見ると、その頭部が中空であることがわかった。

ぼくは気分が悪くなり、寒さで震えた。孤独はもうすでにぼくの気力を萎えさせていたし、こんな恐ろしげな荒涼たる地で心構えもなしに、こんな悪鬼の集まりに遭遇するのは、ぼくにはまるで耐えられなかった。ぼくは雇い主の牧場に戻ることさえできたなら、すべてを差し出しただろう。だけど、そんなことがあるわけはない。ぼくの頭が弱ってたのだ。ぼくは生きて戻れるなんてありえないと確信していた。

すると、うなりをあげて一陣の風が吹き、それとともに像の一体がぼくにむかってうめき声をたてた。ぼくは恐怖で手を握り締めた。ぼくは罠にかかった鼠のような気がしてきた。向きを変えては、手近かなものになんであれ噛みついただろう。風はますます荒々しくなり、数体の像がたてるうめき声はいっそう甲高くなって、だんだん大きくなってコーラスとなった。ほとんどすぐにその音がなにかわかったが、この世のものとも思えない音で、安らぎはほとんどなかった。邪悪なものにこうした彫像をつくる思いつきを吹き込まれたひとでなしが、像の頭部を一種のパイプオルガンにして、その口で風を捕らえては、風の吹き込みで音がでるようにしたのだ。それは恐ろしいものだった。たとえ勇気のある人間でも、こんな場所でこんな口から奏でられるこんなコンサートは、我慢できないだろう。霧の中へとその彫像から大慌てで逃げ出したとき、そしてその姿が見なくなってからさえ、悪罵のかぎりをそれに投げつけた。振りかえっても、ぼくを背後から駆り立てる嵐の亡霊しか見えなかったが、ぼくにはその幽霊のような歌声が聞こえ、まるで彼らの一人がぼくを追いかけてきて、その手でぼくをつかみ、ぼくを絞め殺すような感じがした。

ここで言っておくと、ぼくがイギリスに帰ってから、友人がいくつかコードをオルガンで演奏するのを聞いていると、エレホン人(エレホンというのが今ぼくのいる国の名前なのだ)の彫像をいやおうなく思い出した。それは、友人が演奏し始めたとたんに、ぼくの記憶から鮮明によみがえった。このコードは次のようなもので、もっとも優れた音楽家の作曲によるものだった。[1]

[音楽の総譜は複製されていない]

[1]:リトルフ版のヘンデルのハープシコード曲集 78ページを見よ


第6章 エレホンに入る

さて、ぼくは小さな水路にそった狭い小道にいた。逃げだすための楽な道があったのは、うれしかった。その小道が存在していることの重要性は、よく分かったからだ。しかし、そのこと自体が、ぼくのいるのが、まだ知られていないが、人の住む土地だということを示しているということに、すぐ気づいた。それでは、その住民の手によって、ぼくの運命はどうなるのだろう。捕まって、焼いた生贄として、あの通り道の残酷な守護神への捧げものとされるのだろうか。まあ、そんなところだろう。そう考えるとぞっとした。もう孤独の恐怖ってやつに、かなり取りつかれてはいたのだけれど。ぼぉっとし、震え、悲嘆して、頭の中を駆けめぐるたくさんの幻影の中で、ぼくはしっかりた考えをもつことができなくなった。

急がなくては、下へ、下へ、下へ。もっと多くの小川が流れ込んでいた。すると橋があった。水の上に投げ渡された数本の松の丸木ではあるが。けれど、それでぼくは安心した。というのも、未開人は橋を造ったりしないからだ。それで、紙面では伝えられないほどの喜びを感じた。それは、おそらくぼくの人生で、思いもよらぬ一瞬としては、もっとも鮮明なものだろう。三、四の例外はあるだろうけど、思い起こすことができれば、もっともうれしくなるような瞬間の一つだと思う。ぼくは雲の面より下、炸裂する夕方のまばゆい日の輝きのなかに降りていった。北西に面していたので、太陽はぼくに光を降りそそいだ。あヽ、その光がどれほどぼくを元気づけたことか。それに、ぼくの見たものはなんなのだ。シナイ山の頂に立ったモーゼに示され、彼が入ることのかなわぬ約束の地をながめたものはこうだったのか。そう思わせるような広々とした場所だった。美しい日没の空は紅や金、青や銀や紫に染まり、優美で心を落ち着かせ、平原へと溶け込んでいた。平原には、そびえ立つ尖塔や丸いドームを備えた建物がある町や都市が見えた。ぼくの下あたりには、山稜の背後に山稜、輪郭の背後に輪郭が重なり、日の光の後ろに影、影の後ろに光が連なり、小渓谷と鋸歯状の山峡が横たわっていた。平原には、大きな松林と蛇行して流れる壮大な川のきらめきが見えた。また多くの村や小屋があり、いくつかは手で届くほど近かった。ぼくはこれらをあれこれ熟考した。大きな木の根元の地面に座り込み、どうしたら一番よいのか考えていた。しかし考えはまとまらなかった。ぼくは疲れ果てていた。それに今では太陽で暖まり、落ち着いてきて、深い眠りに落ちた。

