星の贈り物

言葉が多義性を持つことは避けられないことであるが
多義性を持ちうる言葉を使うことは レッテル貼りに貶めてしまう大きな過ちかもしれない

2004年2月の日記

2004年2月3日

ついに長年の懸念事項だった「ネットまたはネットゲームでパソコンが占領されていた問題」が解決しそうです。パソコンを買っておきながら、こっちのパソコンを使えない状態にしておかないと掃除をなかなか始めないものだから、設置まで 4日かかりました。解決しそうというように表現しているのは、もう一つのアカウントを有効活用するためにもう一台使いたいというようなことを言っていたためです…………

もう一つの、去年の夏から LAN カードから抜けなくなっていたケーブルがようやく抜けた方は、素直に喜べます。

さらに、ずっと暖めていたいくつかの朧げなアイデアが結びついて一つの姿を見せたのも嬉しい。まだ矛盾しそうなものとの調整が残っていますし、それをきちんと描ききれるだけの筆力があるという保証はありませんが、最初に書いたものは不完全なもので書いた後で修正しなければならないということは分かっていますし。

一年違いずつというわけではありませんが同じ季節にできた問題がどれも進展を見せるとは、なんか因縁めいた物を感じますね。


2004年2月5日

何日か前、「レジをやっていて、商品券やサービス券が色々ありすぎて把握できないからいちいち聞くしかない」、という話を聞いて思ったことを書いておきます。似たようなアイデアは見つかるため、多分誰かが先に言っているでしょうけど。

一番良い方法は何らかの方法で機械に処理させるというやり方でしょう。券に IC タグをつけるか、それとも画像認識をさせるかはやる方に任せます。話の場ではそういったアイデアは出てこなくて(読み取れるようにすればいいというぐらい)それができないならどうすればいいかという話になり、携帯を使えばいいのではという話になったものの、客に遊んでいるように思われて良くないという意見により、せめてカメラ付き携帯が出たときに真っ先に導入するのが店であれば良かったんだろうなという結論に落ち着きました。一昨日、カード型(のカメラ付き)携帯を中国市場で販売するという新聞記事を見ていて、改めてレジに設置すればいいんじゃないかと思わせられましたが、実際にはペースメーカー等の考慮から PHS でなければならないというような制限やコミュニケーションのうち言葉と映像しかフォローしないわりに容易に割り込みできるようになってしまうという面を考えた場合の費用対効果をどうとらえるかなどの考慮事項がさらにつきますね。もちろん、データベースなどの代替手段で済むならそれにこしたことはないのですが……。

というわけで机上では結論が出しにくいので、どこかで試さないでしょうか? 実際やってみないと思いつかないようなアイデアもあるでしょうし。


2004年2月16日

ここ数日翻訳をやっていました。去年もそうでしたね。Boost.FC++ をまだまだ校正が必要な荒っぽい状態ですが一応一通り訳せましたし、去年のように燃え尽きるといけないのでこの辺でペースを落とします。Kahua 懇親会で言ったように今のところ1日に 1 Section ずつ訳していくというのは良い習慣かもしれないと思えているので、その状態を手放したくありませんから。できれば英語以外など文書の範囲を広げれたいなぁ。翻訳文書は去年の日記から辿れる場所に置いておきます。

痕跡を消し去ろうとどうしようと、それに触れた人が語る限り思想の残滓は存在する。そして比較的早い時期に触れれば、容易に垣根を越えさせてしまうこともありうる。だが問題はその逆も多いこと。S 式を解釈する(というか Scheme 搭載)ブラウザ案はみんな考えていたんだなと思いましたが、そこを乗り越えて普及できるかどうか。

前から思っているのですが、サブカル論が認知心理学の方面の知識を利用しているように見えないのはどうしてでしょうか? 認知心理学が哲学や他の学問、思想などの成果を貪欲に取り入れているのに、そういう部分で古典的な世界だけに留まって時々つまみ食いするようだとバランスが悪くなってしまいます……。それとも経験主義について否定的なんでしょうか? サブカル論への不信感はそれに集約されるような感じがします。


2004年2月23日

すぐにでも始めようと思ったのに、長い間ゲームをやらないこと(+ 見ないこと)に慣れてしまったせいでなかなかゲームをやる方に向えない……途中に何度かあったように、始めればずっと続けられると思うのですが……。……というより、ゲームに限らず作品に触れる時間が少ないことにある程度慣れてしまって……ですね。その中で汲み上げるものが多ければいいのですが、まだそれほどでも……創作意欲の豊富なあの頃は常時沢山の作品に触れていました。創作でなくても、多くを書けていた頃はそうだったと思います。例え拙くても多くを生み出せばそれだけ磨かれていくから、そうできないことは私にとっての障害なのかもしれません。

なかなか書くことのできないこと、書くことのできないことで溢れてしまっていること。例え自分のそれに対するスタンスが変らないということであっても、書かなければそこには残らないから……それが私の強みなのか、弱みなのか、ときどき悩む。

