Presentation High School選手の日本訪問の感想文
以下の感想文は、Presentation
HS が2002年12月末に、シーガルズ杯で訪日したときの感想文をまとめたものです。OGの南部玲子さんが、若い女性らしい感性をそのまま生かして訳してくれました。南部さんは8月末に無事に男児を出産されましたが、その直前まで大きなお腹を抱えて、この翻訳に労をとって下さいました。
Danielle Cifelli (ダニエル シフェリ 16歳 #15 竹下宅)
今年のクリスマスは、いつものように家族と過ごすかわりに、私は12時間飛行機に乗って日本に行きました。私はこの旅に期待でわくわくすると同時に色々なことにドキドキしていました。思えば私が一番ドキドキしていたのはホームステイのことだったと思います。よその家で過ごしたらホームシックになってしまうのではないかと思ったからです。しかし、実際のところ、ホームステイは今回の旅の中で一番楽しかった思い出になりました。私のホストファミリーは本当に良い人達で私を歓迎してくれました。私は彼らととても心地よい時間を過ごさせてもらいました。みんなは私が気を遣わずにすむように、心配りをしてくれました。もう一つ私が気になっていたのは食べ物のことだったのですが、これも実際は問題ありませんでした。ホストファミリーはいつも何が食べたいか聞いてくれて、アメリカの料理も作ってくれました。ホストファミリーとさよならする時は本当に寂しかったし、今でも彼らに会えないのを寂しく感じています。
サッカートーナメントは、もちろんこの旅の中で楽しかったもう一つのことです。あんなに質の高いサッカー選手達を相手にプレーができてとっても楽しかったです。試合の流れは、全体を通してアメリカでのペースよりずっと早かったです。私達は試合に勝つことはできませんでしたが、私達はみんな彼らのプレースタイルからいろんなものを学ぶことが出来た気がします。もし、私達が彼らの戦術をいくつか使うことができたら、きっとみんなより良い選手になれると思います。
観光はもう一つ旅で楽しかった思い出です。一つの町にあまりにたくさんのお寺があったので本当にびっくりしました。私達が見た中で、一番気に入ったのは大阪城でした。ずっと雨だったにもかかわらず・・。本当に美しかったです。すべての観光を終え、あちらこちらを移動し、色々なホテルに泊まりましたが、本当に日本ではすばらしい時間を過ごすことができました。そして、いつかまた日本に来て、ホストファミリーを訪ねたいと思います。
Laura Gutto (ローラ グトー 17歳 #7 竹下宅)
今年の我が家のクリスマスの朝は、いつもの年よりずっと複雑なものでした。今年はサンフランシスコ国際空港から飛行機に乗って日本、東京に行くのです。私がこれまで行ったことのある一番遠い場所はハワイだったのに、10〜12時間かけて地球の裏側の国に行くのです。クリスマスイヴが終わりを告げ、家族が深夜のミサに行ってしまった時(私は特別免除されました)、私はベッドに横になりながら、これから見るであろう景色や、音や、出会うであろう人々や行くであろう場所について色々物思いにふけっていました。私は興奮とちょっとの不安とで眠れませんでした。翌朝5時になって目覚ましがなり、家族が眠そうにサンタのプレゼントの包みを開けた頃、私は期待でドキドキしながらこれからの旅に向け張り切っていました。
私達はサンフランシスコに着いて、ターミナルに入るまで2時間待ちました。とうとう私は家族に別れを告げ、旅に出発しました。フライトは10時間半かかり、寝たり、読書をしたり、食べたり映画を見たりしながら過ごしました。
最初の夜はあまり印象がなくて、ただ覚えているのはとても疲れたということだけでした。次の日の朝、私達はフィールドに行って練習試合をやりました。日本の女の子達の第一印象は、彼らがとても速いということと、彼らの使っているフィールドがすごい状態だったということでした。そのフィールドは基本的に土だったのです。その日の夜は、ホストファミリーに会い、お互いのことを知るための時間を過ごしました。私のファミリーはスリッパをくれたり、床(ベッド)の敷き方を教えてくれたり、精一杯私達が快適に暮らせるようにしてくれました。毎朝、朝食にはいつもクロワッサン、シリアル、スープそしてご飯をご馳走してくれました。彼らは一日観光にも連れて行ってくれたし、日本の家族流に私達を教育してくれました。10日間の日本での生活で、たくさんの寺や文化スポットを巡った4日間は、家族からもっとも多くのことを学びました。
ホームステイの後、私達は横須賀から東京に移動し、皇居や寺や東京タワーを見に行きました。その後は新幹線で大阪に行きました。新幹線はとっても速かったです。大阪での最大の見所は大阪城でした。天気は雨で最悪でしたが見事でした。朝にはトレーニングの日課があり、私達の日々は観光でいっぱいでした。結局、日本への旅は思い出深い経験となりました。いろいろ学ぶことができたし、見ることができました。この機会が与えられたことにとても感謝しています。私は日本の家族とこの思い出を絶対忘れません。
Amanda Brandt (アマンダ ブラント 16歳 #3 櫻堂宅)
私の日本での経験は「魅惑的!」以外のなにものでもありません。これは私にとって2度目の旅行で、今回日本の文化を前以上に理解することができました。滞在中、私は陽気な文化と同時に親切な人達と出会い楽しむことができました。お寺はすごかったし、食事もおいしかったです。日本はとても美しい所です。そしてホームステイはもう一つ忘れられない経験のひとつでした。私は前回と同じ家族の所に泊めてもらったので、ついに再会できて良かったです。前回のステイから今回までの間に、ずっと連絡を取り合ってきたので、今回はより個人的に思入れ深いものになったのだと思います。彼らは前回のように、ルームメイトのニッキ−と私は家族の一員として扱ってくれ、暖かい心で迎えてくれました。
この旅は間違いなく忘れることのない思い出です。一番の思い出は自分達のチームの結束が高まっていくのを感じることができたことです。朝5時半の目覚ましでランニングに行ったことからバスの中でやったカードゲームまで、チームメイトそれぞれの違った側面まで知るいい機会になりました。そして、特別うれしかったことは、シーガルズと私達のチームとの絆ができたことです。トーナメントの最後には、みんな繋がっていると感じていたし、彼らに会って、違う国で生活する人達と一緒に過ごす機会に恵まれたことに感謝していました。私達の視野は広がり、もっとシンプルで穏やかなもうひとつの生活スタイルを知ることができました。日本ですばらしい友情を築くことができたように、これからもすばらしい人々と出会って友情を築いていくことができるような気がします。
Nicolette
Nigos (ニコレット ニゴス 16歳 #9 櫻堂宅)
1年生の時、日本に行った経験はとてもすばらしいものでした。まさかこの機会がもう一度やってくるとは思ってもみませんでした。またチームが日本に行くと聞いた時、私は本当に興奮しました。前回は1年生はたった2人で、残り13人は4年生だったのです。今回は、4年生が6人、3年生は7人、2年生が7人、そして1年生は1人でした。それぞれの学年に参加者がいたので、みんな何人か友達も一緒だったし、私の仲良い友人達も参加することになっていました。
クリスマスの日、私達は空港に着き家族に別れを告げました。フライトは旅で一番私が不安だったことでした。11時間のフライトは居心地が悪く、時間がものすごくゆっくり流れるようでした。私は1時間しか眠ることができませんでした。日本についたとたん、私は前回の旅のことをいろいろ思い出しました。