鈴の鳴る音で目が覚めて、見回すと、四、五頭の山羊がぼくの傍らで草を食んでいた。ぼくが動くとすぐ、生き物たちはぼくの方に頭を向けて、とても不思議そうな表情を浮かべた。彼らは逃げもせずに、群れてじっと立っていた。そして四方からぼくを見つめた。同じようにぼくも彼らを見つめた。そのとき、おしゃべりと笑い声が聞こえてきて、二人の可愛らしい少女が近づいてきた。十七か十八歳で、それぞれ亜麻布できた一種のゆったりした上着を着て、腰のまわりに飾り帯で留めていた。彼女たちにぼくが見えた。ぼくはじっと座って、彼女たちを見たが、その美しさに目がくらんだ。彼女たちはぼくを見て、お互いびっくり仰天していた。それから、ちょと怯えた叫び声をあげて、一生懸命逃げていった。

彼女たちがあわてて逃げるのを見ながら、「なるようになれ」とぼくは独り言をいった。今いるところにとどまり、ぼくの運命がどうなろうと、それに対処するほうがましだと判断したのだ。それにほかにもっと良い方策があったところで、その方策をやるだけの力が残っていなかった。遅かれ早かれ、住民と遭遇するしかない。連中を恐れていると思われないようにしたほうがよいが、逃げ回って、明日か明後日に大声で追いたてられて捕まっては、恐れていると思われてしまう。そこでぼくは、じっとしたまま待っていた。一時間ほどすると、遠くで興奮して話す声がした。数分のうちに、二人の少女が六、七人の一団を引き連れて来たが、彼らは弓矢や槍でちゃんと武装していた。それに応じるものはなにもなかったので、ぼくは、彼らがぼくを見てからも、じっと座ったまま、彼らが近寄るのを待っていた。それから、ぼくらはお互いをじっと見つめた。

少女も男たちも肌の色はかなり黒かったが、南イタリア人やスペイン人ほどではなかった。男たちはズボンをはかず、アルジェリアで見たアラブ人とよく似た服装だった。彼らは堂々たる風采で、女性の美しさにひけをとらず、屈強そうで見た目がよかった。それだけでなく、彼らは礼儀正しく親切だった。ぼくがちょっとでも暴力的なそぶりをみせていたら、彼らはすぐにぼくを殺していただろうと思う。けれど、おとなしくしているかぎり、ぼくを傷つけるような様子は見せなかった。ぼくは一目で誰かを好きになるという気質ではなかったが、彼らは、ぼくが考えつくかぎりでは、もっとも好い印象をあたえていた。それで、次々と彼らの顔を見渡しながら、彼らを恐ろしいとは思わなかった。彼らはみな力の強い男たちだった。ぼくは彼らの中のただ一人なら相手にできただろう。というのは、ぼくはなににもまして体が自慢で、背丈は六フィートを越え、それに応じて力も強かった。たとえぼくがここのところの冒険で精力を使い果たしてなかったとしても、二人がかりなら、すぐにぼくを取り抑えることができただろう。ぼくの見た目は彼らをとても驚かせた。というのは、ぼくは金髪だし、目は青く,肌も白かったからだ。どうしてこんな存在がありうるのか、彼らには理解できなかった。ぼくの着衣もまるで彼らの理解を超えていた。彼らの視線はぼくの上を眺めまわしていた。見れば見るほど、彼らにはぼくのことが理解できないようだった。

やっと、ぼくは立上り、杖にもたれかかると、一番えらいと思った男に、思い浮かんだことを話した。彼が英語が分からないことは確かだったが、ぼくは英語で話した。ぼくは、今いる国がどんなところかさっぱりわからず、続けざまに間一髪で危難を免れた挙げ句、たまたまここに足を踏み入れたのであって、まったく彼らの慈悲にすがっている今、かれらがぼくに災いが降り掛からないようにしてくれるものと信頼していると、言った。こうしたことを、静かに、だがはっきりと、表現の調子をほとんど変えないようにして、言ったのだ。彼らはぼくの言ったことが理解できなかったが、お互いに是認したように顔を見合わせ、(ぼくにはそう思えたのだが)ぼくが恐怖も劣等感を感じた様子も見せないことに満足している様子だった。実際のところ、ぼくは恐怖感を使い果たしてしまっていた。それから、彼らの一人が、彫像のある方角の山を指さして、その一体のまねをして、しかめ面をした。ぼくは笑って、表情たっぷりに震えあがった。すると彼ら全員もそれを見て大笑いし、お互い熱心にしゃべっていた。ぼくは彼らが言っていることがまるでわからなかったが、思うに、ぼくが彫像のところを通り過ぎてやって来たというのが、かなりできのよい冗談だと思ったようだ。それから、一人が進み出て、ぼくについて来いという身振りをしたので、ぼくは躊躇なくそうした。というのは、ぼくは彼らにあえて逆らおうとは思わなかったし、その上彼らのことが十分好きになっており、彼らにはぼくを傷つける意図はないと、かなりの程度確信していたからだ。

