「モーターヘッドと私」

motorhead

モーターヘッドという「音」

巷でこのバンドを表現するにあたって「極悪」の2文字で書かれることが多い。(最初にこの表現を用いた人を僕は凄いと思う。なぜなら最小限の文字で的確にバンドを表現していると思います)それを僕なりの解釈で書いてみると、このバンドは頭の先から爪先まで、「ヤクザ映画」なのだ。「音」を「映画」に例えるとは、何するものぞ!っと言われるかも知れませんが、僕にはそうなのです。

ヤクザ映画。
任侠自体が薄れて久しい日本だが、実にこのバンド。
その日本的とも言える「任侠」があるのだ。よくヤクザ映画を観たあと、観る前とその人の雰囲気が変わることがある。そのなりきり振りを見て人は「肩で風を切る」と表現する場合がある。

音楽というのは往々にして、「気持ち」を満たしてくれる、包んでくれるっていうイメージが僕にはある。「内面的」に楽しませくれる、癒してくれる・・・そんな風に例えてもいいと思う。だけど彼らの出す音の凄いとこは聴いている時は勿論、「音」が鳴り止んでからもひたひたと染み込んで来て、自分でも知らないうちに「肩で風を切ってしまう」のである。

繰りかえすが、肩で風を「切ってしまう」。

「〜してしまう」
これは文法上、「自分の意思とは関係なく」ってことだ。

それじゃ、誰の意思か?
モーターヘッド即ち、レミー(バンドのリーダー)である。

この一見、押し付けにも見える「行為」の中にレミーの「いいからいいから、俺がお前にやるってんだから受け取れよ!」っていう自分の好きな奴や信じた奴にはとことん尽くす。そういう不器用なんだけども真っ直ぐな気持ちが現れていると思う。

だから「肩で風をきってしまう」というのは自分ひとりでは持て余すくらいの「パワー」のプレゼントなのだ。レミーからあなたへの・・・。

レミーのそういうところに共感し、慕う野郎共は彼のことをこう呼ぶ、「レミーおやじ」「レミー番長」等々・・・・・素晴らしい呼び方だと思うし、僕はこの日本語の響きが大好きだ。だからモーターヘッドの場合、音楽を「聴く」というよりも「体感する」「体現する」・・・・これ等の言い方の方がこのバンドのことを伝えやすいだろう。


ベースがどぉの、ドラムがどぉのっていうような表現で僕はモーターヘッドのことを説明したくないし、出来ない。第一、それは野暮ってぇもんだ。とにかく聴いてもらうしかない。

勿論、鼓膜が破れるリミットギリギリの大音量というのは言うまでもない。

だから興味があるなら四の五の言わずに気に入ったジャケットを手にとって確かめてほしい。もしあなたとバンドの間に通ずるものがあれば、モーターヘッドは試聴した瞬間からあなたに惜しみなくパワーを与え続けるだろうし、合わなかったら生涯二度とジャケットすら目にすることはないだろう・・・それがモーターヘッドという「音」だと思う。


あまり長いのもダレるのでそろそろ締めくくらせてもらおう。

「モーターヘッドとはなんぞや?!」

そんな風に聞かれることがあったなら、僕の答えは既に決まってる。

「真っ直ぐな男の背中が眩しいバンド、それがモーターヘッドであり、レミーの生き様だ!」

今回は言い切らせてもらうぜっ!!

05/04/14