★動き出しをとらえる

動き出しをとらえる その1

改めて武神館の初見宗家のビデオを観ました。

「しっかりと斬らせてあげること。相手に斬ったと思わさなきゃだめ。」

「負を示して勝に入る」

木刀や短刀などで攻撃してくるのをスイスイかわしながら制してしまいます。

見事に相手と同調して、動き出しをとらえています。

もう完璧なタイミングなのです。


e研で練習している攻撃線外しと同じことを非常に高度なレベルでやっています。

傍からみると二人が同時に動いているがごとく見えます。

まるで風が吹くと柳が自然と揺れるがごとくです。


う〜ん、こういう動きは相手が動く前から勝負が決まっていないと成り立たないものだと思います。

なかなか試合ではできません。

ここのギャップをいかにして埋めるのか?が課題であります。

「勝ち」を捨てねばならないのですが、それがとても難しい。どうしても勝つことへ執着してしまう。ここが分かっていてもなかなかできないのです。

本来、武術の技とはいつでも死ぬ覚悟ができていないと使えないものなのでしょうね。

まだまだ修行が足りんです(゚ー゚*)(。_。゙)(゚-゚*)(。_。゙)

コメント

日野先生絶賛の初見宗家ってそんなにすごいんですね。
僕も一度映像を見てみたくなってきました。

投稿者: ウメ太郎 (February 1, 2005 02:21 PM)

リンク先を見てビックリ!
ジライヤ出てたんですね!
僕は幼い頃よく見ていたのに、初見宗家の事、これっぽっちも憶えていませんでした(笑

投稿者: ウメ太郎 (February 1, 2005 02:24 PM)

>ウメ太郎さん

初見先生の動きは必見ですよ。

僕がいままで見たビデオの中でも1位かも。

哲学が素敵なのです。

武道の極意と操体の極意はまったく同じ。

「一つのことにこだわらずに変化対応が自在にできるということ」

投稿者: りょう (February 1, 2005 11:51 PM)




動き出しをとらえる その2

初見宗家の動きは相手の意識の起こりを見事にとらえた先の先の技術だと思われます。

もちろん、意識が起こる前の状況もすでに操作されているのでしょうが・・・その辺りは難しくて本人しかわからない世界でしょう。

相手の動き出しをとらえ、先の先をとるにはどうすればいいのか?を考えてみましょう!

これが完璧にできたらもうすでに達人です(^。^)


なぜできないときがあるのか?を分析することによって達人に近づけるように思います。

原因その1:身体が居着いている。構えが居着いている。要するにすぐに反応できる状態になっていないってことですね。

原因その2:心が居着いている。一つのことに意識が集中しているときはほかのことがわからなくなります。そういうときには反応できなくなってしまいます。

原因その3:相手の注意をひとつに集中させれていない。相手の意識を操作できていない。


まだまだありそうですが思いついたのだけ書きました。異論、反論もとめます!!!

(つづく)


コメント

立会い、試合、戦いとは相手が視界に入った時より既に始まっていると言われます。
面と向かって構えて礼をして始まるものではないと言う事ですね。

つまりそう言う心構えなくして状況の把握、相手の観察はおぼつかないと言う事でしょう。
そう言うものを踏まえた上で自分の体が思うように動かなければどうにもなりません。
技の前に自分の身体操作、極端な事を言えば運歩が出来るか体捌きが出来るかどうかと言う事でしょう。

それは普段やってると言われるかもしれませんが、
取り決めのない動き(乱捕等)の中ではたしてどれだけの人が普段練習でやってる動きがそのまま出来るかでしょう。

相手の威圧に負ける事無く、居着く事も無く普段通りに動く。
動きそのものは極々簡単な事なのですがそれがいつでも出来ると言う事とはやさしい事ではありません。

それが出来れば自分の動きに余裕が出来ます。
体の余裕は心の余裕を誘い、相手を冷静に見る事が出来るようになる。
そこで初めて先も見えてくるのではないかと思います。

技とはその上に成り立つもの。
習う時は技そのものから入っていきますが使う時は逆です。
どんな技も自分自身の基礎操作が出来ない上には成り立ちません。

それは無手の武術でも武器を用いた武術でも同じでしょう。
私の習った九鬼神流半棒術も初見宗家のものですが、
例え棒を持っていても体の操作がちゃんと出来なければ使いこなす事はできません。

投稿者: ペガサス (February 3, 2005 04:09 AM)

>ペガサスさん
書きこみありがとうございます。

ペガサスさんは棒術もマスターされているのですね〜

武器術を学ぶメリットとは何でしょうか???

