もしかしたら、それは小さなこと
取るに足らないものだったかもしない
でも、それをしないことで
私の中でだんだんと大きな存在になっていき――
――気がついたら とても大きなものになっていた
かけがえのないこれを 私は求めてやまない
あけましておめでとうございます。
CSS等を多少改定中。分かりやすさ、示される意図の明確さに、勝るものはない。――だから、よりよいものとするべく模索し続ける。
そういうわけで、今年こそブラウザがきちんと規格に対応すること、そうしたブラウザが広まることを願う。
あと二つあるけど、自明なのでわざわざ書く必要はないかな?
前から気になる存在で、ちょくちょく観てはいたものの、きちんと観たのは今日(のスペシャル)が初めて。
表情が豊かだ。カスミはいわゆる百面相で、表情がころころ変わるのだが、そういった表情を一つ一つ丁寧に、全部違うように見えるように、あますところなく書き上げている。そしてそれを、さらに声が強調している。まるで魔力の声だ。驚いたり、慌てたりしているところなんか特に、一度聞くと忘れられない。『オコジョさん』の"るる"と"るか"も、(サブリミナルのような)その声のすさまじさに圧倒されたものの、絵とともに強く印象に残る分、こちらの方が上手だろう。
おそろしいほどにキャラが立っているし……。
…………すごい…………。
その一言が一番正しいような気がする。
雨に濡れるがままに させていたいときがあるように
降り積もる雪に 身をまかせていたいことだってある――
「おかわりに至上の意味を見出しているもので、おかわりが存在しない場合、物足りなさを感じずにはいられないだろう。」ということを書こうとしていて、食べ物の話題には触れないようにしようとしていたことを思い出す。
理由は二つあって、1つは鼻が利かないので匂いについて話題をふられても困るからだ。私は匂いが(ほとんど)分からない。味からか、もしかしたら昔きちんと鼻が利く時期があって、そのときの微かな記憶が残っているのか、どちらかは知らないが、匂いを想像してみることはできる。だが、その匂いが実際の匂いと一致しているという保証はない。匂いをかぐことはできないのだから。
もう1つは、普段道理に行動しているつもりなのにネタに走っていると思われても困るからだ。例えば、私は冷たい食べ物が大好きで、小学生の頃からよく冬の雪の中でバニラアイスを食べていたものだが、それで同意を求められても困る、といったような感じだ。
すぐそばにあって、私を困らせるゲーム。(初夢にも影響を与えた恐るべきゲーム。[↓])
<!--これを買うようにって、弟くんにさんざんおつかいさせられたのが思い出深いです。私の生活に支障がでるような要求はさすがに却下しましたけど……でも、これプレイしているの、私のパソコンだったり…………。-->
私自身はゲームをやろうという気力が不足しているためやってませんが、人がゲームをやっている様子を見ていることが楽しい……いや、私にとっては、私がゲームをやるよりも、人がゲームをやっている様子を見ていることの方が楽しいのため、そんな至福の思いへの誘惑に逃れそうになくて…………。
あいにく鬼畜王をプレイしたことがない(またはプレイしているのを見たことがない)ので、鬼畜王と比べてどうかということは言えそうにないけど……いつもながら、面白い&楽しい&奥深い(&はまる)ゲームには間違いないようですね。
遅刻ペンギンと、犬とパンダの集団に蹂躙されるオオサカ(あるいはウイミィ司令室)がためにこのゲームはありますっ!…………間違いでしょうか?
(これがプレイされるようになってから、「おまえらヤクザだな」という声がよく聞こえるようになったとか。「いおり〜〜」
などの、ネタにはしった発言がよく聞こえるようになったとか。)
……結局のところ、シャレ(純粋にゲームとして)として楽しむのが一番なのかな?
