●思い出いろいろ@ 『夜襲』

1994年の夏。この年はすごい猛暑で、9月に淡路島へ少林寺のメンバーで自転車一周旅行に行ったときも、水不足で節水していました。エアコンなども飛ぶように売れたそうです。そんな暑い暑い夏でした。

当時、1回生でまだ大学に入ったばかり。サークルだと思って少林寺拳法部に入ったものの、とんでもなくドツボの体育会系のクラブだと気づいたときには時すでに遅しでした。

夏合宿前の強化練習。略して、「強化練」というのが当時はあって、夏合宿直前の4日間ほど、毎日、関学の裏の甲山まで仁川の強烈な坂道を走って登り、石だらけの山頂で基本突と基礎体力をミッチリやるというものでした。体力のない1回生はバタバタと倒れ、それでも関係なく続けるという感じでした。初日に右足のふくらはぎがつってしまい、4回生の先輩におぶってもらって、下山したのを覚えています。

大きな声では言えませんが、2回生の先輩に、「お前足つったんやったら、それを理由にして明日休め。そうでないと体もたんぞ。」と言われ、その次の日は幹部の人に電話してずる休みしたものです。(当時の同期は10人以上いたので、1人くらい休んでもあまり分からなかった)

入部したばかりのときは優しかったはずの3回生幹部の態度が、強化練の前ぐらいから変貌してきました。めちゃめちゃ厳しく、怖くなっていったのです。何かあったら、罰として基礎体力で拳立てなどをビシビシやらされました。

そんな強化練で体がボロボロになったまま、本番の夏合宿が始まりました。長野県の戸狩でやったのですが、初日に炎天下の中、体育館まで1時間くらいかけてセッタでランニングして走っていったのを覚えています。合宿の練習内容は、ひたすら基本突と基礎体力とランニングです。すべてにおいて気合が出てないと「罰」として基礎体力という厳しいものでした。休憩のときに飲む、ポリタンクにつくったポカリスエットはまさに「命の水」でした。

1回生の仕事(作務)は山のようにありました。練習中は幹部の先輩に対するお茶、おしぼりの接待、体育館の掃除、宿に帰ってからは、幹部の先輩の部屋へお茶を持っていく。布団をしきにいく。灰皿を代えにいく。朝は起こしにいって、布団をたたみにいく。食事の準備、後片付けを手伝う。食事前には呼びにいく。などなど・・・みんなでジャンケンして誰がやるか決めたものです。脱走しようとする同回生も何人かいましたが、未遂に終わりました。同回生のOD君などは、寝言で「作務、作務せな〜」とうなされるほどでした。

合宿も2日目に入ってきたころ、3回生の幹部が仲間割れをし始めました。「ちょっと厳しくしすぎちゃうんか?」というグループと、「まだまだ厳しさが足らん」というグループと、中立のグループと。10人ほどいた3回生幹部が、練習中に言い合いするようになっていきました。次に2回生の先輩があんな頼りない幹部にはこのクラブはまかせておけんと言い出し、3回生に反抗しだしました。1回生は上の先輩達が急に仲間割れをしだしたので混乱状態です。

3日目に入って午前中、恥ずかしながら私は練習中に過呼吸になって倒れ、宿で寝ていました。宿に帰ってきた1,2回生の話を聞いてまたビックリ!厳しいグループの幹部が、1回生に無茶苦茶なしごきをしようとして、2回生の先輩がキレて3回生の幹部と喧嘩になり、途中で1,2回生全員で練習を放棄して帰ってきたというのです!その夜の夕食は非常に険悪なムードでした。夜のミーティングのとき、途中から参加していた4回生の先輩が「こんなことさすために、お前らを幹部にしたんちゃうぞ!」と3回生の幹部を殴りつける場面もありました。

そういうことがあって、1,2回生で相談しあった結果、置き手紙をして朝一番で脱走しようということになりました。しかし、そのとき例のOD君だけは「先輩はどんな先輩であっても宝や。だから俺は帰らん」と感動的な台詞を吐いたのです。しかし、結局みんなで説得して次の朝に帰ろうというときになり、荷物をまとめて寝ていたら、2回生が突然夜中に幹部の部屋に呼び出されてしまいました。

