8.鬱病を振り返って

 鬱病。

 最初に自分がこの病気であると自覚した時は、『衝撃』でしかなかった。
精神疾患である。
普通の人間ではないと思った。。
ただでさえ鬱病状態で思考がマイナス状態になっている時に自分が鬱病であると認識しないといけないということは、『絶望』の2文字しか頭には浮かばない。

 頭を巡る思いは、
『自分はもう普通の人間ではない。
なんでこんなことになったのだろう。
私達家族の将来はいったいどうなるのだろうか。
鬱病になんかにならなければ、順風万帆な人生を送れたはずなのに。
自分が鬱病なんて誰にも言えない。
親にも言えない。
親に言えば心配する。
なんでこんな病気になってしまったのだ。
私をこんな病気にした、KMが憎い。
なんであんな奴に苛めらなければならなかったのだろう。
私がいけなかったのだろうか。
そんなに私は苛められる程、私はつまらない人間だったのだろうか。
世の中の全てが自分を否定している。
もう駄目だ。』
というものだった。

 しかし、薬を飲んで鬱症状が収まってくるにつれて、
『鬱になったことはしょうがない。
薬を飲めば、なんとか普通に仕事が出来るのだから、それはそれでいいではないか。
鬱病といえば確かに精神疾患ではあるが、世の中の誰もがなりうる病気で1人/20人位の割合では発病していて、ただ本人が気づかないだけでそれだけ多くの人がなっている病気だ。
一般の内科の病気となんら変わりはないでないか。』
と自分の病気の受け入れられるようになってきた。

 ただ、家族と会社の一部の上司以外には鬱病であることは言えずに、薬で症状を抑えながら仕事を普通に続けていった。
 もし、この段階で鬱病が完治していたら、私は通常の企業での激務に身を任せて、家庭を顧りみないで、仕事に邁進していただろう。

 そして、鬱病になったことも、
『一時的な苛めによって精神が疲れていただけだったんだ。
今は薬がなくても普通に働けるじゃないか。
また調子が悪くなっても薬をちょっと飲めばまた直ぐ良くなるから、このまま頑張って働ける。 大丈夫だ。』
と軽く思っていただろう。


 しかし、鬱病とはそんなに甘い病気ではなく、投薬だけではなく、休養もきちんととらなければ、本当の回復は有り得なかった。


 私は内科から『抗鬱薬』を処方して貰っていたが、お医者様に会社での勤務状態について話すと、
『貴方、それは異常ですよ。
1日数時間しか寝ていないではないですか。
それでは抗鬱薬はいつまでたっても減薬できませんよ。
会社に言ってなんとかできないのですか?
お宅の会社ならば、産業医がいるでしょうから、私からどうにかしてもらうように言いましょうか?』
と私の体を心配して言ってくれた。

 私は、
『今は仕事上一番大事な時期なのです。
半導体製造事業が成功するかどうかの瀬戸際なのです。
この事業は我社での歴史上にない我社独自の技術で一から立上げをする始めての新規事業なのです。
私がいなくなると、皆が困るのです。
なんとか、お薬で症状を抑えられるようにお願いします。』
と言って先生に懇願した。

 先生もしょうがなく、『パキシル』を許容量の40mg
日、その他睡眠薬、安定剤と出してくれた。 私はそれらを飲んで、逆に軽躁状態になって、バリバリと仕事をした。
 私は、
『『パキシル』は元気が出ていい薬だ。』
位に簡単に考えていた。

 だが、結果は、劇鬱状態にまで落ち込み、生命エネルギーは限りなくゼロに近づいていた。
あくまで薬で持ち上げて、ないエネルギーを無理やり使っていたのだろう。
それが、枯渇した瞬間に、人格が崩壊した。

 そして、自分がいなれば困ると考えていた事業から離れて休職をせざるを得なかった。



 私は倒れた後、専門の精神科医と臨床心理士の指導を受けながら、なんとか復職にまで漕ぎ着けた。
治療のやり方は、以下をきちんと守ることであった。

  ・ 処方された薬を医師と相談しながらちゃんと飲むこと。
  ・ 無理をせず睡眠を十分にとって、体力を消耗させないこと。

 私は、休職せざるを得なくなった時、
『自分自身の存在否定』と『人生の目的意識欠落』から、何の為に生きているのか解らなくなっていた。
会社からも遠ざけられたような疎外感もあったし、私の肉体は魂の抜け殻がそこに横たわっているだけの状態であった。
ただ、家族の為に何としても生きなければと思った。
ただそれだけだった。

 今考えても、倒れる前のあのような状態に戻る事は絶対に嫌であるし、戻るのは自分自身の生命に対して危険すぎる。

 しかし、上記の治療を苦しみながらも実践していったお陰で、なんとか気分も浮上してきた。


 浮上してきて考えたことは、
『倒れる前の自分は、何かに突き動かされながら、自分から倒れるように仕向けていた。
あの時は『仕事を一生懸命やりたい自分』と、『こんな量の仕事をこんなに短時間に、それも技術的に世界でだれも成功していないものを立ち上げるなんて、無理がある。なんでこんなに仕事があるのだ。という批判的な自分』が存在していた。
私は上司に鬱病であることは言っていた。
でも薬でなんとか抑えているから、私がどれだけ苦しんでいるか解らなかったのだろうな。
倒れるのは必然であったのだな。』
と言う事であった。