弟くん達にテレビをとられてしまった。
おねがい☆ティーチャーだけでなく、シュガーもおあずけになってしまって、鬱。
結局、テレビを謳歌できたのは去年だけか…………。
悶えっぱなし。
もっと、うまくやる方法があったはずだ。もっと感情に来るやり方があったはずだ。 だのに……
コメットさんと(演出のわるのりを感じた)寿蘭は別の意味で、だけど。
結局、3分の1しか音楽の本を読むことはできませんでした。
あのとき、燃え尽きてなければ……または、試験特別貸し出し期間でその日中に返さなければいけないようになっていなければ……今頃は読み終わっていただろうに…………。(CGの本より遥かに読みやすい本でしたし……)
その後一週間で、Modern C++ Designとマルチパラダイム デザインを読む。……これらを買ったときは間髪入れないその発売ペースに驚いたものの、一週間で読み終えてしまったがゆえに何も言えません……。
「最新の研究に基づき、今までのソフトウェア開発における設計・分析をとらえ直した。」、というところでしょうか? もちろん、その中にはJames Coplienさんのアイデアが数多く含まれているわけですけど……
ええと、この本について語ろうとすると難しいですね(独立した文書を作らないとダメかも……)。
共通性と可変性の点からとらえる、1つのパラダイムにとらわれず(例えばオブジェクト指向パラダイムや関数型プログラミングなど)様々なパラダイムを使おう、分析・設計はソフトウェア開発における独立したパートではなく、実装の時のことも考えて行われるべきだ、といったようなことがこの本の柱になっています。
そういった視点に基づく様々な技法の分析は珍しく、かなり参考になると思います。
「オブジェクト指向」や「パターン」に興味のある方は読んでみるべきでしょう。(前著のAdvanced C++ : Programming Styles And Idioms(邦訳:C++プログラミングの筋と定石)を参照してくれ、という部分がいくつかあるのが辛い所。訳本は絶版になっているので……)
こちらは……なんというか、「神の一手」「神の一手に一番近い者の技」を間近で見せられたような気分です(おおげさか……)。
こういうこれまでの集大成を見せてくれるような本を読んでいると、いつもは「様々な人々が積み上げていった足跡(あるいは人の和)のようなものを感じて、思わずはにゃ〜ん
な気分にさせられる」のですが、この本の場合は「様々な技と触れ合うことで、己を高め、技を磨き上げたその姿に圧倒される」ような感じでした。
これはマルチパラダイム デザインで触れられていることですが……コンポーネントであればオブジェクト指向が最良の選択になりますが、汎用ライブラリを目指すのであればテンプレートに分があります(複雑化してオーバーヘッドの大きくなるオブジェクト指向は最悪の選択です)。 ……そういうわけで、使いまわしのきくライブラリが欲しい方や、STLに夢見て(CASEツールも?)パラメーターを組み合わせて組み立てていくタイプのライブラリが欲しい方は、読んでおくべきでしょう。ただし、本の中身を吸収するにはかなりの時間がかかると思います。書かれてあることや、そういった技法を使ったライブラリを読むこと・使うこと自体はあまり難しくはないと思いますが……様々な技法と新しいパラダイムを手にすることになるので…………。
(タプルとか、タイプリストとか、ファンクタとか、コードの自動生成とか……まるで、C++の機能を拡張しているような感じです……)
Modern C++ Designで再三に渡って薦められたので、Exceptional C++を買ってきました。どうやら、こちらの本にもScott Meyersさんの推薦文があるようですね。
さて、Scott Meyersさんと言えば、(いつものピアソン・エデュケーション近刊/最新刊のご案内によると)最新刊のEffective STLの翻訳本が今月発売されるようで……ずいぶんと早いペースですが、きちんと出るでしょうか? SmartDoc公式マニュアルが何度も発売延期されているだけに、ちょっと心配です。(なんか翻訳本は新刊が出るたびに出版元が変わってますね……)
<!--Modern C++ DesignもEffective STLも予想に反して、翻訳本が早く出て来た(来る)ため(JAVA全盛の時代だというのに……言い過ぎ……?)、最近買って悔しい思いをした方が何人かいるのではないでしょうか?-->
そういえば、C++ Primerの第三版について言及しているところを見かけませんね…… (マルチパラダイム デザインも。翻訳前なら見かけたのに……)
……書かないでおこうと思っていたのに、どうしても、書かずにはいられない。
何かしていないとシュガーのことをばかり考えている、そんな自分に気がつく。まるで失われた半身を切望するかのように、求めてやまない自分に気がつく。
そんなふうになるとは思わなかった。2週間ほど放映がお休みだったときでさえ平気だったというのに、たかが一週間見れなかったぐらいで…………いや、放送しているのに見れないというだけで、どうしてこんな風になってしまうのだろう。他にも見れてない番組はあるというのに、この番組だけ。
いつのまにか私の生活にとって、なくてはならないものになっていたのだろう。
1話見るたびに、「日記にどういうことを書こう。どういう風に書こう。」と、頭を悩ませ、なかなか再び寝つくことのできなくなるそのリズムが。 (実際は書かなかったことも多かったけれど……)
ただ、今は耐えつづけるしかない。
……続きを見ることができる、その時まで――
古代図書館に収蔵され、回顧録と猫耳アンテナが無事、復活しました!
