キ・片足神(一本ダタラ、山精)

 キは、紀元前千七百年から前千百年頃の古代中国に栄えた殷の最高神の一つで、キ竜もしくは竜キョなどとよばれて、後の周、秦、漢と続く王朝の象徴となる竜の原型であったと思われる。キを崇拝していた殷(商)が周に滅ぼされると、たちまちキは土俗神に零落し、かろうじて周辺の少数民族である苗(ミャオ)族や越(ベトナム系)、呉(タイ系)などに、風雨(雷)神もしくは鍛冶(青銅)神として信仰され、生き残ったものと思われる。

 殷(商)時代に竜蛇形として信仰されていたキは、東南アジアの水神の一般イメージである牛神と習合し、紀元前五〜三世紀に成立した『山海経』では、角のない片足の牛の姿を描写している。その身体の蒼い色とは青銅の錆びた色と同じで、その皮で太鼓をつくり、雷獣の骨でたたくと、その声は五百里のかなたまで聞こえたとは、いわば青銅製の鼓を表現したものであろうか。

 これは現在、山梨県東山梨郡春日居町鎮目の山梨岡神社に、飛騨匠作と伝えられる雷神キの神として信仰されている。その姿は『山海経』に描写されている姿にきわめて似ている。

 『山海経』の大荒西経には、この牛形のキとは違った嘘(きょ)を紹介している。人面で臂(うで)がなく、両足は反り返って頭の上についていとある。これはキを信仰する少数民族そのものをキに見立てて妖怪視したもので、後世山ソウや山ショウの妖怪が生まれることになる。

 漢代以前、貴州(貴州省)は鬼州とよばれてキが居住する地とされていた。前7、6世紀の春秋時代の四川省東部に、この《キ》とよばれる氏族がいたことが知られている。婦人を背に負う習俗をもつ種族を《キ一足》と『論衡』で語っているが、これは苗族と同族のヤオ族の習俗であった。

 『書経』の「尭典」には舜(古代説話に見える五帝のひとり)の楽官としてキが登場する。これは銅鼓をもって遠距離通信、音楽をおこなっていた苗、ヤオ族の習俗に近い。『国語』の「魯語」によればキを一本足の人面猴身と記して、猿人のような一本足の精として描写している。これを『抱朴子』内篇の登渉17に「さらに山精がいる。鼓のように赤い色をしていて一本足で、その名を暉(キ)という……」とあり、さらに「竜のようで(竜の姿に似て)五色で赤い角があり名を飛飛(飛竜)という」とあって、キの古形である竜蛇形の姿を描写している。

 『永嘉郡記』には暉の別名として山魅、山駱、熱肉、飛竜、山蕭は『酉陽雑爼』の山ソウ、『広異記』や『太平広記』の山ショウ、『捜神後記』の山ソウと同じものである。

 また治鳥は、浙江省に棲む山ソウの一種で、昼は鳥、夜は人に変身し深山に棲み、虎を使役するという。『三才図会』には越人の祖神(キ)であるとして、『和漢三才図会』では天狗(烏天狗)の原型(ルーツ)だとしている。山ソウは日本で山童とよばれ、猿人のような姿を描写しており、一部では一つ目一本足の暉や山ショウは雄を山公とよび、雌を山姑とよび、日本では雄を山父や山爺などとよび、雌を山姥とか山女などとよんでいる。こうしたキを祖とし、日本では山神一般を一つ目一本足の姿として描写するようになったと思われる。

 もともと山の木石の精霊を示す魑魅(ちみ)という総称が、元来キであったことから、日本における山神や山の妖怪全体にその影響がおよんでいるのだろう。狒々をヤマワロウとよんで同一視したり、山精と旱魃を同じものと考えたりしている。

 今日一本ダタラや山爺など一本足で一つ目であるという姿形の伝承は、タタラ(鍛冶)師の職業病が由来であると説明されるが、これら一つ目一本足の妖怪の変遷をふまえると、単純な説明ではいいあらわせないものがあることが想像できる。

 

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