2003.8
横須賀シーガルズFC 亀田 勝昭
おやじコーチのアメリカ遠征記 パート2
― 気が重くなったが楽しかった10日間 ―
今回この遠征記を書くのが非常に気が重く、なかなか筆が進まない。何故ならば、リベンジにいったフレズノ州立大学に返り討ちにあった事、サッカーに関しあらゆる面で日米の差を見せつけられ、このままでは益々その差が開き、アメリカ遠征など恥ずかしくて出来なくなるのではないか、との不安にかられているからである。
しかし、このまま何もしなければこの差は縮まらない。この差を縮めるために今後「何をすべきか」自分なりに探り出し、実行していくしかないと思っている。(この実現に関しては、ご両親の協力、援助が必要です)。したがって、今回の遠征記は、サッカー及びサッカーをするため、最低限必要な生活面に関することに的を絞ってまとめます。
私は、1999年8月、2001年6月、2003年8月と、約2年間隔でアメリカ女子サッカーを見聞する機会を得ました。アメリカの女子サッカーは、この間確実に且つ急速に進化しています。この4年間で「何が変わってきたか」私なりに感じた事を書いてみます。
<前回の遠征のときの感想>
1999年8月、シーガルズと湘南女子高校の合同遠征。この年はシドニーオリンピックの予選を兼ねたワールドカップがアメリカで開催された年、アメリカはこの大会で身体能力の高さを前面に出したパワーサッカーで他国を圧倒し、決勝戦には当時の大統領クリントンさんが観戦、9万人を超える観客がスタンドを埋め女子の団体スポーツで世界最高の観客動員数を記録した。当然アメリカが優勝しシドニーオリンピックの切符を手に入れその余韻が随所に残っていた。第1戦対サンノゼ州立大学との会場、スパルタンスタジアムはワールドカップで日本代表がカナダと戦った会場だった。
この時の遠征では、大学チームと3試合、U―16選抜チームと1試合行った。結果は大学チームに2勝1負、U―16チームに1勝(帯同した湘南女子高校は、大学チームに3負,U―18チームに1負)であった。遠征メンバーの構成は、高校1年生―1人、中学校3年生―4人、中学校2年生―8人、中学校1年生―2人の15名。
4試合戦って対戦チームから受けた印象は、
1、ゲームスタイルは身体能力の高さを前面に出したパワーサッカー。攻めの展開が大きく、広い、守りは一人一人が身体全体を使って相手を潰しにくる、特に1対1の局面で抜かれると後からスライデイングタックルをかけてボールをしつこく奪い返しにくる。
2、パスをつなぐ意識がうすい。細かい、速い、意図されたパスはほとんどなく、蹴ったボールを足の速さで結果的にパスになる場面が多かった。
3、攻めのパターンがすぐ読めた。(中学校3年生のセンターバックも確実に読んで、ボールの出どこを抑えていた。)多分コーチから教えこまれたパターンを試合で徹底的に実行
しているといった感じで、個々の選手の創造性、判断力があまり感じられなかった。
4、個々の選手の技術
(1)フェイントが少ない。足の長さと足の速さで相手を抜く事が多かった。
(2)ボールコントロールが不正確。次のプレーに結びつけるようなワンタッチコントロール、ファーストタッチが出来ていない。コントロールが大きいのが目立った。
(3)受け手が取りやすいパスが少ない。試合中インサイド、アウトサイドキックでのパス出しが少なく、インステップキックが多いので強く長いパスになり正確性に乏しい。
ただし受け手の身体能力が高いので結果的にパスになる場面が多い。
(4)敵に詰められるとあわててプレーする。キープしないでワンプレーで対応するのでミスが多い。
(5)ドリブルは速いが、ボールが足についていない、フェイントが入らないのでスピードに慣れてくると、わりとボールを奪いやすい。
5、個々の選手の戦術
コーチが決めた戦術を試合で実行していると感じる場面が多く、個々の選手の創造性及び2〜3人でのグループ戦術だなと思える場面がほとんどなかった。したがって、ゲ−ムの流れが「型にはまった」感じが強く、創造性にとんだ「あっと思わせる」場面が少なかった。
