9.これからの人生
私のこれからの人生はどうなるのだろうか。
鬱病になって、よく考えるようになった。
しかし、鬱症状が酷い時には将来について考えても不安感しか襲ってこなかった。
『鬱の時は、将来のことを考えると不安にしかならないから考えない方かいいよ。』
とメンタルヘルスのY先生からは言われていた。
この為、鬱症状が酷かった時は、1週間以上先のことは考えないようにしていた。
これは、これで鬱病の対処方法としては私には効果があることであった。
しかし、鬱症状が軽くなってくるに従って、私は将来に対する人生設計について、事ある毎に考えるようになっっていった。
その頃にはもう不安感に襲われる訳ではなく、冷静に考えられるようになっていた。
鬱病は必ず治る病気と一般的には言われている。
しかし、それは正確に言うと、いわゆる『治る』とはちょっとニュアンスが違う。
具体的に書くと以下のようになるだろう。
『鬱病になる人は非常に生真面目で、一生懸命物事に対処してきた。
それが、その人の対処能力の100%を超えてもその人は頑張ることを続けた。
そして、それが120%、150%と上がっていってもその負荷を下げることなく、その人は頑張り続けた。
その時、体の防御反応として、やる気がでなくなって意欲の低下が始まり、鬱病が発症してしまった。
だから、鬱病の治療としては、頑張りすぎて疲れた体を休めると共に、薬でバランスが崩れた脳内物質を調整してやって、出来るだけ体と脳内物質のバランスを元の状態に戻すことを実践することが大事である。
治るというのは、このバランスがとれた元の状態に近づいた状態のことを言い、60%の力でならば普通の生活が出来る事まで回復したことを言う。
120%の力で働いていた人が、60%の力で働くだけならば、普通の定時間の軽作業であれば出来るレベルである。
つまり、社会的には復帰が可能な状態になったことを言う。
しかし、一旦鬱病になった人が再度100%以上の力で頑張れば、また鬱病は再発してしまう可能性が非常に大きいのである。
だから、鬱病が軽快して職場復帰する事が出来るようになった時、職場側のその(鬱病の)人の受入態勢が重要になってくる。』
このことを、私の場合に置き換えて考えてみよう。
私は以前1日16時間以上働いていた。
この状態は実際には150%程度の能力で仕事をしていたような気もするが、便宜的に120%の能力で働いていたとしよう。
しかし、私は鬱病になって60%程度の力でしか働けないようになってしまった。
つまり、1日8時間程度の仕事しか私は出来ないのである。
仮に60%を80%レベルまであげられたとしても、それは1日2時間半の残業が限界ということになる。
遅くとも夜の19時半には会社を退社する生活を定年まで続けていかなければならないことになる。
私の場合、いままでの経験から考えて、今と同じ仕事内容でそれ以上の負荷で仕事を続ければ、鬱病が再燃又は再発する可能性が非常に大きいと思う。
ここで、私の将来の選択として2つのケースについて考えてみたい。
第一のケース(ケース1)としては、
『定時または2時間程度の残業で会社から毎日帰ってきて、家族と団欒し、残った時間は自分の趣味等に有意義に使って、仕事は仕事と割り切って、仕事以外で自分の存在意義を見つけて、割り切った人生を送る。』
が考えられる。
これはこれで、魅力ある人生というか、人間らしい生活であり、家族も喜んでくれるだろう。
今の会社ならば、出世はせずとも贅沢な生活さえ送らなければ、十分生活していける。
ただ、問題点がある。
私は幼少からの人格形成の中で、どうしても『人の為に役に立ちたいという潜在意識』が存在するのだ。
今の部署で、私の体調が良くなって仮に毎日19時に帰っても、部下や上司は23時24時まで仕事をしている。
また彼らは休日も返上で働いているのだ。
幾ら割り切ればいいと言っても、きっと事ある毎に、周囲に無理をかけているという問題に悩み、私は苦しむだろう。
そして、再発するかもしれないと思っていても、私はしてはいけない無理な仕事をしてしまうかもしれない。
今の部署の仕事は半導体応用製品を製造する工場の運営であるが、今後事業展開が上手く廻っていけば、その度に工場の増設がある。
その時の仕事量の負荷は私が倒れた時と同様のかなりの負荷になるのだ。
そういった状況で、周囲が苦しんでいるのを解っていて、平然と19時で帰れる程に私の神経は図太くなれるだろうか。
多分無理だろう。
そう考えると、今の半導体製造の部署で定年まで仕事をやっていける自信というか、図太さが私に有るかが心配であり不安要因でもある。
その矛盾に自分の存在意義を見失って、自分自身で自分を潰してしまわないかと思ってしまう。
第二のケース(ケース2)としては、
『今の会社ではなく、別の仕事を見つけて、そこに自分の存在意義を見い出す。
そこでは、自分自身で考えて80%以下程度の負荷(ストレス)内で仕事をしていく。
その他の時間は家族と団欒し、残った時間は自分の趣味等に有意義に使っていく。
仕事は自分の潜在意識の中にある『人を助ける仕事』に直結したものを見つける。』
が考えられる。
これには大きな問題点がある。
まず、せっかく苦労して大学院まで出て、希望の職種の企業に就職しているのに、その経済的安定を捨てて、仕事を変えることになるからだ。
私が親で、自分の息子がこのようなことを言ったならば、
『お前は何を考えているのだ?
