ロシアなひととき > ロシアの童話 > ロシアの童話について - 寄稿 -

|
−概要− 童話とはフォークロア(言い伝え)における重要なジャンルの一つであり、概して全てのフォークロアと同様に、人々の生活や世界観が反映されているものである。重要なことは、それが人々が生活していく上で、明らかに役に立ち、教育的な意味合いが含まれているということである。 特にテーマ形成(テーマ編成)の分野での人々の才能の発揮の場である芸術的側面において、童話は大変興味深いものでもある。 これは全ての童話構成に反映されており、しかも童話の多種多様なジャンルにおいても独特なものである。それは、例えば、動物についての童話や、社会的な面で言えば、日常生活的な物語、おとぎ話などに見られる。 −動物についての童話− 動物についての童話のテーマはとても単純である。時にそれは何らかの一つの状況やそれほど大きくない一つのエピソードから構成される。つまり、話の面白さにではなく、個々の状況の意外性に焦点を当てているのである。 動物についての童話のテーマは、動物同士の出会いや動物と人間の出会いなど、出会いの応対をかなり幅広く適用している。例えば、童話『きつね、うさぎと雄鶏 (Лиса, заяц и петух) 』の基礎には、うさぎときつね、犬、熊、牡牛と雄鶏との出会いがある。『古い恩を忘れる (Старая хлеб - соль забывается) 』という童話では、男が最初に狼と出会い、そして彼らは一緒に馬、犬、そしてきつねと出会っている。 これらの童話では、会話体(口語体)が広く用いられており、会話を通した基本内容の童話もある。例えば、『羊、きつねと狼 (Овца, лиса и волк) 』という童話や『きつねとクロライチョウ (Лиса и тетерев) 』という物語がそうである。 会話体は動物についての童話に広く適用されており、それは最もシンプルなものであると同時に、効果的な形式でもある。また、人間的な特徴や素質(話すことや判断すること)も表し、驚くべきことに、童話において人間や動物の現実性や非現実性との組み合わせの独自性にまで達しているのである。 −日常生活の童話− 日常生活関連の童話では、具体的に実生活(日常生活)に関わる事柄をテーマにしたものがほとんどであり、日常そのものである。それは、村、畑、森などといった、ごく普通の環境に起こる事柄であり、それらの主人公は男であったり、兵士や労働者であったりする。 しかし、それらの童話において、動物が主人公であるということはない(動物の登場人物がいないという意味ではない)。もし動物がそのような童話に現実的な姿でのみ登場する場合は、人間的な要素も特徴も一切持ってはいない。日常生活についての童話において描かれているものは、人間と動物の相互関係ではなく、人間同士の相互関係についてである。これらの童話の重要なテーマは、家族関係、もしくは農民と貴族、司祭と使用人、兵士と商人などのような社会的・日常生活の中での相互関係についてなのである。 日常生活の童話では、人々の生活レベルは現実に即して描かれ、キャラクターは典型的で、思想・利害などの衝突は正当に定められている。何が日常生活の童話において意外な点なのであろうか?何故人々は大きな興味を持ってそれらを聞く(読む)のであろうか? それらの童話における意外な点とは、現実的な生活に密着した現実的な人物同士の争いごとを、童話のテーマにおいて奇異に実現されているという点である。つまり、そのテーマにおける主人公の行動なのである。 例えば、『司祭の使用人 (Попов работник) 』という童話では、司祭が犬を使って畑を耕すように使用人を送るという出だしで始まる。しかし予想外な点は、司祭が畑で使用人にパンを与え、以下のように話す事である。:「ホレ、使用人よ、これで腹いっぱいなれ。そして小娘が腹いっぱいになるようにしろ。でも、大きい丸パンには手をつけるな。(与えたパンを食べずに使用人も小娘もお腹いっぱいになるように命令した)」 しかし、最も意外性があり驚くべきことは、日常生活の童話の結びなのである。それらの物語の終わり方は、決まりごとの通り、突然やってくるものであり、大変興味深い。特に多くのコミカルな状況では、アネクドート(ロシアの小噺)的な日常生活での物語の展開を含んでいるのである。 数多くある童話の中でも重要な、『イワンのバカ (Иван-дурак) 』というフォークロアの主人公は、“馬鹿”で父親や兄弟からも軽蔑されてはいるが、実はいつも彼らより賢く、必ず全人生における不運の勝利者なのである。イワンは人間自身の本質において愛すべき童話の主人公であり、もちろん、どのような馬鹿でもない。彼は様々な馬鹿げたことを行っているが、それは面白さ、意外性の創造、愉快なテーマの状況の全到達における、純粋に童話のジャンルの芸術的技巧の判断力によるものである。 −おとぎ話− おとぎ話において非普遍的な主人公の奇妙な存在は、非普遍的なテーマの発展を促している。おとぎ話では何か特別なことを行う普通の人間(兵士、農家の息子など)が重要な主人公になったりすることが頻繁にある。 非普遍的で、奇跡的な現象を起こす主人公の誕生についての話も童話の手法の一つである。例えば、『Терешечка (ティリシェーチカ) 』では、「むかしむかし、子供のいないおじいさんとおばあさんが住んでいました。」という出だしから入り、「ほら、彼らは丸太を輪切りにし、それを掛布に包んで、ゆりかごに横たえ、揺らしながら子守唄を歌い始めました。