 あと倒れる前の自虐的な心理についても思い出してみた。
当時は、
『もうどうなってもいい。
誰かが倒れれば、会社も変わるだろう。
その結果が、ただ単に倒れるのか、それ以上になるのかは解らないが、とにかく自分は鬱病であっても、薬の力を借りて、借りられるだけの間は精一杯仕事をしてみよう。
ただ、正直言ってもう疲れた。
でも、仕事を休む訳には行かない。
もう、頑張って事業を成功させるか、頑張って私自身が撃沈するかのどっちかしかないんだ。
ただ、倒れたり、死んだりしたら残した家族のことだけが心配だ。
仕事ばかりした結果、私が倒れたり、居なくなったりしたら家族には本当に申し訳ない。
私みたいな男が、夫であり、父親であるばっかりに。。
何も家庭的なことができずに本当にすまない。

 車を運転していても、眠剤と睡眠不足の影響で対向車が1台のはずなのに、2台に見える。
いつもどっちをかわせばぶつからないか悩んで運転している。
でも交通事故を起こして、相手側が無保険車でもで私が死亡したら5000万円の保険が下りる保険にこの前切り替えたから大丈夫だろう。
また、死んでもマンションのローンはタダになるし、生命保険も2000万円は下りる。
母子家庭になっても母子遺族年金もでるだろう。
また、今の勤務状態で、交通事故死や過労死をしたら労災もでるだろうから、生活はなんとかなるよな。
本当にこんなになってしまってごめんね。』
そんなことばかり考えていた。

 倒れる前の私は、仕事上の外面では薬の影響で躁転してバリバリやっている自分と、内面では自虐的に悩み将来に希望が持てない自分が混在していた。


 休職して、鬱症状が軽快してきたら、そのような考えは全くなくなって、生きていて良かったと思った。
休んでいると、そこには『入社以来馬車馬のように働いていた自分が送っていた生活』とは違う生活があった。

 家族と家族らしい生活を結婚以来初めてできた。
こんな『今までの会社人生』以外の生活があったのだと気がついたのだ。
私が今まで送ってきた会社人生のみが、自分の人生の絶対的評価基準ではなく、色々な人生の価値評価基準があることに気がついた。

 復職後は、私は現在までずっと定時退社を続けている。
定時退社というのは、労働基準法に書いてある週40時間を実践しているだけである。
今までの毎日16時間以上の勤務が異常だったのである。
毎日定時で帰るのが、普通の生活である。
その普通の生活を続けていると、毎日家族と夕食を共にし、一緒にお風呂に入って、家族で談笑し、そしてその日のうちには寝る。
睡眠も6〜8時間はしっかりと取る。
これが、普通の幸せな生活なのである。

 今までの会社生活は、会社に人生を捧げて、家庭を犠牲にして成り立っていた。
それが、幸せだと言えるだろうか。
休職をするまでは会社が全てと思っていたが、それは幻想であった。
本当の人間らしい生活は多少収入が減っても、出世しなくても、普通にここにあったのである。
もちろん給料分の仕事はやらなければならない。
しかし、それ以上はやる必要はなく、残りの時間は家族との時間であったり、自分自身の趣味や、自分自身を向上させる時間にあてるべきである。
それが、サラリーマンの本当の生活ではないだろうか。


 私は鬱病になって倒れて良かったと思っている。
鬱病になったことで、本当の人間性がどうあるべきかが、身をもって理解できた。
もし、倒れなかったら、私はきっと傲慢な人間になっていっただろう。
大学院卒の大企業のサラリーマンである。
出世を考え、周囲の人間を苦しめ、そして自分自身が苦しんでいる事にも気づかずに、仕事に没頭している。
そんな人間になっていただろう。
家庭も振り返らず家庭不和になっていてもおかしくなかった。
きっと、それを幸せな家庭と勘違いしていただろう。

 また、今は本当の幸せな生活を、闘病しながらではあるが、謳歌できている。
変な話、このまま鬱病がある程度薬で抑えられる状態で安定して、普通勤務(残業有)が解禁にならないことを祈っている。
その方が、人間として幸せな生活を出来るだけ長く送ることができるからだ。
ただ、自分で仮病をする訳にもいかないので、どうなるかは解らない。

 またその布石ではないが、私は会社では自分自身が鬱病であることを敢えて隠してはいない。
毎日、人前で鬱病の薬を飲み、毎日後輩や上司には体調がいいとか悪いとかを何気なく会話に折り込み、2週間に1回のメンタルヘルスカウンセリングの日にはその結果を同じチームの人間や上司にメールでさりげなく報告している。

 現場の方とも
『鬱病って辛いんですよねぇ。中々体調が回復しなくてすみません。』
と立ち話でなにげなく話している。
設計や研究所との重要な会議があっても17時を過ぎようとしたら、
『定時なので帰ります。』
と言って帰っている。
皆、基本的に私の病気のことを知っているから、誰も批判はしない。
これが、会社内で私が自分自身を守る方法であると思っているし、私みたいな人間がいれば、その他の社員への負荷も上げる訳にはいかないから職場全体の為にもなっていると思っている。



  更に、ついに今年の5月に帰省した際に私は自分の両親にもカミングアウトをした。
両親とも、さすがに驚いてはいたが、、
『今まで辛かったんだな。気付かなくてすまなかった。』
と言ってくれた。
私はこの一言を聞いて、心の中のわだかまりが一つ減らせることができた。
両親の暖かさを再確認したのだった。

 カミングアウトした時は、ただの親として子供の私の心配をしてくれた両親の気持ちが本当に嬉しかった。


 鬱病は私に『絶望』だけを与えたのではなく、ある意味『希望』をも与えてくれるものであった。








HOME