せっかく大学院まで出て、日本でも有数の企業に入社したのに。
鬱病にはなったかもしれないが、10年間も頑張ってきたんだろう。
中堅所になって、病気の事さえなかったら周囲からも期待されていたのだろう?
これからが給料が上がって行って、高給取りになっていくのではないか。
このまま頑張って、定年まで勤め上げれば順風万帆ではないか?
一時の気の迷いで馬鹿な事は言うな!!』
と言うと思う。
ケース1、とケース2を比較してみよう。
ケース1の場合、仕事は半導体応用製品を作るという世の中に非常に貢献する素晴らしい仕事である。
私も誇りをもって仕事に臨んで来た。
しかし、私の病状で出来る仕事は、SY主席が血液疾患になって倒れて、現在現場に出られなくなってしまって、『デスクワーク主体で、現場へ出て行く実践部隊を指揮、支援すること』しか出来なくなったようなことしかない。
私もこれからはSY主席と同じ立場で、SY主席をフォローしつつ、現場に出る実践部隊との連絡・支援係をやっていくしかないのではないかと思う。
これはこれで、素晴らしい仕事である。
知的能力、指揮能力、交渉能力、問題解決能力、プレゼンテーション能力がなければ出来ない。
私は入社以来、SY主席を目標に仕事をしてきた。
しかし、まだまだ主席の能力は素晴らしく高く、私の10年先を当然の如く進んでいる。
ただ、SY主席は自分の後任に私を考えて下さっている。
有り難いことである。
しかし、私も病状の身、どこまでついて行けるか解らない。
また実践部隊が現場で倒れていくのを解っていて指揮ができるか私には自信がない。
ただ、出来る所迄はやって見たいと思っている。
ケース2の場合を考えて見よう。
私が今考えているのは、自分自身が鬱病になったり、法律的問題解決の手助けをしたりしてみて(私の人生では割愛している)、それら関連の専門職につけないかということが念頭にある。
自分自身の適正を考えた場合、私は理系出身であるから、弁護士、司法書司、行政書士等の法律の専門家には、仕事内容に興味はあっても、実際の仕事としては出来ないと思っている。
基本的に書類を沢山書くのは性に合わないのだ。
ただ、それらの職種がやっている仕事を覗き見ることは仕事を抜きにすれば大変好きである。
では、何が理系出身の私にとって適正かと考えると、医者か臨床心理士ということになる。
臨床心理士もいいが、個人的には医者になりたい。
直接的に精神疾患で苦しんでいる人を救えないまでも楽にできる医者になりたい。
医者になることが、小さい時から、私の本当の夢だったのだ。
ただ、血液恐怖症が小学生の頃にあって、その後その夢は捨てたが、現在は別に採血されても貧血を起こすことはない。
要は慣れである。
若し今、私が高校生であるならば、迷わず医者への道を選ぶであろう。
ただ、現実的に今から医者になられるのかという問題がある。
仮に医学部に合格したとしても、その後は学部6年、インターンで2年、合計8年かかってやっと1人前の医者になる。
・その間の生活費はどうするのか?
・マンションのローンはどうするのか?
・子供の教育費はどうなるのか?
・家族4人を経済的に維持できるのか?
・だいたい、今から勉強して医学部なんかに合格するのとができるのか?
問題は山積みである。
ただ、かのアルベルト・シュバイツアーも30歳で医者になることを思い立って、36歳で医師免許をとって、それからは90歳で亡くなる迄アフリカで医療活動に従事している。
私も、医者になるには既に遅すぎるとは思わない。
どうしても小さい時の
『人の為になる仕事=医者』
の図式が頭から離れない。
そして、こうして私が精神疾患にかかったのも何かの縁であるようにも思えている。
このようにケース1、ケース2のどちらに進んで行っても、それはどちらも左団扇でできるような生易しい人生であるとは思っていない。
ただ幸いなことに、私は当面の間は定時か、もしくは短時間の残業しか許可されない身分であると思っている。
ならば、その間に勉強をして、若し医学の道に進めるのであるならば、その可能性を模索したいと思っている。
結果として、合格できた場合はその後の生活の処置を考えればよし、何年たっても合格できなかったり、やはり自分の進むべき道は半導体製造であると再認識すれば、今のまま仕事を続ければよいと思っている。
ただ、こうやって人生の進むべき道は一つではないと考えられるようになっただけで、今の仕事に対するストレスは大幅に減った。
やはり、人生はこうだと決め付けて狭い視野で生きていくのはよくない。
自分でこうと思っても、以外な展開を自分の潜在意識の中で設定しているものである。
そう、割り切って、私は当面ケース1,2どちらに転んでもいいように、自分自身を律して人生を進んで生きたいと思っている。
その結果、どうなってもそれが私の人生であり、違った結果(ケース3)になったとしても、また正しいことなのである。
たった、30数年の人生しか生きていないのに、このようなことを書いて人生を悟ったような事を言ってはいるが、また5年後10年後にこの自伝の続きを書くとすれば、もっと違った面白い人生になっているのではないかと思っている。
それだけ人生は不確定で、想像がつかないから面白いのである。
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