弥生
☆弥生時代って?☆
日本列島で稲作を生活の中心とした最初の文化。鉄器や青銅器がもちいられ、
階級が成立し、国家誕生の前段階となった社会。
前代は縄文時代さながら、食糧採集を経済基盤とするのに対して、水稲農耕を
主とする生産経済体制が本格的に成立した時代である。
☆文化領域☆
弥生文化領域は南は薩南諸島、北は東北地方および、同時期に北海道では縄文文化、
沖縄諸島では先史時代文化後期という食糧採集段階が続いている。
☆経済、産業☆
「魏志倭人伝」は倭人が貫頭衣と呼ばれる服をきていたいうが、
佐賀県の遺跡などからは絹などの繊維が出土し、養蚕していたという説も出ている。
他にもガラスや銅鐸といった、装飾、祭祀的な物を作成していた。
真珠や青玉なども生産されていた。
食糧資源は前代からの採集・狩猟と水稲農耕で確保したが、近年の研究では米の比重が
さほど高くなかったようである。
牛・馬・虎・豹・羊・鵲は存在していなかったようである。
☆文化☆
弥生時代は、万単位の年数の間久しく行われた石器が終わりを告げ、鉄器が
これに変わった時代である。
北九州北部において、弥生第一期に鉄器制作が始まっており、4期にはその
普及をみていた。
石器から鉄器への交代は、伐採斧に始まり、加工斧に及んだ。
鋸、錐の在否は不明であるが、鉄製のナイフ、槍鉋が登場し、農具には鍬鋤
の刃先、鉄製の鎌などがある。
また、鉄製武器としては、矛、剣、刀がある。
しかし、これは大陸伝来のものであり、日本製の武器として鉄戈、鏃など。
一方青銅器はどうであったかと言うと、北部九州においては、朝鮮到来の青銅武器が
実用に供されたし、銅鋤と呼ばれる青銅農具も使用されていた。
しかし、日本では青銅器は主に銅鐸、武器形祭器のように、祭祀とかかわる
事に利用されていたようだ。
弥生時代と言えば、弥生土器を忘れてはならない。
弥生土器は縄文土器や後続する土師器と焼成方法は同じだが、文様はシンプルで
器面に縄目、刻目、櫛描文をつける程度で、器種は甕、壷、杯など複雑さもなし。
器形もいたってシンプルで日用品として使用された様子を良く示し、九州から
東北地方まで幅広く伝わっている。
後期になると石器が減少することから、本格的な金属器段階になったとおもわれる。
☆弥生関連国☆
邪馬台国 その他関連国
☆弥生関連人物☆
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