僕も一応剣道二段ですが、今、「先」の概念などを用いて試合したら、また違う内容になりそうな気がします。

投稿者: りょう (February 3, 2005 08:38 AM)

武器術を学ぶメリットですか。
私は確か自分の「武器術の考察」で

「少林寺拳法は徒手空拳でいい。
現代社会に武器は必要ない。確かにそれも理屈です。
しかし我々のやってるものが護身術でありサバイバルの技術であるとしたら、
とっさに手持ちのもの道端に落ちてるものを得物として身を守る事もあるでしょう。
また非力の者が何も相手と同じ土俵で戦う必要などないと思います。
にもかかわらず徒手空拳でないといけないと固守するのもおかしな話です。
ただいくら得物があってもやはりその有効な使い方を知らなければ何もなりません。
勿論これは素手の相手だけではなく武器を持った者にも当然対抗しえるものです。
本来武器を持つと言う事は同じ武器を持つものを想定しての技ですので。

でも私はこの半棒を武器術というより
いつでも身近な物を使える護身の法としての基本として共に修練していきたいと思っています。」
確かこう書いていたと思います。

また合気道にしても本来あれも刀を持つものの動きより起こった技です。
また古伝空手の動きもその分解組手を紐解いていくと何らかの武器を持たないと納得できない動きもあるとか、
古来の東洋の武術は武器を使う動作と言うものを元に徒手空拳の動きも確立してきたのではないかと思っています。
勿論はじめから徒手空拳のみの動きもあるかもしれませんが
それはそれでちゃんと武器術の併用と言う形で武器も共に学ぶと言う形式を取ってる武術が多いと思います。

武器は本来手の延長として使うもの、その感覚が自然に身につけば
徒手空拳においても武器をもった意識で使いこなせる動作が出来るでしょう。
そしてまた武器術を学ぶ事で対武器に対する恐怖心を取り除き
護身術としての有効性を高められるのではないかと思っています。

武器とは触れれば切れる折れる傷つくと言ったそれ自体に殺傷力があります。
だからこそやたらと打ち合うのではなく事の起こり、動作の起こり、力の起こりを見抜く力が必要であり、
それを学ぶ事によって「先」もまた見えてくるのではないでしょうか。

投稿者: ペガサス (February 3, 2005 06:12 PM)

>ペガサスさん
コメント返信が遅れてすみません。

武器術、僕も何か習ってみたくなりました。

どうせやるならば、いつでも携帯できるコンパクトなものがいいですね。


武器とは触れれば切れる折れる傷つくと言ったそれ自体に殺傷力があります。
だからこそやたらと打ち合うのではなく事の起こり、動作の起こり、力の起こりを見抜く力が必要

まさにその通りだと思います。

「当たったら死ぬ」そういう緊張感があるとないではまったく違いますよね。

法形も本来はそういう緊張感の中で修練すべきものなのだと思います。

投稿者: りょう (February 7, 2005 07:24 AM)


動き出しをとらえる その3

対武器練習を紹介します。

僕が過去に教えていただいた中でも、もっとも有効な練習方法です。

PDSや功朗法でも同じことをやっています。

基本であり、極意であるのはズバリ、千鳥の運歩なのです!!


攻者:木刀で一歩入りながら振りかぶって面打ち

守者:千鳥でかわしながら順突


シンプルなこの練習の中に色んな要素が含まれています。

八方目、平常心、千鳥の運歩、居着いていない心身、相手との調和ができていないと、遅れて切られてしまいます。

当てずっぽうで動くのではなく、きちんと動き出しがとらえられるか?

一歩で相手の死角に入れているか?(膝の抜きができてないと届きません)

非常に難しいですが、やってみてください!!

