神谷兵十郎に弔い花をどうぞ

『殺した奴をまた殺す』
19○○年○号(○号/○月○日発行)掲載
1998年9月06日改稿


 西村左内、糸井貢、赤井剣之介、畷左門‥‥彼ら四人の浪人たちは、様々な理由から裏稼業に足を踏み入れて行った。彼らが裏稼業に足を踏み入れたキッカケは、必ずしも悪や不正義・世の中の矛盾に対する怒りから‥‥だけではない。時には、自らの殺しに対する欲望を満足させる為(西村左内)。時には、単純に自分たちが食う為の「仕事」として(赤井剣之介)。また、愛する妻や子を養って行く為に、やむを得ず手を染めた者もいる(西村左内&畷左門)。彼らは、いずれ訪れるであろう自らの運命=死を覚悟した上で、過酷な裏稼業に足を踏み入れた筈だが‥‥。自分の身の平安だけを案じれば良い独り者はまだしも、妻と子を持つ仕事師たちには、更なる苦悩が待ち受けてる場合が多い。
 「仕事人」#1で、殺しを終えて帰って来た畷左門が、家の中から洩れてくる妻と子のほがらかな笑い声を耳にし、己の血にまみれた手を見つめて苦悩する‥‥と言うような描写も、随所において存在している。愛する妻と子の存在は、殺伐たる殺しを続ける闇の仕事師たちにとって、一時の心の安寧となるだろう‥‥。だが、彼らが「人殺し」を仕事とする裏稼業に自らの身を落とし、己の生命を掛けてまで守らねばならなかった、愛する妻と子供たちの行く末は‥‥果たして幸福だったのだろうか?

  最終話で、妻と息子と三人揃って無事に江戸を離れる事の出来た西村左内は、ほとんど例外中の例外(‥‥と言うよりは、その頃には、まだ「裏稼業の過酷さ」と言う考え方自体が希薄であり、後期の「仕切人」の勘平・「橋掛人」の柳次の頃に至っては、そう言った「裏稼業に身を置く者としてのおとしまえ」を付ける事自体が描かれなくなっていた)と言えるだろう。だが、糸井貢と畷左門は、悪事の発覚を怖れた悪党共の手で、愛する妻を殺されると言う無惨なる結末に‥‥。(しかも、糸井貢も「殺し」に対する一瞬の躊躇によって命を落とし、畷左門も、愛する娘を記憶喪失にさせてしまうと言う「報い」を受けている‥‥)また、赤井剣之介は、柴山藩の侍たちによって、お歌共々ズタズタに切り裂かれ、血の海の中で死んで行っている‥‥。(同じ様な結末を迎えた仕事人に、映画第一作「必殺!」の政とおよね、「闇討人の謎の首領!」の鉄五郎とお香、「主水にマドンナ」の一筆書きの助六とおたみ…がいる)

 これは浪人出身の仕事師ではないが‥‥「仕事屋」の知らぬ顔の半兵衛は、自分が「人殺し」であると言う事実を、絶対に知られたくない人間=妻のお春に知られ、「渡し人」の鏡研ぎの惣太は、愛する妻のお直に役人の手が伸びるのを怖れたが故に、彼女を一人江戸に残さざるを得なくなる。「仕置屋」#2では、仕事師である夫の源次が殺された後、妻のおみつは彼の後を追って自害している。更に、「商売人」の新次・「仕事人大集合」の伊八・「激突!」の紋太も、それぞれ経緯は異なるが、いずれも愛する妻(新次の場合は、元女房のおせい)を後に残して、無惨なる死を遂げている‥‥。そうそう、忘れてた。「渡し人」の大吉・お沢と、「橋掛人」のおくら・松に関しては‥‥(以下自粛)! 些か前置きが長くなったが‥‥最愛の妻や子を守ろうとして苦しみ、無残に散って行った浪人者=闇の仕事師たちの哀しい運命を最初に描いたのが、「必殺仕掛人」の傑作・#21/地獄花&#30/仕掛けに来た死んだ男…に登場する、神谷兵十郎としずの二人だと言えよう。

 藩の取り潰しにより、日々の糧にも困る浪々の身となった神谷兵十郎は、偶然にも梅安の仕掛けを目撃。見られた事を知った梅安も、兵十郎を消そうとして、危うく返り討ちにされかける!彼の腕前を知った半右衛門は、兵十郎を仕掛人としてスカウトしようとするが‥‥。半右衛門の誘いに対し、「江戸中の仕掛人を相手に一戦交えるのも、退屈しのぎにはもってこいだ!」と、笑顔できっぱりと断った姿は、後に田村高廣自身が演じた、「助け人走る」の主役−陽気な浪人(特に初期)の中山文十郎そっくりだ。 だが、愛する妻・しずにも、それなりの暮らしをさせてやりたい。士官をするにも資金が必要だから‥‥と、神谷は気軽な気持ちから、仕掛人になる事を承諾してしまう(彼自身、多額の仕掛料を貰って、二・三回悪党を始末すれば、それで片が付くと思い込んでいたようだが‥‥)。だが、彼は裏稼業の真の恐ろしさ・運命の過酷さを知ってはいなかった‥‥。彼が始めて行った「殺し」を偶然目撃した売女こそ、夫の仕官に必要な金を作る為に、男に自らの肉体を委ねていた妻のしずだったのだ! 「人殺し」と「売女」‥‥。絶対に知られたくない自分の姿を、事もあろうに夫に…妻に 知られてしまった二人は絶望に陥る。そして、兵十郎が斬った‥‥と言うよりも、自ら夫の手にかかって死ぬ事を選ぶしず‥‥。愛する妻を、自らの手で斬ってしまった兵十郎は、同時に己の心をも斬り捨ててしまったのだと言えよう。それ以後、神谷兵十郎は生きる死人同然となり、梅安たちの前から忽然と姿を消す‥‥。

