古代の中国において竜は、歴代の王権の守護神であり、天地の風雨、河川の循環を司る最高位の精霊であった。その信仰の起源は殷(商)の時代以前からあったと思われるが、はっきりと竜の信仰が成立したのは、殷の時代前後であろうと思われる。その古形がキ竜(きりゅう)とよばれた雷神、風雨神、青銅神であったと考えられる。その原型はおそらく蛇をトーテムとした信仰と、鳥をトーテムとした信仰が融合した太陽神的なものであったろうとも研究されている。

 日本においてこのキ竜にもっとも近い神が、三重県の多度神社に祀られる一目連であろうと思われる。片目で一本足の竜神で一目竜ともよばれ、風雨を操り、鍛治(青銅)神であり、光り輝く(もとは太陽神であったのであろう)神であった。

 中国から日本へ渡来してきた竜神の信仰は、日本で古来より信仰されていた蛇神や水神と習合(融合)し、独自の竜蛇の民間信仰が誕生した。竜(龍)の亜種である蛟(みずち)や大蛇(おろち)もまた、水神や山神として信仰されるようになる。それはまた河童や山童の性質に影響している。

 中国の河伯(かはく)は、水死した人間の霊で、それが河川の主または守護神となったとものと信仰されていたが、その河川の主というイメージから竜神信仰と結びつき、河伯は竜の姿であると信じられるようになったらしい。日本では河伯および河伯の使者である鼈(スッポン)が、河童の信仰と混同し、スッポンの甲羅をもつ、河伯の性質(人間の女性を妻としてさらう)をもつようになったと思われる。また河伯(カハク)の読みから、河童(かわわらわ)を河童(かっぱ)とよぶようになったといわれている。

 

 

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