ホストファミリーの家に着くと、2年前のことがよみがえって来ました。家はまったく変わっていませんでした。私は同じ部屋に泊まりました。何もかも、前の記憶のとおりでした。一緒に泊まった女の子はとても恥ずかしがり屋で私達にあまり話しかけて来ませんでした。家族はとてもよくしてくれました。彼らは東京に連れて行ってくれ、とてもかっこいいモールに連れて行ってくれました。また、他の女の子達は日本での食事が合わず苦しんでいましたが、私の家族は私達においしいものを食べさせてくれました。私達のホストマザーは手作りのカリフォルニア・ロールを作ってくれたほどです。おいしかった!ホストファミリーとの生活は旅で最もリラックスできたひと時でした
チームと合流してからはツアー、ツアーの連続でした。今回の東京ツアーは自由時間が多かったのでとても楽しかったです。私はカラオケが気に入りました。それはそれは楽しかったです。旅は全体的には前回と同じだったのでちょっと飽きてしまいました。でも私は色々なところをぶらぶらすることが好きだし、チームのみんなをもっと知ることができたのですばらしいひと時を過ごすことができました。
ただ、ひとつ私が今回の旅でいやだったことは、前回ほどチーム重視ではなかったことです。22人のチーム以外のメンバーがチームの結束を緩めてしまったような気がします。その多くが家族全員を連れていました。次回は同行の親は少なくすべきです。でもそれ以外は本当にすばらしいひと時でした。チームのみんなともより親しくなることができました。2回も日本の文化を知る機会を得ることができたことをとても感謝しています。
「ヘルナンデス夫妻、山本さん、ちずこ、どうも ありがとう」
Elena
Bautista (エレナ バティスタ 17歳 #2 田中宅)
このクリスマスはいつものクリスマスとは違うものでした。朝早く起きてリビングにプレゼントを開けに走るのではなく、私は他の40人とともに日本行きの飛行機に乗っていたのです。それは私が乗った中で一番長いフライトでした。とうとう目的地に着くと私はとてもわくわくしていました。なんといっても私は国外に出るのが初めてだったのですから。外国に渡ってサッカーをすることは私のかねてからの夢で、それが今現実となったのです。
やっとホテルに着いたのはもう遅い時間でしたが、次の日、ホストファミリーと会うためにパッキングをしなければなりませんでした。私達はぐっすり寝て、朝目が醒めると朝食をとり、荷物を下の階に持っていき、練習に向かいました。私達は土のフィールドでずっとプレーしなくてはなりませんでした。これは私にとってはじめての経験でした。練習のあと、私達はホストファミリーに会いました。私達はホストファミリーと4日間過ごしました。それはとても良い経験でした。私達は日本の文化や日本の生活習慣についていろいろ知る機会を得ることができました。家族の人達はみんなとてもいい人達で、これからも交流を続けていきたいです。ホストファミリーと過ごす間、何試合かサッカーの試合をしました。これはすばらしい経験でした。日本のチームを相手にした試合は容易ではありませんでしたが、教えられるものがあくさんありました。
試合が終わっても、まだ旅は終わりませんでした。それは観光の始まりでした。ホテルを何回か転々としながら、横須賀市から東京へ、そして新幹線で大阪へと向かい、日本の古くて重要なお寺やお城などをたくさん見てまわりました。たくさんの文化や宗教にびっくりしました。私は日本について多くを知ることができましたが、もちろん私が望むほど(深く)ではありませんでした。きっとそのためには何度も日本に来なくてはならないのでしょう。早朝のトレーニングと練習の日々と、数日の観光の日々の後、とうとう帰る時がやってきました。私達はパッキングをして飛行場に向かい日本にさよならを言いました。今回の旅ではまだまだ足りなかったのでまたできれば戻ってきたいです。それはとてもすばらしい経験で、この旅に注がれたすべての尽力に対し本当に感謝したいと思います。私はこの日本への旅を忘れません。そしてまた訪れたいと思います。
Angela
Nunez (アンジェラ ニュネス 16歳 #8 田中宅)
それぞれの国には独特の伝統や文化や法律があります。日本はさまざまな神社や生活習慣を持つすばらしい所ですが、アメリカとは大きな違いがありました。私達には健康に良い法律があるし、町には様々な文化の食べ物があり、多くの人が互いを理解できるよう、様々な言語を話すことができ、トイレは地面に穴をあけたものだったり、草むらだったりしません。私達はとても恵まれていました。
喫煙は多くの10代の若者が試したりするものの、私達の社会では軽蔑されています。メディアも禁煙はよくないと報道していますし、研究者達も私達にとって、またまわりの人達にとって喫煙がどれだけ健康に悪いか研究を続けています。アメリカでは喫煙についての法律があります。自由な州と言われるカリフォルニアでは喫煙場所についての厳しい法律があります。
例えば、飛行場では、小さいガラス張りの禁煙室があり、喫煙者はそこでしか吸えません。しかし、日本では、どこでも、いつでも好きな時にタバコを吸うことができます。喫煙は室内でも屋外でもトイレでさえも可能です。私はこれを回避するのにとても大変でした。サッカーの試合の際、ローラ・キーナンと私がハーフタイムにトイレに行った時のことです。たくさんの人達がタバコを吸っていて、私達がタバコの煙はいやだと咳をしてみても、周りの人は気づきませんでした。
日本人の人達は私達に気づくでもなく、外国人のことは気にしないという感じでした。日本ではまだ喫煙の危険さは知られていないのではないでしょうか。二十歳くらいの若い人達も同じように吸っていたのですから。
喫煙の規制についての違いもさることながら、トイレもだいぶ違いました。まず人が一番か二番に行くところといえばここでしょう。普通、アメリカの感覚では便器は椅子のようになっていて真ん中に穴があいていて、トイレに行きたいなあと思ったらストンと座ります。アメリカと違って日本ではトイレの行き方が違います。地面に小さい穴が空いていて、そこに給排水設備がついていて、たまったものを吸いこむようになっています。アメリカからやってきた外国人は疑問に思います。どうやって座るの?答えは簡単。トイレに行ったらしゃがむのです。トイレで女の子が立って、一人でしゃがみこまなくてはいけないなんて、なんだかばかげているように思えました。もし汚物まみれになってしまったり、もし穴にちゃんと入らなかったりしたらどうしたらいいのでしょう。これが、私がトイレでこわかったことです。(私は幸運にも2回ともしゃがんでうまくできましたが)これは「昔風」のトイレの使い方なのではないでしょうか。昔の人々は林や木の陰にしゃがんで用を足していました。トイレとしての穴もありませんでしたが。しかし、便座に座れるような西洋風のトイレもありました。エレナ・バティスタと一緒にステイさせてもらった日本の家族のうちのトイレは西洋のもの以上でした。普通に便座があるのですが、なんとヒーターがついているのです。座った後、立ちたくないくらいでした。ヒーターつきのトイレなんてすごい。トイレに行く前に何か食べておかなければ。
日本の食事は主に魚、米、鶏肉そしてその他のシーフードでした。私は残念ながらツナ缶以外のシーフードは苦手だったので、いただいた料理をあまり積極的に食べられませんでしたが、作ってくださった方への敬意を表していくらかはチャレンジしました。チームのみんなも私も、ほとんどの食事はマクドナルドでとりました。一番アメリカ的で故郷の味に近かったからです。アメリカでは町の中に色々な文化が入り混じっていて、様々な文化の料理をいつでも食べられる環境に慣れっこになっていました。日本では主に2つの文化、アメリカの料理(マクドナルドやKFC)と日本料理が主で、それがあちこちにあります。日本の地元の人とアメリカのファストフードの従業員には相関関係があり、一方は日本語しか話せず、一方は英語も日本語も話せるようでした。
