東海・近畿

◎狸の僧

 静岡県伊東市八幡野稲葉家

 あるとき、伊達(現在は民宿浜伊達、屋号)という旅館に、鎌倉のある有名な寺(建長寺)の偉い坊さんが泊まった。しかし、どうも様子がおかしい。そこで旅館の人が、当時その旅館に出入りしていた稲葉氏の先祖に頼んで、様子をうかがってほしいといった。

 稲葉氏はもともと漁師の家で、この先祖も漁師をしていたという。そっと部屋をのぞいてみると、その僧は犬のような格好で飯を食べている。そこを見つけられたその僧は、人に黙っていてくれと、口止め料として書を書いた。先祖はよほど口が固かったのか、このことは旅館の人も知らないという。その書は稲葉家に代々宝物として保管されたが、まるで暗号のようなもので、何が書いてあるのかまったく見当がつかないものだった。

 近年、伊豆下田のある和尚さんがこの暗号の解読を試みた。すると、「亀は六を蔵し明徳を有す」と記されていることがわかった。鏡文字のように逆さまに記されていたので、今までは解読しようにも出きなかったのである。六は迷いをもたらす六つの根元、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、考える、という意味。明徳とは天から自然に授かった霊徳全体を意味する。亀は長寿万年の象徴。つまり、「亀は内に六根を蔵しながらも、なおかつ天から授かった霊徳を有する、めでたい生命体である」という意味になるそうだ。

 こんな意味深な言葉を、鏡文字でサラリと書いた狸。よほど学のあった狸に違いない。同じような話は、八幡野でも肥田家に伝わっていたが、火事を起こしてからは没落したようである。今でも子孫はいる。この肥田とは、強健術の人。川奈にも同様の話があったようだが、今は誰も知らないという。

 

↑狸が再建費用を集めたという建長寺の三門と、伊東市の稲葉氏が蔵する狸僧が書いた掛け軸。

 

◎僧に化けた狸

京都市京都府北区紫野大徳町五三 大徳寺

 滝沢馬琴、山崎美成らが奇談を集めて作った『兎園小説』にある狸の話。武州多摩郡国分寺村(現国分寺市)の名主・儀兵衛家に、篆字、楷書、行書まじりで記された不思議な書がある。その昔、この家に僧に化けた狸が泊まり、そのときに書かれたものだという。狸が書いたためか、文章の所々が間違っていた。この狸は京都紫野大徳寺の勧化僧に化け、無言の行者と称して用事はすべて筆談で行ったという。有り難い聖だと思った儀兵衛家は、ご馳走をふるまってもてなした。しかしその後、この狸は武蔵の内で犬に襲われ、その正体をあらわしたという。

 大徳寺にはこの伝説にまつわる遺物はないが、一応、狸の伝説にまつわる寺院としておく。

 

◎姥ケ淵狸(うばがぶちたぬき)

兵庫県洲本市 洲本城趾

 阿波藩に属していたことに関係するのか、淡路島も狸伝説の多い土地である。

洲本の武士関左次兵衛(せきさじべえ)夫妻にはかわいい一人娘があったが、早世して毎日悲嘆にくれていた。ある夕方、妻が何気なく庭先に目をやると死んだはずの娘が赤い手ぬぐいをかぶって踊っていた。死んだはずの娘が、とかいかぶった左次兵衛は、妻の制止も聞かず、弓やをつがえて、娘を射ると、悲鳴を残して姿を消した。左次兵衛が堤灯をつけて、知の落ちたあとをたどってゆくと、お堀ばたの姥ヶ淵にある穴の中につづいており、矢を受けた古狸が死んでいたという。

 

◎芝右衛門狸(しばえもんたぬき)

兵庫県洲本市

 淡路でもっとも知られている狸といえば芝右衛門狸だろう。竹原春泉の『絵本百物語 桃山人夜話』にも描かれているほど有名な狸である。淡路ではいつくか話が伝わっているので、それぞれ紹介してみよう。