攻撃側が「当たった!と思ったのに目の前から消えた!」と感じたら、タイミングはバッチリです。

横から見ていると二人はほぼ同時に動いている感じです。

動いたかなの「う」のときにはもう入っているぐらい早いタイミング。

「先の先」を体言してみましょう(*^。^*)


コメント

相手の打ち込みに合わせてこちらも入る。
つまり動きをシンクロさせると言う事ですが、これは対武器に限った事ではないのですが。
武器術(特に剣術関係)や合気道系をやっておられる方はよくおわかりでしょうが、
武器でも人は打出す瞬間に何らかの引きの動作をつけるものです。
その引きに合わせてこちらも入って行く。
この時自分の単独意識で動くのではなく相手の動きに自分を吸い寄せさせるように動くと動きが同調します。
ただそうなる為には入ろう入ろうと言う意識が克ち過ぎると自我の壁が出来て相手を感じるセンサーが鈍ります。

合気道系では木刀を用いて打ち込みに対する合わせの練習をよくします。
きれいに入られると自分より遅く動いたとしか思えないのに先に極められていると言う事がよく起こります。
これは二動作の動きに対し一の動作で合わせるからです。

つまり作りと打ち出しの間に入り込む事によって
一見遅く動き出したようにしか見えないのに
先を取られていると言う事になります。

では少林寺拳法てきにはどうすればいいのか?
短刀に対する流水蹴のタイミングまたは開身突のタイミングなどは
まさにそれに相当するのではないかと思っています。

特に順突で入る時は上体を踏み出した順足と
逆の外方向に捻って振り身をしたらタイミングが遅れてカウンターがとれません。
一見そこで溜めが起こって突きにパワーが乗るように思えるのですが逆効果でしょう。

肩、腰が入った状態で捌いて突く。まさに開身突の動きです。
本来順の動きとはそう言うものだと解釈しています。
内受にしてもしかり。
私の師匠の内受は見事なまでに腰、肩が入り突きを捌かれて反撃の突きが入ってきます。

相手の初動作(作りの状態)を見抜き。それに合わせた足の送りに体勢の作り。
この辺りがスムーズにうまく出来ないとシンクロさせた動きは難しいのではないかと思います。

投稿者: ペガサス (February 8, 2005 04:03 AM)

>ペガサスさん
いつもコメントありがとうございます。

やはり、実際に武器術をされているペガサスさんが言うと説得力がありますね。

少林寺拳法の中でも、もっと意識の虚実、起こりをとりあげて欲しいものです。

投稿者: りょう (February 8, 2005 02:19 PM)



動き出しをとらえる その4

反撃してやろうと思って待ち構えていると、それを感じられてなかなか思うように反応できませんし、フェイントを誘発することになります。

攻撃側からすれば「何か狙っているな。それならいじわるして裏をかいてやろう」と思うわけです。

こう思われては余計に難しくなります。

「どうぞ自由に打って来ていいよ」という心の状態(平常心&八方目)にならねば技は成り立たないと思います。

きちんと標的を狙わせて、安心して打たせてあげること。これってかなり大事なのではないでしょうか???

攻撃側が照準を合わせて、よし打とうと思った瞬間がスキになります。


打とうと思った瞬間にこちらが動けば相手は打てなくなります。(意識をつぶす)

打とうと思って動いた動きに調和して斜め前へ移動すれば相手は打ったところにおらずに消えたように感じます。(千鳥の運歩)

打とうと思って動いた動きに調和して後ろへ移動すれば相手の身体は伸びて居着きます。


先のとり方はもっと色んなパターンがあるでしょうね。こんなのもあるんじゃない?という人は教えてください!

コメント

ここに書き込むのは初めてになりますが
いつも勉強させていただいてます。

りょうさんがお書きになった「動き出しを捕らえる」は今の自分のテーマでもあります。

でもネットってほんといいですね。
いろいろな方々にインスパイアされて
武道、武術、少林寺拳法に対する理解が急速に高まっていく気がしてます。
あくまで「気」ですが…(笑)

初見先生のビデオを最近購入しましたが、たくさんありすぎてどれを選ぶかかなり迷いました。
りょうさんのお勧めがあったらぜひ教えてください。

では今後ともよろしくお願いいたします。

投稿者: 泡沫拳士 (February 9, 2005 01:51 AM)

>泡沫拳士さん
書きこみありがとうございます。

動き出しをとらえる・・・これがいつでもどこでもできたらもう達人ですよね。

なぜできないのか?を整理することで、できることが明確になっていくように思います。

初見宗家のビデオはある方にダビングしていただいたので、元のビデオの題名がわからないのです〜すみません(>_<)

投稿者: りょう (February 9, 2005 07:24 AM)




動き出しをとらえる その5

法形の練習を工夫すれば、動き出しをとらえる練習には最適だと思います。

少林寺拳法の法形は攻者の攻撃、守者の反撃が決められています。


どうすればいいのか?