しかし、対戦した各チームの選手の中には必ず3〜4人足の速い能力の高い選手がいて、その選手が絡んだ時に点を取られていた。
対戦した4チームはほとんど上記のような状況であった。したがって、遠征メンバーの能力でも、プレーゾーンを狭くしてプレッシャーを掛けやすくし、奪ったボールを相手と身体が接触しないうちに細かい速いパスを廻してかわし、なるべく長いボールを入れられないように、また長い距離走らないようにさせ何とか対抗出来た。ただし、サッカーをする環境やサッカーに取組む個々の選手の姿勢等学ぶべき事が多く、また身体能力の差はどうしようもない強烈な印象を受けた。
<2001年Adidas
Cup を観戦しての感想>
2001年5月下旬から6月にかけ、この年から発足したアメリカ女子プロサッカーの試合と、6カ国が参加して行われたU―18アデイダスカップを観戦した。また、偶然アデイダスカップと同じ会場でU―16、U―17のクラブチーム約125チームが集まって行われた“2001テキサスシュートアウト”という大会も観戦した。シドニーオリンピックで、アメリカが決勝で負けて1年後、FIFA主催の第1回U―19世界選手権を1年後に控え、アメリカ女子サッカーに「何か変化」が起きているか、また日本代表として私が中学生時代に指導した選手が6名選ばれていたので、世界の国々の代表選手と対戦し、どの程度通用するかに重点を置いて観戦した。
・ 女子プロサッカー1試合(アトランタビート対ベイエリアサイヴァアーレイズ)を見ての印象
両チーム共ボール際への寄せが早く、それに対応できるテクニックが備わっていないので意図されたパスが少なく、あわててロングボールの浮き球でのキックが多く、ボールの取り合いでの体力勝負の場面が目立った。プロらしいゴール前でのエキサイテイグなシーン、パスやドリブルでの突破、惚れ惚れとする華麗で優雅な球さばき、個人個人の創造性あふれるパホーマンスがほとんどみられなかった。但し、この試合でも4〜5人の外国人選手(日本の澤選手も出場していた)が出場していた。このプロリーグが続けばアメリカだけでなく選手を送り出している国のレベルアップにつながっていくことを確信した。
・ アデイダスカップでのアメリカチームの印象(アメリカは、代表とUSユースサッカーの2チームが出場した。対フィンランド2試合、対日本、対中国、アメリカ同志の5試合を観戦した)
従来のパワーサッカーに加え、個人個人の技術と戦術の質の向上を加味したサッカーに変っていた。
特に目についた点は、
1、足の速さに頼ったドリブルから、ボールを足につけフェイントを織り込んだドリブルに変わってきた。特にハーフ、トップの選手に多く見られた。
2、20〜30mの距離のパスをインサイドキックのグランダーで出し、受け手がワンタッチコントロールで次のプレーに結びつくコントロールをしていた。バックスから出るパスを含め、多くのパスに意図があることが感じられた。従来のようにインステップで蹴ったボールを、受けて選手の足の速さでパスにつなげるような場面はほとんど見られなかった。(この距離でのインサイドキックでのパス出しはバック間、トップに入れるパスに目だった)
3、ボールを持った選手に対しボールを持たない選手の動きが連動していた。特にサポートの動きが速く、ボールを持った選手の顔が上がった瞬間にパス出しが出来るタイミングで動いていた。ポジションチェンジも流れの中でかなり行っていたが、チームとしてのバランスがとれ個人個人の能力の高さを感じた。
4、両サイドを使ってドリブル、パスでえぐってセンターリングし中央で合わせて得点に結びつけようとするプレーが多かった。
5、全てのプレーが速い。スローイング、フリーキック、ドリブル、ボール廻し、ルーズボールへの寄せ、ボールをもらいに行く動き等、個々の選手の意識がプレーに表れ、ゲーム全体を通じ流れの速さを感じた。
6、選手の判断で随所に遅攻、速攻を意識したプレーが見られた。バックスへ戻してバック間のパス廻しから、状況に応じてトップに入れる速いパス、ハーフ間のパス廻し等によく現れていた。
7、特に驚いたのはアメリカ人らしい不器用さを持った選手がいなかったこと。
“2001テキサスシュートアウト”をかいまみての印象
