Der Wunsch

 降り注ぐ雨が、ゆっくりと大地の穢れをぬぐい去っていく。  
 私はただ静かに血溜りの中に座りこんでいた。  
 その腕に浩平を抱いて。
 「浩平」  
 私は静かに呼びかける。  
 安らかに眠る浩平の姿。
 「あなたが大好きです」  
 私は浩平を抱き締める。
 「…だから、放さない。いつまでもずっとあなたのそばにいます」  
 私はそっと唇を重ねた。  


 最初にあったのは悲しみ。  

 浩平がいってしまう…  
 もう、誰もおぼえていない。  
 …先生も、クラスメートも、長森さんも、由紀子さんも…  
 私しか浩平がいることの証明になれるひとはいない。  

 忘れることなんてできない。  
 あのとき、はっきり告げたのに…  
 忘れてしまえば楽なのに…  
 それでも忘れることのできない、浩平のこと。

 ―だから、あなたのこと忘れます  

 …言葉は偽り。  
 自分の心に嘘がつけなくて…  
 自分の気持ちに嘘をつききることができなくて…  
 ただ言葉だけがむなしく残る。  

 悲しみが不安に、不安が絶望へと変わっていく…  

 忘れたい。  
 忘れたくない。  
 忘れるの。  
 忘れてはだめ。  
 あの人と同じ。  
 あの人とは違う。  
 違うという保証はない。  
 違う。  
 戻らない。  
 戻ってくる。  
 戻ってこない。  
 戻ってくる…戻ってくるって、信じているから。

 (信じていればどうにかなるの?)  
 心の中で、不意に何かがささやく。
 (信じていれば帰ってくるの?)  

 …帰ってきます。  
 約束したから。  

 それは真実じゃない。私がただ、信じたがっているだけ。

 (本当に帰ってくるの? 約束なんて信じるの…?)  
 言葉は偽り。言葉は嘘。嘘つき。嘘つきは浩平。私の前から消えようとしている、浩平。
 約束するから破られる。…信じるから裏切られる。

 (消えて…帰ってこなかった、幼なじみ)  
 想い出とともに私はただひとり残される。

 ―どうして、私を一人にするんですか?  
 
 ただひとり、残される。  
 繰り返される悲劇。  
 ただひとりで…待ちつづける…。  
 いつまでも、いつまでも…待ちつづける。



 (一人になりたい?)  
 一人になりたくない。
 (別れてもいいの?)  
 別れたくない。
 (待ち続けたいの?)  
 待ち続けたくない。
 (ずっとそばにいたいの?)  
 ずっとそばにいたい。離れたくない。
 (だったら、こうすればいい)  


 どうして、早く気がつかなかったんだろう?  
 どうして、早く思いつかなかったんだろう?  
 こうすれば悩まずにすんだのに。  
 こうすればいつまでも一緒にいられるのに。  


 浩平を向こうに行かせない唯一の方法。  
 浩平と別れずにすむ――それだけで充分だった。  
 あらがうことのできない誘惑。それは悪魔のささやき。  
 その誘惑に私は身を委ねた。  

 …なんでもしよう。  
 浩平とずっと一緒にいられるのなら。  



 雨の空き地。  
 そこで私は浩平を待っている。  
 浩平、私はあなたと別れたくありません。  
 だから、私は…  

 私は待ち続ける。  
 ただその瞬間が訪れるのをずっと待ち続ける。  
 しばらくして、
 ようやく浩平がここに姿を現した。
 「……」
 「……」  
 沈黙。重い沈黙が続く。  
 互いに視線を錯綜させながら。  
 やがて浩平が、意を決して話しかけてくる。
 「…よう」  








 重ね合わせた唇を、ゆっくりと引き離す。  
 私の腕の中で眠りつづける浩平。  
 その姿を見て、私は静かに微笑む。
 「今度は私が……」

 ―了―