私達アメリカ人は英語が世界のどこでも教えられているので、どんな人にも英語で話して欲しいと期待してしまいます。違う国の人達とコミュニケーションをとるにはより優れた言語なはずです。日本では、10分程度の会話の英語もみんなが話せるわけではありません。地元の人達は「プリーズ」「サンキュー」「イエス・ノー」くらいしか知りません。ステイさせてもらった家族の人達は英語で話そうと辞書を見ながら一所懸命話してくれました。それでも彼らの言いたいことが理解できない時もありました。景子(ホストプレーヤー)のお母さんは小学校の先生です。彼女は日本では子供達はほんの少ししか英語を学ばないこと、そしてその上文法中心なので流暢に英語が話せるようになかなかならないのだと教えてくれました。それはまるで高校生になってから学ぶ第2言語のようなものです。単語と文法を習っても、その日の夜に家で英語を話していたらすっかり忘れてしまうのです。
(色々書きましたが)私が日本についてこんな風に書いたからと言って勘違いしないでください。私はお寺や神社を見ることができたこと、日本の日常生活を知ることができたことをとてもよかったと思っているのです。私はホストファミリーのところでステイさせてもらってお互いに知り合うことができて楽しかったし、「どうもありがとう」や「おはよう」といったちょっとした日本語も覚えることができました。自分のアメリカの家庭での暮らしとホストファミリーのいる日本の家庭の暮らしの違いに気づくこともできました。日本とカリフォルニアの法律の違いについても知ることができました。私達は、近代的なトイレがあり、言語や習慣が多様化、楽しみたいと思う食事を楽しめる社会にいられてラッキーです。もし私がもう一度日本に行って、以前と何が変わったかとか、日本で発明されたものでアメリカにまだないものなどが発見できたら楽しいと思います。私は、プレゼンテーション高校の女の子達が何よりも見てみたいのは土のフィールドのお陰で日本の選手に思う存分やっつけられたが、日本のチームがどれくらい芝でプレーできるかということだと思います。
Andrea
Lee (アンドレア・リー 16歳 #1 斉田宅)
人間誰もが地球の反対側に渡ってサッカーができるわけではありません。そんな機会が与えられた私はとても幸運でした。それは素晴らしいサッカー経験であったばかりでなく、触れることができた文化も目を見張るほどすばらしいものでした。特に日本文化に触れることができたのはホームステイを通してでした。ホームステイはこの旅の中で一番楽しかった出来事でした。また、訪ねた様々な場所もすごかったです。サッカーはいつものように芝ではなく土だったので全然違った感じでした。擦りむき傷をつくり、あざもたくさんできてしまいましたが、それでもやった価値がありました。日本のチームはとても上手でした。技術があるばかりでなく、彼らはとてもスピード感がありました。
ホームステイは旅で一番楽しかった思い出です。私はホストファミリーととても楽しい時を過ごしました。日本の家族を自分の家族と比較するのはおもしろかったです。食事の時間もとても楽しくて、我が家では食べないようなものもホームステイ中に食べました。私は彼らととても仲良くなれたのでステイが終わる時はとても寂しかったです。彼らも私達と同じ気持ちだったと思います。彼らは私達をホテルに送ってくれた時に泣いていました。
その後、旅で私達が訪問した場所は素晴らしかったです。もう少しそれぞれの場所をみる時間が長かったらなあと思いました。中でも雪の降った日は最高でした。その日はどこが特に良かったというのではなく、雪がすべてを美しく見せていました。
全体を通して、私はとても素晴らしい時間を過ごしました。私は違う国の文化の理解を深めて帰ってくることができました。そして、どんな家族でもない、違う国の家族と友情を培うことができました。
Taylor
Numann (テイラー・ニューマン 15歳 #4 斉田宅)
日本への旅は本当に素晴らしい経験でした。違う国を旅し、彼らの文化を見て(もちろんサッカースタイルも)、アメリカ以外の所で10日間暮らすことがどういうことなのかを知ることはとても価値のあるものだったと思います。サッカー面で見れば、大会の終わりには、チームとして試合運びも成長したと私は思うし、このことはカリフォルニアに帰っても絶対に私達にプラスになると思います。技術面や運動面については、日本のチームの信じられないくらいの活動意欲を見られたことが自分達にとっては良かったと思います。しかし、日本への旅はサッカー以外の面でも意味がありました。
旅の中で最も評価すべきだったのはホストファミリーと過ごしたことではないかと思います。言葉の壁があっても、ルームメイトと私はホストファミリーと素晴らしい関係を築くことができ、さよならをいうのが辛かったほどです。
また、新しい友達を作るとても良い機会となったのと同時に、自分のチームメイト達ともより親しくなることができました。それはチームの絆が深まる素晴らしい経験でした。チームの仲間と長い時間一緒に過ごすことができるということは、何事も一緒に乗り越えていくことができるということを証明してくれます。お寺や神社めぐりの長いバスの旅もチームメイトと一緒だったので活気づきました。宗教は日本の文化の大きな部分を占めていました。私達の多くはこれらの文化のことを知らなかったと思います。また、このような文化体験の他にも、新しい食べ物を食べてみたり、違ったシャワーの仕方(お風呂の入り方)を習ったり、和式のトイレに入ってみたりといった経験もしました。みんな「この旅に参加して本当に良かった」と言っていました。
Danielle
Alongi (ダニエル・アロンジ 15歳 #18 吉田宅)
私の日本への旅は今まで経験した中で一番の旅だったと思います。最初はサッカー大会のためにはるばる地球の裏側の日本へ行くことにすこし戸惑いがありましたが、いったん着いてしまうと少し気持ちがおさまってきました。慣れない場所に来たものの、私はすぐに時差ボケもなくなり、環境の変化にもすぐ慣れることができました。
この旅で、私達はたくさん試合をし、本当に必死によく戦いました。試合をやっている時はとても楽しんでやっていたのですが、と同時に私はスポーツというものについて学んでいた気がします。言っておきますが、女の子達は素晴らしかったのです。あれだけ才能があって、打ち込んでいるチームに私は生まれてこのかた出会ったことがありません。私達よりも断然小柄なのにもかかわらず、なぜかほとんどのタックルに競り勝つのです。でも私達も諦めませんでした。私達はチーム一丸となってプレーしました。これらのチームと試合をして、学んだ最大のレッスンの一つは、「もし成功したいなら、チームの結束と協力を100%出し切らなくてはならない」ということだったのではないでしょうか。
サッカーをしている間、私達はシーガルズ(日本のチームのひとつ)の選手と4日間一緒に過ごすことができました。ルームメイトのブリットニーと私は、ホストファミリーのうちで過ごしながら、彼らの暮らし方だけでなく、日本の文化やその背景について学ぶことができました。私達のホストファミリーは私達が快適に過ごせるようにとあらゆることをしてくれました。私はこのホームステイを楽しく素晴らしいものにするよう家族の方が費やしてくださった時間と努力に対し、感謝の気持ちでいっぱいでした。4日後、彼らの家を去る時、私はこの楽しくて愛しい家族にもう会えなくなってしまうのかと思うととても悲しくなりました。しかし、私達はその場を去り、日本のお寺や城めぐりの旅へと向かわなければなりませんでした。私達はいろいろなお寺や城を見ました。どれもが日本の人達にとってとても神聖なところでした。
私達が行った場所はとても素晴らしく、とても勉強になりました。残念なことに城を見に行った日は雨でしたが、そのまま旅は続きました。私達のスケジュールはとても細かく組まれていて、スケジュールどおりに進まなくてはならなかったので、私達は雨を押しのけながら進みました。
