
《プロジェクト杉田玄白正式参加作品》
言葉のない恋歌
ポール・ヴェルレーヌ Paul Verlaine:著
永江良一:訳
訳者のはしがき
ここにお目にかけるは、詩心もなく仏蘭西語もおぼつかぬ訳者が、身の程もわきまえず、手すさび筆すさびに訳したるもの。秋風に惑わされ、ふと思い立ったものと思し召せ。ヴェルレーヌは日本人に好まれるのでありましょうか、これまでも多くの訳業があり、またこの『言葉のない恋歌』は中でも傑作、代表作と称させる詩集でありますれば、あまたの名訳もあり、中の幾つかをそらんじ愛誦される御方もありましょう。そういうところへ屋上に陋屋を重ねたる所業はご不快とも思されましょうが、まあもの好きなとご一笑されて、ご容赦くださいますよう。
訳にあたりましては、先人の訳業を参考にいたしておりますが、あまたありますれば個々にはあげはいたしません。あしからず。また「詩の翻訳は難しい、所詮は原詩を映せはしない、原語で鑑賞すべきだ」とはよくいわれるところです。まさにさようでありますし、ヴェルレーヌは音楽的ともいわれますので、どうか訳詩は参考に、原詩もご鑑賞なさればと思います。また付け足しでいいますと、特にアリエッタの第6曲は、私にはまるで判じ物でして、いろいろと童謡、俗謡の類が下敷きにあるようではありますが、浅学ゆえにまるで判っておりません。いろいろとご指摘、ご教示いただければ幸です。
目次
忘れられたアリエッタ
1
それは悩ましげな夢心地
それは恋に焦がれた身の疲れ
それは、そよ吹く風に抱きすくめられた
森の身ぶるい
それは、灰色の梢のかなた
かぼそい声の歌う唱
おお かぼそくも涼やかな囁き
それはさえずってはさざめいて
風に乱れる草々の息絶え絶えの
しめやかに泣くその声のよう
おまえは言った、渦巻く水のその底に
小石が音もなく横ゆれると
澱む恨みのその中で
悲しみくれるこの魂
それはぼくらの心ではないのか
ぼくのと、それにおまえの心
この暖かい夕べに、ぶつぶつと
しがない繰り言を吐き散らすその心では
2
ぼくは見抜く、つぶやきをとおして
古えの声の微妙な輪郭を
楽の音のほの光る中
青ざめた恋、やがてくる曙を
錯乱のぼくの心、ぼくの魂は
もはやただ二重に見えるまなざし
そこにふるえるは、曇った日をとおして
ああ あらゆるリラの奏でるアリエッタ
おお この孤独の死を死ぬること
だんだんと若い時と老いの時とを
ゆれ動くもの--おまえをこわがらせる愛
おお このブランコで死ぬること
3
街に雨が降るように
ぼくの心は涙にくれる
心の奥に浸み入った
このもの憂さは何だろう
おお静かなる雨の音
地の上そして屋根の上
倦んで疲れた心には
おお雨の奏でるこの唄よ
やる気も失せた心の中で
わけもないのに涙する
なぜ、そむかれもしないのに
この嘆きにわけはない
わけがわからぬそのことが
かくもはげしいこの痛み
愛も憎しみもないというのに
ぼくの心はこんなにつらい
4
おわかり、おたがいゆるしあわなくちゃ
そうすりゃふたりしあわせよ
もしわたしたちに不幸がおきたって
とにかくふたりで、ね、泣けばすむこと
まじりあって、ふたりは仲好し
ぼんやりねがうはうぶな優しさ
世の女たち男たちから遠くはなれて行きましょう
流亡のわけはきっぱりわすれて
つまらぬものに熱をあげては、仰天し
ゆるされてるのを知りもしないで
きよらな並木のしたで青ざめる
子供ふたりでいましょうよ、小娘ふたりでいましょうよ
5
響きわたるクラブサンの、いやになるような陽気さ
ペトリュス・ボレル
きゃしゃな手が口づけるピアノが
薔薇と灰色のまじる夕べにほのかに光り
いとも軽やかな羽音をたてる
とても古くて、とてもはかなく、とてもすてきな歌が
ほとんどおびえて、ひっそりと彷徨う
あの女の残り香のいまだただよう閨房を
ゆるやかに哀れなぼくを甘やかす
