星の贈り物

何かが決まるわけじゃない
決めていくのは結局私たち自身なのだ

2004年1月の日記

2004年1月1日

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今年も読んでくださっている誰かの何かに訴えるものがあれば幸いです。

……去年ぎりぎりになって最後の挨拶をし損ねたので、ここはきちんとやっておかないとというわけで、しっかりとした文章ではありませんが忘れないうちに挨拶をさせていただきました。

初詣。知らないところを歩くことに昔ほどの印象を受けなくなったことに気づく。とあと、相変わらず土地を点と線で認識していることを思い知らされる。外で遊びまわるようなことをしないと、同じ道ばっかり通ってなかなか別の道に行こうとしないのもあるのですがどうもそのあたりの認識がいいかげんみたい。今はもう憶えていませんが、そのせいで小さい頃案内された友達の家への道は塀の上を歩いていく行き方しか分からなかったんです……。そんなことを不意に思い出してみたり。

聖魔の王 (2)

[topic:創作、小説]

「泣いている女の子の願いを、どうにかして叶えたかった。」

読み上げる言葉が心に突き刺さる。

違う。無力でどうしようもなくて、そこから逃げ出してしまいたかったのに、逃げ出す事さえもできなかった。だからしばらく…………ずっとそこから動けずにいた。

「当てもなく駆け出す、ただ女の子の願いを叶えるために。」

…………そして二度と戻って来ないつもりで駆け出したんだ。

「どこまでもどこまでも駆けていくつもりだった。だけど最後には力尽きて、息を切らしてその場に倒れこんでしまうことから逃れようはなかった。

草を手に掴んで初めてそこが原っぱであったことを思い出す。気づいてはいたけど、それは今走っているところという認識でしかなかったから。空を見上げて星々に目を止める。行かなければならないのに、体が言う事を聞かない。そうして段々と時が過ぎていく。」

体じゃない、気持ちがもう動かなかった。いっそのこと時間が過ぎていくにまかせたかった。全てが終わって、それから戻ろうとさえ思った。

「しばらくして、近くでこちらを見つめているものがいるのに気がついた。溢れ出す光のような長い髪と吸い込まれるような闇のような瞳の、人の姿を象ったもの。」

……あれの姿は心に灼きついている。今ならあのときよりももっと的確に語れると思う。中性的なものを切り分けるのが難しいように、どちらが光とかそういう風に分けて言えるようなものではなかった。どちらもどちらにも取りようがあった、そんな深さを持っていた。見るものの向きや心によって色を変えるという認識の誤りを犯しかねないような、そんな深さを持っていた。

「人の姿を象ったものは告げる、『お前の願いを叶えよう。』。」

「願いなんかいらない、とそう答える。『僕は願いを叶えてあげたい。僕は願いを叶えてあげたい、ただそれだけなんだ。願いを叶えてあげて、幸せな顔を見ることができればそれで十分だから。』」

どうしても越えられない壁がある。あの二人の中には入っていけないことは分かっていた。それは例え願い事を本当にすることができても、手に入れることはできないもの。……だからせめて二人の幸せを守ろうとそう決めた。だから願いを叶えることができるなら、それは僕のためではなく二人のためにある。

「『……ならばお前に私そのものを与えよう。これは容易なものではないぞ。』

いつのまにか眠っていたのか、目が覚める。夢だったかもしれないのに、願いを叶える力が手に入った、そういう確信があった。夜空……まだ朝はきていない、間に合う。」

「無事全てが終わった後、この出来事を女の子に聞かせた。女の子は言った、『みんながみんなの願いを叶えてあげることができるなら、世界は素晴らしくなるよね。』」

あの頃の僕はそれが正しくはないことに気がつかなかった。

ノートが閉じられる。今まで読み上げていた、あの時聞かせたことがそこには書かれている。美化されているし…………全部伝えたわけじゃない。でもこれはナターリエが知らなくていいことだ。