攻者の攻撃はそのままで、守者の反撃をすべて自由にするのです。

自由にするというのは、具体的には反撃のタイミング、反撃する方法などです。

ここに飛んでくるというのが分かっていると安心感が生まれます。これがビビルこと=居着くことを少なくします。

さらに相手の意識が攻撃部位に集中しているので、それを利用しやすいわけですね。

意識を合わせてくれているので、外しやすい(^。^)


守者側が注意するのは相手を八方目で観ながら「動き出しをとらえること」のみ

初見宗家の動きや、日野さんのHPを読んでハッとしたのは、守者は「ただ動くことだけをしている」

無為自然だということ。

反撃してやろうとか、かっこよく見せてやろうとか、当てられたくないとか余計な欲を出すと駄目なんですね〜


でも、幼少のころから「勝つことが良いこと」という教育を刷り込まれているので、なかなか「負を示して勝に入る」、自分の命を差し出すということができない〜

結局は心の問題が大きいなぁと思う今日この頃です。


コメント

もう、「その5」まで進んでる!!!
なかなか、読むのも追いつかないですよ。

泡沫拳士さん、みつけた。
ここにも遊びに来ていたのですね。
がんがんカキコして下さい。
また、オフ会して遊びましょう。
ケガしない程度に・・・。

>攻者の攻撃はそのままで、守者の反撃をすべて自由にするのです。

5年ほど前に、どうすれば技を身につけることかができるか考えてた時に思いついた稽古法です。
「仁王拳乱捕り」や「三合拳乱捕り」や「天王拳乱捕り」って以前、カキコしましたっけ?
初めは上段突きのみの攻撃。慣れてきたら、手刀や振突きも加えていき、最終的には普通に乱捕りに持っていく方法です。
こういう練習法をされてる方は、多いかもしれませんが、私が思いついた効率の良い練習法なので書いてみました。
最近は、子供の指導に追われて自分の稽古をしてないので、乱捕りなんてヘタクソになっているだろうから、時間ができたら久々にやろうと思います。

投稿者: まんじ丸 (February 9, 2005 01:13 PM)

>まんじ丸さん
「仁王拳乱捕り」や「三合拳乱捕り」や「天王拳乱捕り」

大学のときにそういうのをやろうと思ったんですけれど、結局は面倒くさくなって自由乱捕りに逆戻りしてしまったことがあります(ノ∀`)アチャー

先の先、対の先の概念があれば練習の質も変わるんですけれどね〜

後の先(ほとんどが後の後かも)だけでは厳しいと思います。

投稿者: りょう (February 9, 2005 10:14 PM)




動き出しをとらえる その6

法形ではこの攻撃に対してこの反撃というのが決められています。

しかし、実際の乱捕りや実戦では決まっているからといって必ずその反撃をしなければならないわけではありません

ここ、かなり重要だと思います!!


「少林寺拳法なのだから、こう反撃しないと駄目だ」というのは、もう考え方自体が居着いています。そんな石頭で自由に飛んでくる攻撃に柔軟に対処できるわけがありません。

「こだわっちゃ駄目です。」と初見宗家も言われていますが、身体に刷り込まれた動きが自然に出て、結果的に、無意識的にそうなった・・・が正解です。

そうは言っても、動きを刷り込んでいないと咄嗟には反応できないから約束稽古をするわけです。

約束稽古でないと動きは刷り込まれないが、刷り込まれた動きに居着くなという難しいことをやっているのが武道、武術なのだと思います。


攻者の攻撃を自由にして動き出しをとらえる練習でも、法形の中から動きを抽出して、まずは自分が一番得意な反撃パターンを反復すればいいと思います。

その人の癖、体型にあった技というのがあるはずなのですが、これが無視されてはいないでしょうか?


法形練習において、おそらくほとんどの方は一番遅いタイミング=後の先ならぬ、後の後で対応していると思います。

あえて後の後というのは、動き出し、つまり意識の起こりを観ずに、動き自体を見て反応しているからです。

後の後では、途中で変化されると対応できませんし、フェイントにめっぽう弱くなります。

攻守を分けた乱捕りが成り立たない一番の原因がここにあります。

相手の動き出しも分からない者が守者にまわっても、よほどの実力差がない限り攻者にボコられるのがオチです。

なぜ、誰もこれをハッキリ言わないのか???未だにかなり疑問ですが・・・

あれなら攻守分けずに自由に打ち合う練習の方がまだよいような気がします。


法形の最大の目的を、相手の意識の起こり=動き出しをとらえることにすれば練習の質が変わるはずです。

そのためには緊張感を持った攻撃が必要です。

となれば素手より武器が最適。当たれば痛い、ヤバイ攻撃に対していかに余裕でさばけるか?

