++逸話++


土方副長のエピソードで流石だよ副長!って奴を紹介。
書き終わって見ればなんか女性関係が多いような・・・?
っていうか私がこういう系の話ばっかり載せてるだけ・・・?
むしろ副長イメージダウン。駄目じゃん・・・。
これからもっと普通な奴を載せて行くよう頑張ります。

 

はじめての奉公
歳三11歳の時に江戸伊藤松坂屋へ丁稚奉公に出されている。
しかし、何をやらかしたのか店の番頭さんの怒りをかってしまい殴られる。
まぁ普通ならそのままうな垂れて説教でも聞いてる所でしょうが副長の場合、そう簡単にはいきませぬ。
なんで殴られなきゃいけないんだと番頭に応戦(食って掛かった)。そしてそのまま夕方の混雑に紛れて松坂屋を脱走。
九里もの道(甲州街道を通った)を夜通し歩いて日野へと帰ってきたのだった。
何やら店が男所帯だったっていうのと副長の見た目からいって番頭に
××(親心)されたって説もあるようですがどうなんでしょう(って言われてもね)。ありえない話では無いと思うのです。
まぁそれは置いておいて何が凄いかと言うとこの年で治安の悪い中、
夜通しで1人36キロ近くを歩いた事が凄い。
 
2度目の奉公
17歳の時に歳三は再び奉公へと出された。今度は江戸大伝馬町の呉服屋(質屋との説も)。
容姿が良いので番頭さんも店先に置いておけば良いとでも思っていたんだろうがそう易々と事は運ばなかった。
今度は
店の女中さんと関係を持った挙句、妊娠までさせてしまったという。
この事を姉の夫、佐藤彦五郎に相談すると説教まみれに。
話をつけて来てやろうという彦五郎を押し留め、自分で蹴りをつけに行った。
この頃の女性が結婚前に妊娠するっていうのは大事件です。
当然死んでやるって話もあるでしょう。
しかし自分できちんと話を付けてきたってのがスゴい。
一体どうやって話をつけたのか。
なかなかの弁舌っぷりだったんでしょうね〜。
 
許嫁・於琴
2度目の奉公の後。歳三の身を早く落ち着けさせようじゃないかという家族達によって1人の女性を歳三に勧めた。
その女性は新宿戸塚村の三味線屋の一人娘で、三味線の上手かった於琴という女性だった。
御琴と歳三の縁談は着々と進んで行ったが、ここで歳三からストップが入る。
何か事を成して、名を挙げるまでは結婚したくないという。
そして歳三の意を汲んだ家族は於琴。
結局於琴は歳三の許嫁という形になった。
 
手紙
文久三年(1863年)11月に土方が小島鹿之助という人物に送ったと言う手紙にはこんな事が書かれていた。
「島原では花君太夫、他に天神・一元。祇園では芸妓が三人程。北野には君菊・小楽。新町には若鶴太夫、他2、3人。北之新地には沢山いすぎて。」
こんな内容の手紙が。
送られてきた鹿之助もビックリしつつ流石だ、と感心した模様(するなよ)。
しかし( ゜Д゜)ゴルァ!!って感じもします(笑)。
この中に書かれている君菊(ホントは君鶴って人。土方の書き間違えか?)は土方の子を生んだと伝えられている。
しかし幼い時に死んでしまったとか。無念。
 
宇都宮
宇都宮での戦いで、戦闘中に逃げ出そうとした兵士を歳三が斬り捨ててしまった。
その後、土方は親戚の土方勇太郎にその
切り捨ててしまった隊士の墓を建てて欲しいと涙ぐみつつ頼んだという話が伝わっている。涙ぐみながら墓の建立の頼みをするなんて京都時代には見られない土方だ。