そう、知らなくてもいいし、ナターリエにとってそうであるならそうでいいじゃないか…………。


2004年1月5日

泣き言禁止


2004年1月9日

…………なんでいつもいつも試験など重要な時に限って間に合わないんだろう? 私は本当に時間には弱い、って続けていると愚痴っぽくなりそう。私の部屋でネットゲームをプレイされて邪魔されていることが一因となっているとはいえ、人生をダメにされそうな被害者として取り上げられるのも嬉しくないし。おまけにこっちは中学校だったか小学校高学年だったかバカって言われるだけで泣き出してしまったくらいバカって言われるのに弱いのに、最近になってすぐバカバカ言うのが口癖になったせいで…………。もーっ、自分の非なら認めるけどバカって言うなー! …………泣き言禁止。 (蛇足:と、ここまで書いた後しばらくして、どこかで聞いたことあるなと思って思わず検索してしまう。……こんなことしてしまうところがバカなのかな……。どこで聞いたんだろうね?)

時間への弱さについて考えてしまうそういう時「ほら、早く準備して。もうすぐ出かける時間だよ。」、って優しく呼びかけてくれる人がいればいいのにと思うけど、実際には想像で思うほどうまくいかない。時間的な都合はさておき、この想像上の関係は維持する努力がなければ崩れてしまうからだ。呼びかけを鬱陶しく思ってしまうことがこれを非難がましいやりとりに変えたり、呼びかけられることを予め封じてしまうために時間を知らせなかったり等、そんな理由で崩れてしまう。でも、だからこそまずまず実現しないようなその状態に憧れるのだろう。こういうことを考えて一日を過ごすと、そこからそれるような行動を取ってしまった時、ちょっと後悔する。

……こういう話は過去何度もおこなわれているけど、それでもあえて自分の手を通して語りたくなるそんな日も多分あるんでしょうね。


2004年1月13日

よくよく思い出してみると見たことがある、って一ヵ月以上もたって言い出すのはさすがに遅すぎでしょうか。引出しが開いているときには早いけどそうでないときには本当にゆっくり、という自分の性質とは長年つきあってきたから今更嘆くほどではないけど、それでもそれを惜しく思ってしまう部分はあります。

一日中ぼーっと TV を見て過ごすってどんな感じなんだろう。小さい頃 TV を見て過ごすことを禁じられていた身としては、そういうのは良く分からない。レポートが煮詰まってどうしようもなかったので、ゆっくり過ごしたお正月。本もほとんど読まずにゆっくり過ごしたためか、夕方には本当に一日の終わりを肌で感じた状態でした。その一方で、パソコンが何かの処理をしている間中、例え本当に時間がかかることだとしても、なぜかそれを鬱陶しく思うこともなくじっと経過を見守ってしまうんですよね。……何もせずに過ごすことに慣れていないんだか、慣れているんだか……。

……やっぱり、その時の状況次第なのかな? 実のところ一日中何かを思い巡らせて過ごすときにはそんなことを感じないことを思い出しました。TV に関しては、たまたま見るのでなければ目的を持ってを見るものだというそういう意識があるためなんでしょうね。

動作の設定とパフォーマンス

[topic:ソフトウェア、プログラミング]

色々と思うところがあって、local で Apache を使い始めてみました。設定ファイルが冗長でなぜそれが分かってないと思うところが多いですね。設定ファイルとして書いておくことによってドキュメントとしての役割も果たすという意見があるかもしれませんが、望ましい動作は「多くの人がそうするものやそうした方が使いやすいものをデフォルトとして、Boost.Build のようにデフォルトの振る舞いを環境設定(変数)、設定ファイル、コマンドなどソフト使用時に与えるパラメーター、の順番で上書きしていく」というやり方を取ることにより、書いても書かなくても問題ないようにすることだと思います。

ただこういう仕組みをテンプレートやマクロライブラリとして用意しておかないと、パフォーマンスに負荷を与えずにこれを実現するために相当に面倒なプログラミングが必要になりそうなの問題ですね。パフォーマンスを向上させるための設定などが紹介されているところなどがあることを見ると、パフォーマンスはやはり重要な事項でしょうし……。


2004年1月15日

無意識に探していたものが見つかったり、考えもしなかったようなことを気づかされたり……そういうものは私ができあがるためにたくさん重ねていく。でも、自分のために贈られたようなものはめったに見つからなくて、人によっては一生に一度出会えるかどうか。それはその時思うだけではなく、移ろわずこの身に抱えていくものになったとき本物になる。

…………私もいつかそんなものに出会えるだろうか? それともこの手で生み出すのだろうか? それとも、既に出会っているのに気づかずにいるだけだろうか?