これを徹底して練習すれば上手くなると思います。

理想的な乱捕りできるのは少なくともそういうのができてからでしょう〜道は果てしないですねぇ〜

コメント

> 相手の動き出しも分からない者が守者にまわっても、よほどの実力差がない限り攻者にボコられるのがオチです。

その通りだと思います。
相手の攻撃が動き出しがわからなければ、それをとらえることなどできないと思います。

> なぜ、誰もこれをハッキリ言わないのか???未だにかなり疑問ですが・・・

う〜〜ん。そうでしょうか。
「後の先」「対の先」「先の先」
説明されている方は、そこそこおられると思います。
ただ、それを理解するのは、自らが取り入れるだけの実力が必要であるだけだと思うのですが。
上記の3つの差は、タイミングであるということも1つですが、意識の中の差が大きいものと思います。
それが意識できるレベルというのは、すごく長い道のりと考えるのですが。
本能では、「先」をとらえていても、実際に意識レベルに、さらにその意識を無意識のレベルにもっていくのは、時間と練習量が必要かと思います。
そのために、まずは、わかりやすい「後の先」から練習するのではないのでしょうか。
ただ、「後手の先」だと無意味とは思いますけれども。。。

投稿者: そんQ (February 10, 2005 09:10 AM)

>そんQさん
「後の先」「対の先」「先の先」
説明されている方は、そこそこおられると思います。

できる先生は確かに大勢おられるでしょう。でも、技術はないところには本当にかわいそうなくらい無いのですよ(>_<)

特に大学生拳士がかわいそうなんですよね〜思い切り闘う場があるでもなく、技も中途半端・・・大会と昇級昇段で忙しくて、強くなれない・・・みんな本当のところを知りたがっています。

このブログは少林寺拳法に失望している学生のために書いているようなものです。もっと拳法はおもろいんだよ〜って声を大にして言いたいのです。

わかりやすい「後の先」から練習する

逆説的かもしれませんが、僕は自分の体験上、黒帯以上になってきたら(形を覚えてしまったら)「先の先」から練習した方がかなり近道になると思います。

「先の先」を実際に体感したことがない人が多いのも問題ではないかと思います。

僕はe研で初めて体感させてもらったとき、それはそれはもう衝撃を受けましたよ。漫画みたいな世界でしたから(゜o゜)

「なんで、こういうのがあるのなら、もっと早く教えてくれなかったんだ?」そう思いました。

この強烈な体験が無ければ僕は少林寺拳法をやめていたかもしれません。

「先の先」を体感したおかげさまで、色んな他武術、他武道のビデオを観ても理解できなかったことが、「ああ、同じことやってる」と解るようになってきました。

ですから、後の先だけをいくら練習しても、先の先を一度も体感したことが無ければ、よほどの天才でもない限りはできるようにはならないのではないかと思います。

投稿者: りょう (February 10, 2005 09:52 AM)

おっしゃることは、わかります。
自分の場合は、先の先までがなんとなくイメージができあがったのは、ごく最近なんですね。

で、そのイメージを、うちの道場の後輩にも教えるのですが。
今、ここ!!としか、説明できないのが自分の現状です。
それでも一応がんばって、分解して説明しているのですが(苦笑)。

ここで問題なのは、それを後輩が理解可能か??ということなんですね。
そういう意味では、後の先の方がまだ見た目にはわかりやすいんです。
それに、一般道場では、中高生もいますし、なかなか自分が思うとこまでの理解は困難なことっていっぱいあるんですよ。

そういう意味で、まずは、まねるから入って、慣れるにならんことには、先に進まんと思うんですよ。
そのために、僕は、わかりやすい「後の先」から知る方がいいんではないかと思うわけです。

そして、「対の先」を理解し、更に、「先の先」まで意識をもってくる。
実際、自分自身の体験は、この順番できてます。

でも、僕はそれでいいんだと思うんですよ。修行の道なんですから。
要は、自分の価値を高め、相手の価値を高めることが主目的ですから。

投稿者: そんQ (February 10, 2005 10:54 AM)

>そんQさん

今、ここ!!としか、説明できない

それ、よく分かります(^。^)