おめでとう、お兄ちゃん♥
……そういえば、(こういう形での)報告が送れましたが、更新間隔が中途半端なサイト用あんてな 「ちゃらんぽらん」の一員に加えられたみたいです。……ええっと、確かに不定期です…………。
以下の100質問に答えたので、公開します。
「100の質問を100問集める」ということをやっている人がいるみたいですが、どこかに「100個の100の質問に答えた」方はいるのでしょうか? (もちろん、重複なし)
[情報源 東方不敗]
ちょっと遅い情報ですが、Visual Studio .NET(英語版) の発売が2月13日で、MSDN(ユニバーサル/エンタープライズ)の会員であれば既にサイトからダウンロードできるとのこと。
Visual C++ 7.0 betaのコンパイラのあの不具合(仕様?)は直っているのかどうかが、気になります。 (あるエラーでlokiのコンパイルが通らない。gcc 2.95.3で通るコードぐらい通して…………)
まあ、以前のネストしたテンプレートを受け付けないなどよりは、ずいぶんましになりましたが……
[情報源 C#メーリングリスト]
……と思いながら久しぶりに調べていたら、ソースコードがアップデートされていました。……どこが変わったんでしょう? Visual C++ 7.0対応の準備でもしているのかな? (見まちがい)
<!--サイトを見て改めて気づいたのですが、C++ In-Depth Seriesのラインナップがすごい。これは、そろえるべきでしょうね。-->
今週もやっぱり、悶えずにはいられませんでした。
せっかくよい素材をいくつも用意していながら、それを彩るものの選択を間違えているがゆえの歯がゆさ。
惜しい、なんとも惜しい。魅力的な要素がいくつもあるのに、その噛み合わせが悪くて残念。
今週の分でなんとか失速していた分を取り戻したように見えますが、だからこそ、もっとよく展開できただろうに……と思ってしまいます。
結局のところ、「あとで取り返せるからって、最終話近くで気を抜かないで下さい。」……というところでしょうか?
何はともあれ、盛り上がり直したようなので、来週に期待します。
料理はきちんとできているのに使うべきスパイスを間違えたような、詰めの甘さが気になるところ。
……レオモンの死の扱い方に続いて、樹莉(加藤さん)の見せ方について不満があるわけですが…………いや、「樹莉が夢を見て……」という描写が欲しかったことや、それがないための収まりの悪さを考えると、やっぱりレオモンの死の扱い方に不満があると言わざるを得ないわけですが…………
あの一連の話の流れを考えると、デ・リーパー(かそれに関係するもの)に取り憑かれたときに沈んだ気持ちの延長線上でおかしくなったように見せるよりも、色々なできごとを通して「樹莉の心が救われていく」と見せかけて突き落とすなり、「乗り越えれたように見えたけど、でも、拭うことのできない部分が残っていて……」という風に描写した方が良かったのではないでしょうか?
その方が、お話の明るい部分にまで踏み込んでくる気だるい雰囲気を一掃できたでしょうし(仮にも子供をターゲットとしていることを考えるなら、これは重要でしょう。)、先週の樹莉のセリフを/今週の樹莉の描写をぞっとするものに見せることができたでしょうし………… (暗い中に潜むよりも、明るいところに忍び寄っている方がずっと怖いはず……。)
…………私もあまり人のことを言えた立場ではないけど…………一年前までは物語をみると、感想の代わりに頭の中に浮かんで来る物語を、熱に浮かされるように追い求め続けて、あまり考えずに書いてた私には…………
日記を書くようになって――さまざまな考えを記すようになって、「お話」に対する想いを広げることができた。物語にではなく日記に託すことによって、「お話」に対する受け皿が広がり、「お話」から受け取るものが増えて、受け皿はさらに広がった。 そうしてようやく、多くのことが把握できるよな身になったに過ぎないわけですし…………
かつてないほど深く思い入れれるようになり、自分にとっての良さを見つけれるようになった分、不満を感じるようになったとすれば……それは皮肉でしょうか?