およそ十五分で、ぼくらは丘の中腹の小さな集落に着いたが、そこは狭い通りがあって、家々がごちゃごちゃ建て込んでいた。屋根は大きくて、張り出していた。いくつかの窓にはガラスがはまっていたが、多くはそうではなかった。全体としては、村は、アルプスを越えてロンバルディアに向かうあまり知られていない峠を下るときに通る村に、とてもよく似ていた。ぼくは、自分の到来が引き起こした興奮状態をやり過ごすことになるだろう。好奇心にかられてはいたけれど、粗暴な振る舞いはなかったと言っておけば十分だ。ぼくは村の主要な家に連れて行かれたが、そこはぼくを捕まえた人たちの家らしかった。そこでぼくは手厚くもてなされ、ミルクと山羊肉にオート麦の焼き菓子を添えた夕食を出され、ぼくはそれをたらふく食べた。だけど、食事のあいだ中、ぼくが最初に会った二人の美しい少女から目を離すことができなかった。彼女たちはぼくのことを当然の捕虜と考えているようだったが、実際にそうだった。というのは、ぼくは彼女のうちどちらかのためなら、火や水をくぐり抜けることだってやっただろうから。

それから、ぼくがタバコを吸うと、当然のことながら驚きが起こった。そのことで読者を煩わせないでおこう。しかし、ぼくがマッチを摺るのを見て、がやがやと興奮した騒動がもち上がったが、驚いたことには、そこには非難めいたものが混じっていたことに気がついた。それがなぜなのかは、分からなかった。それから、女たちは退出し、ぼくはただ一人、男たちのなかに残された。彼らは思い付くかぎりの方法でぼくに話しかけようとしたが、ぼくが全く一人っきりで、山脈を越えてはるばる来たこと以外は、何も分かり合えなかった。時間が立つにつれて、彼らは疲れてきたし、ぼくもひどく眠くなった。ぼくは自分の毛布にくるまって床で眠りたいと身振りで示したが、彼らはぼくに乾いた羊歯や草をたくさん敷き詰めた寝床を貸してくれた。その上に横になると、ぼくはすぐに深い眠りに落ちた。そして、ぼくは翌日になっても元気に目覚めはしなかった。気がつくと、ぼくは小屋にいて、二人の男がぼくを監視し、老婆が料理をしていた。ぼくが起きたとき、男たちは機嫌がよさそうで、快活な調子でぼくにおはようと言うかのように、話しかけてきた。

ぼくは戸口から出て家から数ヤードのところを流れている小川で体を洗った。宿の主たちはいつもぼくにつきっきりだった。どんなにつまらないことでも、ぼくのやることにつきまとい、目を離すことがなかったし、一挙手一投足ごとにお互いに意見をかわしていた。彼らは沐浴に興味深々の様子だった。というのも、ぼくがあらゆる点で彼らと同じ人間かどうか、疑っていたらしい。彼らはぼくの腕をつかんで詳しく調べてみさえした。そして、ぼくの腕が力があり筋肉がついていることが分かって、納得した。次には脚の検査で、特に足を入念に検査した。それを止めると、彼らは互いに満足げにうなずきあった。ぼくが髪をとかして、ブラシをかけ、それから全体の身なりを、状況の許すかぎりきちんと整える。それで、ぼくにたいする評価は高くなったが、自分たちがぼくのことを十分に尊敬して遇したかまるで確信できていない様子なのだ。これはぼくが決められことではなかった。ぼくの分かるかぎりでは、彼らはぼくにとても良くしてくれた。他のやり方でもよかったのだろうから、その点では彼らに心から感謝している。

ぼくはといえば、彼らのことが好きだったし、敬服もしていた。というのは、彼らの沈着で威厳のある寛いだ様子から、ぼくはすぐに、よい印象を受けたからだ。個人としてのぼくに嫌悪を感じているのではないかって思わせるような態度を、彼らは見せなかった。ただ、ぼくのことを、まるで新しく、思いもかけないものであって、彼らには理解できないという風だった。彼らの人種的な型は、もっとも頑強なイタリア人にもっとも似ていた。それに、まるで自覚していないだろうが、その態度もイタリア人にとてもよく似ていた。ぼくは何度もイタリアを旅行したことがあるが、手や肩のちょっとした仕草は、いつもイタリアのことを思い出させるほど似ていて、びっくりした。ぼくの感じでは、始めたように物事を進め、良かれ悪しかれ、普段通りあるがままにして、成りゆくように運を天に任せるのが、一番賢明なやり方だと思った。

ぼくはこんなことを考えていたが、その間彼らは、ぼくが洗い終わり戻ってくるのを待っていた。それから、彼らはぼくに朝食を出してくれた。それは温かいパンとミルク、それになにか羊肉と鹿肉の間のような肉を揚げたものだった。彼らの調理法や食べ方はヨーロッパ風だったが、ただフォークの代わりに串を使い、切るのには一種の肉切り包丁を使う点が違っていた。家の中のものを見れば見るほど、その見かけがヨーロッパ風なので、ぼくは驚いた。壁に絵入りロンドン新聞やパンチからの切抜きが貼ってあったら、あやうく自分が雇い主の牧場の羊飼い小屋にいるのだと思い込んでしまうところだった。けれど、すべてのものが少しずつ違っていた。一方では、鳥や花はイギリスとほとんど同じだった。ここに到着したとき、ほとんどすべての植物や鳥が普通にイギリスで見られるものとよく似ているの気づいて、うれしかった。コマドリやヒバリやミソサザイがいたし、ヒナギクやタンポポがあった。イギリスのものとまったく同じではなかったが、それでもよく似ていた。同じ名で呼んでよいほどに似ていたのだ。それに、この二人の男の行動の仕方も、その家にあるものも、ヨーロッパのとほとんど同じだった。中国や日本に行ったような、すべてのものが珍奇に見えるようなことは、まるでなかった。実のところ、彼らの用具が原始的なことには、すぐに気がついた。なぜなら、彼らの発明というのは、ヨーロッパより五、六百年おくれているように見えるのだ。でも、こういうことも、イタリアの村ではよくあることだ。