2004年1月19日

自省に導いてくれたその言葉に感謝します。……それでも私の言葉が拙くて真意を伝え損なってしまったのかもしれないと考えを引きずってしまっているのは、滑稽かもしれませんが。


2004年1月21日

やらなければならないことだったのかもしれない。高校生のあの時、出会い損ねていたのは幸か不幸か。最近そういうのが多い。

取れたかどうか気にはなるけど、それ自体は些細なことです。余裕で構えることもあれば、日記を書き綴るに従って追い込まれざるをえないその原因のようなものが見えてきた、自分の問題の核が掴めたかもしれないという事実の方がもっと大きいのだから。

今月のいくつかの文章と同じように、Web に挙げた後にそういう自分の態度を後悔するだろうけど、それでも書かないわけにはいかない。……多分、視線を意識してしまったそれらとは違って、散々文書を弄ることはないだろうことを確信できるだろうことだけは救いかな。

心理学に触れなければ、私は知ることはなかった。虐待の部分について触れていると結構辛い。兆候や症例の部分に結構思い当たるふしが多いから。例えば、無差別的愛着傾向というのは、見かけ上の愛着で、特定の人に愛着を示すのでなく、人々に無差別に強い愛着を示す傾向である。通常、子供は愛着対象と離れることに対し不安を生じるが、この無差別的愛着傾向は、分離に対する不安反応が欠如しているとか。多分、シュガーの時以外はこの例外になっていないと思います。……そうじゃないと思っていたんだけど私は虐待されていたのかな。小学校のとき、家で虐待で、学校でも先生から虐待(少なくとも周りからはそう見えていたらしい)で、いじめられてもいた。よくそんな状況で……

家族の少しずつ感情が出てくるようになったという感想や、喜びと悲しみの感情が最近になって出てくるようになったおかげでうまく扱えない、というのはやっぱり錯覚ではなかったんですね。私の抱えている問題が克服可能か、それとも一生つきあわなければならないのか、診療を受けてみた方がいいのかな?

周りのものがようやく少しずつ分かってきているせいで、自分の中になくて何も思えないこと。思えないから、思ったことを書くことも言うこともできないことについても書いてみるつもりでしたが、やっぱり書けない。もどかしさすらも存在しないから、書くものがないみたいです。


2004年1月22日

本屋で偶然例の2号が売られているのを見て、「ああ本当に週刊だったんだ」ということを実感しました。

皮肉ではなくとか、厭味ではなくという表現を見ると、皮肉や厭味が使われすぎるせいで損しているのではないかとふと思う。文脈上明らかにそうであるようなところ以外でも使われてしまうせいで、素直な気持ちが皮肉や厭味だと思われ兼ねないのだ。せめて自分だけでもどうにかしようと頑張っているつもりですが、果たしてどうでしょうか?

同じものを共有できるなら、プロトコルが一つである必要はない

[topic:User Interface、プログラミング]

Wiki の文法の標準化の話そのものについてすぐ書く気になれなかったのは、結局のところ私の Web に関する論文で述べていることそのものを繰り返すに過ぎない可能性があったからかもしれない。

念のために書いておくがDSSSL自体はSGML文書として定義されているし、次に述べるようにXMLに比べて遥かに記述しやすくインデントが適正におこなわれているなら読みやすい。ここでの問題は様々な記法を認めたことではなく、(変換ツールを用意もせずに)ある文書に対し特定の記法を用いるように強制したことによって、様々な記法を学ばなければならなかったことにある。