「アメリカはやると決めたら徹底的にやる民族なんだ」を再び思い知らされた。チームの数も多い、選手の数も多い、親の数も多い、この大会から優秀な選手をスカウトしようとする大学等の監督、コーチの数も多い、こんな光景初めて見た。1試合だけ見たが、内容は従来のアメリカスタイルのサッカーだった。
この機会を与えてくれた山本さんに、私が最も強調して感想を述べたことは
「アメリカがシドニーオリンピックで敗れた反省で、従来からの“身体能力の高さを前面に出したパワーサッカー”に“個人の技術と戦術の質の向上”を加味したスタイルに変えていくことを、各カテゴリーのコーチが認識し、その具体的指導方法を確立し、底辺から実行しはじめたとしたら、各カテゴリー毎に、手がつけられないチームが出来てくると思います。そうなったら、私が教えている選手では、とてもたちうちが出来ない不安を猛烈に感じています。」
<今回の遠征の感想>
2003年8月、私が女子のコーチになって2度目のシーガルズのアメリカ遠征、また、アテネオリンピックの予選を兼ねたワールドカップが、16チームが参加(日本はアジア予選で敗れ、メキシコとのプレーオフに勝ち、16番目の切符を手に入れた)して、9月からアメリカで開催される。(当初中国で開催されることになっていたが、サーズの流行で変更)
今回のシーガルズの遠征メンバーは、社会人―1人、大学2年生―1人、高校3年生―5人、高校2年生―2人、中学3年生―3人、中学2年生―12人、中学1年生―1人の25人、FCとU―15の2チーム編成(内4年前に遠征した時のメンバーは7人)
FCは大学チームと2試合、U−18クラブチームと2試合、U―15はU−17クラブチームと2試合、U―15,16のクラブチームと2試合行った。結果はFCが2勝2敗(大学チームに2敗)、U―15が4敗。
<今回経験したアメリカのサッカーの印象>
2年前アデイダスカップを観戦して、山本さんにお話した私の感想が現実になりつつあることを、
まのあたりに見せられた。特に個人個人の技術戦術の進化に驚いた。
FCが対戦した大学チームとU―18クラブチームはサッカーの内容が2年前に見たU―19アメリカ代表とほとんど同じように感じた。スタンフォード大学との試合を振り返って、4年前と比較して何が変わってきたのか、特に目立ったことをまとめてみる。
1、多分基本的な戦術は、攻めでは足の速い両サイド、トップを使って、バッツクスの裏のスペースへボールを入れて得点に結びつける、守りでは3バックの上げ下げとキーパーとの連係でなるべく危険なスペースを裏につくらないようにし、危険と感じた時は数的有利又は身体を張って守り、奪ったボールは両サイドへすばやく展開することを徹底的に訓練されたチームのように見た。試合前対応策は指示したが、試合が始まると個々の選手の視野が広いのと判断力にバリエイションがあるので、特に両サイドバックが対応できなかった。
例えば、4年前は後方から大きく単純に両サイドへボールを振ってくるだけなので、直ぐに慣れ対応できたが、このチームは相手バックスと味方の攻めの選手との間合いを見て中盤でつないだり、バッツクスヘ戻したりして、相手バッツクスの裏にスペースを作り、パスを入れてくるので最後までボールの出どこが読みきれず(又読めても速さで振られ)対応できなかった。
2、交代選手を含め個人個人の技術、戦術がしっかりしてきた。4年前はうまい選手もいたが下手な選手もいた。今回は下手な選手は1人もいなかった。したがってチームとして穴がなかった。
従来から優れていた(1)浮き球に強い(2)1対1にしつこい、特にボールを奪われた後の、奪い返しにいく執念(3)危険な場面での身体全体を張った守備(4)キック力があるに磨きがかかり、それに加えて(1)ドリブルが足につきフェイントが入るようになった(2)インサイドキックでのパスが多くなり、意図された中、短距離の速いパス廻しが出来るようになった(3)次のプレーにつなげるファーストタッチでのボールコントロールが随所に見られた。
3、グループ戦術をするようになってきた。