関数プログラミングの暗黙知

[topic:プログラミング、関数型、XML]

13 日の Kahua セミナー及びその後の懇親会のことについてきちんと書いてみようとしたけれど、なかなかうまく書き出せない。……考えを整理して整理して、結局必要なときに断片的に書き出せばいいのではないかと思い直す。こうしてなかなか書けないのは、こういう形で参加するのは cppll オフ会に続いて二度目なので自分にとっての位置というものを決めれていないというのもあるし、自分の中にあった考え方に気づかされた場、もう1つで掴めそうだったものを手に取った場であったということも関係しているのだろうと思います。

きちんと覚えてはいないのですが、命令型あるいはオブジェクト指向プログラマーに「プログラマーが XML Schema を好きなのは、実装が分かるという強みがあるからかもしれない」ということを言うと、なるほどというように返されるのですが、

Microsoft の設計は実装を強く意識している. 私達開発者が見れば, 実装がなんとなく想像できるような設計だ. 性能重視の立場に立つとこれは正しい. 標準化され実装に中立な設計は, 性能のボトルネックや高速化の指針を読みにくい. 実装指向の設計の例として, Avalon なら Style や AdaptiveFlow がわかりやすいだろう. ツリー構造になったスタイルオブジェクトやレイアウトモデルを私達は比較的容易に想像することができるし, AdaptiveFlow はレイアウトエンジン(まさに実装!)へのアクセスを許している. CSS , 特に inline でない分離式のものと比べてみよう. そこは完全なブラックボックスだ. CSS lookup の実装なんて, なかなか想像できない.

もちろんソフトウェア工学の観点からはブラックボックスが正しい. しかし性能のために骨身を削るデスクトップ・アプリケーション/パッケージソフトウェア開発者の立場に立つと, ブラックボックスより反実装透過性がありがたいという気持になることがある. 実装の複雑さを気にかけるコストとソフトウェアから得る利益のトレードオフがそこにはあり, ある状況では後者が優勢になるということなのだろう. Microsoft 自身がそれにあてはまる典型例: 性能で凌ぎを削り, それが莫大な利益を生む.

「でも、関数型の立場からすると Relax NG でも実装は見える。書いたままだから。」というふうに言うと、 nobsun に「そう。書いたまま、そういうふうに考えるのが Haskeller(?) の考え方。」というように返されたことや、継続については SICP に書いてあるという話、懇親会でこちらでは「知識が外に出ていかないことが多くの人の足を止めてしまって、その事が普及の妨げになっているため、関数言語を流行らせるには知識を外に出していかないといけないから、関数プログラミングの暗黙知を形式知にしよう」という話が出たという話を shiro さんにした時に「でも実は継続についてちゃんとした論文が出てるんだけどな」というふうに返されたことについて、書かずにはいられないところまで来ているのになぜだか書けなかった。

そして時間をかけてようやくその理由が分かりました。気づきはしたけれども自覚するには至ってなかったということ。……そうしたすぐには解決しないものを抱え込んでしまったことを含めた上で、貴重な経験だったと思います。

話を戻すと、(Lisper も含めて)関数プログラマーには言語の特性上 logic を書いたままのものとして見るだけではなく、ある程度まとまった文書やコードが存在する場合にそうしたものを自明である (trivial) と見なしてしまう傾向が強く、そのことが改めて知識を外に伝えようとしない限り輪の外にいる人への知識の伝播を阻む要因となってしまうため、外の人から見るとあたかも暗黙知のように見えてしまうということ、この考えにほぼ届いていたにも関わらずそれをきちんと示せるようになってなくて、それが引っかかっていたから書けなかったのだと思います。

「関数プログラミングの暗黙知を形式知にしよう」という話の中で改めて書こうと思った例の文書も、これで方向性がはっきりしてきたような気がします。


2004年2月25日

とあるメーリングリストで、日頃考えていたいくつもの事に引き摺られて思いっきり誤読してしまって申し訳ありませんでした。言葉足らずだったのも問題ですね……前回の記事にしても。もう少しじっくり落ち着いて考えて書くべきでしたね……。

……でもおかげで考える機会を得られたので後悔はしません。UML はオブジェクト指向の文脈から現れたので、関数型ではトップレベルのフローでのシーケンス図など一部使用可能そうなのを除き UML に代わるものがあった方がいいのではないかという思いつきはそれ以上発展できず、結局未完成のものとして残ったのが心残りですが……。


2004年2月26日

「ポストモダン論者の言うデータベース消費が正しいかどうかを論じることよりも、データベースという多義性を持つ言葉を使用すること自体が妥当であったかどうか再検討する必要があるかもしれない」ということを思いついて一昨日ぐらいからちょっと考えていましたが、短い分析で済みそうになさそうな感じ。