最後の数日は、もううちに帰りたくなっていました。でもそれは誤解のないよう言っておきますが、日本にいて(ストレスが)爆発してしまったのではなく、帰って慣れ親しんだ故郷の家族や友達に会いたくなったのです。そして今度は日本のチームがアメリカに来ることを心待ちにしています。
Brittni Marciano (ブリットニー マーシアノ 15歳 #1 吉田宅)
日本訪問は私の人生の中で一番の経験でした。私は彼らの文化についていろいろ学ぶことができたし素晴らしい時間を過ごすことができました。日本のチームの人達とサッカーができたことも、彼らのプレーの仕方などとても興味深く、とても楽しかったです。フィールドはとても硬くて、全部砂でした。
日本はとてもたくさんの人でごった返していて、とても土地を有効に使っていました。地下街のショッピングセンターも7階建てのショッピングモールもありました。車はスリムで道路の左側を走っていました。食べ物の量から車から家まで、すべてのものがアメリカのものよりも小さかったです。それから日本はとても寒かったです。私達はまさに旅行者でしたが、日本の人達は私達をお客様のように扱ってくれました。どこに行っても、人々は私達の写真を撮っていきました。私達の髪の毛や目の色にびっくりしていたようです。
私にとってこの旅で一番楽しかったのはホームステイでした。日本についていろいろ知ることができたし、そして本当に日本の人達がどう暮らしているのかを見ることができたからです。ホストファミリーはあまり英語を話しませんでしたが、だからこそ、余計にいろんな表現を試してみたりしてかえって楽しかったです。私達は何度も言葉がわからず辞書を引かなくてはなりませんでしたが、結果的にはそれは楽しい経験でした。彼らはとてもいい人達でした。それから私達が行った様々な観光地も素晴らしくて気に入りました。私のお気に入りはお寺でした。それはそれは大きくて、その日は雪だったのでとても美しく見えました。たくさん買い物する場所もあったし、見るものもたくさんありました。日本最大の大仏も本当に巨大で良かったし、(三十三間堂の)千手観音も良かったです。あまりにたくさんの仏がいて、千体もの仏を見ているのかと思うと信じられない気持ちになりました。
食べ物は旅でもう一つ興味深かった点です。食べ物のことを知るのは、その文化を知ることなんだなと思いました。
全体を通して、旅は素晴らしくとても日本が好きになりました。とても興味深く、そこでサッカーができて良かったです。
Nicole
Butler (ニコール・バトラー 15歳 #21 桑原宅)
2003年のクリスマスの日、私が今年幸運にもプレーすることのできた体育会サッカーチームは、再度11時間飛行機に乗って日本という島へ向かいました。クリスマスに家族と別れ、新年も会えないことになるのですが、この旅は家族としばし別れてでも価値のあるものだと思っていたので、不安はありませんでした。新しい国での最初の朝、私は板張りの床で目覚め、バルコニーに歩いていくと、静かな湖水にまばゆいピンクの朝の光がさすのを幸運にも見ることができました。私はまだ習慣や文化に慣れていなくて、特に室内で靴を脱ぐ習慣には慣れていませんでした。でも床に座らないこと、室内では静かにすることなどを忘れないようにしようと思いました。
初日、私達のチームはさっそくスクリメージング(キープごっこ、ミニゲーム)をしました。フィールドはカリフォルニアのものとだいぶ違い、私達はなかなか適応することができませんでした。土の上ではボールは速く転がってしまうし、スライディングの時も怖くなってしまい、本当にあまりうまくやることができませんでした。
サッカー大会は結局、残念ながらあまりいい結果を残すことができませんでしたが、その後、私達は美しいお寺や東京や大阪の町を訪ねることができました。私の旅で一番気に入った場所は大阪城でした。そこは博物館のようになっていて、展示物や今でもお堀に囲まれている大阪城の歴史を紹介していました。それから塔の上にも登ることができ、町を見下ろすことができました。それはとても優美な光景で、これを見ることができてとても幸せでした。
全体を通じ、この旅は素晴らしかったです。私のホストファミリーはこの貴重なイベントを忘れないようにと、写真やチケットの半券を貼ることのできるきれいな飾りつきの、きらびやかなスクラップブックをくれました。本当にありがとうございました。
Nicole
Moyen (ニコール・モエン 15歳 #20 桑原宅)
この信じられないような日本への旅は、私が絶対に忘れることのない出来事のひとつです。バスや飛行機での移動とスーツケースの上げ下ろしを除けば、それは価値のあることばかりでした。日本はたくさんの美しいお寺や神社があり、そして森のような立派な木々があちらこちらにあり、湖や川もたくさんあって(コダックの使い捨てカメラで撮りたくなる様なスポットがたくさんあって)、本当にわくわくする光景を見ることができる素晴らしいところです。私は、日本の食事の仕方やマナー、セブンイレブンで売っているもの、そして日本人そのものについてまで、色々なことに心を奪われました。
結局のところ、日本人とは親切で、思いやりがあって、楽しいことが大好きな人達であると私の目には映りました。一緒に過ごしたホストファミリーは私達を本当にいつも優しく迎え入れてくれ、細かいところまで私達が過ごしやすいようにと気を配ってくれました。私のホストマザーはいつも豪華な食事を作ってくれました。ステーキ、野菜、パスタ、サラダ、スープ、そして必ずデザート!もう食べきれないくらいでした(多分アメリカ人はたくさん食べると思っていたのでしょう)私は作ってくれたものを全部食べるよう努力していましたが、ある朝、(残った)朝食が私を見つめ、私はもう食べられないと断りました。でも(そんなことがあっても)みんないつも笑顔で、人生を楽しんでいるようでした。彼らはとても親切で、私達が小さいお姫様のであるかのようにあらゆる気まぐれにも対応してくれ、時には申し訳ないほどでした。彼らは私達に2つかそれ以上のバッグにもなりそうなほどの贈り物をくれました。私は彼らの気前のよさと優しさを忘れません。私はホストファミリーと本当に素晴らしい時をすごしました。特に彼らのペットである1フィート以上大きくならない柴犬のボンちゃんは、とてもかわいくて大好きになりました。
私達はたくさんの素晴らしい場所を観光しましたが、私が一番気に入ったのは世界最大の大仏の置いてある最古の木造建築の建物でした。それは本当に信じられないすごさでした。日本の人々はとても強い宗教文化を持っているようで、いたるところにお線香がたっていたり、お寺や神社がたくさんあったりしました。それから、車が左側通行であることに気づき不思議に思いました。(他の国々でもそうなのですが)また、一車線分しか車幅のない狭い道を普通の道路として車を運転している姿は本当に不思議に思いました。日本で運転するには本当に技術が必要だと思いました。私はきっとできないでしょう。タコも日本ではとてもはやっていましたが、私はセブンイレブンで他の魚と一緒にタコが置いてあるのはあまり好きではありませんでした。私達はよく昼食や大好きな「ポッキ−」と「コアラのマーチ」を買うために、セブンイレブンに行っては、そのたびに色々なものを試してみたりしました。
日本でのサッカーは素晴らしいものでした。日本の女の子達は速いだけでなくボールタッチも素晴らしく、素早くワンタッチでプレーをし、力強いシュートでゲームを動かし、とてもアクティブに走りました。彼らは一日中プレーをしていて、ゲームをしてから合間に練習、そのあとまた試合をして、とやっていたのでとても良いコンディションでした。また日本のチームは思いのほか、とてもフィジカルにも強かったです。私達は日本に行く前、「彼らを倒したりしてはいけない、そうなったら謝って起こしてあげなくてはいけない、とにかく彼らに対してよくしなくてはいけない」と言われていたので、私達の多くは彼らを傷つけてはいけないとちょっと遠慮していたと思います。でも実際にやってみたら勝つためにはやり返さなければならないほどでした。私はこの経験を楽しみ、そして色々なことを学びました。