 むかし、三熊山に芝右衛門とお増の二匹の夫婦の狸が住んでいた。二匹の狸は、ある日大阪へ遊びに出てみようということになり、連れだって出かけた。大阪へ出た二匹は、そこで化け競べをすることになった。

 お増は、やがて毛槍を立てて近づいてくる大名行列をみて、手を叩いてほめた。お増は芝右衛門が化けた行列だと思ったのである。お増は、大名行列がどうみても本物そっくりであり、町人たちが土下座しているのをみると、楽しくてならず、手を叩きながら行列の前へ出てきた。と、供先の侍がつかつかとお増に近づいたかと思うと、「無礼者ッ!」と、いきなり抜討ちをあびせたのだった。油断していたお増は逃げるひまもなく、首を刎ねられてしまった。

 思わぬ事件に、そっと見ていた芝右衛門はがっかりした。大阪見物する気持ちにもなれず、淡路へ戻ろうと思って返りかけたとき、「角座(あるいは中座)にかかっている片岡仁左衛門の一の谷の熊谷直実は面白い」という評判を聞いて、ついその芝居を見たくなり、武士に化けて芝居小屋へ入っていった。ところがその芝居があまりに面白かったので、お増を失った悲しさも忘れ、淡路へ戻るのも忘れて毎日芝居小屋へ通った。木戸番は毎日木の葉が一枚勘定の中にあるのをみて、不思議に思ったものの、その謎をつきとめることは出きなかった。

 ある日のこと、芝右衛門はいつものように武士に化けて芳居を見物していた。すると迷いこんできた野良犬が、狸の臭いがするので急に吠えはじめた。狸が一番怖いのは犬である。その犬が近くで吠えたので、芝右衛門はびっくりした。その拍子に神通力を失って、もとの狸の姿にかえってしまったのである。「狸だッ!」見物は一斉に立ち上がった。犬は芝右衛門に飛びかかった。芝右衛門は夢中で人の間をすりぬけて舞台へかけあがった。芝居はめちゃめちゃになってしまった。芝右衛門も懸命に逃げまわったが、とうとう見物人たちに捕えられ、打ち殺されてしまった。

 それ以来、月夜になると必ずきこえていた狸の腹づつみがきこえなくなった。城下の人たちは不思議そうに、芝右衛門とお増の姿がみえなくなったことをうわさし合った。しばらくすると、城下の人たちの耳に、大阪で二匹の狸が殺されたといううわさが流れてきた。洲本の人たちは、二匹の狸の死をいたみ、三熊山に祠をたてた。これが「芝右衛門神社」であるというのである。(『続 城─その伝説と秘話』より)

 また、つい最近も産経新聞にこんな話があった。平成一一年の一〇月いっぱいで閉館してしまったが、大阪の道頓堀にあった松竹中座の楽屋には、八兵衛狸という狸が祀られていた。江戸時代、この狸は人間に化けて淡路の国から初代片岡仁左衛門(一六五八〜一七一五)の芝居を見にきていたが、木戸銭に木の葉が混ざっていることに不審を抱いた劇場の人間が放った犬に食い殺された、という伝説を持つ。その後、中座から客足が遠くようになったが、仁左衛門の夢に現れた八衛兵狸の「祀ってくれ」という頼みに従い、その通りにすると再び中座は活気を取り戻したそうである。

 この八衛兵狸は、淡路に伝わる芝右衛門狸のことであるというのが通説であり、中座の閉館が決定した際に「淡路へ返そう」と提案された。が、八兵衛狸を祀る小祠には中座の氏神である生国魂神社(天王寺区)の摂社、源九郎稲荷の分霊も合祀されているため、淡路と生国魂神社の間にて本家争いが起きた。結果的には「どちらも本家」ということに落ち着き、一一月一日、八兵衛狸は淡路島の三熊山に祀られている芝右衛門大明神へと返還されたという。