朝食を食べている間中、ぼくは彼らがどういう人種に属するのかあれこれ推測していた。やがてある着想が浮かんだが、それを考えると興奮して紅潮してきた。彼らはイスラエルの失われた十支族だということなのかもしれない。祖父や父がこの種族が未知の国にいて、最後にはパレスティナに帰還するのを待ちつづけていると言っているのを、ぼくは聞いたことがある。ぼくが神のご意志によって、彼らの改宗のきっかけとなるよう定められているということが、ありうることなんだろうか。あゝ、これはなんという考えなのか。ぼくは焼串を置いて、彼らを手早く観察した。彼らにはユダヤ的な形質はなかった。鼻はまぎれもなくギリシア的であり、唇は厚かったが、ユダヤ的ではなかった。

どうやったらこの問題を解決できるだろうか。ぼくはギリシア語もヘブライ語も知らなかった。それで、ここの言葉が理解できるようになったとしても、ギリシア語やヘブライ語のどちらかの語根を見つけ出すことなどできはしない。ぼくは彼らの習慣を見極めるほど彼らの中にいたわけでないが、宗教的な民族という印象はなかった。これもまた当然のことだ。十支族はいつだって嘆かわしいほど不信心だった。だけど、ぼくが彼らを改心させることができるのだろうか。イスラエルの失われた十支族に唯一の真理の知識を復活させること。これはまさに不滅の栄光の王冠だろう。こうしたことを考えていると、ぼくの心臓の鼓動は早く激しくなってきた。そうすればぼくは来世ではどんな高い地位が約束されるだろうか。ひょっとすると現世でもそうなのかもしれない。こんな好機を見逃すのはまったく愚かなことだ。十二使徒と同じくらいとはいかなくても、それに次ぐほどの位階につけるかもしれない。小預言者より高いのは確かだろうし、おそらくはモーゼとイザヤを除けば旧約聖書のどの作者よりも高い地位につくだろう。一瞬のためらいもなく、こうした来世のために、持てるすべてをなげうってきたのだから、それが保証されるのは理にかなったことだと思った。ぼくは伝道の仕事をいつも心から是としてきたし、なにがしかの金銭を何度もその支援と拡張のために捧げてきた。しかし、今まで自分が宣教師になろうと思ったことは一度もなかった。実際、ぼくは宣教師に憧れたというより、いつも彼らに敬服し、うらやみ、尊敬していた。しかし、この人々がイスラエルの失われた十支族だとしたら、ことはまるで違ったものになるだろう。開かれているものは、失うにはあまりにすごすぎる。それで、実際に失われた支族のところに来たのだ、という印象を確かなものにする証拠を見つけよう、見つかれば彼らを間違いなく改宗させよう、と決心した。

ここで言っておくが、ぼくがこの物語を始めたときにほのめかしたことの一つが、この発見なのだ。最初は、ぼくの受けた印象は、時とともに強まったが、数ヵ月後には疑わしくなり、今ではもはや確信が持てない。

食事が終わると、宿の主たちが近づいてきて、自分たちの国へ通じる渓谷を指し示したが、まるで、ぼくが彼らといっしょにそこへ行かなければならないことを、教えたがっているかのようだった。同時にぼくの腕をつかみ、連れていかんばかりだったが、暴力は振るわなかった。ぼくは声を立てて笑い、手を喉のところで交差する身振りをして、渓谷をさして、そこへ行くと殺されるのではないかと恐れている様子を見せた。で、彼らはすぐにぼくの思いを見抜くと、危険がないことを示そうと、決意を込めて手を振った。その態度はすっかりぼくを安心させた。半時間かそこらのうちに、ぼくは身の回りのものを荷造りして、やる気十分に旅を続けた。おいしい食事と睡眠によって、不思議なほど元気が回復しており、ぼくの置かれた特異な立場によって、ぼくの希望と好奇心は最高潮に達していた。

しかし、ぼくの興奮はもう醒めはじめていた。よく考えてみると、この人々は結局のところ十支族なんかではないのではないかと思うようなっていた。そうだとしたら、ぼくは一山あてたいという望みで、こんなにも困難で危険な目にあったというのに、この国はたぶんもう利用できる資源を開発しつくした連中で溢れかえっているという事実によって、この望みはほとんど潰えてしまったことを嘆くしかないだろう。しかも、どうやって戻ったらよいのやら。というのも、宿の主たちには、まるっきり親切だとはいっても、ぼくを捕まえたからには、放すつもりなんかないという雰囲気なのだ。