この不意にあらわれたゆりかごは何だろう
ぼくをどうしたいの、ひょうきんな甘い歌よ
どうしたかったの、定かではない妙なるルフランよ
ちいさな庭にすこし開いた
窓のほうへと消えゆきながら
6
ジャン・ド・ニヴェルの犬だよ
門番さんの目の前で
ミシェルおばさんの猫噛んだのは
青靴下のフランソワは大喜び
代書屋のうえにお月さま
ほんのり光をなげかける
そこには貧相な壁のうえ
メドールとアンジェリクが緑に繁る
ここにおいでよ木の繁み
讃えましょう、王様のりっぱな兵隊さん
評判悪い白服のした
その心はお悦びではありません
だからパン屋さん....彼女?ご迷惑
ベルナン・リュステュクリュ、そのご老人
やがて恋の炎に冠かぶせた
子供たち、主ガ汝ラト共ニアランコトヲ
おどき!青くて長いドレスを着てさ
衣ずれさらさら繻子の服
それはみだらなあばずれさ
むりやり借りたお椅子にすわって
哲学者だか締り屋みたい
だってお金はたんまりふくらむほどで
これみよがしの贅沢三昧
法律閣下の命令書なんておかまいなしさ
下がってよ、泥まみれの法律屋さん。どいて
ちいさなずんぐり、ちいさな神父
韻が踏めずにいつもお疲れ
ちいさな詩人
本物の夜がやってきて
頓着なしに無邪気でいること
決して飽きたりしないけど
青靴下のフランソワは大喜び
7
おお 哀しんでいる、哀しんでいる ぼくの魂
そのわけは、そのわけは ひとりの女のせい
ぼくはあきらめきれないでいる
心は離れたはずなのに
そう心は そう魂は
あの女から遠く逃れたはずなのに
ぼくはあきらめきれないでいる
心は離れたはずなのに
ぼくの心、ぼくの心は 傷つきやすくて
ぼくの魂にこう言うんだ あることだろうかと
あることだろうか--あったとしたって
こんなひどい追放が、こんな哀しい追放が
魂は心に言う ぼくだって知りはしないよ
この罠の中ぼくらがどうなるのかって
追放されているのに、離れているのに
いまもいっしょにいるかに思えるこの罠で
8
広野にみちる
限りない倦怠の中
気まぐれな雪が
砂のように光る
空は赤銅づくり
ほのかの光さえなく
月が生まれて死にいくのが
見えるかのよう
厚い雲のように
灰色に浮かぶ
近くの森の柏の木
靄たつなかに
空は赤銅づくり
ほのかの光さえなく
月が生まれて死にいくのが
見えるかのよう
息を切らした鴉
それにおまえたち 痩せ細った狼よ
この身を刺すような北風のなか
一体どうしたんだい
広野にみちる
限りない倦怠の中
気まぐれな雪が
砂のように光る
9
枝の高みから水の中のおのれの姿をのぞきこむ鶯は、川に落ちたと思いこむ。柏の高みにあるのだけれど、溺れ死ぬのが怖いのだ。
シラノ・ド・ベルジュラック
霧の川面に映る木々の影は
煙のように消えうせる
けれど空中の本物の枝に間では
雉鳩が嘆き声をたてる
おお旅人よ どれほどにこの青ざめた風景が
おまえを青ざめて映したことか
どれほど哀しく涙したのか 高く繁った葉の陰で
おまえの溺れて死んだ希望が
1872年5月、6月
ベルギー風景
「王様の征服」(古い銅版画)
ヴァルクール
煉瓦と瓦よ
恋人たちのための
おお すてきな
ちいさな隠れ家!
ホップと葡萄よ
葉っぱと花よ
あけすけな呑兵衛どもの
すばらしい屋台!
あかるい酒場よ
ビールと喧騒
煙草吸いどもには
かわいいお女中!
近くの停車場
愉快な大通り
これはしめたぞ
善きさまよえるユダヤ人!
1872年7月
シャルルロワ
黒い草の中を
小鬼が行く
深々と吹く風も
泣くかのようだ
どんな感じさ?
燕麦はひゅうと鳴る
茂みが平手打ち
通りすがりに目の玉を
家というより
あばら家の群れ
赤々とした鍛冶屋のつらなる
なんという地平線!
どんな臭いさ?
駅々がとどろく
目の玉びっくり
どこがシャルルロワなの?
不吉の薫りだ!
これは何なの?
何が鳴ったの
振り鈴のように?
荒々しい風景!