今日のコメットさんを見て、「メテオさんとイマシュンが心を通わせたときに言及しておけばよかった」と激しく後悔。
「最後には憧れの先輩よりも身近な幼馴染を選ぶように、こまった時に現れて助けてくれるコメットさんよりもそばにいるメテオさんを選んだのはなぜかというと……こまった時にだけ現れて助けてくれるコメットさんは、イマシュンに対して人間的な部分を――弱みを全くみせていない。対してメテオさんはそういう部分をさらけ出している。(ケースケには見せている。だから、コメットさんとケースケは心を通わすことができた)…………」というようなことを書きたかったのですが、完全にタイミングを逸してしまいました。
で、今週のコメットさんなんですが……既に素晴らしい感想があるようなので、Shunさんのところへのリンクと得尊さんの感想の引用があれば十分かな、と思ってしまったり……
この電波の向こうでShunさんが壊れているのかなぁ、とか思いつつ。
凄まじいまでの王女としての自覚とプライド。メテオさんはこんなにも成長したのですね(最初の頃は、自覚とプライドの字の大きさが逆だったと理解)。っか、この話みる限り、やはりコメットさんの方がメテオさんの引き立て役なのですけど。
[神の側の人間・得尊の一発や(検閲)日記 より]
(追記しようかしまいか散々迷いましたが、やっぱり止めておきます。)
夢空間への招待状を読み終わったというちゃいちゃんパパ さんに達人プログラマーを薦めたいと思います。
コードコンプリートと対になる本なので、これだけ読んでればいいというわけではありませんが、今のちゃいちゃんパパ さんには「技法・姿勢の本よりも心構え・姿勢の本の方が心にとどくかな?」と思いましたので。(それにコードコンプリートには、多少記述の古いところがありますし…………)
Men's Skirt Club。男性もスカートを着こなしてみよう、という趣旨。
コレクション…なんかでは良くありますよ。メンズのスカート。'98-'99A/Wのコムデギャルソンとか(当時ちょっと欲しかった)。
「女装」ではなく、あくまで男性服としてのスカート、です。
[bubble hour より]
「男物の水着ってバリエーションが少ないと思わない? 女物には色んなのがあるのに。」
(こくこく)
「……もし、新しく加えるとしたら、どんなのがいいと思う。」
「こういう風に(腰の周りで手を動かす動作)して着るやつ。」
「そういえば、そんなのもあったね……」
最近、こういう会話があったのを思い出す。
既にある様々なものを 自分の手で創り出してしまう天才
果たしてそれを――本当に天才だと言えるだろうか
ところで自分は N88BASIC(86) をかじった程度しかプログラミングと言え そうな経験がなくそれ以降は見様見真似で秀丸マクロを書いたり Perl スク リプトのようなものを書いたりと「実際のソースを見て覚える」という一番 やっちゃいかんことを繰り返してここに至った故、 JavaScript も基本的に 「こうしたら動くらしい」という以外分からんつう知識レベルなのです。 よって eval の問題というのもサッパリでして。 DOM やなんかのインター フェースだけ勉強してても、肝心の JavaScript のことを何にも知らないん じゃあねェ……
[Latest topics より]
実際のソースを見て覚えるってのは基本中の基本ではないでしょうか。マニュアルとかだけ見ていても、実際にコードを書かないと訳わからないし、実際のコードでどのように使われているかを見ると、どういう事に気をつけて書いた方がいいかということも実際に学べて良いし。NetBSD とかのソースとかは、まさにそういう目的には最適。
[periodic daily? より]
近藤さんの意見に賛成。ただし、本(あるいはweb上のリソース)は読んでおいた方がいいと思います。
これまでの知識をまとめるいい機会になりますし、良質な本であれば著者のこれまでの試行錯誤がそこに織り込まれています。今悩んでいること、これから悩むことになることは大概誰かが既に悩んでいるので、そういったつまずきを回避することもできます。 これは既にあるものを再び発明するような、いらぬ努力をするな。再発明された車輪は三角かもしれないし、四角いかもしれない。再発明されたものが望み通りに動くとは限らないのだ。