日本へ行ったことはとても楽しくそして素晴らしい経験で、絶対にいつまでも覚えているであろう思い出となりました。たった10日ではつかみきることのできない素晴らしい文化、素晴らしい国です。私はこの旅のおかげでいろいろなことを学び、今までとは違った見方で日本を見ることができるようになりました。
Aubrey
Ellzey (アーブリー・エルジー 17歳 #16 鈴木宅)
私は、昨年のクリスマス、二度目の日本訪問という幸運な機会を得ることができました。それは1回目同様、とても素敵な旅でした。今回はすべてのものが2回目だったので、行く先々のものをより細かく知り、心に焼き付けることができました。また、1回目でお世話になった家族と再会することができたし、新しい2家族ともとても仲良くなることができました。
日本にいる間、私達は彼らの文化をいろいろ学びました。家ではどんなに自分達の文化と彼らの文化が近いかを知りました。ホームステイしていた時は、まるで私は自分の家に住んでいるような気持ちでした。彼らはみんなやさしくて私達を暖かく迎えてくれました。去る時には女の子達とはサッカーを通じてすごく親しくなることができたし、4日間のステイで家族ともとても親しくなることができました。私は内心、もうこれが彼らと会う最後なのではないかと思い、彼らと別れるのがとてもつらかったです。とても寂しい気持ちでした。
この旅でのサッカーはとてもよいものでした。大会は信じられないほどすごかったです。女の子達はとても速くて技術もすごかったです。これはアメリカでやっていたものよりはるかに素晴らしい大会でした。この旅で私達のチームも互いに親しくなって結束も深まったのではないでしょうか。この経験は、人生の中でかけがえのないたった一度の(二度の)忘れられない、これからもずっと大事にしたい経験です。
Jessica Mason (ジェシカ・メイソン 18歳 #6 大滝宅)
私の日本での経験は、新しい文化経験で、すばらしいものでした。日本で、私はサッカーをし、ホームステイをし、日本の文化を学び、そして日本国内をまわりました。私が一番楽しかった経験は日本のホストファミリーとともに過ごした時間です。家族の皆さんは私一人では知ることのできない日本の文化をいろいろ見せてくれました。私は家族の人達に箸の正しい使い方、色々な種類の寿司や伝統的な日本の家庭がどういうものかなどについて学びました。彼らは私をとても歓迎してくれて、私が過ごしやすいように気を遣ってくれました。いつも私がお腹がすくのがわかるのか、そんな時はいつもフルコースの食事を用意してくれました。私はこの家族と一緒に過ごせたことをとても感謝しています。これ以上の素晴らしい、そして勉強になる経験はありませんでした。
日本の国内観光も色々驚かされました。人口密度の高いこの国はとても効率的で、しかも落ち着いていたのです。私は素晴らしい交通システムや地下のショッピングモールや地下鉄システムなどを含む効率的な土地利用に感動しました。
私が本当に感動したのは、サッカーの面でした。日本の選手のサッカーは高レベルで、私たちPHSの選手達は必死に走り回されました。サッカーで要求されるフットワークの技術は土のグラウンドでプレーすることにより強化されるような気がします。日本でプレーすることは私たちのチームの結束を深めこれからのシーズンにプラスになったと思います。
全体を通じ、この日本での経験は一生忘れられない思いでのひとつとなりました。
Samantha
Kountz-Edwards (サマンサ・コウンツーエドワード 14歳 #10 中山宅)
クリスマスに家族に空港まで送ってもらいながら、私は旅が私にどのような結果をもたらすのかについて考えていました。私は大好きになるのか、それとも大嫌いになってしまうのか。たった14日間の休みのうち11日間もの間をアメリカでなく、外国で少しだけサッカーをして観光することに費やすのが本当に価値のあるものだろうかと。終わってみれば、二言なく私はクリスマス休暇を日本のサッカー大会に費やしたことが予想以上に価値のあるものであったと答えることができます。日本でサッカー遠征は違ったプレー技術や寺など日本文化を知る機会となっただけでなく、忘れられない素晴らしい経験をすることができました。
成田空港に着くと、そこはとても閑散としていました。私は多少お腹が痛くなりました。私は家族と一緒に行ったのでホームシックではありませんでしたし、それに私には友達もいたので問題はありませんでした。それにサッカーのスタッフとも一緒だったし、なぜお腹が痛むのかわかりませんでした。きっとそれは不安だったのだと思います。その時いた場所が気に入らなかったわけでは全然ありません。私はもう新しい環境の中にいたし、ただ単にこれからの10日間がどんなものになるのか漠然と不安だったのです。程なく、私は周りの環境に慣れてきました、少なくともそう感じました。そしてバスは対戦相手の元気な笑顔の女の子達に会うために出発しました。私達はまさか彼女達が私達に会うために、あんなに興奮して迎えてくれるとは予想もしませんでした。なんだか自分がとても大事な人として扱ってもらっているように思え、私はとても良い気分でした。
そして、私達はサッカー場に降り立ったのですが、そこはいつもアメリカでやっていた普通のサッカー場とはかけ離れたものでした。私達は最初の試合では痛い負けを帰しましたが、最後の試合ではだいぶ良くなりました。それから、フィールドは芝でなく土で、日本のプレースタイルは私達のものとは違いました。彼らは私達よりずっと速く、彼らの動きのタイミングは完璧でした。ディフェンスをやっている時、一番そのプレーの違いがはっきりわかりました。どんなにプレスをかけても、彼らはあまりドリブルをせず、ほとんど私達の間にパスを通していくのです。彼らとサッカーをしたことは絶対に忘れません。
観光では日本の文化についてより多くの知識を得ることができました。彼らが手作りで色々なものを作っているという事実が彼らの文化を象徴していると思いました。日本の人達はみんなとてもフレンドリーで親切でした。私のホストファミリーは日本人がどれだけいい人達かという良い例です。私は食べ物の好き嫌いが激しかったのですが、ホストファミリーはより「アメリカ的」で私が好きそうなものを作ろうとしてくれました。ショッピングにも連れて行ってくれました。彼らは私のルームメイトの誕生日に私の家族をディナーに招待してくれ、祝ってくれました。
日本に行って、サッカーをし、観光をして、ホストファミリーと過ごして、私は日本で新しい友情の絆を築くことができたことに気づきました。この稀なる経験はずっと忘れません。
Laura
Keenan (ローラ・キーナン 16歳 #13 中山宅)
日本はアメリカから遠く離れた別世界です。文化も、生活スタイルも、そこに住む人々もです。アメリカの方がより住みやすいところのように思いましたが、(日本は)私達の住むアメリカとは違いがたくさんありました。日本への旅は充実した経験であると同時に良い勉強の機会となりましたが、何よりも、はたと目を見張らされる驚くべき体験でした。私達の住んでいたところは別の世界があり、まったく違う形で機能しているのです。どこに行っても、道路はとてもきれいで人々は親切で、敬うことが文化の大切な部分を占めています。もちろん欠点もありました(喫煙が多すぎること)。でもネガティブな点よりもポジティブな点に多く気づきました。私達の住んでいる社会は自己中心的です。違う国に行ってそれに気づきました。日本では子供達は両親を尊敬していて、議論をしないし、彼らの立場をわかっています。人々はお互いを、また他人をも敬っています。車の運転についてもまったく違う経験でした。人々は誰も割り込みしようとしないし、クラクションもめったに鳴らさず、道路でいらいらする恐れがありませんでした。また犯罪率もアメリカで私が住んだどの地域よりも低いのです。自転車は公共の道路で置きっぱなしにしても大丈夫で、町の壁や家にはほとんど落書きがなく、町はとても快適なところに見えました。