 芝右衛門狸は、現在でも三熊山の頂上付近に芝右衛門大明神として祀られている。また、近くにあるホテル・アレックスには、この伝説にちなんで芝右衛門の湯という浴場がある。

↑芝右衛門狸を祀るほこら。

 

◎芝太郎狸(しばたろうだぬき)

兵庫県津名郡津名町佐野

 佐野の国道二八号線沿いに「おたぬき夫婦の碑」なる石碑があり、狸を祀る祠がある。これは洲本市三熊山の芝右衛門狸と本家争いをしている芝太郎狸を祀ったものだという。おそらく、芝太郎狸にも芝右衛門と同じような夫婦の話があるのだろう。

 

◎狸寺 

京都市伏見区桃山町 西運寺

 江戸時代末期、西運寺裏手にある山に一匹の雌狸がいて、悪戯を繰り返して付近の人々を困らせていた。しかし、西運寺の冠道和尚がこれを手なづけ、八公とよんで可愛がった。和尚が手を叩くと、裏山からのこのこと姿を現し、餌をねだったという。この珍事に見物人が大勢押し掛け、そのため西運寺は狸寺と俗称された。慶応四年(一八六八)の鳥羽・伏見の戦において、八公は行方不明になったという。

 現在の西運寺は、狸の置き物や掛け軸、民芸品など三〇〇点もの狸グッズを収蔵している。これは先代、先々代住職が集めたものだという。

 

 ↑庫裏には狸コレクションがズラリ。非公開

 

◎地車吉兵衛狸(だんじりきちべえだぬき)

大阪府大阪市北区西天満五-四-一七 堀川戎神社

 大阪市北区西堀川にある戎神社の境内には、榎神社という地車(だんじり:祭礼の時に引き回される山車)造の上に社殿が安置されている変わった形式の神社があり、一般に地車稲荷神社とよばれている。普通、稲荷といえばそのお使いは狐とされているが、ここの神社のお使いは狸であるといわれている。

 その昔、吉兵衛狸と称する老狸が榎にすんでいて、毎夜一定の時刻になると、地車囃子の真似をして近隣の人を騒がしたので、人々がこの囃子にちなんで地車の社殿をつくり、その狸を祀ったという。その後、願い事がかなえられると、その夜は地車囃子が聞こえるといわれ、お礼に小さな地車の模型や、絵馬を奉納したという。

 これにあやかってか、本社には「狸と地車」という、狸が地車を曵いている図柄の絵馬がある。また、とくに子供の願いをよく聞き、守護されるともいわれている。現在、この神社では地車の木製模型の組立キットも販売されている。

↑堀川戎神社の社務所で分けてもらえる絵馬。

 

◎一つ目狸

和歌山県西牟婁郡白浜町富田 一目坂

 白浜町富田川口から大字袋に行くのに今はトンネルがあるものの、昔は一つ目坂という淋しい坂道を通っていった。昔、ここには一つ目の狸がすんでいたといわれ、夜道などに現れては人を驚かしていた。怒れば怒るほど一つしかない目玉が大きくなるという、少し変わった狸だった。

 あるとき、この坂道を目の不自由な按摩が通った。そこへ一つ目狸が現れ、「どうだ、驚いたか」といって、目をむき出した。すると按摩は見えないものだから、「いや、ぜんぜん」とこたえた。すると狸はさらに目玉を大きくして、「これでもか、これでもか」という。「いいや、まだまだ。まだまだ」と按摩が答えているうち、狸の目玉は顔からはみ出してしまい、ひっくり返ったはずみで頭を打ち、死んでしまった。以来、その坂を一目坂とよぶようになったのだという。

 現在の一目坂は、路面が崩れて通行禁止になっているが、歩いて通る分には大丈夫のようである。ちょうど現在の一目坂トンネルの上にあたる。

↑一つ目坂の下を通る一つ目トンネル。

 

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