おお おまえたちの息
人の汗
金属の叫び声!
黒い草の中を
小鬼が行く
深々と吹く風も
泣くかのようだ
ブリュッセル
素朴なフレスコ画
I
ものみなぼんやりかきけむる
ラムプの薄明りのなか
丘と斜面から消え去りゆく
緑のまじる薔薇色
目立たぬ奈落のうえで、その金色が
そっとやさしく血塗られていく
頂のない小さな木々よ
そこには鳥がか弱く歌う
ほんのわずかな哀しみをのこして
この秋の名残もかき消えて
ぼくの物思いは夢想にふける
単調な空気にゆすられて
II
どこまでも続く並木道
こんなに青白くて
神々しい空の下
この樹々の蔭に
かくれひそめば
気持ちいいんじゃないかい
立派な身なりの旦那衆
きっとロワィエ・コラール家とやらの
ご友人にちがいあるまい
お城のほうへ行きなさる
あんなご老人になったら
すてきだろうな
お城はまっ白
その横腹に
沈むお日さま
まわりは野原
おお ぼくらの愛は
あそこに巣をかけないの
1872年8月 居酒屋 子狐亭で
ブリュッセル
木馬
サン・ジルとおって
ここまでおいで
ぼくのすばやい
栗毛のお馬
ヴィクトル・ユゴー
まわれ、まわれ、楽しい木馬
百回まわれ、千回まわれ
休まずまわれ、ずうっとまわれ
まわれ、まわれ、オーボエにあわせ
ふとっちょ兵隊さん、一等おでぶのお女中さん
まるで自分の部屋でのように、おまえたちの背に乗って
だって今日一日は、カンブルの森に
ご主人様はごいっしょに、ご自分たちでお出かけだ
まわれ、まわれ、ふたりの心の馬よ
おまえさんたちの騎馬戦のまわりでは
ひそんだ掏摸が目を細めてる
まわれ、威勢のいいコルネットにあわせ
こんなばかげた曲馬乗りだって
酔っぱらったみたいにいい心地
お腹はいっぱい、頭はがんがん
わるいことが山盛りなら、いいことだって沢山だ
まわれ、まわれ、拍車なんて
そんなものがなくたって
お命じのままに速足でまわる
まわれ、まわれ、秣のあてはなくたって
急いで、ふたりの魂の馬よ
ほらもうすぐ夜が来る
雄鳩と雌鳩、さあ身を寄せあおう
縁日からも離れ、奥方からも逃れ
まわれ、まわれ、ビロードの空は
ゆっくり金色の星を身にまとう
恋人どうしがさあお出かけだ
まわれ、太鼓の楽しい響きにあわせ
1872年8月 サン・ジルの縁日の広場で
マリーヌ
牧場のほうへ、風がけんかを売りにいく
煉瓦は赤で屋根は青の
どっかのお役人のお屋敷の
作りも見事な風見鶏を相手に
明るい牧場のほうへ、果てしもない牧場のほうへ
妖精の国の木々のように
とねりこの木々、ぼんやりと葉の茂みが
牧草地のサハラに
千もの地平に重なって
しろつめくさ、うまごやし、白い芝
この穏やかな風景のなかを
客車は静かに矢のように走る
眠れ、牝牛たち、憩え、
広い平原のおとなしい牡牛たちよ
わずかに虹の色に耀く空の下で
列車は音もなく滑べりいく
客車はそれぞれ応接間のよう
みんなは静かに語らいながら
フェヌロン好みに仕上がった
この自然を心ゆくまで愛でている
1872年8月
夜の鳥
あなたはまるで忍耐がない
それは不幸にしてよくよくわかっていること
あなたはあまりに若い!それに気楽さ
それは天使のような年齢の苦い分け前!
あなたはまるでやさしくない
それも不幸にしてわかっていること
あなたはあまりに若い、おおぼくの冷たい愛しい女
あなたの心はつれないはずだ!
だから、ぼくは清らかな許しの心でいっぱいだ
喜んじゃいないのはむろんだが、けれどつまるところ平静に
この災厄の月々を、あなたのおかげで
世にも不幸な男と嘆いてはいるものの
それにあなたはわかってるだろう、ぼくが正しかったのだと
ぼくたちの暗黒の瞬間にぼくが言ったとき
ぼくたちの昔の希望の住処だったあなたの眼は
もはや裏切りしか宿してはいないと言ったとき
あなたは嘘なのに誓った
自らを偽るあなたの眼ざしは
消えいく火がかき立てられたように燃え上がり
そして、あなたの声が言ったのだ「愛しているわ」と
ああ、人はいつもとらわれる
機も熟さぬに幸せでいたいという欲望に....