こうした問題を解決するより良い方法は、エディタの側で文法の相違を吸収してしまうことです。変換サーバーでも構いませんが……。そこにどのような記法が存在しようと、自分の好みの記法で全てを扱うことができなら何の問題もありません。画像ファイルの表示ができない、ページ内のリンクができない、といった根本的な問題でない限り Wiki 間の差と言うものは些細なものです。Script を置きたいという欲求があるのでなければ、HTML が書ける書けないといった問題も記法上の差異として吸収することができます。同様に Wiki 上に何かを描いておきたいという欲求も Wiki 上で(あるいは少し不満があるでしょうけどリンク先に)画像ファイルを置くことができるなら、手元の画像を作成するツール(お絵描きソフトなど)を使えばいいと思うように相手を導くことで解決することができるでしょう。Web は物理的な世界とは違い、ソフトを使うことで様々な差異を吸収することができます。誰もが同じものを使う必要はありません。(現在のところ視角障害を置いておけば)違うものを使っていてもあたかも同じものを使っているように見せることは可能なはずです。 ソフトウエアの拡張は、機能の上に機能を積み重ねることによってではなく、 追加の機能が必要であるかのように思わせている制限を取り除くことによってなされるべきである ことと、問題の抽象化は、問題を意識しているものの意見の最大公約数によってではなく、問題を発生させている真の原因に着目することによってなされるべきである、ことを忘れてはいけないでしょう。

Sxmlcnv のように SXML 文書中で ,(unquote) や ,@(unquote-splicing) などを使うだけで書いておいたプログラムを使用できるといった言語ユーザーを強く意識したツールに慣れてしまったものにとって、Servlet など Embedded の XML 内にタグを書いてスクリプトを埋め込むというやり方は気持ち悪いのですが、やっぱりこれもエディタの側で解決するべきことなんでしょうね。

ついでに、プログラミング言語間のコードの共有について、少し思い直したことを書いておきます。命令型の記述が monad で、オブジェクト指向が existentional qualified type (存在量化型) で表現できるように、あるプログラミング言語の機能が lambda-calculus (計算論・意味論) として表現可能であるならば、それに基づいて解析をおこなうことで表現力を損なわずにそのプログラミング言語から別のプログラミング言語へとコードを受け渡すことは可能そうですね。少なくとも理論上は。間にトランスレーター(変換機)が必要になってしまうのが難点ですが。データとして受け渡しに使用される言語は、できるだけ表現力が高いものが良いでしょう。


2004年1月23日

Piro さんが言っていたのは特別なことができるクレバーな人たちがより高度な事に専念できるよう、僕のような人が単純作業に従事して彼らの足下の草を刈っていく、これもやはり「貢献」と言えますということでしたか。すると、「世界が悪いのなら変えてしまえばいい。口で悪い悪いと言うだけでは何も変わらない。行動によって示さなければ相手の視界に入らないからだ。例えば政治でも選挙で投票するだけでは不充分で、団体を組むことによって選挙に影響することを実際に示してやる必要がある。ただし、これには外部との連携や絶えることのない対話が必要とされる。特定の事柄・利益だけを求めて行動し続ければ、組織は硬直化・変質し、本当の問題を見失って相手のシステムの内部に取りこまれてしまう危険性があるからだ。不況による会社の危機を理由に有名無実化されている労働組合のように。このため"日本には本当の意味での民主主義は未だ成り立っていない"という声もある。」というような話は的外れなわけですね。(この繋がりで、 essa さんの発言がだんだんウォルフレンに近づいているので、いつの人間を幸福にしない日本というシステム (Amazon) などの著書を持ち出すのか楽しみにしているのですが……)

その主張はレポートに少しだけ書いたオープンソースを一種の EMS と見なすこともできるのではないかという考察に近いですね。

面接と人事に関しては……そこがきちんと機能しているかどうかで企業を推し量れるはず、と言っておきます。……経営の他の部分と同じように、本当にきちんと機能してかどうかって話になると疑問符がつくわけですが……。

戯れ言、あるいは発想の転換

[topic:戯れ言]