という格言に代表されると思います。
(かといって、私みたいに慎重になりすぎて本ばかり読んでいるのも問題ではありますが……)
以下はコードコンプリートの関係箇所の引用です。
マニュアル恐怖症はプログラマの間に蔓延している。マニュアルは書き方が悪かったり、構成がお粗末だったりすることが多いが、そうしたすべての問題はおいて、紙製品に対する過度の恐怖を克服することで得られる利点は多い。マニュアルには城への鍵が入っており、読むために時間をかけることには価値がある。マニュアルに書いている情報を見落とすことは一般的なことで、ニューズグループやブルティンボードで"Read the !#*%*@ Manual"を意味する"RTFM"がおなじみの省略形として登場している。
近年の言語製品には、膨大なライブラリルーチンが付属しているのが一般的である。リファレンスマニュアルに目を通すための時間をとることは十分にむくわれることである。多くの場合、言語製品を提供する会社があなたの必要とするルーチンの多くを作ってくれている。そうであれば、それらのことをよく知ることが必要である。マニュアルを数ヶ月ごとに読み直すこと。
本での学習に対する手近な経験のソフトウェア開発における価値は、いくつかの理由で、他の分野におけるものより小さいものである。ほかの多くの分野では、基本知識はゆっくり変化しているので、あなたより10年後に大学を卒業した人もあなたが学んだことと同じ基本素材を学んでいるだろう。ソフトウェア開発においては、基本知識でさえも素早く変化している。あなたより10年後に大学を卒業した人は、効率的なプログラミングテクニックについてあなたの2倍も学んでいるかもしれない。古いプログラマが疑いの目で見られるのは、彼らが特定のテクノロジーについて時代遅れになっているというばかりでなく、彼らの卒業後に良く知られるようになったプログラミングの基本概念を知る機会がなかったからである。
(中略)
ソフトウェア開発においては、惰性で進む人は誰でも直ちに時代遅れになってしまう。いつまでも輝き続けるためには、つねに現在にいなければならない。若いこと、ハングリーなプログラマであること、それは強みである。
「来るべくして来た議論」。……みなさん色々と考えていますね……
ええと……極論かもしれませんが、色んな意見を読んでいるうちに思いついた書き方を以下に示します。
<ol>
<li class="question_x" id="qx">
<dl>
<dt class="question" id="question_x">質問</dt>
<dd class="answer">答え</dd>
</dl>
</li>
...
<li class="question_32-to-33" id="xx">
<dl>
<dt class="question" id="question_32">××をどう思います?</dt>
<dd class="answer">素晴らしい。</dd>
<dt class="question" id="question_33">それはどうしてですか?</dt>
<dd class="answer">〜〜だから。</dd>
</dl>
</li>
...
</ol>
ちょっとフライング気味のような気もしますが、Scott Meyersさんの最新刊、Effective STLの翻訳本を入手しました。
まるで恋人と日取りを決めてない約束を交わしたかのように「今日は本が出ているか」と何度も足を運ぶのはいつものことなんですが、本を見た瞬間、ドキっとしました。これはもう本に萌えているというよりは、むしろ学ぶということに対して淫しているのかもしれませんね。
新しい仕様に慣れよう/本を読もう、標準ライブラリを使おう、に続いて、今回の最後の項目は(今後標準に関わるであろう)STL関係のサイトに親しもうというものになっています。……ここでもBoostのサイトがでてきます。やはり、それだけ重要視されているんですね。
……というわけで、(格闘すること2時間)早速メーリングリストに加入しました。
この本の奥付には、(私が見た中では)初めてこういう記述があります。
(株)ピアソン・エデュケーションは、旧アジソン・ウェストレイ・パブリッシャーズ・ジャパン(株)および(株)プレンティスホール出版が統合した会社です。