私達のホームステイはたぐい稀な経験でした。私達のホストになってくれた家族はとても優しくて、私達のことを知ろうととても熱心に接してくれました。私達が彼らに合わせるというよりは、彼らが私達に合わせてくれました。彼らは私達の食べ物の好き嫌いを聞き、それに基づいて食事を作ってくれました。私は幸運にも17歳の誕生日をこの家族と一緒に祝うことができ特別な思い出となりました。誕生日のディナーはあらかじめセッティングされ、とても楽しく、おいしいチーズケーキで締めくくられました。ショッピングは本当に冒険でした。GAPや100円ショップなど、はやっている店を見て回りました。本当に盛りだくさんの旅で忘れられません。
(訪問中)、知人がいつもいてくれればと思いました。少しでも英語の話せる人がそばにいるとありがたかったです。レストランでは特にメニューが読めなかった時、注文するのが大変でした。次第に、ウェイターを手招きしてレストランの外に出て、ショーウィンドーのメニューに向かって頭を振り「この食事が欲しい」と伝える方が簡単だということに気づきました。私達のマクドナルド通いは日課になりました。従業員のほとんどに私達の注文する英語が通じて快適だったからです。それでも私達はカウンターのメニューの下敷きを指差し、微笑みながらうなずき、注文をしました。時にはフォークやナイフがないところもあったので、箸にも慣れました。(女の子の中には箸と豆で遊んでいるような子もいました)
日本訪問は私の生涯の宝となる経験でした。これから長年もの間、懐かしむであろう思い出がたくさんできました。その経験は今まで出会ったことのないもので、この旅ができたことを本当にうれしく思います。
Jennifer Tuttle (ジェニファー・タトル 17歳 #17 今関宅)
私は日本が大好きです!クリスマス休暇に日本に行くのは2回目で、日本文化への敬愛の念を確信しました。1回目に行った時、私はこれは一生に一度の経験だと思いました。でも、それを私は2度も経験することができたのです。私が一番楽しかったのはホームステイです。私は2年前、最初に日本に行った時、同じ家族にお世話になったので、ホストファミリーは既に顔見知りでした。また、私はホストマザーとはずっとEメールで連絡を取り合っていました。ホームステイは一番の経験でした。私は温かいトイレの便座が忘れられません。私達は1日多く泊まったので、家族は私達を観光に連れて行ってくれました。お寺をたくさん見て、それから5階建てのモールに連れて行ってくれました。数晩の後、私は本当に彼らの娘の一人になったような気持ちになりました(私のホストマザーは「葉月(はずき)」という日本の名前まで付けてくれたほどです)。さよならするのは本当に寂しかったですが、できれば彼らにカリフォルニアに近いうちに来てもらいたいと思います。ホームステイの何がそんなに良かったのかは説明するのが難しいので、一度あなたもご自分で経験してみてください。
日本の旅のサッカー面については、本当に驚かされました。私は彼らが土でプレーするのが信じられませんでした。そこには芝生はなかったのです。フィールドには大きなピッチャーマウンドまであったのに、日本の女の子達は文句をいうこともなくなんだか惨めに見えました。私達がいかにアメリカで甘やかされているかに気づきました。他のチームの人達とはコミュニケーションができませんでしたが、彼らとも特別な絆ができたような気がしました。そのことは、単にサッカーのようなものを通じてでも、世界の人々は一緒にわかりあうことができるんだということを証明してくれたと思います。
Lauren
Vu (ローレン・ヴー 16歳 #5 今関宅)
2002年12月25日、体育会サッカー部は伝統文化交換プログラムに参加するため日本へ旅をしました。カリフォルニア州サンフランシスコからのフライトは何時間もかかり、私はそのほとんどをCDを聞いたり近くの友達と話をしたりして過ごしました。新しい国での経験、新しい食べ物、新しい言葉、違った文化がこの旅を忘れられないものにしました。10日間、私は日本での違ったスタイルに直面しなくてはなりませんでしたが、それは正直言ってすべて価値のあるものでした。
私はホームステイ家族を尊敬しています。今関さんは日本の横須賀に住んでいます。彼らは私達をとても歓迎してくれ、両手を広げて迎えてくれました。幸いなことに彼らは英語も上手に話せました。私達は何時間も違った生活習慣やサッカーのことについて話しました。彼らはいつもサッカーの試合があるたびに私を送ってくれました。彼らはそのままそこに残り、私のプレーを観戦し、帰りも送ってくれ、温かいシャワーを浴びさせてくれました。
ステイの最終日、私達は45分ドライブをして、横浜に行きました。そこは横須賀とはかなり違った町でした。私達は大きなモールでショッピングをしたり、大きな観覧車を眺めたり、たくさんの写真を撮り、今まで私が食べた中で最もおいしいともいえるイタリアンレストランで食事をしました。今関さんは私が初日にあげた贈り物のお礼にたくさんの贈り物をくれました。私はこの家族とこれからも連絡を取り合い、またいつか戻って彼らを訪ねると約束しました。
残りのいくつかの都市を巡った数日間はとても楽しいものでした。私は数え切れないほどのお寺や神社を見学し、見るもの片っ端から食べました。これらの都市はたくさんの高いビジネスビルのある商業都市でした。私達は東京都と大阪で泊まりました。東京では、大晦日にカラオケバーに行ったのを覚えています。私達の引率者である山本氏がアレンジしてくれました。私達がホテルに戻ると、ある女の子達は自分達でパーティーをしていました。東京からは新幹線に2時間30分乗って大阪に行きました。私は大きなダッフルバッグを自分の前においていたので新幹線は楽しめませんでした。足の置き場がなかったのです。飛行機よりも乗っていた時間は何時間も少なかったのに、新幹線の方が居心地が良くありませんでした。
私達は最後の訪問都市である大阪で数日間を過ごしました。私は気持ちよいベッドのある素敵なホテルを満喫しました。大阪では、私達はたくさん散策をし、ショッピングをしました。また、私達はバスで京都や奈良にも行きました。
この最後の数日間で、私がはっきりと覚えているのは大喧嘩があったことです。22人の女の子達が毎日、24時間中一緒にいるのですから不快なこともあったのでしょう。旅の終わりには、みんな家に帰りたくなって、何人かはお互いしゃべらなくなりました。
外国に行くのは私にとって初めてのことではありません。私はアメリカから色々な国々に旅行で行ったことがあります。私は、自分達とは全然違う日本の文化や生活習慣をとても楽しく学びました。彼らは道路の反対車線を運転していましたし、地面に穴を開けたような和式のトイレもありました。私は日本食が大好きだったので、食事もなんとか大丈夫でした。ただ、正直言って、私は日本語でいくつかの単語しか話せなかったので言葉が通じないことだけがちょっと私を不安にさせました。一番気になったのは、何人かのサッカー選手がぶつぶつ言い続けていたことです。彼らはずっと食事のこと、家のこと、トイレのこと、ホテルの自由時間のことなどについていつも不満ばかり言っていました。でも私は、日本に滞在できた自分はとても幸せ者だと思っています。また、ヘルナンデスご夫妻、千鶴子さん、山本さんなどが私達を連れて行ってくれ、楽しませてくれようと努力してくださったことにとても感謝しています。
日本のチームとサッカーをしたことは、忘れられない出来事でした。若い日本の女の子達は芝生のないフィールドで、素晴らしい技術とスピードでプレーをしました。彼らとサッカーをして自分はもっと頑張らなくちゃいけないという意欲を掻き立てられました。彼らは速くて、攻撃的で本当に良いプレーをしました。アメリカのチームとアメリカの地でプレーする方が、この日本チームとやるよりも結果は悪くはならないと思います。