第7章 第一印象

ぼくらは高地の小路を四マイルほどたどっていった。氷河から音をたてて流れ落ちる小川の数百フィート上にいたかと思うと、その流れのすぐそばにいたりした。朝は寒く、いくらか霞がたちこめていた。最近では秋が急に深まっていたからだ。時には、ぼくらは松、というより松に似ているがイチイの森を通り抜けていった。時おり路傍の小さな社を通り過ぎたことを思い出す。そこには、男や女の、若さと力強さと美しさの盛りにある人物か、堂々と成熟した老齢期の人物の姿を表した、非常に美しい彫像があった。宿の主たちは、こうした社を通り過ぎるとき、いつも頭を下げていたが、なにか並外れた個人の素晴らしさだの美しさを記録したという以外、はっきりした目的のない彫像が、このような仰々しい敬意を払われているのを見て、ぼくは驚いた。しかし、不思議の念も反感もおくびにも示さなかった。というのは、異教徒にたいする伝道者への指図の一つは、万人にたいし万事したがえ、ということだったのを思い出したからだ。さしあたりは、そのことを心に留めおくほうがよかろうと思った。こうした礼拝堂の一つを過ぎてほどなく、霧の中から現れた村に突然到着した。ぼくは好奇の目や嫌悪感の対象となりはしないかと警戒した。しかし、そうはならなかった。ぼくの案内人たちは、通りすがりに多くの人に話をしたが、聞いた連中がびっくり仰天していた。とはいえ、案内人たちは顔見知りだったし、人々の生まれもった思いやりから、ぼくに不都合な思いをさせないようにしてくれた。でも、彼らはぼくをじろじろ見ないではいられなかったし、ぼくのほうでも連中をついじっと見てしまった。ついでに、今ここで、後にぼくがいろいろ経験してわかったことを言っておこう。この連中は欠点も多いし、多くの事柄について心象が妙に歪んでいるのだが、ぼくの出会った人のなかでは、一番育ちのいい連中だったのだ。

この村は、ぼくが出てきた村にとてもよく似ていて、ただかなり大きいというだけだった。通りは狭く舗装されていなかったが、かなり清潔だった。多くの家の外壁には蔓草が這っていた。何軒かには看板がかかっており、瓶とグラスの絵が描かれていた。そのせいで、ぼくは故郷にいるような気がした。人間社会からの出っ張りみたいなこんな場所にだって、小商店が細々と育ち、まるで極寒の商売環境の中でのように、根を張りなんとか繁ろうしていた。これまでも、ここでもそうだったのだが、すべてのものがヨーロッパのものと属は同じだが、ただ種が違っているというふうであった。故郷と同じく、商店の窓の中に子供向けの大麦糖や砂糖づけ果物の瓶があるのを見て、ぼくはびっくりした。しかし大麦糖は、ねじり棒ではなく板状だったし、青い色がついていた。暮し向きのよさそうな家にはガラスがたくさんあった。

最後に言っておくと、人々は肉体的に美しく、ただただ驚くばかりだった。彼らに少しでも比べられるものは、ぼくは見たことがない。女性は活力に満ち、堂々とした歩きっぷりで、その頭は表現しがたいほど優雅に肩の上にのっていた。どの顔も申し分のない造作で、瞼も睫毛も耳も、たいてい完璧なものだった。その肌の色はイタリアの傑作絵画の色と同じで、澄んだオリーブ色だったが、健康そのものという輝きを帯びて血色がよかった。彼らの表情は神々しかった。恐る恐るではあるが、非常に当惑したようすで唇を少し開いて、ぼくのことをちらっと見るとき、天に舞い上がる心地がして、彼らを改宗させようという考えをすっかり忘れてしまった。中年の女性でさえまだ端正な顔立ちだし、田舎家の戸口にいる白髪頭の老婆も、威厳とまでは言えなくても、気品を保っていた。

女たちが美人なのと同じくらい、男たちは美形だった。ぼくはいつでも美を楽しみ、敬った。ただ、エジプト人とギリシア人とイタリア人の最も美しい部分の合成物であるような、こんなすばらしい種族が存在していることに困惑しただけだ。子供たちは数が多くて、とても陽気だった。言うまでもないが、子供たちはみんなの美貌を受け継いでいた。ぼくは賞賛と喜びをぼくの案内人たちに身振りで示した。全員が自分の容姿に誇りをもっている様子で、貧しい者(それに裕福には見えない者)でさえ櫛をいれ、こざっぱりとした身だしなみをしていたことを付け加えておこう。何ページも費して、彼らの身に着けている着物や装身具のことや、斬新さの力でぼくを圧倒した精巧な装飾を述べることだってできるのだが、そんなことを続ける必要なんてないだろう。

ぼくらが村を過ぎる頃、霧が晴れて、雪を被った山脈とその支脈の壮大な眺めが現れた。また前方には、前の晩ぼくが見晴らした大平原が時おりちらっと見えた。国土は非常によく耕作されていて、岩棚はどれも、栗の木や胡桃の木や林檎の木が植えられ、今は林檎の収穫が行われていた。山羊はたくさんいた。それに川のほとりの湿地には、一種の小さな黒い牛も多かった。川は急に幅広くなり、丘が後退するにつれ広がっていく平地の間を流れていた。わずかだが、鼻先が丸くて尻尾がとても大きい羊も見かけた。犬はたくさんいた。それはイギリスと同じだ。だが猫は見かけなかった。実際こういう生き物は知られておらず、そのかわりにある種の小型のテリアがその地位を占めていた。

