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《プロジェクト杉田玄白正式参加作品》
本翻訳は、この版権表示を残す限りにおいて、訳者および著者にたいして許可をとっ たり使用料を支払ったりすることいっさいなしに、商業利用を含むあらゆる形で自 由に利用・複製が認められます。

価値、価格そして利潤

Value, Price and Profit
労働者への演説
エレノア・マルクス・エーヴリング Eleanor Marx Aveling 編

著:カール・マルクス Karl Marx
訳:永江良一

序文

この論文が読み上げられた状況は、この作品の始めのところで説明されています。この論文はマルクスの生前には一度も公刊されたことはありません。これはエンゲルスの死後に彼の論文の間から発見されました。この論文は、マルクスの多くの特徴の中でも、二つのことをよく示しています。それは彼のアイデアの意味を劣等生にも解りやすいものにしたいという忍耐強い意欲と、またそのアイデアの並外れた明晰さです。部分的な意味で、この巻は資本論第一巻の要約です。私たちの中の何人もの人が第一巻を分析し単純化することを試みましたが、おそらくあまり成功はしていません。実際、機知に富む友人の解説者が、今求められているのはマルクスについての私たちの説明のマルクスによる説明だとほのめかすしまつです。私は学生に社会主義を理解させるのに一番良い本のシリーズは何かとよく尋ねられます。これは答えるのが難しい質問です。しかし、提案すれば、第一にエンゲルスの「空想から科学へ」、次にこの本、資本論の第一巻、そして学生版マルクスということになりましょう。私がこの作品の準備に果たしたちょっとした役割は、草稿を読み、英語風の表現にするのにちょっと提案し、作品を章に分けて、各章に名前をつけ、ゲラを校正したくらいです。作業の残り全部は、最も重要な部分まで、表題ページに名前を載せている彼女がやりました。この巻は既にドイツ語に翻訳されています。

エドワード・エーヴリング Edward Aveling

目次

   前置き
 1.生産と賃金
 2.生産、賃金、利潤
 3.賃金と通過
 4.供給と需要
 5.賃金と価格
 6.価値と労働
 7.労働力
 8.剰余価値の生産
 9.労働の価値
10.利潤は商品をその価値で販売して得られる
11.剰余価値を分解した異なる部分
12.利潤、賃金、価格の一般的関係
13.賃金を引き上げるあるいは下落に抵抗する試みのおもなケース
14.資本と労働の間の闘争、そしてその結果

前置き

市民の皆さん。
本題に入る前に、事前にちょっと意見を述べさせてください。今大陸ではストライキが大流行し、賃上げをもとめる叫びが一斉にあがっています。私たちの総会でもこの問題が出てくることでしょう。あなたがたも、国際協会の指導者として、この優先問題に判断を下さなければなりません。私としては、だから、たとえあなたがたの忍耐を厳しい試練にさらすとしても、事態に十分論じておくことが私の義務だと考えたのです。

もう一つ前もっていっておきたいのは、ウェストン君に関することです。彼は、彼の考えるところの労働階級のためを図って、労働階級には最も人気がないことは彼も知っている意見を、あなたがたに提案しただけでなく、公にも支持してきました。道徳的な勇気のこのような発露には、私たちは皆、敬意を払うべきです。私の論文の率直なスタイルにもかかわらず、結論においては、私が彼の論考の底にあるアイデアと思われるものには同意しているのだが、しかしその現在の形式では、理論的には間違っており、実践的には危険であると考えざるを得ないのだということを、わかって欲しいと思います。それでは直ちに私の前にある課題に取り掛かりましょう。


1.生産と賃金

ウェストン君の議論は、つまるところ二つの前提によっています。第一には、国民生産の総額は固定されたもの、数学者がいうところの一定の量あるいは大きさであること。第二には、実質賃金、つまり購入できる商品の量で測定した賃金は、固定されたもので一定の大きさであること。