しかしそれは苦い喜びに満ちた日だった
ぼくが自分が正しいと気づいたときは
ともかく、なんでぼくは愚痴をこぼすのだろう
あなたはぼくを愛さなかった、事の結末はこれなのだ
それに、ぼくは誰にも哀れんで欲しくはないから
断固とした気持ちで耐え忍ぼう
そう、ぼくは苦しもう あなたを愛していたのだから
けれど、ぼくは苦しもう 善良な兵士のように
恩知らずなどこかの国をひたすら愛して
傷ついて永遠の眠りにつくその兵士のように
ぼくの恋人、ぼくの愛しい人だったあなた
まだあなたはぼくを苦しめようとする
あなたはこうして、まだぼくの祖国ではないのか
フランスのように、かくも若くかくも狂気じみた祖国では
ところで、ぼくはのぞまない--そもそもそんなことができるのか
ぬれた眼差しでこの思いにひたることなど
けれど、あなたが死んだと信じたぼくの愛は
ついにその目を見開くようだ
思い出でしかないぼくの愛は
とはいえ、あなたに打たれて血を流し、涙にくれ
さらにまた、思うに、そのことで死ぬまで
ながく苦しまねばならないのだろうが
そうではないかと思うのは、きっと当然のこと
あなたの中に悔恨(それも並みのものではないような)を見るのではと
そして絶望にかられて、あなたの記憶に
「あ!ちぃ!悪いことしたわ」と言うのを聞くのではと
まだぼくにはあなたが見える ぼくは半ば扉を開ける
あなたは疲れたようにベッドにいた
おお 愛が運ぶ軽い肉体よ
あなたは裸ではね起き、嘆いては喜んだ
おお なんという口づけ なんという無我夢中の絡み合い!
ぼく自身、そのことに涙をながしながら笑っていた
たしかに、この瞬間はあらゆる時のなかで
ぼくの一番哀しい、けれど同じくらい幸福な時だ
ぼくは思い出したくはない あなたの微笑の
それにあの時のあなたのすてきな目の
そしてついには呪われるべきあなたの
また快い罠の 見せかけだけは
まだぼくにはあなたが見える!生垣の
花の模様の白と黄との夏の服で
けれど、あなたにはもうあのしっとりとした快活さはなかった
ときに二人して有頂天となったあの快活さは
かわいい花嫁と姉娘は
おめかしをして現れた
そしてぼくたちの運命はもう
あなたのヴェールの下からぼくを見つめていたのだ
赦されてあれ!そのために
ぼくは護るのだ ああ!いささかの誇りをもって
あなたを甘やかしたぼくの思い出のなかで
あなたの眼がわきに流したあの光を
ときおり、ぼくは哀れな船となり
嵐のただ中に帆柱を折って走りいく
そして、聖母が光るのも見えず
祈りながら、ただ海に呑まれようとする
ときおり、ぼくは罪人の死をとげる
慚悔しなければ地獄落ちの罪人の死を
そして、慚悔僧のあてもつかぬまま
自ら進んで、地獄で身をよじる
おお しかし!ときおり、ぼくは赤い陶酔にひたる
証人イエスに微笑みかけて
身の毛の一本、顔の筋ひとつ動かさず
野獣の歯にかかった最初のキリスト教徒の陶酔に!
1872年9月−10月 ブリュッセルとロンドンで
水彩画
緑
さあどうぞ 果物と花、葉に枝
それに あなたのためだけに脈打つぼくの心
あなたの白い両の手でどうか引き裂かないでおくれ
そしてあなたの麗しい目にこのつましい贈り物が心地よく映るように
ぼくはすっかり朝露にそぼ濡れてやってきた
朝の風でぼくの額に露が凍りつく
許しておくれ 疲れてあなたの足もとに憩い
疲れが癒されるすてきな時を夢見ることを
あなたの若々しい胸の上でぼくの頭をころがさせてくれ
いましがたの口づけがまだ響きわたってる頭を
あのすばらしい嵐を鎮めておくれ
そしてあなたが憩うのなら しばしぼくを眠らせてくれ
不機嫌
薔薇はまるで紅で
木蔦は黒々として
かわいい人 あなたが少し動くだけで
ぼくの絶望がすっかりよみがえる
海はあまりにあおく、あまりに優しく
空はあまりにみどり、それに空気はあまりに甘やか
ぼくはいつも恐れている--それが待つということ!