「先の先」がいきなり理解できたら苦労はしませんよね。

価値が分かる人、必要な人にだけ教えてあげればそれでいいのかもしれません。

でも、理解できなくてもそういうのがあるのを見せておくことはとても大切なことだと思います。

レベルが上がってくれば理解できてくるはずですから。

「ああ、あのときに先生がやってたのはこういうことだったのか!」ってなるはず。

まずは知ること。そしてできること。知らなければ一生できませんからね〜

ここで読んだだけではできるようになるはずもありませんが、そういう技術があるという情報を流し、知ってもらうことには価値があると思っています。

投稿者: りょう (February 10, 2005 11:44 AM)

> りょうさん

> レベルが上がってくれば理解できてくるはずですから。
> 「ああ、あのときに先生がやってたのはこういうことだったのか!」ってなるはず。
> まずは知ること。そしてできること。知らなければ一生できませんからね〜

そうなんですよ。
先生は、教えてられてるんですよねぇ。
それを探るために、自分のレベルをあげていく。
これが大事なんやと思います。

そのために、まずは、できること(というか、わかりやすいこと)からと思ってるんです。
それで、「後の先」から順番にと思ったしだいです。
といって、「後の先」だけを見せるという意味やないんです。
一応、差別化させて見せてあげるけど、地道にできることをしないと、やっぱりあかんのかなぁと思うんですよ。

修行の道は、遙か遠いですねぇ。ほんま、一生もんやと思います。
ですから、少林寺拳法がおもろいのかなぁと最近感じさせられてます。

投稿者: そんQ (February 10, 2005 11:56 AM)

先の話題ですね。

僕も先の先を体感し、(@0@)!!!と目からウロコを落とし、拳法に留まった人間です。
それから、「先の先」が究極と思い稽古を続けたのですが、
最近は「後の先」の方が上のレベルだと思うようになりました。

ただ、この「後の先」は「後手の先」ではありません。
「先の先」が取れる上で行なう「後の先」です。
誘いと言った方が分かりやすいかもしれません。

自分の体験からいくと、形を覚えたら
対の先→先の先を限定乱撮り、自由乱捕りで覚えて、
先の先がある程度分かって、やっと後の先が分かるという感じです。

ただ、相変わらず勝てる相手にしか通用しませんが(^^;
自分より上手い人に勝てないのは当たり前ですよね。
自分がその人より上手くならないと勝てないです。
もっとウマツヨを目指しマッスル!

投稿者: ウメ太郎 (February 10, 2005 09:02 PM)

> ウメ太郎さん
> それから、「先の先」が究極と思い稽古を続けたのですが、
> 最近は「後の先」の方が上のレベルだと思うようになりました。

確かに、その通りですね。
よくよく考えると、そう思います。

ただ、やり始めてまねやすいのは、「後の先」のタイミングなんだと思うんです。
「対の先」のタイミングでも、やはり、「恐い」という意識が働きますから。

そう考えると、まねさせるために、「後の先」のタイミングを教えてあげて。
その先には、「対の先」「先の先」があることを教えてあげる。
こういうことが必要だと感じてます。

そして、それを目指して修行していくうちに、
「先」自体がとれていなければ、「後」「対」「先」のいずれもとれないこと
の理解ができるんやと思うんです。

そういう意味で、自分は、まずは、まねやすいことから入るべきかなぁと考えているわけです。

というてる自分も、いまだ修行の身。まだまだ、道は続いてます。

投稿者: そんQ (February 11, 2005 01:10 AM)

そんQさんも言っておられましたが、
少林寺拳法には「後の先、対の先、先の先」と三つの先があり、
我々はそれら三つとも学ぶべきものなのです。

そしてその全ての先を学んだ後、「後の先」に戻るのが理想です。
これはウメ太郎さんの言われてる事と同じです。
一つには少林寺拳法の教義、思想に関する部分から
「後手必勝の活人拳」となるべき姿をもって行ずるからです。
そして技術的には「後」を取って尚且つ相手を制する技術が身につけば真の自信につながるからです。

ただ最近の練習風景では「後の先」しかやってないと言うより
その「後の先」ですら真の「後の先」になってないような練習形態で練習しているから、
実際にはどうにも役に立たない法形になってるようです。