さて、彼の最初の主張は明らかに誤っています。毎年毎年、生産物の価値も総量も増加していること、国民労働の生産力は増加していること、そしてこの増加した生産物を循環するのに必要な貨幣総額は連続して変化していることに気がつくでしょう。年の終わりに真実であること、そして異なる年を互いに比較して真実であることは、その年の平均的な各日にも真実なのです。国民生産の総量あるいは規模は連続的に変化します。それは一定の大きさなのではなく、変化する大きさなのであり、また、人口の変化は別として、資本の蓄積と労働の生産力の連続的変化のゆえに、そうであるにちがいありません。もし今日一般的な賃金率に上昇がおこると、その隠された効果がなんであれ、この上昇は、それ自身では生産の総額を直接に変えるわけではないことは、完全に正しいでしょう。最初の場合は、物事の現存している状態から進行しているわけです。しかし、もし賃金が上昇する前に国民生産は可変であり、固定されてないのなら、賃金上昇後もそれは継続して可変で固定されていないでしょう。

しかし国民生産の総額が可変でなくて固定であると仮定しましょう。その時でさえ、我が友ウェストンが論理的帰結と考えたものは、依然として理由のない主張なのです。もし私がある与えられた数、たとえば8をもっているとすると、この数の絶対的限界は、その部分がその相対的な限界を変えるのを妨げるものではないのです。もし利潤が6で賃金が2ならば、賃金が6に増え利潤が2に減っても、合計の数量は依然8のままです。生産額が固定されていることは、決して賃金の額が固定されていることを証明しているのではありません。この時我が友ウェストンはどのようにしてこの固定性を証明するのでしょうか?それを主張することによってです。

しかしもし彼の主張を認めたとしても、二つの道が開かれているのですが、かれは一方の方向にだけ押し進めています。賃金の総額が一定の大きさならば、それは増加することも減少することもできません。もしそのとき、労働者が一時的な賃上げを強制することが愚かしい振舞いなら、資本家が一時的な賃下げを強制することも、同じくらい愚かしい振舞いなのです。我が友ウェストンは、ある状況の下では、労働者が賃上げを強制できることを否定しないが、しかしその総額は当然にも固定されているので、反作用がついてくるに違いないと言っているのです。その一方で、彼はまた資本家が賃金下げを強制できること、そして実際、継続的に賃下げを試みていることを知っています。賃金の不変性という原理にしたがえば、その場合にも前と同様、反作用がついてこなければなりません。労働者は、したがって、賃金を下げようという試み、あるいは行為に反作用して、適切に振舞うでしょう。彼らは、したがって、適切にも賃上げを強制しようとします。なぜなら、賃下げに対する反作用はどれも賃金を上げようという行動だからです。賃金の不変性というウェストン君自身の原理にしたがえば、労働者は、したがって、ある状況の下では、賃上げのために団結し闘争しなければならないのです。もし彼がこの結論を否定するならば、彼はこの結論がでてきた彼の前提をあきらめなければなりません。彼は、賃金の総額は一定の量であると言わずに、それは上げることはできず、また上げてはならないにもかかわらず、資本家が下げたいときはいつでも、下げることができるし、下がらなければならないと言わなければならないのです。もし資本家があなたに肉の代りにじゃがいもを、小麦の代りにオート麦を食わせたいと思うなら、あなたは経済学の法則として彼の意志を受け入れ、服従しなければならないのです。例えばアメリカ合衆国の賃金率がイギリスより高いように、もしある国の賃金率が他の国より高いならば、この賃金率の差異をアメリカの資本家の意志とイギリスの資本家の意志の差異によって説明しなければなりません。この方法は確かに、経済現象の研究だけでなく、他のあらゆる現象の研究を極めて単純なものにするでしょう。