ふと「こんな考え方もあるんじゃないか」と思ったことを書きとめてみたのですが、ずいぶんと微妙なアイデアもあるし、書くのが遅くてこれだけ書くのにかなりの時間を使ってしまうので、あまり良いスタイルではなさそうです…………

ネットでの評判とライトノベルの売上げの議論。どうも短期的に火のついた状態が意識にあるせいで、短期的に売り上げるモデルと長期的に売り上げるモデルを区別していないという問題があるような気がします。……もっとも、短期的に売り上げる方が売上は良くなり易いのですが……。

人口が増える事でウィルスに繁殖しやすい状況を与え、結果としてウィルスの毒性を弱める飼いならしと、複数のウィルスに感染する事で発症の妨げとなる相互抑制、これを人と動物、動物と動物間まで広げれば、理想的な共存関係が築けるはず……って研究している人いそうですね。そのバランスがどうやって崩れるか? 崩れたらどうやって回復させるかまで研究するのが肝ですが。

自衛隊と憲法の矛盾って、憲法を変えることで刷り合わせる方向にいくのではなく、むしろ自衛隊の実を変えてみてはどうでしょうか? 『沈黙の艦隊』のように国連軍に委譲するのは無理だとしても、国際的に働きかけていくことによって自衛の必要性をなくすことを視野に入れるなら、自衛を主から副に替えて武器を減らして軍事的な側面を軽減し、公共福祉組織にしてしまって、「なお、世界の情勢が安定し自衛の必要のない状況が実現された暁には、憲法九条の精神に立ち戻り、他から見て軍備と見えるような側面を一切放棄するものとする。」という条項を入れてみるとか。

道路公団民営化って、高速道路の通過点によっていまどこにいるか把握できるという強みを生かし、鉄道などとも組んで、荷物輸送(物流)の最適化を図る求荷求送システムをやってしまうのが一番儲かるような気がしますが……。


2004年1月27日

突飛な意見を叩き潰すことなく、育てれるよう導くのは難しい。特に論拠が奥底で眠っていて、相手がすぐには引き出せない場合には。聞き上手になりたい。電波で終わるか、優れた考察への道標となるかは、それに対する私たちの態度次第かもしれないのだから。

xyzzy による Interface のアイデアの検討

[topic:User Interface、xyzzy]

しばらく見ていないうちに xyzzy に面白い拡張ができていました。例えば refe.l、これはヒューメイン・インターフェース (Amazon) の半透明メッセージ・ボックスのアイデアを実装したものです。ただし。枠だけクリック可能にというようにしていないのが残念。(私は ReFe ではなく href で使っています……) 実際に実装して試してみると、あのアイデアをどうやって取り扱うべきなのかがよく分かります。本には徐々に消去されていくというアイデアが示されていましたが、リファレンスの類でそれをやると見たい表示が消えていってしまって使えないため、何もせずに 30 秒放っておくと消えるというだけのインターフェースになっています。エラー・メッセージに使うとしても、同様の考慮点はありそうな感じですね。

Wiki シリーズとして howm がかなり良い線までいっているのですが、あと一歩足りない感じ。特定フォルダ(ディレクトリ)内のファイルしか Wiki のリンクを使えないというのは、hogewiki のようにどのファイルからもリンクを張れるというものを利用していた身からするとちょっと物足りません。もちろん、コマンドを入力するか hown-mode を特定のキーかメニューに結び付ければいいのだということは分かっていますが、ここで悩む人は結構いると思います。デフォルトにしたらしたでキーバインドの部分に罠が潜んでいるので、きちんと文書化しておくのが正解かもしれませんね。もう一つ、ここまで来たら複数の Wiki 間の差異を吸収するエディタの役割も兼ねて、エディタから好きなときにアップロードできるようにすることで、内外の Wiki の区別をなくしてしまいたいですね。

関連リンク

2004年1月28日

キャラクターの魅力を引き出す一瞬の演出について。足をちょんちょんではなく 踵ちょんちょん と書いてあるのを見ると、私はどうしてもカードキャプターさくらの靴を履きそろえる方を思い出してしまいます。とはいっても、あれはそういう意図を込めたカメラーワークの勝利でもありましたが。あれが私にとっての原体験というのは、世代の違いなのでしょうか?