だからアスキーではなく、ピアソンから出てるわけですね。……とすると、C++ In-Depth Seriesがすべて翻訳されることに期待が持てそうかな? ……でも、Boost Graph Library, The: User Guide and Reference Manualは原書でもいいから入手しておきたいかも。
補足というよりは解説か……
昨日示した書き方はみなさんの意見を総合し、関係性というものに最大限着目してマークアップするなら、こうなるのではないかという意見です。誰もそんなのは望まなかったようなキメラ
ですが…… (私だってそんな(泥沼な)マークアップはしたくありません。だからこそ、極論であると言えます。)
CSS關係者に37の質問の囘答@PC Tipsは、CSS2のcounterプロパティで定義リストの項目の頭に數字を追加してゐます。
しかし、何でもかんでもHTMLやCSSの記法でやらうとする必要はない譯で。
<dt>1.ウェブサイトはいつ頃から作つてゐますか?</dt>、<dt>2.CSSを採用したのはいつ頃?</dt>、と數字を中身に一々書込んでも、一向構はないのではないですか。
[闇黒日記 より]
まさにその通りだと思います。
HTMLはあくまで文書構造を明示するためのものであって、それにふさわしい文書の書き方(スタイル)はあっても、ある文書に対する「唯一正しい構造化の仕方」というものはおそらく存在しません。(星の数だけ存在するものと思われます。)
結局のところ、ブラウザの表現方法に依存しない、(記述者の)意図がきちんと伝わる書き方であれば、どのような形でもよいのではないでしょうか? (あとはポリシーの問題であり、議論しても終わりの見えない宗教論争であると思います。)
<!--リストとして示すのにふさわしいものをリストにすべきであって、何でも彼でもリストにしようとしてはいけない。
という言葉もありましたね。-->
「"オブジェクト要素で別ファイルにある答えを表示する"というやり方もあったね」
「誰かが既に言ってるさ」
「XLinkやXPointerを使うのもありじゃない?」
「だからぁ! そんなこと言ってたらいつまでも引きずることになるから、やめろって!」
「…………おにいちゃんのいじわる……」
Perlはスクリプト言語寄り,Rubyはプログラミング言語寄りという印象を受けたのは正直なところだ.
それはコンセプトの違いによるものではないかと。Perlは書いて動かしてプログラミングの楽しみを見つけるというところに重点をおいてるのに対し、Rubyは分かりやすさ簡潔さがプログラミングを楽しくするというところに重点をおいているわけですし…… (Smalltalkerとして有名なKent BeckさんもRubyには一目置くらしい)
PerlやRubyと並べて語られることの多いもう一つの言語、Pythonは3D方面では重要だとか……
ところで私はWindowsな人なんですがどーにかせめてDOS窓程度で動いてくれるRubyはないんでしょうか.cygwinなら動いてくれるみたいなんですけどあれどうにも使い辛いし.贅沢言うなってか.はう
Ruby Entry Package for Win32じゃダメですか?
私もcygwinを入れるのがめんどくさかったのですが、RWikiに興味を持ったとき、RDtoolが展開できなくて泣いた覚えがあります。
(追記:Ruby Entry PackageにはRDtoolが含まれているため、最新版を使うのでなければわざわざ展開する必要はありません。)
MacであればRubyCocoaというものもあったり…… (いえ、ほかにもGUIはありますが……)
……そういえば私も(C++のテスト環境のために)Rubyをきちんと習得しないといけませんでした。春休みのうちに身に付けることにします。
達人プログラマーも毎年少なくとも一つの言語を学習する
ように提案していることですし……
[引用は1つを除いてWayne's Diary より]
テンプレートマンセー。 そんな私には、Lokiがコンパイルできるくらいきちんと仕様に対応しているか、STLはどんな実装か、Win版C++BuilderのATLやWTLは.NETと同じモノかが気になりますね。 (……使い方あってる?)