しかしそのときでさえ、私たちは問うでしょう。なぜアメリカの資本家の意志はイギリスの資本家の意志と違うのだろうかと。そしてこの疑問に答えるには、意志の領域を越えて進まなければなりません。ある人が、神はフランスではあることを望まれ、イギリスでは別のことを望まれるのだと言うかもしれません。私が彼にその意志の二重性の説明を求めると、彼は厚かましくも、神はフランスではある意志を、イギリスでは別の意志を持とうと望まれたからだと答えるのでしょう。しかし、我が友ウェストンは確かに、このようなあらゆる推論を完全に否定したような議論をする人とは、とても思えません。資本家の意志は確かにできるだけ多くを得ようというものです。私たちがしなければならないのは、彼の意志について語ることではなくて、彼の力を、その力の限界を、その限界の特徴を探求することなのです。


2.生産、賃金、利潤

ウェストン君が私たちのまえで読み上げた演説を簡単に要約してみましょう。

彼の推論のすべては結局次のようになります。もし労働者階級が資本家階級に貨幣賃金の形で4シリングのかわりに5シリングを支払うよう強いるならば、資本家は商品の形で5シリングの値打ちのものかわりに4シリングの値打ちのもので応じてきます。労働者階級は、賃上げ前には4シリングで買えたものに5シリング支払わなければならなくなります。しかしなぜこれが真実なのでしょうか?なぜ資本家は5シリングにたいして4シリングの値打ちのもので応じるだけなのでしょうか?なぜなら賃金の総額は固定されているからです。なぜ賃金は4シリングの値打ちの商品に固定されているのでしょうか?なぜ3や2やその他の額ではないのでしょうか?もし賃金の総額の制限が、資本家の意志や労働者の意志といったものとは独立に、経済法則によって決まっているのなら、ウェストン君がしなければならなかった最初のことは、その法則を述べそれを証明することでした。さらに彼は、どの瞬間にも現実に支払われている賃金の総額がいつも必要とされる賃金の額と正確に対応しており、決してそれから逸脱しないことを証明すべきでありました。もし、その一方で、賃金の総額のあるあたえられた制限が、資本家の単なる意志、あるいは彼の貪欲さの制限に基づくのならば、それは恣意的な制限です。そこに必然的なものは何もありません。それは資本家の意志によって変えられるかもしれませんが、また、それゆえに、資本家の意志に反して変えられるかもしれないのです。

ウェストン君は彼の理論を説明するのに、数人の人が食べる、ある量のスープをいれた椀を例に出し、スプーンの幅を広げたからといって、スープの量は増えないと、皆さんにいいました。彼は私にこの説明がかなり愚かしい[原文spoony]であると気づかせてくれたのです。それで私はメネニウス・アグリッパが使った喩をちょっと思い出しました。ローマの平民がローマの貴族と衝突したとき、貴族のアグリッパは彼らに、統治体の貴族という腹が平民という手足を養っているのだと言ったそうです。アグリッパは、ある人間の腹を満たすことで、別の人間の手足を養えることを示すことはできませんでしたが。ウェストン君の場合は、労働者が食う椀が国民労働の全生産物で満たされており、労働者が椀からもっととるのを妨げているは、椀の狭さでもその中身の乏しさでもなく、彼らのスプーンの小ささであることを、忘れているのです。

どんな発明によって、資本家は5シリングにたいして4シリングの価値しかないもので応じることができるのでしょうか?彼が売る商品の価格を上げることによってです。商品の価格上昇およびもっと一般的に価格変動は、商品の価格自身は、資本家の単なる意志にだけ依存しているのでしょうか?あるいは、反対に、その意志に影響を与えるある状況が必要なのではないでしょうか?そうでなければ、市場価格の高下、絶え間のない変動は解明できない謎となります。

労働の生産力にも、使われている資本と労働にも、生産物の価値が評価される貨幣の価値にも変化がなく、賃金率にだけ変化があると仮定したとき、賃金の上昇がどうやって商品の価格に影響できるのでしょうか?これらの商品の需要と供給の間の実際の比率に影響を与えることによってでしかありません。