あなたが残酷に逃れ去るのではないかと
エナメル仕上げの葉をした柊にも
つややかに光る黄楊にもぼくはうんざりだ
限りの無い野原にも
ああ あなたを除けばなにもかもうんざりだ
街路
I
ジーグを踊ろう!
なによりあの娘のすてきな目が好きだった
空の星よりもっと明るい
あの娘のいたずらっぽい目が好きだった
ジーグを踊ろう!
あの娘はほんとによく知っていた
哀れな恋人を嘆かせる術を
それがまたほんとにすてきだった
ジーグを踊ろう!
けれど、ぼくがもっとすてきだと思うのは
あの娘の花ような口の口づけ
あの娘がぼくの心から消えてからというもの
ジーグを踊ろう!
ぼくは思い出す 思い出す
すごした時間とかわした言葉を
それこそがぼくの一番の宝物
ジーグを踊ろう!
ソーホーで
II
おお 街中の川!
五尺の塀のうしろに
夢幻のようにあらわれて
せせらぎの音もたてずに流れ行く
その暗くけれど澄んだ波
静まりかえる町外れをぬって
堤防はとても広く、だから
死んだ女のような黄色の水が
ゆったりと流れ下り、どんな希望もなく
ただ霧だけを映している
別荘の群れを黄色と黒に
暁の光が燃え立たせても
パンディントンで
幼い妻
あなたはぼくの率直さがまるでわからなかった
まったく何も、おお ぼくの哀れな子どもよ!
そして風に吹かれ、悔しそうな顔で
あなたは前へ走り去る
優しさしか映そうとはしないあなたの眼
その哀れなかわいい青い鏡は
苦々しい色合を帯び、おお みじめな娘よ
見つめるだけでぼくらの心を苦しめる
そしてあなたはその小さな腕で身をよじる
意地の悪い主人公みたいに
肺病やみのようなかん高い声を張り上げて ああ!
ただ歌でしかないようなあなた!
あなたは轟いては鋭くうなりをたてる
嵐と心とが怖くって
母親にむかって泣き声をあげる--おお 痛い!--
まるで哀しげな仔羊みたいに
そしてあなたは知ろうとはしなかった 律儀で強い愛の
真実も名誉も
不運のなかで楽しげで、幸福のなかで厳かに
死ぬまで幼いままなのだ
1873年4月2日 ロンドンで
哀れな若い羊飼い
ぼくは口づけが怖い
蜜蜂が怖いように
ぼくは苦しくて、夜も眠れない
身も休まらず
ぼくは口づけが怖い
それでもぼくはケイトが好きだ
あの娘のかわいい眼が好きだ
あの娘は繊細で
青白い面長顔
おお!ぼくはケイトが好きだ
今日は聖バレンタインの日
けさこそは打ち明けなくちゃ
でもその勇気がわかぬ
怖いものだ
聖バレンタインの日は
あの娘はぼくと誓った仲だ
なんとも首尾よくいったもの!
けれど何という企て
許婚者の傍らで
情夫みたいにいようとは
ぼくは口づけが怖い
蜜蜂が怖いように
ぼくは苦しくて、夜も眠れない
身も休まらず
ぼくは口づけが怖い
光線
彼女は海の潮の流れの上を行きたがり
そして穏やかな風が凪を吹きわたるように
ぼくたちもみな彼女の美しい狂気に身を任せ
その苦い道を歩いて行った
太陽は穏やかで滑べらかな空に高く耀き
彼女の金髪で黄金の光線となった
こうしてぼくたちは彼女の歩みにつき従った
波が進むより穏やかなその歩みに おお悦楽!
白い鳥たちがまわりをふわりと飛び回り
かなたで帆がいくつか白く傾いていた
ときおり大きな海藻が長い枝のようにひらき漂い
ぼくたちの足は清らかでゆるやかな動きで滑べり行った
彼女は優しくも不安気に振り返った
ぼくたちが安心しきっていないのではないかと
けれど彼女のお気に入りだってことに有頂天なのを見て
ふたたび道を歩みだし、頭を高くあげた
1873年4月4日 ドーヴァーからオステンドへ『フランドル伯爵夫人号』の船上で
[Goto INDEX]