追記:マルチパラダイムデザインについて言及しているところを見つけたので、(C++関連ということで)ここにリンクしておきます。 オブジェクト指向をろくに理解していない人間に"オブジェクトを超えたもの"という言葉を見せると拒絶反応をおこされそうですが、オブジェクトの限界・他のものと比較して…といったものを知ることはオブジェクトを知ることの近道になると思います。
今日の日記は最初の項を除いてただのなぐり書きです。それでも読みたいという方だけどうぞ。
これに加えて語れることは、おそらくないだろう。だけど私は語りたい、私の考えを私のために残しておきたい。
きちんとそれぞれに見せ場があり、これ単体として見るならば良いできだったと思います。
ただ、最終話にふさわしいものであったかと聞かれると疑問符が。 全体に対する結びつきが弱く、話を総括するものにはなれていなかったと思います。
原因ははっきりしています。今日になってようやく気づいたのですが、どうやら全体としての完成度よりも、1話1話の完成度を優先させていく
手法を使っていたようですね。これを使うと1話1話をドラマティックに見せることはできるのですが、その分全体としての構造は崩れます(場合によっては破綻します)。……通りで、噛み合わせが悪く感じたわけですね。
なまじ完成度が高かっただけに、裏目にでたとしか…… (アギトはミステリアスな雰囲気と謎を前面に押し出してきただけに、最悪の相性だったと思います。テレビである以上、尺が限られているわけですし……)
とはいえ、一年間楽しませてもらったのも事実。感謝します。
期待通りの内容。これまでインプモンを描いてきたのは、まさにこの話のためにあった。
自らの居場所を取り戻したインプモンはその状況に甘んじてもよかったはずだ。だけどインプモンはそうしなかった。インプモンは自分に想いを向けてくれた相手のために戦うことを選び、そしてそのことが1つの奇跡を起こす。……それはこれまでを受け入れ肯定したインプモンに向けられた、祝福だったのかもしれない。
100の不満足も1の満足にはかなわない。ルキ、レナモン、インプモン、そして大人達と世界観の描写が秀逸だからこそ、それ以上のものを期待してしまう。良いものであれば良いものであるほど、それ以上に良いことを期待してしまう。だけど、何もそうである必要はないのだ。何から何まで完璧である必要なんてない。きちんとした作りでなおかつ良いところをできる限り引出せれていれば、それで十分なのかもしれない。
ふとそう思った。
前回とあわせてきちんと押さえるべきところは押さえ、全体をまとめ上げて見せた、まさにお手本ともいうべき最終回。
アギトと比べると、余計に「全体の中の位置をきっちりと考えて作られていたんだなぁ」と思えてしまう。……だとすれば削られた9話は、メテオさんをより深く描写するための、それに呼応するかのようにコメットさんの描写も深まり、周りの人々もより精緻に描かれていくための話だったはず……もったいないなぁ。
「あの後コメットさんとメテオさんはどうしたのか」ということを考えると、色々想像が膨らむ。コメットさんとケースケは間違いなく二人で過ごしていくのだろうけど、メテオさんはどうするのだろう? イマシュンの元に戻るだろうか? それとも別の誰かを見つけて、また一つ恋をするだろうか? 王子も今度は積極的に二人に関わっていくだろう。しばらくは修行のために姿を隠すかもしれないし、タンバリン星国の捜索隊から隠れながらかもしれないけど……積極的に二人に関わっていって、自分の目で二人の良さを確かめるだろう。 そうやって考えてみるとときりがない――そう考えられるだけの余地のあるラストだった。 物語の中でどちらが正しいとはっきり決めてしまわない、そういうスタンスも大切であることを改めて見せつけられた。
素敵なお話、ありがとうございます。
サガに萌える人でなければアウト
ってことはないと思うんですけど……いつも主人公萌えな私が、この作品の主役であるサガとシュガーに萌えていないにも関わらず、見ないことで禁断症状を起こしていますし……
『シュガー』を見れないことによる反動が大きくでている。 試験期間中だというのに、全然勉強に手がつかない。どうも頭がすっきりしない。頭の中で『シュガー』のOP/EDが、シーンが、再生されっぱなしだし、前と違ってネットにつながないことに耐えられないし、日記を書きたくて書きたくてどうしようもない。内部にあるもの全てを吐き出してしまえと言わんばかりに、その衝動は収まりそうもない。いつもならこういうときに書きたくなるのは小説なのに、それにも増して日記を書けと訴えかけてくる。
少し考えて、その理由がはっきりする。私は『シュガー』に大きく惹かれているけど、それ以上にサガとシュガーの二人に大きく感情移入しているのだと。萌えではなく、別の想いで。
だとすると、私の返答は不当なものだ。