全体を通じて、私は日本で素晴らしい時を過ごしました。もしできるなら、迷うことなく、もう一度したい経験です。違う国に行き、違った文化を学ぶことは、私の人生に新しい視野を与えてくれます。私はいつでも心を広く持ち、違う国の文化を知ろうと心がけています。サッカーをして、その土地の家族と住み、友達と過ごし、美しいお寺や神社を訪ね、その土地の食事を食べた10日間の外国で暮らしはいつまでも忘れることのない、とても価値のある旅でした。
Christina
Siadat (クリスティーナ・シアダット 16歳 #11 亀田宅)
日本へ行ったことは私の一生の中で一番価値のある経験だったかもしれません。誰かが私に「日本はどうだった?」聞かれるたび、私はそれがどんなに特別だったかを説明しています。私は初めて本当に自分達と違う独特の伝統文化を見たり経験したりすることができましたが、こんな経験は他の誰もがするというわけにはいかないでしょう。日常会話の中で何かが話題に上るたび、私の頭には誰しもが思いもよらない日本での思い出がよみがえります。例えば、日本人が朝食に冷たいレタスとトマトをマヨネーズで食べていると誰が信じるでしょうか。また、女の子達がもしかしたらアメリカの人達よりずっとAvril Lavigneが好きだということも。彼らが日常生活でどんなに謙虚に暮らしているかということだけでも、頭が下がる思いです。ジェーン・ドーティーと泊まったステイ先で私達はホストマザーのお嬢さんが結婚式に着たという着物を幸運にも着させてもらいました。母親が自分の生涯を家族に捧げ、夫に尽している姿をみると、アメリカで当たり前のように思っていた様々なことが見えてきました。彼らはいつも温かいお湯が出るようにいつもシャワーを最初に浴びさせてくれ、きれいな一番湯につからせてくれました。彼らは最初に私達が気に入ったという食事をずっと作ってくれました。いつもだったら見ているであろうテレビ番組ではなく私達にアメリカのMTVを見させてくれました。そして、私達が寝過ごさないようにと、私達より朝早くに起きてくれました。彼らはいつも私達が快適に過ごせるようにと気を配ってくれましたし、何よりもいつも私達が笑顔でいられるようにしてくれました。ジェーンと私は、彼らが祖父母のように思え、本当にコーチのご夫妻のお宅に泊まれる機会を持てて本当にうれしく思いました。事実、あんなに心から彼らを好きになっていなければ、別れの時に泣くことはなかったでしょう。
仏教のお寺を全部まわった後、私は仏教徒になるような気持ちになっていました。もちろん、カトリックの家、カトリックの学校に帰って、自分は既にカトリック信者なのだと思い出しましたが、日本にいた時はこの仏教という宗教の持つ精神と教えを知ってとても興味を持ちました。思わずホテルの引き出しに入っていた仏教の教えの本を4分の1ほど読んでしまったほどです。私が一番触発されたのは(三十三間堂の)千体の千手観音ですが、世界最大の大仏を見た時は言葉を失いました。大きな仏教寺にいた鹿たちはとても愛らしくて楽しい動物でした。あんなに近くであれほどたくさんの鹿たちを見て、あんなに何気なく接することができることは二度とないと思いました。
日本の都市についていうと、そこは予想したとおりの都心でした。しかし、驚くべきことに東京は私の予想したものとはまったく違いました。私は、東京は大晦日には特別たくさんの人で混んでいると思っていたのに、そこはゴーストタウンのようでした。カラオケを楽しみましたが、次回はもっと大勢の女の子達が来て一緒に楽しめたらうれしいです。私は、高層のファッション店があり都市に活気のある大阪が気に入りました。私はいくつも買いたくなるようなかっこいい靴を見つけましたが、それらのどれもサイズが6 ½で8の私には入らず、買う気をそがれてしまいました。日本のレストランでとてもおもしろいなあと思ったのは、どの店も店頭に大きなガラスがあって、プラスチックで作ったメニューが飾ってあったことです。それはとても不ぞろいに並んでいておかしかったのですが、私達が何をどう頼んでいいかわからない時に、指差して説明することができたのでとても便利でした。アイスクリームサンデーは死んでもいいくらいおいしかったです。ローレン・ヴーとテイラー・ニューマンと一緒に食べた背の高いグラスにたっぷりのアイスクリームとフルーツ、そしてグリーンライム味のシロップが入ったサンデーは今でも思い出します。おいしかったあ!
11時間の飛行機のフライトは誰が忘れることができるでしょう。私だけ往復とも一睡もせず、日本のスナックを食べたり、アルパチーノのアメリカ映画をみたり、音楽を聞いたり、寝ている人達の写真を撮ったり(それはとても危険な仕事で、彼女達が目を覚ますと不機嫌な顔を向けられてしまう危険性があるのです)、6歳の子供が時間つぶしにする典型的なこと=「ぬりえ」などをして過ごしました。
私はどんなにアメリカを愛していても、この旅に行ってよかったと思っています。アメリカと日本に神のご加護がありますように。
Jane
Dougherty (ジェーン・ドーティー 16歳 #12 亀田宅)
日本へ行ったことは私にとって素晴らしい経験でした。私は外国に一度も行ったことがなかったので、日本への旅は人生で出会ったことのないものだったのです。最初は住み慣れた場所から言語も習慣もわからないような外国へ足を踏み入れるのはとても怖かったです。でも、日本を気に入るまでに時間はかかりませんでした。また、日本に行ったことで、人々や文化を評価することを学ぶと同時に、アメリカやアメリカのもつ素晴らしさにも気づかせてくれました。
私が旅で一番気に入ったのはホームステイでした。私はだんだんホストファミリーの両親と姉妹が自分の本当の家族のように思えるようになりました。あんなに恩義の念が強く、温かくもてなしてくれる家で歓待をうけたことはありません。最初、私は顔見知りのみんなと離れ、知らない人の家に4日間も泊まることがとても怖かったのです。でも、すぐに家族の人達は私がまるで我が家に住んでいるかのような気持ちにさせてくれました。私が日本語を話せず、彼らが英語を少ししか話せなくても、信じられないくらい、私達はコミュニケーションをとることができました。家族の人達は、できるだけ快適に過ごせるようにと気を遣ってくれ、私達とMTVを見てくれたほどです。私は違った国で典型的な家族がどう暮らしているのか知れて楽しかったし、それが私達の生活とあまり違わなかったことがわかってびっくりしました。
しかし、多くの違いもありました。日本の社会があまりに男性中心社会なのには驚きました。ある日、お母さんとお父さんがフィールドに来た時、彼女は前列でお父さんと一緒に座らずに、後ろに座っていました。それに、私達全員と一緒に夕食を食べず、お風呂にも一番最後に入っていました。アメリカ人女性は本当に自由でそのようなマナーで扱われたことがありません。でも、日本の文化ではこのような行動が受け入れられているのです。私は自分の文化と違う文化を知る経験ができて良かったと思います。
日本でサッカーができたことはもう一つの素晴らしい経験でした。最初に着いた時、フィールドのあまりの状態にショックを受けました。芝生はなく、固い土のフィールドでプレーすることになったのです。試合をするとまったく感じが違いました。ボールは速く転がるし、女の子達はいつも動いていました。このような環境でプレーすることで、私達みんなの技術を強化することができました。
アメリカに帰って、私は自分の文化と日本の文化両方の良さに気づくことができました。生卵を食べる体験から長い間家族と離れて暮らすという体験まで、世界の反対側への旅は私の人生にまったく新しい経験をさせてくれました。
日本への旅はとても楽しくて、間違いなく自分にとって良い経験となりました。
