●思い出いろいろA 『マラソン大会』
関学少林寺の恒例行事に40キロマラソンというのがありました。毎年11月の第1週か第2週の土、日曜日あたりに走り、その日か次の日に打上げして練習がOFFになるのです。
歴史は意外と浅く、私の3つ上の代の人達から始まったそうです。それまでは関学の裏山をグルグルと何キロか走って終わりというものだったようですが、「それでは面白くなから、京都から関学まで走ろう!」という当時の主将(第28代)だったS先輩の発案により、長距離フルマラソンになったのです。実は京都(河原町)から関学(西宮)までは60キロ以上あって、めちゃくちゃ辛かったと聞いています。
幸い、私が1回生のときは雨で中止となり、(どっちにしても私は風邪をひいていて河原町には行かなかった)河原町から関学までのコースは走りませんでした。
次の年の2回生のときは、同回生のH君が「新しくできた三田キャンパスまで走るというのはどうですか?」と先輩に言ったのが通って、西宮の上が原キャンパスから三田キャンパスまでを走るということになりました。ちょうど距離的にも40キロくらいで車の少ない裏山のコースでした。
もちろん生まれて初めてのフルマラソンでした。最初はみんなでわいわい言いながらの道中でなかなか楽しかったです。少林寺拳法の道着姿でダイエーやローソンに入ってはエネルギー補給をしました。回りからは変な目で見られましたが、慣れているので平気でした。トラックの運転手さんに「お前ら少林寺か〜。俺も昔やっとったんや〜がんばりや〜」と励まされたり、小さな子供に手をふってもらったりもしました。
しかし、途中からは右足の甲が痛くなり、私は最後尾を走るというよりも、ほとんど歩いていました。普段からランニングしていたとはいえ、予想以上の距離に「まだか〜まだか〜」と思いながら、痛い足を引きずり、7〜8時間くらいかかってゴールしました。朝から走って着いたころにはもう夜でした。速い人は5時間くらいで到着してました。やはり、マラソンランナーというのはすごいなと思いました。三田の町自体がまだ区画整理中でほとんど何もなく、コンピューターグラフィックのような世界でした。三田キャンパスも本当にまだできたばっかりで、植木も育ってなくて、人っ子ひとりいなくて、「同じ関学でもえらい違いやな、寂しいとこやな〜」と思ったものです。2,3日は足が痛かったですが、40キロを完走できたのはいい経験になりました。「40キロというのはこれぐらいの距離なんやなあ、ちょっとやそっとの距離なら走っていけそうや」という気がしました。
3回生の幹部のときは、「こんなすごいことをやったんやでと、人に話すときにインパクトがなかったらいかん!」ということで、色々とコースを考えた結果、「明石〜関学40キロマラソン」ということになりました。そのとき、今ではもう完成していますが、明石海峡大橋の工事をちょうどやっていて、右手に橋と海をみながら、2号線を東へ東へと走るというコースでした。
いつもの知っている道ですが、もちろん道着で走るのは初めてでした。排気ガスが多くてコース的にはイマイチでしたが、三宮を走ったときにはかなりの注目を集めました。プリクラを記念に撮ったり、南京町へ寄って食べたりしてた奴もいました。
しかし、ただ走るだけの行事で終わってしまって、みんなの協力が十分でなかったことと、コースの徹底ができてなかったことで監督に怒られたものです。恥ずかながら、クラブとしてのまとまりに欠けていた時期でした。
次の年の4回生のときは、「三田キャンパス〜上が原キャンパス」のコースでした。私はクルマで伴走し、同回生ではA君とOD君が参加して完走しました。そのころには主将H君のリーダーシップにより、クラブにもまとまりがでてきて、前年よりも素晴らしいマラソン大会になりました。「話のネタづくり」くらいにしか思ってなかった長距離マラソンでしたが、ただ走るだけでなくて、みんなが他人のことを思いやり、応援しあって走るという体制が徐々にできてきたようでした。
最近は40キロもダラダラと走らず、少し距離を短くして真剣に走る方向にあるようですが、私にとっては40キロも走るというのは、なかなか面白い思い出となっています。