「おはようございます!」
朝の空気が清々しい。依頼人である桜井翔は、探偵・大野の指定した時間通りに現われた。
「おはようございます!」
それに対して、少々顔がねぼけ気味だが、ファミレスのバイトで習得したさわやかな笑顔は忘れない
助手の相葉。似合わないトレンチコートを着ているのは、ご愛敬である。彼は形から入るタイプなの
である。
「おはようございます、先生」
相葉がそう呼ぶのにすっかり慣れてしまったのか、桜井は大野を「先生」と呼んで挨拶した。
「……おう」
さっきまで寝ていたのが丸わかりな探偵は、十分待たせたあげく、短い言葉を発しただけで今度はい
きなり誰もいない方向に歩きはじめた。あっけに取られる桜井を残して、どんどん行ってしまう。
「先生、危ないですよ!」
大野の歩くすぐ横を車が通りすぎて行った。相葉が声をかけると、大野は急にはっとしたように振り返
って、
「…あれ?」
そう呟くと、黙々と桜井たちのいる場所まで戻ってきた。どうやら寝ぼけていたらしい。
「先生、照れてるんですよ、あれでも」
相葉がこそっと言うのだが、桜井にはどう見ても大野の顔は無表情にしか見えなかった。どうもこの探
偵と助手のコンビには計り知れない「あうん」の空気が流れているらしかった。
「じゃあ、案内しましょうか、あいつの部屋」
気を取り直して桜井はそう提案したのだが、
「すいません、先生、朝ごはんまだなんですよ…」
心からすまないとは思っていなさそうな顔で相葉がそう言う。大野が、どこかで食事を取りたいというの
である。ダメ押しとばかりに、両手を合わせて「ね?いいでしょ?」と探偵と助手のふたりに腰を低くして
言われると、桜井としても断ることはできない。何でこんなに動きが揃ってるんだ、と疑問に思いながら、
「ああ、いいですよ」
と答えると、ふたりは明らかにほっとした顔をした。実はこの2人、結構お願いポーズが得意なのである。
今まで何度それでピンチを切り抜けてきたことか(※そのお話は、また別の機会に。←ない、ない)。
「じゃあ行きましょうか」
「どこ行きます?」
「牛丼」
「…朝からダメッ!!そんな、だってカロリー高いんだよ?」
さとすような口調で、ついタメ口にもなってしまう相葉だった。今日はバナナを持ってこなかったことを少
々反省する。身体にいいから、大野の朝ごはんはいつもバナナと決めていたのに。それに安いし。
「相葉ちゃんのケチ…」
「馬鹿言ってんじゃないよっ。ケチじゃないですよ、僕は全然!」
探偵の助手でありながら、他に人がいないため事務もこなしている相葉にとって、ケチであることは他方
褒め言葉でもあるのだが、本人はケチとは言いがたい金銭感覚の持ち主であった。よって、まさに図星な
のであるが、この場合はケチには当てはまらない。朝から牛丼は良くないだろ、と常日頃から探偵の身体
のキレが悪くなっているのを心配している助手魂からなのである。
「僕は先生の助手である前に、食事管理係ですから」
隣で聞いていた桜井は、こいつらどんな関係なんだ、と吹き出しそうになるのをなんとかこらえた。
「…わかってるよ、感謝してるって」
ぞんざいな口調で言う探偵に、助手はいたく不満そうだったが、
「『牛丼』、以外でどこ行きます?」
と優しく聞いてやっていた。
「…もうどこでもいいよ」
「じゃ、僕が案内しますよ」
桜井がそう言うので、探偵と助手とその依頼人は、待ち合わせの場所からやっと揃って動きはじめた。
「これが人気モデルの部屋なんですね…」
相葉は部屋を眺めてつぶやいた。人気モデル松本潤の部屋は、まさしくモデルらしいとでも言うべきか、一
見シンプルなようで、さりげなくセンスの感じられるインテリアを配した素敵な部屋だった。きょろきょろと見
回していた相葉だったが、見ていると、マンガ雑誌がうず高く積み上げられている自身の部屋もなんとかし
なくてはな、という気にさせられた。それ以外のスペースは割と綺麗にしているのだが、とにかくマンガの量
がハンパじゃない。…そういえば今日は何曜日だろうか。家に帰ってあの雑誌類を捨てたいな…、とめずら
しく相葉の頭はフルスピードで回転していた。
「…ちゃん、相葉ちゃん!」
「えっ?何ですか?先生」
何度も名前を呼ばれていたのに気づかないほど、相葉は真剣に今日が何曜日なのかを考えていた。探偵
の仕事はあまりにも暇すぎて、つい曜日感覚を失ってしまうところがあった。
…その、仕事を暇にしている元凶である探偵の大野は、
「相葉ちゃん、これいいね」
真っ赤なソファーに座って、ごろんと寝てみていた。確かに事務所に置いてあるソファーは結構年季が入っ
ていて、いつも寝心地が悪いと大野はぶつぶつ言っているが…。どう考えても新しいソファーを買う余裕はな