(追記:爪先と言った方があってるかも……。)


2004年1月31日

何らかの文章を書いてしまうと、そちらの方で発散されてしまって、創作の方が全然進まなくなる。かといって、書かなければ創作が進むかというとそうでもないし、何らかのアイデアやアイデアのもととなるかもしれないこと、そのとき考えたことは書きとめておきたい。……ジレンマ。

時空の放浪者 (7)

[topic:創作、小説]

言葉は同じでもその意味は違う。

「ここについて詳しく教えて欲しい。」

「ここの使い方ならもうすぐ……」薫流の言葉を遮り、男は告げる、「そうじゃなくて、ここについて知っていること全てを教えて欲しい。」

「どうして? ここは通り道でしかないのに、ここについて詳しく知ってどうするの?」薫流の言葉を肯定するように、静流は首を振る。

「それとも、ただ単に使い方を教えるだけでなく、仕組み……じゃないけど、それに関わることも説明して欲しいってこと? ……それなら、大丈夫。分からなくていいと思ってないから。」

男は首を横に振る。「全てを教えて欲しい。分かることがあるなら、今のうちに分かっておきたい。何かの役に立つかもしれないだろ?」

「焦ってない?」

「焦ってないさ。」落ち着いた声で返す。

「……私の知っていることを教えてもあなたの理解には役に立たないと思う。枝の上に生まれてくる葉や実は違うものだから、それのつけ方を教えることはできない。……あなたが分からなければ知っても意味がないの。私たちの分かり方とは違うから、あなたがどう分かってないか分からなければあなたに分からせることもできないし。」

「それに……そのうち分かりそうな気がする。」静流がただ一言続けた。

静流にはほんの少し分かることが理解への道標に感じられた。男にはほんの少し分からないことが絶対の隔たりであるように感じられた。そういう違い。

それをよく知っているような気がするのに、分からない―そのことに静流はわだかまりも何も感じることなくただ事実として受け入れたのに対し、男は分からないことを解くべき呪いのように感じている、そういう違い。

薫流は首を横に振る。「今は使い方だけで我慢して。」

「そうか。……残念だ。」男はそれでも落ち着いた様子で了承してみせた。

それから三人はなんとなく口を閉じて、静かに待ちつづけた。重くはない。二人には待っていれば何かが起こるというそういう予感があったからだ。

ただ静かに。静かに。

鐘の音が鳴る。

「時間よ。」薫流の動きに他の二人が従うのを確認すると、薫流は歩き始める。

薫流が連れていった先には、美術館のような装いの映画館があった。入ってすぐのところに飾られた絵には、手のひらにすくった血を優雅に啜る、機械仕掛けの翼を纏った貴族のような吸血鬼の姿。だけど禍々しくはなく、全身から殉教者を思わせるような美しさを漂わせていた。部屋を彩る 骨董 ( アンティーク ) の調度品に、その姿が映える。

そして、その絵に雰囲気を合わせるように建物の内装は整えられていた。他にも映画の内容を示すための絵が数枚、残りは全てそれらを引き立てるための絵で固められている。

「その絵を頭に焼き付けておいて。うすうす気づいているでしょうけど、ここは強くイメージした所へと送ってくれるの。ここに縛られていなければそれだけ、強くイメージすることで目的のところに渡ることができるわ。」

その言葉に二人が従うと、三人が今いるこの雰囲気の中によりしっかりと存在しているように感じるようになった。

「ここにとって異物である私達は、ここに自由に影響を与えることはできなくて適切な部分に配置されるだけだけど、だからこそ、その作用を純粋な移動の手段として利用できるの。」

そして、座席につく。

「この映画館に着たのは、より目的のイメージを正確に把握するため。情報量が多ければ多いほどより伝わることが限定される、逆に言えば物事を限定するためにはより多くの情報を必要とすることは知っているでしょ?」

「うん。」「ああ。」二人は頷く。

「映画を強く意識して。映画の中が目的地だから。」

そして映画が始まった。


声なき言葉へ