出発してから四時間ほど歩き、二、三以上の村々を過ぎた後、ぼくらはかなり大きな町に着いた。案内人たちはぼくに何か理解させようと何度も試みたが、彼らの意味することの手がかりさえ得られなかった。ただわかったのは、危険を気遣わなくていいということだけだ。読者に町の様子を述べることは控えよう。ただドモドッサロだのファイドのことを思い浮かべてもらえばいい。次のことだけは言っておこう。ぼくは大判事の前に連れ出され、その命令で別の二人の人間と同室に入れられた。この二人は、ぼくがはじめて出会った、健康そうでも美しくもない人間だった。実際、一人は明らかに健康をひどく害していて、見るからに必死に抑えようとしているにもかかわらず、時々ひどく咳こんだ。もう一人は、顔色が悪く病気のようだが、とても自制していたので、どうだったのかはわからない。二人とも、明らかに異邦人とわかる人間を見て驚いた様子だったが、あまりにも具合が悪くて、ぼくのそばに寄ることも、ぼくについて何か結論を出すこともできないようだった。この二人が最初に呼び出された。それからおよそ十五分ほどして、ぼくが呼び出された。いくぶん恐る恐るだが、なにが起こるか好奇心でいっぱいだった。

大判事は、威厳に満ちた人物で、白髪頭に白鬚でとても聡明そうな顔をしていた。彼は五分間ほど、頭のてっぺんから爪先まで、ぼくのことを上から下へ、下から上へと眺めまわした。だが、眺めたからといって、その前より、考えが鮮明になったとはとても思えなかった。とうとう彼はただ一つ短い質問をした。ぼくはそれが「おまえは何者だ」という意味だと思い、ぼくの言うことが理解されるとでもいうように、まるで落ち着きはらって英語で答えた。そして、ありのままの自分をわかってもらうよう、必死で努力したのだ。彼はますます困惑したようで、とうとうあきらめて、よほど自分に似ている他の二人の件にもどった。それから、ぼくは奥の部屋に連れて行かれ、大判事が見守る中、新たに入って来た二人の男に裸にされた。彼らは、ぼくの脈をとり、舌を見て、胸の音を聴き、筋肉という筋肉に触った。それぞれの作業が終わるたびに、彼らは大判事を見ては頷き、ぼくが申し分ないというように、愉快そうな感じでなにか言っていた。瞼をひっくり返して見たりもしたが、充血してないかどうか調べたのだろう。しかし充血などしていなかった。やっとのこと、連中は検査を止めた。思うに、ぼくの存在が健康そのもので、おまけに強健だということに、みんなが納得したのだと思う。とうとう老判事はぼくに五分間ほどの話をした。これについて、他の二人はとても要をえたものだと思っているようだったが、ぼくはなにも分からなかった。それが終わるとすぐ、ぼくの荷包みとポケットの中身を調べ出した。これにはいささか不安を覚えた。なぜなら、ぼくは無一文だったし、彼らが欲しがりそうなものだの、失うとぼくが困るようなものは、何一つ持っていなかったからだ。ともかく、そうしたものを探しているのだとぼくは思っていたが、すぐにそれが間違いだと気づいた。

最初、彼らは何の問題もないようだったが、ぼくのタバコパイプにとても困惑して、それを使っているところを見たがった。ぼくが使ってみせると、とても驚いていたが、不快ではないようだし、その香りも好きなように見えた。しかし、やがて連中はぼくの懐中時計に見つけた。これは、ぼくの内ポケットに隠しておいたのだが、彼らが調べ始めたときには忘れていたものだ。それを見つけるや、連中は不安で落ち着かなくなったようだった。それから彼らはぼくに時計を開けさせて、動作を見ようとした。ぼくがそうすると、連中はとても不快だという身振りをした。しかし、どこが連中の気にさわったのかわからなかったので、ぼくはますます不安になっていた。

思い出してみると、彼らが時計を最初に見つけたとき、ぼくはペイリーのことを考えていた。時計を目にした未開人は、それを人が作成したものだと直ちに判断するだろう言っていたのは、どういうわけかを考えていたのだ。確かに、この人々は未開人ではない。しかし、彼らのたどりついたのがそういう結論だとはとても思えなかった。ペイリー主教はほんとうにすばらしい賢者だったにちがいないと思う。けれど、判事の顔に浮かんだ恐怖と狼狽の表情で思ったのは、その表情が表しているのは、ぼくの時計が人の手になるものではなく、自分自身と宇宙との設計者、あるいは万物の偉大なる創造主が作成したと思ってるのではないかということだ。

それから、ヨーロッパ文明を知らない民族はたいてい、こういう見方をするのではないかと思い当たり、こんなにひどい過ちに導いたというので、ペイリーにはいささか腹が立ってきた。しかし、すぐにわかったのは、ぼくが大判事の顔に浮かんだ表情を間違って解釈していたということだ。それは恐怖ではなく嫌悪だったのだ。彼は厳かに二、三分間、ぼくにむかってのたまった。それから、これでは役に立たないと考えて、いくつかの通路を通ってぼくを大きな部屋に連れて行った。この部屋は後になって町の博物館だとわかったのだが、そこを眺めて、ぼくはこれまで以上に驚いた。