「後の先」と言えども意識は「対の先」、
「対の先」は「先の先」、「先の先」は「気の先」と
常に一つ前くらいの意識で対応しないととても間に合いません。
そして上達すれば「先」への対応は起こりを見抜く所から
どの「先」でも取れると言うのが理想でしょう。
ですからりょうさんの言われる「先の先」を学ぶべきというのも正しい事なのです。

形を学ぶだけなら後の先で学ぶ方がやさしいのです。
でも実際に使う段階では難しいでしょう。
だからある程度上達すれば実際の動きの中で
「先の先」を身に付ける練習から徐々に「対の先」「後の先」へと移り、
「先の先」で得た感覚を維持して「後の先」を取ると言う事でしょうか。
それでこそ使える「後の先」になってくるような気がします。

武器術で受けるとは決して「後の先」で受けたりはしません。
相手の起こりに合わせて遅くても「対の先」で受けます。
また私のやっていた暗器では「後」に立つことはありません。
本来暗器とは隠し武器、相手の意表をついて襲うものですから、
まさに「先の先」以上のものです。

ただそれらの動きや考え方が昂じれば護身というより襲撃の技術となってしまいます。
それを戒め本来の護身、行としてのあり方への道へ目を向けるさせるために、
本来難しいであろう「後の先」を少林寺拳法としては主に据えたのではないでしょうか。
しかしまた難しいがゆえに真に身につけば本当の自信と勇気につながると言う事だと思います。

その辺を意識して修行しないと形だけ出来て実際に使えないものになってしまいそうです。
使えなくては「後」も「対」も「先」もないわけですから。

投稿者: ペガサス (February 11, 2005 01:24 AM)

先の先、対の先、後の先のどれも言うまでもなく相手の攻撃意図を察知して、それから重心移動して相手の攻撃をはずすという点で共通しています。

この三つの分類はあくまで分類であり、実際の攻防で今のは「対の先だ」「後の先だ」といった具合に明確に定めることは難しいと思います。もともと分類というものは不可分なものを無理やり分けることで理解し易くする性格のものですから・・・

僕はこの三つはあくまで最終的な結果としての形だととらえています。相手の「攻撃してやるんだ」という意識が発生してから、自分の体がそれにすばやく反応できれば先の先や対の先に、反応が遅れれば対の先(やや遅め)や後の先といった具合に、相手の攻撃のレベルと自分の反応のレベルとの相対的な関係の中で結果なのだと。

ですから僕の場合は乱捕りの時、「来る!」とわかったときには何かしら動いて相手の的を外すことを心がけてやってました。もちろん法形練習の時には「次は対の先でやってみよう」といったように、はじめに決めてからやってましたが。

よく後輩が法形の練習をしているのをみると、演武のためか形ばかり気にして殺気というか攻撃の意図が感じられないナアナアになっているのをよく見かけます。こういう練習では感覚を磨くことができないため、乱捕りにあまり生かせないと思います。「親の敵だと思って法形も演武も実際に効く攻撃をやれ」と言っても、現行の演武の採点の仕方では多少不利になるためどうしても形ばかりに終止してしまうようです。

大部分の人が強くなるために少林寺を始めたと思うのに・・・。その意味で今の大会の演武のあり方には疑問を感じています。

なんか話がずれてきたのでこのへんにしときます。すいませんでした。

投稿者: ホールデン (February 11, 2005 07:27 AM)

>ペガサスさん
>「先の先」で得た感覚を維持して「後の先」を取ると言う事でしょうか。
それでこそ使える「後の先」になってくるような気がします。
お見逸れしました。ズバリな表現だと思います。
ただ、僕は後の先を本当に取る時の意識の早さは先の先より先だと思っています(気の先かな)。
一番形としては遅い先ですが、意識としては早いと思うのです。
何故なら、後の先の一番有効な使い道は先の先を取ろうとする相手に対処する事だと思うからです。

>ホールデンさん
>僕はこの三つはあくまで最終的な結果としての形だととらえています。
僕も以前はこう思っていたのですが、最近は考えが変わってきました。
先を取るという点において、後、対、先すべて同じですが、距離の詰め方が違います。
先の先なら、自分が距離を詰めて、対の先なら自分と相手と半々で、後の先なら相手が距離を詰めます。
そう考えると後の先が一番楽なのです。
そして、相手も守者のように攻撃線を捉えようと心と体を澄ましてくるような時、後の先がやはり有効になります。
衆敵では、位置関係が一対一ではないので、色んな先を使いますけども。

投稿者: ウメ太郎 (February 11, 2005 01:01 PM)

