疑惑のリコーマイクロエレクトロニクス
<鳥取市のリコーマイクロエレクトロニクスからおかしな噂を流され工場をクビになった>
米村アキラ リコーマイクロエレクトロニクスは鳥取市の誘致企業だ。1988年操業を開始した。12時間労働3勤4日制だった。多くの週刊誌は12時間労働には触れず「週休4日制」と報道した。12時間労働がわかると週刊誌の記事にならないからである。当時あまり週休2日制も定着していなかったので週休4日制は衝撃的だったはずである。 当初は「週休4日制の会社出現!」などと報じられていたが、「12時間労働が実態」とを非難する記事も現れてきた。週刊誌の報道にリコーマイクロエレクトロニクスも困惑しただろう。1週間に4日も休日があるという報道はさぞ後ろめたかっただろう。ましてや田舎の会社である。週刊誌の報道でリコーマイクロエレクトロニクスの心理に傷が発生したのだろう。 1989年8月頃、僕はリコーマイクロエレクトロニクスにアルバイトに行った。2月、インドに行くと行ってリコーマイクロエレクトロニクスを辞めた。5月、インドから帰るとリコーマイクロエレクトロニクスから電話が掛って来た。「また来い」とのこと。再びリコーマイクロエレクトロニクスにアルバイトに行った。7月25日に富士登山競争がある。出場のため猛練習をした。練習疲れでアルバイトを休みがちになった。7月20日頃、総務から「休みが多い!」と激怒された。僕は「真面目に働きます」と言ったが、時給600円のアルバイトなどどうでもよかった。その翌日ぐらいに富士登山出場競争のため休暇申請をしたら、断られたので辞めた。 その後、シルクロード横断をし世界一周コースで帰国した。1991年4月頃、テスコという工場の夜勤専属工員になった。テスコは鳥取最大の工場・鳥取三洋の構内にあった。夜勤専属工員として、人づき合いのない生活が1年半続いた。余暇は近所の山を走ったり、図書館で過ごした。仕事は1日も休まずに続けていた。 1993年11月、テスコの夜勤から鳥取三洋の昼の仕事に替えられた。周囲の様子がおかしかったのでテスコのM社長に夜勤への変更を頼んだ。M社長は拒否し、「1人ぼっちが寂しくって、仲間はずれが悲しくって」を3回繰り返して言った。人づき合いのない生活を送っている僕に対する嫌がらせのつもりだろう。社長から嫌がらせを言われては辞めざるを得ない。テスコに辞めるよう電話を掛けた。なぜか三洋のKさんが電話に出た。「辞めさせてもらいたいのですが」「はいどーぞ」。あっさり元請けの三洋からクビになった。 テスコに健康保険証を返しに行った。M社長と話した。「僕がリコーマイクロエレクトロニクスに報復した」というおかしな噂が伝わっていた。リコーマイクロエレクトロニクスではアルバイトをサボり、「休みが多い!」と叱られたが、テスコでは仕事を休まずに働いているのが報復になったという非現実的な論理だった。 その後、M社長から泣きそうな声で雇用保険の書類を取りに来るよう電話が掛って来た。噂は嘘だと知ったのだろう。 冒頭に書いたようにリコーマイクロエレクトロニクスは「週休4日制」で週刊誌で騒がれた会社だ。つまり休みが多いことに負い目を感じて、こんなおかしな噂が発生したのではないだろうか? このおかしな話は狭い鳥取市でバレてある程度噂が広がっているようだが、大手企業が揉み消そうとしているせいか僕に誰も真相を教えてくれない。 誘致企業と地元警察の関係 真相が分かれば連絡お願いします。 米村 メール 1993年問題発生直後ケニアで撮影
人付き合いのない生活を1年半送っていたから 奇怪に思う人がいて、「報復した」などというおかしな噂が発生したかも・・・