そこには、さまざまな珍奇なものを詰め込んだ容器でいっぱいだった。たとえば、骸骨だの剥製の鳥獣だの石の彫刻(鞍部で見たのと似たものがいくつかあったが、ただ大きさは小さかった)などだ。しかし部屋の大部分を占めていたのは、ありとあらゆる種類の壊れた機械だった。大きな標本はそれだけでケースに入れられ、理解できない文字で書かれた札がついていた。蒸気機関の破片があったが、すべて壊れて錆びついていた。その中にはシリンダーやピストン、壊れたはずみ車、クランクの一部などがあって、蒸気機関の側の床に置いてあった。また、非常に古い客車があった。その車輪は錆びて朽ちていたけれど、もともと鉄製レール用に作られたもののようだった。実際、ぼくらの最新の発明品の数々の破片があったのだが、みんな数百年はたっているようだし、それらが置いてあるのも、教育のためではなくて、ただ物珍しさからのようだった。前にも言ったように、すべてが壊れてだめになっていた。

ぼくらは多くのケースを通り過ぎ、やっといくつかの置時計と二、三個の古い懐中時計を収めたケースのところに来た。そこで判事は足を留め、ケースを開けて、ぼくの懐中時計をほかのと比べはじめた。意匠は違っているが、ものは明らかに同じだ。ここで判事はぼくの方に向き直り、激しい口調,気分を害した声で、ぼくに話しかけながら、ケースの中の懐中時計とぼく自身を何度も指さした。ぼくが、自分の時計を取り上げて、他のといっしょにケースに収めてよい、という身振りを示すまで、彼は少なくとも譲歩しそうには思えなかった。彼を宥めるには、これしかなかった。ぼくは英語で(意味が伝わるよう、声の調子も態度も、信用されるようにしたが)、ぼくの所持品のなかに、なにか密輸品が見つかったとしたら極めて遺憾であり、通常の通行料を逃れようとする意図はなかったこと、そして意図せざる法律違反にたいする償いになるなら、喜んで時計を没収してもらおう、と言った。彼は今や態度を軟化させ、やさしい態度でぼくに話しはじめた。思うに、ぼくが知らないまに違反をしたのに、彼は気づいていたのだ。しかし、彼を説得できた主な理由は、ぼくが敬意を表しつつも彼を恐れていないように見えたためだと思う。それともに、ぼくの金髪と肌の色のせいもある。身振りでわかったが、これには、他の人と同じように、彼も以前から注目していたのだ。

後で分かったのだが、金髪だということは、たいした長所だと思われている。金髪は珍しくて、金髪の人は大いに賞賛され羨望の的だった。そうは言いながらも、ぼくの時計は取り上げられた。しかし、ぼくは安寧無事で、検査を受けた部屋に戻された。それから、判事はぼくにまた話をした。その上でぼくはすぐ近くの建物に連れて行かれた。それが町の一般監獄であることはすぐにわかった。そこでは、ぼくは他の囚人とは別の収監房を割り当てられた。部屋にはベッドとテーブルと椅子があり、暖炉と洗面台もあった。もう一つ戸口があって、バルコニーに出られた。そこから階段で、壁で囲まれているが、ある程度の広さの庭に下りることができた。ぼくを部屋に連れてきた男は、したければ庭におりて散歩してもよいという身振りをした。それから、すぐに食べ物をもってきてやろうという素振りをした。ぼくは、自分の毛布と、その中に包んでいたわずかな物を持ち込むことを許可された。しかし、ぼく自身が囚人として扱われているのは明らかだった。それがどのくらいの期間なのかは、どうやってもわからなかった。彼はその後、ぼくを一人にして出て行った。


第8章 監獄にて

さて、ここで初めてぼくは気力が挫けた。ぼくは一文無しで、見知らぬ土地で囚人となり、そこでは友人もなく、そこの人々の慣習についても言葉についてもまるで知識がないのだ。こうだけ言えば十分わかってもらえよう。ほとんど共通点のない人たちの情けで、ぼくは存在していられるのだ。ぼくの頭は、自分の置かれた極めて困難であやふやな立場のことでいっぱいだったが、ぼくを捕らえた人々に深く興味を抱かざるをえなかった。ぼくが見たばかりの、古い機械でいっぱいの部屋はどういう意味をもっているのか、判事がぼくの時計を見て不快感を覚えたのはなぜなのか。今では、人々はほとんど機械を持っていない。この国に来てまだ二十四時間しかたたないうちに、このことには何度となく驚いてきた。彼らは十二、三世紀のヨーロッパ人ほどしか進歩していない。まあそんな程度だ。しかし、ぼくら自身の最先端の発明品についての完全な知識を、彼らは一度は持ったことがあるに違いない。かつては、ぼくらよりはるかに進んでいたのに、今ではずっと遅れているなどということが、どういうふうに起こったのだろうか。無知からそうなったのではないのは明らかだ。彼らは見たとたん、ぼくの時計が時計だとわかった。それに、わざわざ、こわれた機械を保存し札を貼っているのを見ると、彼らが以前の文明の記憶をなくしたのではないのは明白だ。考えれば考えるほど、理解できなくなる。しかし、やっとたどり着いた結論は、彼らはほとんど何も残らないほど炭鉱や鉄鉱山を掘りつくしてしまい、こうした金属を使うのは最高位の貴族に限られるようになったに違いないというものだった。ぼくはこれしか解答を思いつかなかった。後でこれが大間違いだということはわかったが、そのときは正しい結論だと確信していた。