 ここで、本稿の趣旨とは少し離れた話となるが‥‥。神谷兵十郎が失踪した事を知った半右衛門と梅安の会話で、「やっぱり、あの人だけは仲間に引き入れちゃいけなかったのかねえ‥‥」と悔やんでいる半右衛門に対し、「じゃ、また新しい仲間を探しますか?」と(事もあろうに)梅安は笑顔で言い返している。 これは、仕掛人という職業に対して心底「晴らせぬ恨みを晴らし、許せぬ人でなしを消す」と言うポリシーを信じている(ある意味での理想主義者とも言える)半右衛門と、世の中きれい事ばかりじゃなく、現実に命ギリギリの世界で、人を殺し続けている(ある意味での現実主義者である)梅安との考え方の違いが現れたのではないだろうか? もっとも、落ち込んでいる半右衛門の気持ちを和らげようとして、梅安はわざと陽気(または何気なく)に振る舞ったのかも知れないが、それにしても梅安の恐ろしさの一端を感じさせた一瞬でもある‥‥閑話休題。

 「地獄花」の続編「仕掛けに来た死んだ男」で、かつて音羽屋の下働きをした事もあるらしい、裏稼業の世界では駆け出しの元締め・四つ玉の勘次(半右衛門の資産総額をかなり詳細に把握している所から見ると、もしかして勘次は、一時期音羽屋の経理部門を任されていたのかも知れない。かなりの知能犯の割には、千両箱に仕掛けられた爆薬であっさりくたばってしまうなど、かなり間抜けな面も見受けられる)の陰謀に加担し、半右衛門を絶体絶命の境地に追い込んで行く神谷兵十郎は、全てに絶望したニヒリストとして描かれている。
 「あんたは良い女と巡り会えた‥‥斬ってやる、二人とも!」という言葉に感じられるように、妻のおくらを命懸けで救おうとする半右衛門に対し、兵十郎は嫉妬を抱いていたのかも知れない。だが、それはどちらかと言えば些細な事だろう。
 おそらく神谷兵十郎は、内心では自ら殺される事を望んでいたのではないか?それが、梅安との再戦での「俺はもう‥‥生きているのが嫌になった。楽にしてくれ」と言う言葉や、ラストで半右衛門に刺された時、「元締、これで楽になれる‥‥」と呟いた末期の言葉にはっきりと現れている。いわば兵十郎は、自分で命を絶つのではなく、他人の手で殺されてこそ、己の所業(=最愛の妻を自らが斬って捨てたと言う行為)に対する天罰が下るのだと思い定めていたのかも知れない。(彼と同じように、自らの非道な数々の行いを自覚しつつも、凄まじいまでの剣の技量&高い社会的地位故に生き続けて、自分を切れる者の出現を待ちわびていた(=切られる事によって自分が救われる)と言う男に、傑作−「必殺仕置屋稼業」#19/一筆啓上業苦が見えた…の全覚と、「必殺仕事人」#6/主水は葵の紋を斬れるか?…の松平聖二郎がいる。ある意味では、「必殺仕業人」最終話/あんたこの結果をどう思う…に登場した土屋小十郎も、この中に含まれるかも知れない)

 また、製作面での話となるが‥‥林与一演じる西村左内が(スケジュール故か、脚本上の問題かは分からないが)、今回欠場していた事は、非常に残念だった!同じ様な経過で半右衛門にスカウトされ、同じ様な動機(=妻子を食わせて行く為)で裏稼業に足を踏み入れながらも、決して自分の真の姿(=仕掛人)を妻に知られる事なく、裏稼業を続けて来た西村左内と、全く正反対の結果(=愛する妻を己の手で斬ってしまった)に至ってしまった神谷兵十郎との運命的な対決は、何としても見たかった!似て非なる二人が相対峙した時には、どう言った会話がなされ、壮絶な斬り合いの末に、果たしてどちらが生き残っただろうか?(後にリメイクされた舞台で、中村主水と共演した時、こう言った要素がカットされてしまったのも残念だ!)

 「いずれ、私も地獄道」‥‥これは、必殺シリーズを端的に象徴する言葉として有名だが、いわば最初にそれを身をもって知った者こそ、神谷兵十郎だったと言えるだろう。彼に捧げる弔い花こそ「地獄花」なのだ!


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