なるほど。参考になります。
「後の先」「対の先」「先の先」のいずれから教わるべきかということは、自分が思うには、前提の違いかなと考えます。

りょうさんやウメ太郎さんのおっしゃるとおり、「先の先」の体感を通じて、驚きと発見があることはそうであろうと思います。

では、この「先の先」「対の先」から教え始めることで、理解できるのかって思ったわけです。
それぞれの「先」について、道場でも教えるわけですが、自分の道場では、拳士のレベルに応じて、各技の段階を変えています。
つまり、白帯に近いほど、「後手」(「後の先」といえるか疑問なので)に近い状態で教えています。
なぜかといいますと、まずは「受けてから、反撃する」という体現をしてもらいたいからです。

「先」がわかれば、カウンターもうてますし、相手を崩すことも容易になってくるのは確かだと思います。
ただ、そのレベルによっては、「すごいなぁ」で終わることもあれば、「そうか。そのタイミングか」と感じることがあると思います。
それで、「そうか。そのタイミングか」と感じる人は、自分の体験と、ウメ太郎さんやりょうさんの意見から、それ相応の体験をしてる拳士なんだと思います。

ですので、僕は、最初は「受けてから反撃」という後の先的なタイミングの形から入った方が良いと思った次第です。
その上で、「対の先」と「先の先」とを含む「先」とはなんたることか?を教えてあげることが理解を深めやすいのではないかと考えたわけです。

もちろん、皆さんのように既に形としてできる方には、「先」から始めればよいと考えます。

そういう意味で、どの段階で教えることなのかという前提によって、異なるのではないかと考えます。

投稿者: そんQ (February 11, 2005 03:14 PM)

教えまたは学ぶ初段階については私もそんQさんに同意です。
元々我々の技が「後の先」を基調にした法形になってるのは、
当然それをもって指導し学ぶと言う事ですから。

また先に言いましたように入り方としてはやはりその方が入りやすいし、
初めから「対の先」や「先の先」に行ってしまうと相手の動きの気を読めない初心者では
受けての反撃ではなく攻撃される前の反撃と言う間違った形にもなりかねません。

我々は「守主攻従」でこう習っているはずです。
「少林寺拳法の形は総て防禦から始まっている。
これは本来が宗門の行であり、心身練磨と正法護持の力の獲得が目的であるから、
他の武道のように、先の先を求めて、敵をたおすことが本旨ではないからである。」

この考えを形に現したもの、それが我々のやっている法形なのです。
ですからここから入るのが正道です。

その上である程度出来るようになって、「先」を学び「対」を学ぶと言う事でしょう。
今皆さんがそれぞれの立場で「先」がわかったと言われているのも
その段階に達していたからだと思います。
そしてそれらが自在に使いこなせる段階に入って
また再び「後の先」に戻ると言うのが理想ではないかと思います。

また相手の起こりが読めればどんな先を取ることも可能となるでしょう。
ですからその段階に達すればこれが最初だ、最後がこれだと言うものはないとのだと思います。
どれにするかは自分の好みの問題でしょう。

いつの日かそう言う所に到達してみたものです。

投稿者: ペガサス (February 11, 2005 06:30 PM)

先を取るという点において、後、対、先すべて同じですが、距離の詰め方が違います。
先の先なら、自分が距離を詰めて、対の先なら自分と相手と半々で、後の先なら相手が距離を詰めます。

個人的にはウメ太郎さんのこのコメントが新鮮で目からウロコでした。言われてみればなるほどその通りでわかりやすい!

投稿者: りょう (February 21, 2005 09:41 AM)

攻撃意識を持たずに
自分から相手の間合いに入り、
相手の迎撃に対し、対の先、後の先
てのも あります。
(ウメ太郎さんの動画でもやってましたよね・・)

攻撃意識の見えない前進に対しては
動きだしを捉えにくいのでしょうね。
それに対する迎撃は攻撃させられたようなもの
なので動き出しは捉えられやすい。。。

。。。「後の先」ではなく
「後の祭」書き込みということで・・・

投稿者: REY (February 23, 2005 02:16 AM)

>REYさん
日野晃さんや、功朗法でも同じことやってますね。

自ら間合いをつめて、相手に思わず打たせてからとる

対武器にはこれが一番効果的ではないでしょうか。

なかなか難しいですが(>_<)

投稿者: りょう (February 23, 2005 11:07 AM