「前半1点目を取られた場面」キーパーへバックパスが出て、キーパーは自身左足方向にトラップをした、トップの選手が素早く詰めキーパーの右側へワンサイドカット、キーパーは左足で大きく蹴ろうか躊躇した時、右の攻めの選手が左サイドバックに寄せた、キーパーは大きく蹴れず左サイドバックへパス、この時には完全密着され後ろ(自陣ゴール方向)を向かされボールをキープ、フェイントを入れ抜けばよかったが後ろ向きでドリブルしたので、ボールを奪われ得点された。
「後半の2点目を取られた場面」前半なるべくコンパクトに対応し且つバックの上がりを速くしたので、オフサイドになる場面が多かった。後半になってベンチからの指示もあったと思うが、1列目と2列目の動きを連動させオフサイドトラップを掛けに行くと、1列目の戻りを速くし、上がったバックの裏へボールを入れ2列目の選手が取りに来る場面が出得点された。この後バックスが怖くなって引き出したのでコンパクトな対応が出来なくなり、広がった間合いを足の速さでかき回され得点された。
「前後半を通じて特に中盤での攻め合いの場面」常に数的有利を作ろうとする意識がありボールを持った人に詰める時1人だけでなく2人で詰め、パスが出せる方向を絞り
パスカットすることを意図的に実行していた。
4、単純なパスから意図されたパス交換をするようになってきた。
前に蹴って走って奪うから、横パス、縦パス、バックパス、バック間のパス交換、中盤でのワンツー等、従来の縦に長いパス主流から中、短、長のバリエイションのあるパス交換になってきた。守りの側からするとパスの出どこが読みにくくなり、パスカットが簡単に出来なくなった。
5、ボールを持った選手に対し、ボールを持たない選手の動きが連動している場面が出てきた。特にシーガルズの選手の動きが鈍った後半、スペースが広がったところに長い距離速く走りこむ動きが目についた。
さらに脅威なのは、今回対戦したU−15、16、17、18世代の選手達が大学生になった時、今回対戦したスタンフォード大学の選手と同じようなプレーができるようなレベルにある選手がたくさんいたことである。
私たちも4年間、クラブに残った選手を中心に、それなりにレベルアップを図ってきた。7人のアメリカ遠征経験者は、4年前に比べ相当な進化をしている、それでもスタンフォード大学戦は“手も足も出なかった”完敗の試合でした。選手達は一生懸命自分の持っている最大限のものを出していましたが通じなかった。
なぜ通じなかったか、「技術面、戦術面、体力面」及び「このチームに勝つ為に具体的に何をすればよいか」は、少し時間を掛け、練習・試合の場面で実行し、積み重ねをしたいと思っています。
<試合に臨む前の心構えが・・・>
次に「戦場へむかう為の準備」サッカーをするために最低限必要な生活面に関することについて述べさせていただきます。
お仕事がお忙しい中、10日間の遠征すべてに帯同してくださった山本さんが、サンフランシスコ空港で子供達にお話しをしてくれました。明日日本に帰る日に泊まったホテルで子供達に「夜も遅くなり疲れているし明日は日本に帰らなくてはならない、朝も早いので睡眠を充分取るように早く寝なさい」との話しがあった。子供達「はい、わかりました」。
午前1時半頃廊下を動きまわっているシーガルズの子供達を山本さんが発見、このことから察すると、一番大切な試合が行われたフレズノのホテルに泊まった時、全く同じようなことをしていたのではないか、次の日U―15の試合、動きが鈍くシーガルズ本来のパスワークが出来ず大敗した。内容も見るべきものがほとんどなかった。
この交流はサッカーを通じお互いの国の文化を学ぶ事も必要だが、本来の目的はアメリカはアメリカなりのサッカーを見せ、日本は日本なりのサッカーを見せ、お互いの良い所を学びあうところにある。それが生活面のことが理由で出来ないのならば、交流の意味が無くなってしまう。3年後再びアメリカに遠征するならば、このことをしっかり出来るようになって来てもらいたい。といった主旨のお話しであった。
私と森田さんはこの話しを聞き、自分達の指導力のいたらなさを痛感した。子供達とは、フレズノのホテルでのミーテイングで次の事を約束したばかりでした。