するとどうでしょう!輪切りの丸太は掛布の中で大きくなりだし、ティリシェーチカという息子、本物のかわいい子供になりましたとさ。」と物語は続いていく。 しかし、おとぎ話では、奇跡的もしくは日常的な主人公の誕生に拠らず、常に非日常的な本質の特徴を表現している。主人公はかつて見たことのない力を操り、大胆な、文字通りの奇跡を起こすのである。 おとぎ話において主人公の行動範囲は特異である。日常生活に関連した童話との違いは、日常生活の童話が農民にとっていつもの日常において起こる出来事であるのに対し、おとぎ話での出来事は、お約束通り、農民にとって全く馴染みのない宮殿での行事で始まり、そして海や大洋を越え、遠い王国や遠い遠い国家、怖い地下の洞窟など、完全な幻想的世界へ誘われるのである。 ここでのおとぎ話の主人公は、魔女(金持ちで意地悪く、痩せて背が高い)や不死の老人、3・6・9・12本足の蛇、(異教の化身としての)怪物、一つ目の悪魔など、幻想的な生き物と出会っている。これら全ての登場人物は驚異的な力を持ち、大変恐怖を感じる外見を持っているのである。 これら全ての恐ろしい怪物は、人間を誘拐し、地下の洞窟に監禁し、貪り食う。そしてこの恐怖の世界においておとぎ話の主人公は、かつてない力や勇気・忍耐力を発揮しながら、驚異的な怪物と戦うことになるのである。しかし彼は戦いにおいて一人ではない。彼を様々な人々や動物、物が助けるのである。おとぎ話における正義の主人公を助けるための存在として、年老いた賢者、空想の生き物、大食漢や飲んだくれ、勇者 (Горыня, Усыня) などが登場する。それら全ての容姿は尋常ではなく、驚くべきものである。 彼らの存在により、あらゆることが可能な動物や獣、鶏が登場する。例えば、優しい馬で“あし毛(栗毛)の馬”、“金の卵を産むアヒル”、“奇跡の鶏”、犬、猫、狼、タカ、ワシ、カラス、カワカマスなどがそれである。動物についての童話との違いは、おとぎ話では、これら全ての動物が不思議な力を持っているということであり、つまり、彼らが物語内の出来事の進展を左右することがよくあるのである。 解りやすい例えを使うなら、『エメーリャのバカ (Емеля - дурак) 』という物語の主人公、エメーリャが捕まえた後に川へ放したカワカマスにそのような不思議な力があったというおとぎ話であろう。エメーリャが「たちまち望みどおりになあれ!(По щучьему веленью, а по моему хотенью) 」と言うと、水の入ったバケツは自分達で家へ行き、斧は薪を自分で割り、そして薪は自分で家へ行き暖炉の中で横たわり、橇は馬なしで森へ薪を集めに行き、暖炉はエメーリャを町の王のところへ運ぶ。そして、エメーリャは美男子になり王の娘と結婚するのである。 生き物以外でおとぎ話の主人公達に助けが入るのは、最も困難な場面であり、多様な種類がある。:思いのままのご馳走が現れる魔法のクロス、遠くへ飛んでいける魔法の長靴、空飛ぶ絨毯、独りでになる竪琴、弦楽器 (гудок) 、角、金の小さな輪、櫛、ブラシ、手ぬぐい、生死をつかさどる水などである。おとぎ話では、これら全ての物が不思議な力を持っているのである。 全てのおとぎ話において、その主人公は遅かれ早かれ、開かれたもしくは秘密の方法で魔法や奇跡の力との確立された相互関係に絶対に入るという法則がある。このことは物語に非普遍的、幻想的なテーマの進展の為の領域を与えている。おとぎ話では、これが重要な意味を持つのである。 −叙述技巧について− 童話において重要な役割を演じているのは韻である。韻は童話のためだけに完全で本質的に内在するものではなく、概して生きている話し言葉の中にも存在し、その意味において韻は、完全には計画的ではないものが頻繁にあり、また平行な構文の手段ともなる。 童話において韻はどのような役目を果たしているのであろうか?それらは計画的なのか、それとも非計画的なのか?もちろん、それは童話や言葉の非計画的な押韻法のケースの中で見つけることが出来る。しかし、童話における主要な圧倒的ケースでは、韻は意識的に計画されて取り入れられており、その中で多種多様な芸術思想的役割を演じているのである。 童話の芸術的叙述の中では、その韻を踏んだ名称を容易に見つけることが出来る。:きつねさん (Лисичка - сестричка) 、お喋り婆さん (Старуха - говоруха) 、あし毛(栗毛)の馬 (Сивко - бурко) 、小人 (Мальчик с пальчик) 、幸運と不幸 (Счастье и несчастье) 、などが挙げられる。 周知の事実ではあるが、童話の様式における明白な現象については、童話の中から様々な決まり表現(定型文や定型語)が派生しているということが挙げられる。例えば、“童話の中で言うわけでもなければ、ペンで叙述するわけでもない (Ни в сказке сказать, ни пером описать) ”、“鬼婆−骨の足 (Баба-Яга - костяная нога) ”、“馬は走り、地は揺れる (Конь бежит - земля дрожит) ”などがあり、これらの表現は童話の叙述スタイル上の修飾様式なのである。 童話に用いられる言葉のリズム化と押韻法は、そのほとんどが熟慮の上で行われたものであり、完全に計画されたものなのである。 |
Copyright
(C) "Russia na Hitotoki" Project.
All rights reserved.