★技がかかる環境
今回は環境問題です。といっても地球環境とかいうのでなく、技がかかる環境について考察してみたいと思います。
昔、大学生のときに本部合宿へ行って巻小手などの投げを体感し、その場では自分もできるようになったのですが、なぜか大学に帰って同じようにやってもかからずにあきらめて今までのガチンコ柔法に戻ってしまった経験がありました。
また、とある練習会ではバンバン練習相手が飛んでいくのに、所属していた道場に帰ると相手は飛んでいくどころか全くかからないということも多々ありました。
こういう経験をしてなんで???と悩んだことはないでしょうか?
ある環境ではかかるのに、ある環境ではかからない。環境問題です。
このなぞが解明できればかなり上達するような気がしてなりません。
というか、開祖や塩田剛三先生でも技がかからなかったことがあったといいますから、どこでも誰でもかかればまさに達人の中の達人です。
最近、思うのですが、「技というのは目に見える部分だけでなく、その技にいたるまでの過程全てが含まれてひとつの技なのだ」ということです。もっと広く言えば、その人の人生・生命の全てがひとつの技として表現されるのだと思います。
だいたい柔法の技がかかるときというのは次のようなときです。
・親しい友人とやるとき
・練習の目的意識を共有できているとき
・相手が投げてください、教えてくださいという態度のとき
・自分の調子がよいとき、気分がのっているとき
・自分が自信満々のとき
・相手が素直な人のとき
・こちらが有利な体勢をつくれたとき
(相手が不利になるような状況がつくれたとき)
・攻撃を限定させ、それに集中させたとき
・本気で攻撃してくれたとき
また、かからないとき、かかりにくいときは次のときです。
・いつもと全く違う初めての相手とやるとき
・練習の目的意識を共有できていないとき
・相手がかかりたくない、投げられたくないという気持ちが強いとき
・自分の調子が悪いとき、気分が乗り気でないとき
・自分に自信がないとき
・相手がいじわるな人のとき
・相手の攻撃が中途半端で意図が明確でないとき
・こちらが有利な体勢をつくれなかったとき
もう構えた瞬間、いやもっと言えば出会った瞬間から技はスタートしています。対峙した瞬間に相手の圧迫感に飲まれたらもう駄目ですね。相手の仮想重心に貫かれて居ついている証拠です。そんなときはその空間を一反壊して仕切りなおした方が懸命です。そんな状態で稽古しても下手になる可能性の方が高いです。喧嘩だったら止めて逃げることを考えた方が得策だと思います。「ああ、こいつにはかからん。駄目だな」というのが早くわかることも大事な護身術だと思います。
相手の意識と調和できないときは強引な技になるか、かからないかどっちかが多いです。少林寺拳法は上手くできていて、そんなときでも目打ち、金的を使えば相手を制することはできますが、ちょっと不快な感じの技(痛い技、壊す技)になりがちです。うまく意識がリンクできれば双方にとって快適な技になります。かけられても嫌じゃない感覚のふわっとした技です。こういう環境下で練習するとすごく上達します。
最近は「まず技に入る前の環境、雰囲気、空間を自らつくらないと駄目」と思うようになってきました。これは操体の臨床をやってて気づかされたことです。開祖はそういった環境づくりがすごく上手かったのではないでしょうか?空間制御ができれば先の先、未発の先にもつながっていきますから、ここを研究していくとおもしろそうです。心法として古流武術の極意とされている世界???上記のかかるときを参考にして道場、支部で色々試してみてはどうでしょうか?また、もっとこういうのもあるよとか、こういうのに気づいたよとか色々ご意見ありましたらメールください。