いように思われた。そしてそんな探偵に不安を感じたのか、依頼人の桜井にやる気がないと思われたらいけ
ないと考えたのか、果たしてその両方なのか、相葉はひとりで松本の部屋の調査を開始した。
「先生。飲みかけのココアのカップがここにあります!」
テーブルの上には、桜井が言っていた通りマグカップが置いてある。中を覗いたがすでに水分は蒸発してい
た。
「先生。松本さんの写真がここにあります!」
シルバーのフレームの中に楽しそうな松本潤の姿がある。隣には桜井がいて、後ろに映っているのは…。
「仲間です。モデル仲間と、確か去年の冬に撮ったものです。いつ撮った、とかそういうとこまで言った方がい
いですか?」
「日付まではいいと思いますけど」
そう言うと、忘れてた、とばかりに相葉はコートのポケットから黒い手帳を取り出した。付属の小さなエンピツ
で何やら書き込んでいる。次に相葉はビデオデッキに駆け寄り、
「先生。ビデオの録画予約が…あ、あれ?」
よく見ると、予約ランプはついていなかった。桜井の話だと確か…。
「あ〜、予約ついてたの何日か前の話だから…」
申し訳なさそうに言う桜井に、相葉は、あ、そっか、と言って頭をかいた。
「何の番組が予約録画されてたんですか?」
「それが…」
と、桜井が言いかけた時、
「相葉ちゃん、ハッスルしすぎ」
疲れちゃうよ、と大野がのんびりした声で話しかけた。
「だって、さっきメシ食ったから食後の運動したくて」
実はそういうことだったらしい相葉だが、
「僕は、食後のおやすみタイムだよ…」
「だ、ダメですよっ!」
大野のまぶたが今にもとろーんと下りてきそうなのをめざとく発見して、大野を起こそうと赤いソファーの方に
行こうとした。…その時。
「あ、亀…」
いかにもファンションモデル然としていた松本潤の部屋だったが、その一角におよそ似合わないと思われる水
槽があった。飼われているのは熱帯魚ではなく…亀が一匹のみ。
「松本は結構友達とか多い方じゃなくて、見た目ハデな割には性格が地味っていうか…。地味っていうのとも
多分違うんだけど…」
桜井がそう説明した。
「珍しいですね、亀…」
「普通は、犬とか猫とか飼いますよね。でもあいつは変わってるところがあって。人と一緒なのは嫌だ、って言
って亀にしたんだって聞きました」
途中で、桜井は思い出し笑いをした。いきさつを話しながら、松本のことを思い出したのかもしれない。家族で
もない桜井が依頼をしてくるくらいだから、ふたりはとても仲が良かったのだろう。
「あいつバカだから、亀に話しかけてるとか真剣に言ってきて、んなのツクリだろうと思ったら本当に話しかけて
て…」
妙にしんみりした空気になってくる。
「親友だったんですね」
「そんないいモンじゃないですけど。…でもよくツルんでた方かなぁ…」
「そうですか…」
桜井のためにも、早く松本を探し出してあげたいと決意を新たにする相葉だった。それには、うちの先生の天
才的な勘…ではなくて、探偵としての能力が必要になってくる。そう思って大野を見たが、当の本人は寝てる
んじゃないの?と心配になりそうなほど赤いソファーからじっと動かない。
「手がかりは…」
愛用の手帳を覗き込みながら、相葉は焦りを感じた。自分には、手がかりがまったく掴めないからである。
実は相葉には、自分は助手なんだ、ということを少々忘れてしまうところがあった。彼は「探偵になりたい!」願
望が人一倍大きい人間なのだった。
「先生〜、どうですか?」
催促の言葉がついに口に出てしまったが、
「この亀の名前は?」
それまで沈黙を守っていた大野が、鋭い声で桜井にたずねた。
「ま、マリアちゃん…」
「はあ?」
相葉が間の抜けた声を出した。桜井は頬を心なしか染めて、
「マリアちゃん、ってあいつは呼んでました」
そう続けた。今度は興味深そうに亀を覗き込んでいた相葉も、ああ、それは恥ずかしいわ、と冷静な顔になる。
「あいつ、クリスチャンだから…。あ、でも全然関係ないかもしれないけど…」
桜井は、途中で自信がなくなってきたのか、最後の方は小声になる。
「わかりました。もういいですよ」
大野は深くうなずいて、立ち上がる。
「もういいんですか?」
驚いたように立ち上がる桜井に、大野はにっこりと微笑んでみせて、
「今の段階ではそれしか言えませんが、松本潤さんは無事です」
「本当ですか?!」
信じられないような、でもどこか安堵したような顔で、桜井は大野の顔をまじまじと見る。相葉も同じだった。助
手ながら、探偵・大野の自信ありげな言葉に、大丈夫なのか?という思いといっそ誇らしいような気持ちと。
「今日のところはこれで引き上げましょう」
大野の方は、それだけ言うと、さっさと部屋を後にする。
「ちょっと、待って下さいよ先生〜!」
トレンチコートをひるがえして、相葉が追う。桜井もそれに続いた。