Sara Hines (セラ・ハインズ 17歳 #14 森川宅)
今年、自分がカレッジに進むという現実を踏まえ、私はこれまでのこと、そしてこれからのことについていろいろ考えてきました。私は日常の活動を振り返り、もうこれが最後なんだと思いました。前の芝生に座り、ブランケットの上でスペイン語のリーディングをしたり、キッチンテーブルで後ろに音のずれた歌を口ずさむ母がいる前で線形計画法の勉強をしたり。これから何年もの間、自分が覚えているのはどんなことだろうと考えてみます。振り返ってみると、自分の頭に浮かんできたのは、他の人が経験したことのないような本当に素敵な経験を一緒にできたサッカーチームのみんなことでした。私はこのサッカーチームと共に2回も日本に行くことができ、二重に恵まれていたと思います。これは間違いなく生涯に刻まれる経験です。この旅は私がチームメイト達との友情と長く忘れることのない思い出を分かちあうことのできたゆるぎない絆です。
私は飛行機に乗った時のことを思い出します。それは永遠に乗っているかのような長さでしたが、みんな一方では興奮してめまいがしそうで、一方ではクリスマスに家族を離れることで感傷的になっていました。でもみんな12時間飛ぶ飛行機の中に詰め込まれていきました。合間合間にフラッシュがたかれ(いつものクリスティーナのカメラでした)、彼女は雑音から逃れようとして眠っている人達の写真を撮っていました。覚えているのは、最初の夜、バスでジェーンとアマンダとニッキと起きていようとした時、寝不足だったのでうるさくヒステリックになってしまったことです。私達が大騒ぎするので他の人達に怒鳴り返されました。
それから、思い出すのはホストファミリーと過ごしたことです。シャノンと私は森川さんの家に泊まることができてとても幸運でした。彼らはいつもあたたかく、止まることのないエネルギーと忍耐をもって、私達が快適に過ごせるように気を遣ってくれました。家族の人達は私達が快適に過ごせるようにと、和英辞典と電子辞書を駆使して、音楽について、これから旅する場所について、カレッジで何を勉強したいかなどについて話しかけてきました。日本語がわからないフラストレーションを感じながら、私はどうして自分達の学校に「日本語」という言語を習う選択肢がないのだろうと疑問に思いました。
私は森川さんの息子、リュウスケさんがシャノンと私がビリヤードを楽しめるようにと6つのビリヤードバーに連れて行ってくれたことを思い出します。その後、私達を申し訳なさそうに見つめて、「俺、日本で迷子になった」と言いました。シャノンと私は気違いのように10分間笑い続けました。
観光で思い出すのは、畏敬すべきお寺です。それは想像できないくらい古く、豊かな伝統があり、彼らの文化に織り込まれていました。日本人の行動はこれらの伝統に基づいていました。私は私達の文化がまだ日本の習慣のように長年蓄積されたものでないことが半分さびしく、また反面、私達の文化の弾力性と恒常的な改革にびっくりしました。
試合のことについては、プレー中、血液が回らずに手足がなくなってしまうのではないかと思ったことを思い出します。また、私がこれ以上速くは走れないというくらい全速力で走っても、シーガルズや村田女子高校、そして光栄にも試合をすることのできた他のチームのフォワードに全然追いつけなかったことをも思い出します。彼らの技術をスピードはアメリカの私達のレベルとは違いました。私達の試合はそれと比べて子供じみて見えました。
それから、奈良のお寺で瓦に文字を書いて寄進したことを思い出します。グロリアが「PEACE(平和)」と書いたらどうかと提案しましたが、それ以上にぴったりの言葉はないと思いました。あのような由緒あるお寺に私達の文字が加わるなんて、満足感でいっぱいでした。このような寄進は何千年もの間続けられ、積み重ねられてきたのです。私達の瓦はその目に見える証となるのです。
マニが朝5:45か5:50頃に私達を起こし、電車に乗って東京の小路を走り、そして太陽が高層ビルから昇っていくのを眺め、窓に映る万華鏡のような色を見つめていました。
みんながまだ寝ている頃、自分達の足音が道路をたたく音と自分達の息の音だけを聞きながら私達は走り、そして音は次第に消えていきました。
私の頭の中にはその他の思い出もたくさん詰まっています。笑ったこと、ホームシック、フラストレーション、閉所性発熱になったことなどいろいろです。これらの思い出は人生で忘れることのないものです。私は日本でのサッカー大会に本当に仲の良い友達と一緒に2度も参加し、本では学べないような国の文化を知ることができました。これらの思い出が持てたことを一生感謝します。私は世界の国の人々が素晴らしく、そして驚くべき方法で違った暮らしをしていることを勉強させてもらいました。どんなふうに人々が違うのかを知ることは地球に住む誰もが理解する責任があり、この経験のおかげで私は日頃から、その可能性について探求する努力をするようになれました。
Shannon
Lewis (シャノン・ルイス 18歳 #19 森川宅)
2003年の体育会サッカーチームと日本に行ったことは、自分のものとなる良い経験でした。日本はアメリカとは違いましたが、その違いは私が適応できるものでした。クリスマスの日、サッカーのチームメイトと12時間のフライトの後、私達はとうとう成田に着きました。着いた時は朝だったので、なんだか一日中空にいたような気がしませんでした。税関を通った後、外国語のサインがあちこちに見られる中、私達は正式なあいさつに向かいました。オープニングセレモニーでは早くサッカーをしたい、日本を見たいという気持ちがむくむくと湧いてきました。森川氏の侍の演技をみんな楽しみました。私達のサッカーチームは自分達なりのアメリカのダンスを作って披露しました。他のチームの人達や家族の人達もきっと忘れないような演技ができたと思います。
私はホストファミリーが大好きになりました。彼らも私を「シャニー」というニックネームで呼んでくれた程です。彼らはわたし用のスリッパとお箸をくれました。ホストファザーはサラと私に箸の使い方やいくつかの日本語を教えてくれましたが、なんといっても楽しかったのは、彼らにボウリングに連れて行ってもらったことです。1点もとれなかったおばあちゃんも一緒でしたが、おばあちゃんも一緒にボウリングをする、そんな光景をみるのは素晴らしかったです。
サッカーをした相手、特にシーガルズはとびきりサッカーの上手なチームでした。私達は土のフィールドでプレーをしましたが、そんな中でも彼らは素晴らしい足技を見せました。私達は凍えそうに寒い気候の中で3日間のサッカー大会を終えましたが、私は体を温めるようにしながら頑張りました。
その後、私達は日本の冒険に向かいました。観光をして、見られるだけのものを見てまわりました。私は東京タワー、世界一大きな大仏、皇居などを見ることができました。残念ながら私が見るのを楽しみにしていた金閣寺は修復中でしたが。お腹がすくと、どこに行っても私はマクドナルドの看板とアイスクリームを探して歩きました。
大晦日には、山本さんが私達チーム全員のためにカラオケバーを予約してくれて、ムーンリバーを歌ってくれました。チームの他の人達も歌を歌いましたが、クリスティーナが歌ったマイケルジャクソンの「ビート・イット」はみんなに拍手喝采をあびました。とうとう年越しになると、私はアメリカの音楽を聞きながらベッドを飛んだりはねたりしましたが、本当に疲れました。
私達は新幹線に乗って次の目的地に向かいました。そのホテルはとても素晴らしいホテルでした。日本のショッピングエリアはとても広く、私たちはすべてを見ることができませんでした。2日間の旅の中で、私たちは小雪をも体験することができました。これはいつまでも忘れることのない貴重な経験でしたが、私は朝7時起きで練習に行ったことも絶対に忘れません。日本やホストファミリーと離れて寂しくなりますが、でもいつか戻ることができた時、この時間は私の経験や思い出とともに続くことでしょう。