全体として考察したとき、労働者階級がその収入を必需品に使うし、また使わざるを得ないということは、全く正しいことです。賃金率の一般的上昇は、したがって、必需品にたいする需要を引き上げ、結果的にその市場価格を引き上げるのです。これらの必需品を生産している資本家は、上昇した賃金を、その商品の上昇した市場価格で埋め合わせます。必需品を生産していない他の資本家は度うなるのでしょうか?それらが小さいものだと思ってはいけません。国民生産の三分の二が人口の五分の一--ある下院議員は最近それは人口の七分の一にすぎないと言っていますが--によって消費されいることを考えると、国民生産のどんなに大きな部分が贅沢品という形で生産されているか、あるいは贅沢品と交換されているに違いないこと、必需品自身のどんなに大きな量が従僕、馬、猫等々に浪費されているに違いないことがわかるでしょう。もっとも、浪費は、私たちが経験から知っているように、常に必需品の価格上昇によってかなり制限されるのですが。

さて、必需品を生産していない資本家の立場はどうなるのでしょうか?賃金の一般的上昇の結果起こった利潤率の下落を、その商品の価格の上昇で埋め合わせることはできません。なぜなら、その商品の需要が増加するわけではないからです。彼らの収入は減少し、この減少した収入から、価格の高騰した必需品の同じ量にもっとたくさん支払わなければなりません。しかし、これがすべてではないのです。その収入が減少したので、彼らは贅沢品にあまり金を使わなくなり、したがってそれぞれの商品に対するお互いの需要は減少します。この減少した需要の結果、その商品の価格は下落します。こうした産業部門では、したがって、利潤率が、単に賃金率の一般的上昇に単純に比例してではなく、賃金の一般的上昇、必需品の価格上昇、および贅沢品の価格下落の複合した率で下落するのです。異なる産業部門で使われる資本の利潤率のこの差異はどんな結果をもたらすのでしょうか?まあそれは、理由はなんであれ、異なる生産分野で平均利潤率に差異が生じるときはいつも起こる結果なのですが。資本と労働は儲けの少ない部門から儲けの大きい分部門へと移転し、この移転の過程は、ある産業部門の供給が増加した需要にみあうだけ上昇し、別の産業部門では減少した需要にしたがって供給が落ち込むまで続きます。この変化の効果で、一般利潤率は異なる部門間で再び均等化するのです。撹乱全体はもともと異なる商品の需要と供給の比率の単なる変化から生じたものなので、原因がなくなれば、効果も止まり、価格はもとの水準に戻り均衡します。賃金上昇の結果生じる利潤率の下落は、いくつかの産業部門にとどまらず、一般的に起こります。私たちの仮定にしたがえば、労働の生産力にも、総生産額にも変化はなく、ただ与えられた生産額がその形態を変えただけです。生産の必需品という形で存在する部分は大きくなり、贅沢品の形で存在している部分が小さくなるのです。あるいは、同じことなのですが、海外の贅沢品と交換され、そのもともとの贅沢品の形で消費される部分が小さくなります。あるいは、またまた同じことになりますが、国内生産で海外の贅沢品ではなく、必需品と交換される部分が大きくなるのです。賃金率の一般的上昇は、したがって、市場価格の一時的な混乱の後、商品価格の永続する変化を残さずに、利潤率が一般的に下落する結果となるだけです。もし私が以上の議論ですべての超過賃金が必需品に使われるものと仮定しているとおっしゃるのなら、ウェストン君の意見にもっとも有利な仮定をしたまでだと答えておきましょう。もし超過賃金が以前は労働者が消費しなかったような品物に使われるとしたら、その購買力の実質増加は証明する必要もないでしょう。


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履歴
2001年01月29日 仕掛り中
Ryoichi Nagae