サガは多分、私の理想の姿だ。亞里亞にはなれず、千影にもなりきれない私が被っているペルソナの、理想的な形だ。サガは多分私と同じで、「
MK2さんが書いているサガのイメージも、それが無意識によるものであるのならば、やはり、私に近いのだと思う。
一方、シュガーに対しては成長を見守る親のような気持ちだ。EDとの相乗効果が非常に強くて私を打ちのめした、あの「ゴメンねがいえなくて」を見たときも、その次の話を見たときも、親のような気持ちでただ見守っていた。 (そんなこと考えていると、地球でメテオちゃんを養っているあの老夫婦のことを思い出すわけだけど……)
……書いてみて、胸のつかえがとれました。おそらく、これを書くためにここ数日日記を書いていたのだと思います。(書きたいこと、書くこと、読ませたい相手がかみ合ってなくて、ただ無我夢中でした。) きっかけをくださったMK2さん、ありがとうございます。
"うまくやったな"という感じ。
誰も日記にリンクしてくれません
から始まったこの現象自体は忘れ去られてしまうかもしれない。だけど、こうして文章を書いている誰かがいるのなら、読み返すことで「そんなこともあったな」と思い出すことができる。誰かの記憶にとどまることができる。
私はありみかさんやお兄ちゃん♥、しのぶさんなどの特定の誰か(もちろん何かについて言及しているのであればその相手。自分のためだけに書き記しているものもある)に見てもらいたいという気持ちの方が強くて、誰でもいいから見て欲しいという気持ちはよく分かりませんが……読むことでいい想いをする人をより多く作るためにリンクして欲しいというのであれば、その気持ちはわかります。 (読むことで幸せになる誰かがいるのであれば、それはとてもうれしい(幸せな)ことだと思います。) いや、むしろその気持ちを素直に出せることが羨ましい。
私自身も可憐のアンテナに捕捉してもらえたらうれしいなとは思うものの、申し込む勇気はありません。
捕捉してもらうこと自体はそう難しいことではないかもしれませんが、捕捉してもらったことに対して私が返せる「何か」を持っているという自信がないから。可憐のアンテナに登録されている日記から貰うたくさんのものに対し、返せるだけの何かをもっていないから。他の誰でもなく自分に向けられた言葉。だから、響く
というようなことを聞くとき、私は羨ましくなる。過去の私は確かにそのようなものを持っていただろう、でも今の私を語ろうとする限り、そこからずっと遠くなる。……いや、もとから壊れていたのだ。誰でも好きになるし、好きになった相手を滅多に嫌いにならないし、嫌いになってもそのことを忘れ去って翌日には好きというスタンスで接してしまう。時間を経るごとにそれは酷くなっていく。終いには何もなくなるかもしれない。自分に残しておくべきことが、読み返すことで「ああそうだったな」と思えることが何もなくなるかもしれない。いや、決して痴呆症とか聖人とかいうわけじゃないけど……むしろ、ただ壊れただけのガラクタだ。自殺しようと考えていた頃、死ななかったことで「ああ、まだ死なせてもらえないんだ」と悟った時、あの頃ちゃんとした日記を書けていればよかったかもしれない。でも、どこかで私は変わってしまった。あの頃のそういう日記が残っていたとしても、ただ納得できないだけかもしれない。
「どうしてあんなことを思ったのだろう?」「どうしてあんなことを書いてしまったのだろう?」――そう思っていても消してしまうことができないような、訂正することの方が間違っているようにしか思えなくて尻込みしてしまうことがあります。
もちろん間違えであるのなら「間違えでした」と追記してしまえばいいんですが、おそらくその時の気の迷いから書いてしまったものについては「気の迷いでした」とか「錯乱していたみたいです」という風に書くこと自体が、その時の思いへの冒涜としか思えないことがある。(こういったことをわざわざ書いているのは、今月の文章の中にそういったわだかまりを感じずにはいられないものがあるためです。)
不意にその理由に気づく。ある日の想いを綴ったものとしては間違いがないにも関わらず、読み手を意識した結果取り下げないといけないと思っていたことだからだ。(今回話題にしているのは読み手を意識して書かれた文章であるため、そこに矛盾がありますが……)「自らをさらけだし想いに忠実に綴っていくことが日記の本質であるとするならば、他者とのコミュニケーションのために自らの思いを内に秘めさせてしまうといったWeb日記の持つ性質は、本質に対する侵犯ではないだろうか?」……とかその辺りの論争はどこかで行われてそうな気がしますので深くは突っ込みませんが、「下手な訂正等でその時の想いに定まった解釈を与えてしまうよりも、その時の姿で刻んでおいてありのままのものを振り返りたい」というそういう想いがあるのは確かです。
(何か言いたかったことが違うような気がします。)