その他関連国
☆末廬国☆
3世紀の邪馬台国の小国の一つ。「古事記」仲哀天皇段にみえる末羅県、
「日本書紀」神功皇后摂政前紀にみえる松浦県・梅豆羅国と同所。
後の肥前国松浦郡の地。
「魏志倭人伝」には、一支国より海を1000余里渡ると末廬国に達し、戸数4000余戸、
山海に沿って人々は暮らし、魚や鰒を海中に潜って捕らえてるとある。
また前を歩く人が見えないくらい草木が繁茂しているとも記す。
☆伊都国☆
3世紀の邪馬台国の時代い倭にあった小国の一つ。
後の筑前国イト郡。その中心は、三雲、井原の地とみなされている。
「魏志倭人伝」によると伊都国は、末廬国の東南陸行500里の地点にあって、その
国の官に爾支、セマコがあり1000余戸の人口があって、代々王がいたけれども、
みな女王国(邪馬台国)に統属し、帯方郡の使者が往来するに当たって、常にこの国にとどまったという。
一大率の駐留した国でもある。
☆奴国☆
3世紀の倭国の中の一国の名。「魏志倭人伝」にみえる。
同書には、伊都国につづいて(東南、奴国に至る百里。官をシマコと曰い、副を卑奴母離と曰う。二万余戸有り)とみえる。
奴国は後のナノ県の地。
「後漢書」倭人にも(建武中元二年、倭の奴国、奉貢朝賀す。・・・・・光武賜うに印綬を以てす)とみえ、57年(建武中元2)
にも後漢に朝貢したことが知られる。光武帝の賜った印が「漢委奴国王」の金印で現存。
☆投馬国☆
(とうまこく)とも読む。3世紀の倭国の中の一国の名。
「魏志倭人伝」にみえる。
同書には、不弥国につづいて(南、投馬国に至る水行二十日。官を弥弥と曰い、
副を弥弥那利と曰う。五万余戸可り)とみえる。
投馬国は邪馬台国九州説では、薩摩、日向児郡万神社の地、筑後上妻・下妻などに比定され、大和説では、周防佐婆郡玉祖郷、備後鞆津、出雲、但馬などに
擬せられている。
☆狗奴国☆
3世紀の倭の中の一国。邪馬台国の南に位置し、邪馬台国と対立していた。
「魏志倭人伝」に(其の南に狗奴国有り、男子を王と為す。其の官に狗古智卑狗有り)
(倭の女王卑弥呼、狗奴国の男王卑弥弓弥と素より和せず)などどとみえる。
狗奴国を肥後国球磨郡、伊予国風早郡河野郷、肥後国菊池郡城野郷、毛野国などとする諸説があるが、
「日本書紀」景行天皇18年4月条にみえる熊県の地、後の肥後国球磨郡の地とみるのが妥当か。
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