教育や生活等を通して物事をさまざまに分類するように訓練されていること、世間付き合い等は疎遠になったかもしれないが代わりに別の様々なところで繋がる部分 (Channel) が広がっていることに加えて幅広い年齢層がいることによる、かえって断絶していないのだという話、古典や名作は尊重されるが他者からも分かる理由を示さない限り中途半端な位置にあるものにはレッテルがつけられるということ、ビジュアルのもたらした影響に対するより注意深い考察などを駆使して書くと間違いなく長文になるでしょうし、きちんとした文を書くには思想に関する知識が不足していて今の私には書けそうにないので、誰か書いてくれないかなと思ってみたり。


2004年2月29日

S 式だからこそ emacs で自由自在に編集できるという事を思い出して、それならばと S 式以外でも構造を保存して編集することのできるエディタのことを考えていましたが、Proxima のプロトタイプを見せてもらった時に同梱されていた書きかけの論文にはより良いアイデアがふんだんに書かれていました。と同時に、ものすごく富豪的に設計されていて、通りで重いわけだと納得。……もっと早く読んでおくべきでしたね。そうすれば色々と違った話ができただろうに。

とはいっても、別に遅過ぎるってことはありませんね。事例研究のところでも参考になる部分は多いし、そうそう古びるようなアイデアでもありませんし。今日久し振りに知人に会いに行った帰り道の会話の中で全く違うことを話している中でさっそく引き合いに出せた(実際には既に公開されていた方の論文の範囲内でしたが)ように、そういうアイデアが存在するということを知っているだけでも実際に役立っていますし。

聖魔の王 (3)

[topic:創作、小説]

「ナター……」いつものように呼びかけようとして、ナターリエがずっとこちらを見ていたことに気づく。

その様子を見て、いつものようにナターリエはただ一言「テーオフィール」と優しく僕の名前を呼ぶ。

こうしたやりとりは、もうずっと前からいつものことになっていた。ナターリエはそういう僕の様子を見るためにさっきの物語を読んで聞かせる、そこにある本当の意味を何も知ることはなく。そして僕が知らせることもない。

ナターリエがじっとこちらを見つめている。それを僕はベッドのそばでただ見守る。

ずっとこうしていたかった。何も話さなければ、よけいなことを連想せずにすむ。

だけどそれも長くは続かないかもしれない。何も話さずにいれば、よけいなことを考えてしまうから。それでもできる限り、できる限りはずっとこのまま見守っていたかった。

ゆっくり、ゆっくりと時間が過ぎていく。日の光に従ってお互いの姿の見え方が少しずつ移り変わっていくのを、つぶさに見つめあった。

日がすっかり沈んで、それからじっくりと余韻を味わうことができるほどに時間が経過してから、はじめてナターリエが「テーオフィールさん」と呼びかけた。

それを受けてそろそろ時間だなと思い、発とうとする。そしてはじめて、いつのまにか心配は消え去っていたことに、心配なんかする必要はなかったことに気づいた。

すぐには動こうとしなかったその様子を見て、ナターリエは言う。「私、今お話を書いているんですよ。」

「どんなお話?」

「一人の……魔法使いの女の子と、その女の子を愛した一人の青年のお話です。…絵本にしようと思っていますから、青年のお話はかなり省かないといけないけど、それでも青年の想いが伝わるように書けたらいいな……そう思っているんです。」

「楽しみにしてるよ。」そう言うと、ナターリエはほんの少し笑顔を見せた。

それ以上何も言わないのを確認すると、僕は立ち上がる。

「それじゃ、ナターリエ、また今度。」

「また次の機会に。」それから付け足すように「お兄様に元気ですって伝えて下さいね。」と言った。

「ああ、そうするよ。」そう言って部屋を出ていった。

部屋の外ではいつも通りマテーウスが壁にもたれかかっていた。

「ナターリエは?」

「いつもの通り。元気だよ。」

「そうか。」マテーウスは安堵の息を漏らす。

マテーウスは心配しつつも妹のナターリエに決して会いに行こうとはしない。その理由は全てが手に入る今の自分から抜け出すためだという。

焦げかかった茶色の長めと長い巻き毛の二人が揃っているところをもう見られないだろうということを考えると、複雑な気持ちになる。……だけど、そのことについて触れることはない。

「今度、エマニュエル・ラトゥールの作品を持っていってやってくれないか?」マテーウスが思い出したように言う。

それはもう長いこと忘れ去っていた名前だ。

「……でも、彼は卓越した才能と引き換えに彼自身の作品が書けなくなってしまったはずだけど……」

「十数年ぶりに絵本を書いたそうだ。……多分、置き忘れてきたものを取り戻すか最後に残すような―そんな作品になっているはずだ。」

「……どうだろう? ……まあ、これはよい偶然かもしれないね。」そう言うと、マテーウスは首を傾げる。僕はすぐにナターリエが絵本を書いているということを伝えた。

「そうかもしれないな……」マテーウスは呟いた。


声なき言葉へ