1、決めた事、決められた事は必ず守る。(例えば集合時間、消灯時間、起床時間等)
2、挨拶は必ずしよう。(関係者に対し、いつ、どこでも、おはようございます、さようなら、ありがとうございます、を自分から進んで挨拶する)
3、人が話しをしている時は、耳を傾けて聞く、そして素直に受け止める(人の話しを聞く時は、お喋りをしない、言われた事に対しすぐ反発しないで先ず実行し、その後に意見 を言う。)
でも、わずかな時間の経過で子供達はこの事が出来ずに、元に戻っています。子供達を観察すると、“一人一人は良い子”だが“群れると駄目な子”になる。全て“安易で楽な方に、皆で流される”、“実にくだらないおしゃべりに興ずる”。この気持ちのまま、サッカーをする場まで持ち込むことが 多々ある。
私は、現在、一度定年になった会社に戻り、主として“社員教育”のお手伝いをしている。教育に使っている資料は、私が現役の時に作ったものを基礎に、一部現在ふうに改訂したものを使っている。
新入社員に対する教育資料の冒頭に次の文章があります。
1、礼に始まり、礼に終わる。
2、決められたルールは守る。
3、話しを聞く時は、傾聴する。
私は、新入社員に対し先ずこの話しをします。会社内でこれを実行することの大切さ、実行しないで起きた過去の悲惨な事例を挙げて懇切丁寧に説明します。
部下を持つ管理監督者に対する教育資料の最後に次の文章があります。
部下を指導育成することで最も大切なことは、3つの心構え
「勇気」、「愛情」、「根気」 を持つことである。
私は管理監督者に対する教育では、最後にこの話しをします。私が会社生活の中で経験した事例で、3つの心構えを持って部下に対処する事の重要さを、懇切丁寧に説明します。
私は、子供達がサッカーに来た時には、この事は必ず指導します。しかし、この事を習慣として子供達の生活のリズムに入れ込むためには、家庭でも同じ事の指導を、ご両親が「勇気」と「愛情」を持って「根気」よく継続して行っていただくことが最も効果が上がると思います。
フレズノ州立大学の監督と別れる時“サンキュウベルマッチ、(かなり躊躇して)、シーユーアゲイン、アフタースリーイヤー、リベンジユアチーム”と、わからない英語を心から発してしまいました。相手には通じたかどうか判りませんが、“死ぬまでに絶対やらなくてはならぬことに、3年後、アメリカに遠征し、フレズノ州立大学に勝つ事を加え”可能な限りの努力をする気持ちになっています。これを達成するためには、前述した事が不可欠な要素となります。子供達も勝ちに行く事を口に出しています。
最後になりますが、私自身、敗れた2試合以外大変楽しい時間を過ごさせていただきました。特に
1、我が家にホームステイした、クリステイーヌとジェーンに再会し、且つ双方のご両親にお会いでき、クリステイーヌの家を訪問したこと。
2、サンノゼ等で活躍されている日本人のお子さんと一緒に練習し、ゲームをしたこと、その後シーガルズの試合を見に来てくれ、一生懸命応援をしてくれたこと。
またコーチともサッカー談議に興じたこと。
3、死ぬまでにやりたかった事の一つ “大きなスタジアムで国旗を見ながら、国家を独唱する”、がフレズノ州立大学ブルドックスタジアムで実現したこと。
その他エトセトラー、これらの事が出来たのも、山本さん、仲地さん、有田さんの献身的なご援助とシーガルズのスタッフ、選手及び選手の家族のご協力があってのことと、心から感謝申し上げます。
私は、身体が動かなくなるまでがんばる所存です。また、ぜひ楽しい時間が過ごせるよう、今後ともよろしくお願いいたします。
最後の最後に一句(辞世の句になるかもしれませんが)
“我が胸の 熱き思いが 乗り移り
カモメが倒す 姫ブルドック“
(注:ブルドックはフレズノ州立大学のシンボルマーク? あらゆる物にブルドックがついている。)
* 「試合に臨む前の心構えが・・」の項は,私どもとしては指導不足でいささか恥ずかしい話ですが,これらの問題は,現代の多くの中学・高校生に起こりうる問題と思ってあえて書きました.これらのことがしっかりできないと,本当によい選手は育てられないと,反省しています.