1回生は騒然としました。

「脱走計画バレたのか?」
「2回生はリンチされてるのでは?」
「俺達はどうなるんだろう?」

そんなこんなで話しあっているとき、幹部の先輩ひとりがやってきて1回生の名前を指名して一人を連れていってしまったのです。その後、次々と1回生が一人ずつ呼び出されていきました。みんな何をされているんだろうと自分の番が回ってくるまでドキドキしていました。遂に自分が呼ばれ、幹部の部屋に連れて行かれました。

暗い部屋で、テレビがザーと白黒の画面のままでついていたように思います。パンツ一丁になった幹部の人たちがぐるっと部屋を囲んでいて、異様な雰囲気。4回生の先輩が布団に寝ていました。その4回生の先輩が言いました。

「おい、おれのことキャンディーさんて言え!」
「キャンディーさん奇麗ですって言え!」

なんのことか分からず、そう言ったとき、布団に引きづりこまれそうになりました。

そのとき!!!

パッと電気がついて、先輩が言いました。「ごめん。芝居やってん」

「!!!!????」

そう。全部芝居だったのです。巧妙に仕組まれた騙しうちだったわけです。3回生が喧嘩して仲間割れしたのも芝居。脱走計画を言い出した2回生も芝居。オカマ役になって1回生を襲おうとした4回生も芝居。2,3,4回生グルになって1回生を騙すというクラブ伝統の悪しき行事だったわけです。私達はこの行事のことをその後、「夜襲」といっていました。ちなみに幹部の悪口は2回生を通して、幹部に筒抜け。置き手紙は幹部に全部読まれていました。

私は「な〜んや」で済みましたが、怒ってキレてる奴も中にはいました。
(後から聞いた話ですが、腹いせに竹刀で宿の壁をブチ破ったのはA君です。)


次の日からは、野球をやったり、花火をしたりして半分遊びになりました。打上げでは1回生みんなはじけていたと思います。なんせ極限状態の中、緊張のしっぱなしでしたから。来年入部してくる1回生を騙すのが楽しみだから、みんな辞めんとこうと言っていたものです。

こういう騙まし討ちは1995年の夏合宿を最後に途絶えていました。というのは、私の下の代が全員辞めてしまって、それどころではなかったからです。私が幹部になったときには、2回生が女の子1人で、1回生が6人ほどでしたが、こういう騙しうちの夜襲は行わず、まじめに少林寺拳法の練習だけする夏合宿になりました。練習メニューも、基礎体力と基本突とランニングだけでなく、柔法もやるし、胴蹴もやるし、演武もやるといったメニューで色々と工夫しました。正直、入部した1回生を騙すのが楽しみで続けていたという面もあったので、3回生になったとき、「夜襲」ができない幹部はみんな残念がっていました。自分達も怖い先輩の役になって、1回生を騙したかったなあ・・・と。

そんな思いもあって、私が4回生のときに簡単な「夜襲」を復活させ、同回生のO君と一緒に、1回生を騙しました。(同期のO君がホモの先輩役で1回生を一人ずつ呼び出すというもの)

その次の年(1998年)も1回生をO君と騙しましたが、騙された1回生の一人が本気で怒ってしまって「辞める」と言い出して大騒ぎになり、真剣な心を傷つけてしまったということの反省から、その次の年からは「夜襲」はなしになってしまいました。それでも全日程をまじめに練習して、非常にいい夏合宿をしているようなのでなによりです。

30年ほど続いてきた「夜襲」ですが、過去の先輩の中には、騙されたことに怒って、幹部に殴りかかり、取り押さえられた人もいたそうです。リスクの高い悪しき行事ですが、強烈な思い出づくりとしては、1回生への最高のプレゼント?となるかもしれません。



P.S.1999年12月18日にスキーで長野のフローラ戸狩に宿泊しましたが、まだ当時の関学少林寺全員集合の写真が飾ってありました。非常に懐かしかったです。