ぼくはこの見解にたどりつくのに四、五分もかからなかったが、そのとき戸が開いて、盆にうまそうな匂いの夕食をのせて、若い娘が現れた。彼女がテーブルの上に敷物を敷き、うまそうな皿を置く間、ぼくは感嘆して彼女をじっと見つめていた。彼女を見ると、もう自分の立場がずっと良くなったような気になった。なぜなら、彼女の見た目そのものが、大きな慰めなのだ。彼女は二十歳前で、かなり背が高く、活動的でたくましかったが、実に優美な容貌をしていた。唇はふくよかで魅力的だし、目は濃い茶色で、長いぱっちりした睫毛が縁どっていて、三つ編にした髪が額から垂れていた。彼女の肌はただすばらしいと言うしかなく、またその姿は、強健であるとともに、完璧な女性美を兼ね備えていた。それだけではない。その手や足も彫刻家のモデルになりそうなものだった。テーブルにシチューを置くと、憐れみを込めた目でちらりと見て出ていった。それで(哀れな親戚を思いだし)彼女がぼくを少しは憐れんでくれているのだと思った。彼女は瓶とコップをもって戻ってきたが、そのとき、ぼくは顔を手で覆ってベッドに座り込んでいた。それはさながらみじめな不幸の絵に見えたことだろう。だが、絵というものはみんなそうだが、かなり不実なものである。ぼくは指の間から、彼女がまた出ていくのを見たとき、彼女がぼくをとても気の毒に思っているのは確かだと思った。彼女が背を向けると、ぼくはさっそく、夕食に取りかかったが、それはとてもすばらしいものだった。

彼女は一時間ほどで食事を下げに戻ってきた。一緒に腰に大きな鍵の束を下げた男がやって来た。その態度から、彼が看守なのだと悟った。後でわかったことだが、彼はぼくに夕食をもってきた美しい娘の父親だった。ぼくは人並み以上に格好をつけたりはしない。それで、やろうとしたのは、そう惨めに見えないようにすることだった。ぼくはもう落ち込んではいなかったし、ぼくの看守とその娘には気立てのよさを感じていた。ぼくに気遣ってくれたことで、彼らには感謝した。彼らとは理解できないながらも、お互いに見ては、笑い、おしゃべりをして、とうとう親父のほうは冗談だと思われることをちょっと言った。冗談だろう思ったのは、娘は楽しげに笑って逃げ去り、父親が取り残されて夕食を下げたからだ。それから、もう一人訪問者があった。彼には良い印象はなかった。自分はたいしたものだと考え、ぼくのことは取るに足りないものと思っていた。彼は本とペンと紙を持ってきていた。これらは英語で言えばそういうことになろうが、紙も印刷も装丁もペンもインクも、ぼくらのものとまるで違っていた。

彼は、ぼくに言葉を教えようとしてること、そしてすぐに勉強を始めるということを、ぼくに理解させた。これは喜ばしいことだ。なぜなら、ぼくが理解できるようになり、またぼくをわかってもらえるようになることは、快適なことだし、それにまた、当局がこの後ぼくを残酷な扱おうというのであれば、ぼくに言葉を教えたりするはずはないのだから。すぐに始めて、ぼくは部屋中の物の名前と数字、それに人称代名詞を覚えた。そこかしこでヨーロッパのものによく似ているものをしょっちゅう見かけたが、悲しいことに、言葉に関してはうまくいかないことがわかった。この言語と、なにかぼくがごくわずかだが知識がある言語との間には、どんな類似も見つからないのだ。ヘブライ語を習っているのだとしたら、そうした類似が見つかるはずなのに、と思った。

もう細かに語るのはよそう。この時から、ぼくは単調な日々を送った。看守の娘イラムとのつきあいを除けば、退屈な日々だった。彼女はぼくが大のお気に入りで、ぼくをとても親切に扱ってくれた。男は毎日ぼくに言葉を教えにやって来た。けれど実際の辞書と文法書はイラムだった。彼らの助けで、ぼくは、一ヶ月もたつと、とてつもない進歩を遂げ、盗み聞きしたイラムと父親の間の会話の大部分を理解できるようになっていた。ぼくの先生はとても満足げで、その筋にはぼくについて好意的な報告をしているということだった。そこでぼくは彼に、一体自分はどうなるのか尋ねてみた。彼が語ったところでは、ぼくがこの国にやって来たことで、国をあげての大騒ぎとなり、政府からの勧告を受けるまで、ぼくは厳重に監禁された囚人として拘留されることになったとのことだ。ぼくが懐中時計を持っていたことが、この件では唯一不利な点だ、ということだった。このことがそうなるのはなぜなのか、というぼくの質問に答えて、かれは長い物語を聞かせたが、ぼくは言語の知識が不完全なので、ほとんど何もわからなかった。ただわかったのは、それが極めて凶悪な犯罪で、ほとんど